さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

文字の大きさ
24 / 46
第二話 因縁

清濁併せ吞む

しおりを挟む
 村垣むらがきが訪ねてきた。初対面の時と同じように、屋根裏から宗次郎の仕事部屋の隅に降り立った。

「せやからぁ、その物騒な竿は向けんでくれっちゅうに」
「だったら、玄関から訪ねてください。台所の勝手口でもいいですから」

 黙り込む村垣に、宗次郎の方から理由を導いてやる。

「あっ、雲雀ひばりと会いたくないってことですね。あの人に嫌われるようなことをなすったんで」

 村垣がムスッと答える。

「面倒やから会いたくねえだけや」

(いったい、何なのだ。この二人の関係は)

 旧知のようでいて、時には犬猿の仲にも見える。まあ、あの皮肉屋の女を好むような物好きもいないだろうが。などと、勝手に二人の関係を推察し、鳥刺し棒をかたわらに放った。

「では、仕事の話ですか」
「ああ、尾張の下屋敷の件だ」

 それを聞き、ようやく上様の腹が決まったようだ、と不遜なことを思った。

「上様の御考えとしては、尾張にもお抱えの餌差えさしはいるだろうと」

 ちょっと考えたが、話の真意が良く分からず黙っていると、村垣が補足した。

「つまり、あの屋敷を任されている留守居るすいやら重臣やらを突っついたところで、自分ちの鷹の餌を運ばせていただけだろうっちゅう風に、ごまかされるのがオチや言うこっちゃ」
「なら、見て見ぬふりをするおつもりで」
「まさか! 役人一人殺されとんのやど。泣き寝入りできるかよ」

 村垣が畳を叩いた。

「かといって今更、尾張がこない、ちまちましたやり方で仕返しをしてくるとは思われんが……」
「それはどういう意味です?」

 尾張家とは将軍職の跡目争いをしていたと聞いていたが、それは城内の派閥争いの末ということではなかったのか。
 村垣がばつの悪そうな顔をした。

「ほれ、雲雀どのが言っておったであろう。江島様の事件」

 尾張の殿様を担いでいたという月光院贔屓の御年寄。その江島が起こした醜聞とも言える失態。それにより江島は大奥を追われたと聞いた。

「まあ、あれには我が殿も裏で加担しておってな。汚いやり方と言われりゃそれまで、ちゅうか。まあ、おまんには知っといてもろた方がええからばらすが、天英院様とたばかって、かなり強引に間部の力をそぎ落としたっちゅうわけや」
「つまり、ことの発端は、こちらに非があるということなのか」
「んなわけあるかい!」

 宗次郎のまっすぐな意見を、村垣が一刀両断した。

「どっちが悪いとかいう問題やない。あのまま間部にまつりごとを牛耳られたままやったら、幕府は終いやった。金蔵かねぐらかねはない。せやのに徳川幕府存続には莫大な金がいる」
「……はあ」

 よく分からぬ江戸幕府の内情を説明されても、生半可な相槌しか出てこない。

「ええか、宗次郎はん。幕府いうんは、江戸城に住まう徳川家のためにあるんやない。民のためにあるんや。江戸城の台所も引き締められんと、政がなせると思うか。え?」

 つまりそれが、殿が将軍になろうとした理由付けなのだ。

「だが、強引なやり方だったために、恨みを買ったということですよね」
「しかし尾張の殿様……継友つぐとも様においては、納得の上であったのだ。尾張徳川家には『将軍位を争うべからず』という不文律もあったらしいからな。せやけど、間部を強く推しておった月光院様と安房守あわのかみ様は納得がいかんかった。で、激しく抵抗しなすった」
「その抵抗のせいで、無駄な謀りをせざるを得んかったと」
「ま、そういうこっちゃ」

 政の世界は汚いことだらけだということだ。ただ正義を追えばよいと言うわけではない。

「上様に仕えるなら、清濁併せ吞めっちゅうわけですか」

 意図せず、ため息が漏れた。それを村垣は見逃さなかった。念押しするように言われる。

「宗次郎はん、あんたは汚いことを知らなさすぎる。だがな、上様のそばに仕えるっちゅうことは、そういうことや」
「で、俺はどうしたら……」

 結局、尾張徳川家の仕業であったかどうかを暴きたいのか、それとも新たな火種を作らぬよう穏便に済ませたいのか……そこまで考えて、自分の立場を改めて思い出した。――俺は殺生人なのだ。

「つまり、そいつらだけを始末すりゃあ良いのですね」

 そこに集まっているのは、多分、江戸市内の飼い鳥屋や御鷹部屋に鳥を仲買する請負人と、鳥問屋に雇われている鳥刺しだけだ。それでも、彼らが消されたら、関わっていたであろう黒幕にも、多少なりとも思い知らすことはできる。その黒幕が大層な身分であればあるほど、打撃は大きいに違いない。

「ついでに、どこの鳥屋が裏で糸を引いているのか探れたら言うことなしや」
「尾張との関係までは探るなと」
「せやな、今は」

 『今は』ということは、いずれは暴くつもりなのだ。それは上様にとって、もっと有利に使える時まで取っておくということか。

 それがいつのことになるのかまでは、宗次郎にはわからない。




 それから戸山荘の西側の畑地で鳥を追うふりをしていた。百姓に扮した四人組に襲われた場所にも近い。
 だが、さすがに警戒してか、あの時の闇餌差は見かけなかった。
 宗次郎には彼奴がただの鳥刺しだとは思えなかった。そもそも餌差という仕事は鷹狩用の鷹の餌となる小鳥を捕まえるのが仕事。だが、彼奴のやり方は狩猟だ。在郷餌差のように代々餌差を生業としている者の考え方ではないように感じた。
 その言葉遣いも雰囲気も……

(まるで博徒か渡世人……やとしたら、糸を引いとるんは鳥屋やのうて、どこぞの盗賊団かもしれんな)

 考えながら畑の畦道から村へ抜ける小径に出た所で、見廻りの鳥見とりみ役人と出くわした。

「どうだ、雀は獲れるか」と、話しかけられたので、ぼちぼちでございます」と、答えた。
「あの屋敷の中だと、もっとよく獲れそうですが」
 そう付け加えたら、怖い顔で睨まれた。

町人餌差ちょうにんえさしの癖に馬鹿を言うな。真面目に田畑や野山で狩りをせよ」

 役人は宗次郎を叱責すると、スタスタと早稲田の村の方角に向かって歩いて行った。
 この界隈で鳥見役人が殺されて早、ひと月と半分。未だその下手人はおろか手掛かりも掴めていないことに、鳥見役所は苛立っていた。村垣や杢右衛門もその事を承知しているが、まだ捜索の過程を明かすには早いと判断していた。
 黒幕は、尾張や博徒や鳥屋ではなく、内輪――つまり、御鷹役人かもしれないからだ。
 鳥見役人の後ろ姿を見送ると、宗次郎は反対の方角へと歩き出した。
 何も成果が上がらないようではあるが、こうやって戸山荘の周りを張っていれば、いずれ尻尾はつかめるはずだと確信している。何しろ鷹は大食漢なのだ。餌となるはとや雀はいくらでも売れる。しかも生餌いきえであるから、取引はほぼ毎日行われていると考えて良い。
 用心棒らしき刺客は殺されたとて、取引場所をすぐに変ることはないだろうと踏んでいた。

 そうして鳥見役人に声をかけられてから更に三日後、とうとう大きな籠を背負って歩く二人連れが現れた。二人連れは、そのまま車力門から屋敷の中へと入って行った。

(さて、追うべきか)

 大名屋敷とはいえ、下屋敷である。下級の家臣や藩士の出入りが多い上に、これだけ広大であると、かえって忍び込むには容易たやすい。
 だが宗次郎は、例の餌差札えさしふだを行使した。

「今の籠の男たちはどこの鳥屋ですかね」

 さっきの二人連れを通した門番に声をかける。

「なんだ貴様は」

 体躯の良い門番に剣呑な目で見下ろされる。

「見ての通り、あっしも餌差でして」
「どこの雇われか」

 そこで例の餌差札をふところから出した。

「見たことのない札だな。御公儀……ではないな」

 門番が宗次郎の腰に、大小の刀が揃っていないのを確認する。幕臣である公儀の餌差は二本差しである。そこで宗次郎はさりげなく餌差札を裏返した。と、すぐに門番の顔色が変わる。

「拙者、上様御用達の餌差にござる。通ってもよろしいか」
「し、しかし」
公儀餌差こうぎえさしは特に差し支えなければ、武家屋敷へ立ち入っての鳥刺しを許されておりまする。しかも拙者は上様直々に札を賜った特別の餌差。意味が解りますよね」
「ははっ」
「で、彼らは」
美濃屋みのやに雇われている鳥刺しと餌請負えさうけおいだと聞いております。屋敷内にある鷹部屋に餌を届けるのだと伺っておりますが」
「そうか。てっきり、この中で鳥刺しをしているのかと思ったよ」
「いえいえ、そういうわけでは」

 その大きな体を折り曲げひれ伏すように頭を下げた門番に、笑いが込み上げそうになった。葵の御紋とは、なんと便利なものであるのかと。

 こうして堂々と門をくぐったのであるが、すぐに別の門番に呼び止められた。

「屋敷は広うござる。迷ってはいかぬから、案内いたそう」

 振り向き笑顔で答えた。

「いえ、お構いなく。拙者が探すは人ではなく雀ですから」
「しかし」

 まだ何か言いたそうな門番であったが、それを無視して先を急いだ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

処理中です...