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八
母の愛情と隔たり
しおりを挟むだが結局、事実を教わったものの、記憶は戻らなかった。医師曰く、余程のきっかけがない限り思い出すことはないと言う。
龍也は尚のことを「正義の味方」だと言ったが、本当にそうだろうか。
――どうせ探偵気分で、何も考えずに乗り込んで痛い目にあったってだけだよな。そう考えると、自業自得だって気もする。軽い骨折と打撲程度で済んで良かったと思わなきゃ。
皆が解散して、まずい病院食を食べ終えたころ、母が顔を出した。
「ナオ、元気~?」
良夏を連れて。
「元気だったら、入院していないよ」
振り向きもせず言った。
「でも肋骨骨折だけなんでしょ。すぐに退院できるって言ってたよ。はい、差し入れ」
コンビニの袋には、ホイップがたっぷりのプリンが四つ。
「僕一人でこんなに食べられない」
「お友達たくさんいるんでしょ? おばさんに聞いたよ」
母は素知らぬ顔で、着替えを畳み直し、ごそごそと紙袋からオレンジを取り出した。
「あのね、ヨシカが母さんにつまんないこと吹き込んだんだろ。妙な友達とつるんでるとかなんとか」
「ナオ、単車でニケツして帰って来たでしょ」
相変わらず良夏は質問にすんなりと答えない。
「それがどうしたの? ちゃんとヘルメットも被っていたし、バイク用のジャンパーだって着てたよ」
良夏が自分の友達についてあれこれ言うことに、イライラした。さらに母が余計なことを言う。
「普通のお友達じゃないでしょ。聞けば、みんな年上だって言うじゃないの。しかもフリースクールだとか、高校中退だとか。お友達って、同級生だとか部活の先輩が普通でしょ」
「母さんは黙っててよ! あ、いててて」
大声を出すと肋骨が痛む。
尚に怒鳴られると、母は黙ってオレンジを剥き始めた。
「あたしさ、ナオのこと、マジで心配してるのよ。あの子たちって変わってるじゃん? お友達倶楽部にしたってさ」
「あら、〈お友達倶楽部〉ってなあに?」
ぎくりとした。お友達倶楽部のことは一番知られたくない事だった。金で買った友情を、母が認めるはずがない。
だが良夏が利用したのは龍也の本業――〈何でも屋〉の商品である〈放課後お友達倶楽部〉だ。〈駅前お友達倶楽部〉の存在を、良夏は知らないはずだった。
「それはヨシカが利用していただけだろ? 僕にとばっちり喰らわせないでよ。ミサちゃんと何があったかのかは知らないけど、僕とは関係ないから」
自分とお友達倶楽部との関係を否定して誤魔化した。
「ナオって、騙されやすそうよね」
とことんミサたちを否定する良夏の本心が尚にはわからない。わかりたくもないが、一つ一つの言葉に棘を感じ、疎ましい。反論することさえ面倒になって、窓から外の景色に目を逸らした。
「オレンジ剥けたわよ。あら、甘いわね。ヨシカちゃんも食べてみて」
母がオレンジを租借すると、 爽やかなオレンジの香りが部屋中に充満した。
あの日曜の朝食もオレンジだった。――リカさんが剥いたオレンジはちょっと酸っぱくて……ライトローストのコーヒーには合わなかったんだ。
あの朝の光景が脳裏に蘇る。
――なんでタツヤさんがいなかったんだっけ……そうだ、夜に出歩いてたって言ってた……部室に行くつもりはなかったんだ。タツヤさんがいないから。リュウヘイさん、新刊のラララを持ってた……。
その先は靄がかかったように曖昧で、痴呆老人にでもなった気分だ。
ぼんやりしていたら、口の中にオレンジを突っ込まれた。
「何考えてたの?」
「ヨヒカ、やめてよ」――今はオレンジを食べたい気分じゃないのに。
仕方なく噛んで飲み込んだ。
「ナオ、友達が欲しいんだったら、あたしがいるじゃん」
良夏がベッドに腰を掛けた。
びっくりして彼女の顔をまじまじと見た。
あんなに焦がれていた彼女はもう……友達候補でも恋人候補でもなくなっていた。そのことに驚いた。
「ありがとう。でも、ミサちゃんやタツヤさんのこと、悪く言わないって約束してくれたらね」
「ナオ、酷いなあ」
良夏は笑っているけれど、どこか寂し気だ。
「タツヤさんって、あの変な髪色の人でしょ? ナオ、騙されているのよ」
母親が口を挟んだ。と、同時に母に対する苛立ちが言葉の暴力となって口をついた。
「こんな体の僕を、どこの誰が普通の友達として扱ってくれるっての? 母さんでさえ、ちゃんとした男になれとか言ってたじゃん! けどさ、タツヤさんはね、僕はそのままでいいって言ってくれたんだよ。変わっても変わらなくても、僕は僕だって。僕から居場所を取らないでよ!! だいたい、人を見た目とか学歴で判断するのってどうかしてる。偏見だよ。母さんの正義ってなんなの?」
母親は黙ってオレンジを入れたタッパーウェアをサイドテーブルに置くと、努めて冷静に話した。
「ママの正義はね、ナオが無事でいる事よ。無事に健康に成人して幸せになってくれるためだったら、ナオにとって嫌なことだって言うわ。悪者になってもいいわ。……それが母親ってものよ」
――めちゃくちゃだ。
母の持つ正義……つまりは愛情の定義に、尚の心が一気に冷めた。
「僕は母さんの所有物じゃない。母さんの正義感を満足させてあげることなんてできない。僕の友達は僕が選ぶから、もう二度と口を挟まないで」
それっきり、母や良夏が何を言っても、返事をすることも、反論したり言い訳したりすることもなかった。
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