8 / 43
第一話 吉宗の隠密
徳川組の大親分
しおりを挟む二人を襲った賊は一人残らず始末した。最後に倒れた男に半平太が駆け寄る。そしてボソリとつぶやいた。
「なんで……逃げようとした奴まで」
「そいつが仲間を連れて、再び襲ってきたら面倒でしょう」
宗次郎の答に、半平太がぐっと言葉を飲み込む。
静けさの戻った山道に風が通る。
土手に群生していた小さな白い花がさらさらと音を立てて揺れた。兎の耳にも似た愛らしい人型の花びらに、不似合いな赤い滲みを見つけてしまった宗次郎は、きゅっと眉を寄せる。
あっけなかった。
呆気ないが、これで己は確実に人殺しとなった。
(……この期に及んで何を気にする)
鳥刺し棒の先についてしまった血のりを拭う宗次郎の仕種を眺めながら、半平太がいまさら気付いたように言った。
「驚いたよ。お前さん、強いんだな。そういや、刀すら抜いていねえ」
「……刀はね、やたらと血が飛び散るから嫌いなんですよ」
だから半平太に刀を抜かせたくなかったのだ。
「結局殺しちまうくせにか? よくわかんねえ奴だな」
「そんなことよりも、急いで山を下りますよ。すぐ江戸に戻って役人に報せなければなりませんからね」
「小野路か都筑の役人に報せりゃあいいことじゃねえか」
「こいつら、どうせ江戸の浪人だ。鳥請負を語って強請を繰り返していたようだから、鳥見役所に届けるのが正解です」
当初の目的を成し遂げた宗次郎は、鳥刺しの旅にさっさと終止符を打った。だが、なぜ旅が途中で中断されるのか、真相を知らない半平太は不服そうである。
「半平太さん、そんなに旅を続けたかったんですか」
「そういうんじゃねえけどよぉ、なんか合点がいかねえっつうか……」
「仕方ないでしょ。人を殺したまま捨て置けないですから」
今から急いで山を抜ければ夜には川崎宿にたどり着ける。そうすれば稲毛筋の鳥見役所がある東大森まではすぐである。
宗次郎は笠の紐をくくり直した。
「飛脚になったつもりでついて来てください」
半平太に言い渡す。
「はあ? ちょ、無理だろ。鳥だっているのに」
半平太が揺らした鳥籠をひったくると、蓋を開け、雀も山鳩も逃がしてやった。
「お、おい、何しやがる」
ようやくまともに自分で狩った獲物を逃がされ、半平太の顔が怒っていた。しかし、さっさとこの顛末を役所に報せることばかりに気をとられている宗次郎には、その反抗的な態度ですら面倒くさい。
「ほな、もし、奴らに仲間がおったらどないするつもりや。てきゃら(奴ら)があがら(俺ら)の存在に気ぃつくよか早よに、鳥見がおる東大森にたどり着かなあかんやろが!」
つい、お国言葉で怒鳴ってしまった。
線と丸――線は街道、丸は御拳場と捉飼場の村名、そして川。それだけの簡素な絵地図を広げて示した。〈川崎宿〉と書かれた文字の横の丸、〈南河原〉を指す。玉川河口沿いにある御鷹場である。
「今夜中にここ、ここまで行くさけえよ!」
こうして泣きそうになっている半平太を叱咤し、宗次郎は山を疾走した。暗闇に包まれる前に相州道へ入ってしまえば、何とでもなる。
闇が迫る山道を、まるで逃げるように駆け抜けた。実際、いるかもしれない賊の仲間から逃げているとも言えるが、あの程度の賊であれば、宗次郎にとって畏れるに足りる相手ではない。
ただ、己が殺してしまった骸から、少しでも早く遠ざかりたかったのだ。だから正当な理由をより強調して、必要以上に早く、とにかく早く山を下りたかったのだ。
何とかたどり着いた南河原で夜を明かし、夜明け前には東大森に向けて出立した。
汗でどろどろの体を引きずるようにしてついて来る半平太に言葉はなかった。
「ほら、もうすぐですから」
こうなるともう、どちらが年上なのかわからない。
ようよう鳥見役所の塀が見えてきたところで、宗次郎が歩みを止めた。
「おい、どうした。あの屋敷が……」
半平太も何か察したようだ。言葉の途中で口を閉ざす。
「半平太さん、役人には『小野路の件』と言えばわかってもらえる」
小声で指図する。
「おい、お前さんは……」
問い返しをさせず、叫んだ。
「走れ!」
宗次郎の疾呼に、半平太が鳥見役所に向かって駆け出した。同時に、宗次郎は背後の気配と対峙する。
すでに間合いを詰めていた不審者は三人だった。菅笠をかぶった大男と頭巾で顔を隠した侍が二人。菅笠の侍は着流しの腰に大小をぶら下げているが、抜く気配はない。だが、両端の二人は殺気とも取れる緊張感をまとっていた。
明らかに昨日、相手をした山賊まがいの浪人とは格が違うと直感する。
宗次郎はできるだけ感情を抑えた声で忠告する。
「何が目的なのか知らんが、俺に向かって刀を抜くのは止めた方がいい」
じり――と頭巾の男たちがわずかにつま先を後退させた。
一人が小声で笠の男に何かを囁く。その言葉が宗次郎に届かないとでも思ったのであろうか。
しかし、宗次郎はすぐに鯉口を切った刀をきちんと鞘に収め、笠の男の前に跪いた。
「戯れは勘弁願いまする。上様」
「ふ、今の内緒話が聞こえるとは、敏い耳よのう」
やはり将軍、徳川吉宗であった。
「上様!」
頭巾の男がたしなめる様に声を上げた。
「うるさいぞ、てめえでばらしてどうする」
「は、あい、すみませぬ」
吉宗が、ずかと一歩踏み出すと、やおら宗次郎の衿を掴んで立ち上がらせた。
「仕事が速いのは誉めてやろう。こうして役所に駆け込んで来たところを見ると、賊の見当が付いたか、あるいは斬り捨てたか」
「ぐ、うぅ」
締め上げられて、思わずくぐもった声が漏れる。
「こっちを見ろ!」
怒鳴られ、吉宗の顔に目を向けた。
「てめえ……」
至近距離で目が合った途端、吉宗が笠の下に隠れていた目を見開く。ふいに衿を掴んでいた手が緩み、宗次郎は地面に落とされた。
「げほっ」
喉を押さえて息を吸う間もなく、叱責交じりの声が頭の上から降ってきた。
「おい、助広はどうした」
ハッと腰に手をやる。腰の脇差は使い古しの無銘。兄のお下がりである。
「あれは畏れ多く……」
言い訳をしようとした途端、
「たわけ!」
大声でがなられ、目を閉じた。
「良いか、明日からてめえは町の請負餌差として、身分を隠して働け。そのために脇差をくれてやったのだ」
近くなった声に瞼を開けると、宗次郎の目の高さにしゃがみこんだ将軍の顔があった。
(ほんなら、三つ葉葵なんぞ付けてくれるな)
宗次郎の心の声を読んだのだろうか。吉宗の口が宗次郎の耳に近づく。
「俺の下……将軍吉宗のために働くのだ。てめえは俺のお抱え殺生人だ。その覚悟を背負えって言ってんだよ」
小声ではあるが、どすの利いた伝法な物言いは、将軍どころかまるで博徒の親分である。
(なるほど、徳川組の大親分だと思たらええ)
無礼なことを心の中で思う。
「わかったらさっさと旅を終えて部屋へ戻れ。後のことは杢右衛門に聞きやがれ」
乱暴に言い放つと、近くに待機していたのであろう駕籠が近付いて来た。
将軍を乗せた駕籠が、田舎の街道へと去っていくのを見守る。その駕籠が視界から消えると、
「うたてえ(めんどくせえ)」
まるで叱られた子供のように呟きながら、宗次郎は尻の砂を払った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる