さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

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第一話 吉宗の隠密

闇餌差の存在

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「なんでこんなのまでつけて来るかなあ」

 宗次郎が零したほぼ棒読みの愚痴は、きっちり雲雀ひばりの耳にも届いていた。

「でしたら、夕餉を並べられるように、さっさと鳥籠を仕舞ってくださいな。あちらこちらに仕事の道具を散らかして、台所の板の間は、道具置き場じゃあ、ございません」

 たったひと言の愚痴に、三倍以上のお小言が返ってきた。

 遠出から帰った後、御鷹部屋を出た宗次郎に住居として与えられたのが、ここ小日向は金剛寺坂にある岡鳥問屋〈紀伊国屋吉兵衛きのくにやきちべえ〉の離れであった。紀伊国屋の主人、吉兵衛は和歌山城下で〈みそのや〉という看板の鳥問屋を営んでいたが、吉宗の計らいで四年前から江戸に店を出したらしい。
 宗次郎は紀伊国屋の雇われ餌差として、ここの離れに住まうこととなった。
 小さいが、小鳥を飼うための厨子づし二階まである戸建ての離れは、鳥刺しとしてこれ以上ない環境なのだが……

(ほんまにこらえてくれ)

 もれなくこの雲雀という下働きの女も付いてきた。
 浮世絵の美人画とまではいかないものの、それなりにうら若い美しい娘である。だが、茶店〈とらや〉のおふみのような愛想の良さもなければ、三九郎の妻、お鶴のような明るさもない。ツンとすました猫のような目は、いつだってあら探しをしているように見える。その証拠に、口を開けば、今のようなお小言ばかりだ。いや、そもそも宗次郎は若い女子おなごが苦手なのだ。

 雲雀に言われた通り、置きっぱなしにしていた鳥籠を持って、すごすごと仕事部屋にしている奥の部屋へと引き返す。

「さっさと戻って来てくださいまし。夕餉ゆうげが冷めてしまいますからね」

 追いかけて来たひと言にげっそりしつつ、仕事部屋のふすまをピシャリと閉めた。

 新しい鳥刺し棒を削っていたのだ。鳥刺し棒は長い。だから修繕途中だった鳥籠がじゃまになった。それほど広い家ではないのだから、つい、空いていた場所に鳥籠を置いてしまっただけなのに。
 ため息を吐こうとした時、竹の削り屑がわずかに崩れた。

「そんなところに居らず。普通に玄関から訪ねてくれませんかね」

 宗次郎の問いかけを待っていたかのように、天井の板が一枚外れ、ストンと何者かが降り立った。
 削り途中だった鋭く尖った竿先を喉元に突きつけられた男が、諸手もろてを中途半端に上げる。この竿の先には薄い刃が仕込んであるが、こしらえの途中なので、その刃はしっかり外からも確認できた。

「中々の腕やな。殿とのの目に狂いはないようだ。とりあえず、この物騒な竿をさげてくれんか」

 上様の遣いらしい。宗次郎はわざとらしく肩で息を吐く。

「そのなりでは、いかにも忍びだとばらしているようなものじゃないですか。忍びと言うよりも、むしろ盗賊だ」

 褐色かちいろ(黒に近い藍染)の小袖を尻端折りにした男は、同色のおこそ頭巾を外して顔を曝した。

「せやからこないして、屋根裏を伝って来たんじゃ。拙者、村垣桔平むらがききっぺいと申す」

 男は着物の裾を直すと、冗談のような言い訳をしつつ名乗った。
 角張った頬骨に丸い鼻、目の下には小さい傷跡……その顔には覚えがある。和歌山にいた頃、亡き父、相賀おうがの家で出会っているかもしれない。

「それがし、上様より御広敷伊賀者おひろしきいがものを仰せつかっておる者にござる」
「伊賀者……では、もと和歌山城の薬込役くすりごめやくか」
如何いかにも」

 〈御広敷伊賀者〉は、吉宗が新たに作った役で、後に御庭番と呼ばれる吉宗個人のための隠密である。用心深い吉宗は、この役に就かせる者を全て和歌山から呼び寄せていた。

「単刀直入に言おう。う」

「すぐに来てくださいと言いましたよね」

 村垣が何かを言おうとした矢先、雲雀がいきなり襖を開けた。

「……あら、村垣様、いらしたのですね。いつの間に」

 会話を遮ったことを詫びるでもなく、ふてぶてしい態度で視線を村垣から天井へと移動させる。穴の開いた天井を見て納得したのか、その視線を村垣に戻した。その目は、玄関を通らずに侵入したことを責めているかのようだ。

「夕餉の片づけが遅くなりますゆえ、お話は手短に」

 冷ややかに言い放つと、ピシャリと襖を閉めて去った。

「あ、いや、何であったかな……せやせや」

 眉をしかめている宗次郎と目が合った村垣は、ばつが悪そうに頭を掻く。

「それよりも、村垣殿はあの女と知り合いで?」
「ああ、あれはお頭……伊賀者頭である川村殿の御息女にござる。ついでに言うたら、昨年まで大奥に忍んでおったくノ一や」

(ふうん、なるほど、そういうことけ)

 つまり早い話が、自分はあの女に監視されているということなのだと解釈して、不愉快になった。

(油断ならない目やと思ってはいたが……)

「で、話や。はよ切り上げねば雲雀どのに叱られちまう」

 村垣がおどけながら宗次郎の前に座った。

「先月、早稲田の外れの田園で、高円寺の鳥見役見習とりみやくみならいが殺されている。ちょうど殺された二日前、早稲田の御拳場おこぶしばで殿が御鷹狩をしているのだ」

 宗次郎は村垣の正面に座り直し、その顔を睨みつけた。

「それは御先手組おさきてぐみで追う案件。それがしの仕事ではないと見受けまする」

 殺し――しかも役人殺しの捕り物は、御先手組の火事盗賊改方かじとうぞくあらためがたで追うのが普通だ。仕事の取り合いなどしたくはない。わざと仰々しい言い方で、断る旨を伝える。

火盗かとうが追っているが、すでにひと月近く……つまり奴らじゃあ、無理やと、殿が判断なすった」

 宗次郎ががっくりとうなだれる。火盗改メで探し当てられない賊など、自分一人で見つけられるわけないだろう。
 しかし、宗次郎の不服など気にも留めず、村垣がさらに事件の詳細を説明する。

「わざわざ御鷹狩をした村で、直後の役人殺し。上様に盾つく者の仕業ではないか――というのが御先手組や鳥見役所の見地である。ただの物取りや辻斬りとは考えにくい。ついでに言うたら、殺された役人は、人から恨まれるような人物ではないらしい。さらに」
「ああもうええです。その件を追うために、火盗と手を組めっちゅうことですかね」

 どうでもよくなって、ぞんざいな言い方で村垣の言葉を遮った。

「いや、そうではない。あの辺りで鳥を追っている町人餌差ちょうにんえさしを探って欲しいのだ」

(――は?)

 宗次郎の眉間に皺が寄る。

「どういうことですか」
「実は、奉行所が把握しとらん闇餌差やみえさしが鳥を追うとるらしいっちゅう話を聴いたんが、ついこの間のことや」
「その闇餌差と役人殺しが繋がっていると……」
「そいつぁ、まだわからん。やが、その鳥見がそれについて調べとったっちゅう可能性も捨てられん。やとしたら、役人を斬り捨てる腕の持ち主っちゅうことになる。せやけど、ただの餌差風情にそこまでできると思うけ?」

(せやから、俺なのか)

「牛込の田園から、ざっと高田村あたりまで。できれば馬場のあたりも探ってもらいたい。餌差の噂を聞いたんは、馬場横町の外れだ。百姓家の爺さんが教えてくれたそうだ」
「……で、私がそいつを追うとして、もし見つけた時はどうしろと」

 村垣が膝をにじり寄せ、顔を宗次郎に近づけた。

「先ずは狙いが知りたい。背後に首謀者がおる可能性が高いさけよ。場合によっちゃ、斬り捨てることもやむを得んが、できるだけ生かして捉えてもらいたい。できれば泳がして真相を探ってくれ。鳥見の件との繋がりも含めて」

 話し終えると村垣は、今度こそきちんと玄関から帰って行った。
 玄関先で雲雀と何か言い合っていたが、痴話げんかのような会話だったので、宗次郎は見送りもせず、台所の板の間に用意されていた飯を食べ始めた。

 さっきまで湯気が立っていたであろう八杯豆腐はちはいどうふをつつく。
 悔しいが、雲雀の作る料理は美味い。どれも味が濃すぎず、宗次郎の口に合う。だが今は、それをじっくり味わう気にもなれなかった。

(嫌な予感しかしいへん……)

 大きすぎるため息が、気付かないうちに漏れていた。

「ため息をつくと幸せが逃げるそうです……と、亡き母が申しておりました」

 いつの間にか戻っていた雲雀が、湯呑を載せた盆を手に跪く。

「幸せやと? んな、空寒いこと」

 雲雀の台詞に白けた気分になった。
 幸せなどこの身に振って落ちることはないと信じている。生まれてすぐに捨てられた身の上なのだ。おまけに……

「俺は生まれついての殺生人せっしょうにんや。地獄行きは申し合わせているようなもんだ」

 宗次郎の前に湯呑を置くと、雲雀が片頬を上げた。

「では地獄行きついでに申し上げます。村垣様が嗅ぎつける案件は、どれも救いようのない顛末ばかりにございます。殺生は小鳥だけで済まないかと存じます」

 雲雀にしては口数が多い。そしてその予想は外れてくれなさそうである。

(せやから俺なのだ)

 うんざりした。胃の腑の石ころは増える一方だ。

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