龍の錫杖

朝焼け

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第一章

不老の理由は

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「もしもーし、もうっ!なんとかいってー!」
その場で立ち尽くして動かないクザンに桜は不満気に話しかける。
珍妙な言動と行動ばかり繰り返すこの男をどうしたものかと頭を抱える。
「すまん……」
「あなたそればっか、まぁいいわ、元気になったんだし家帰ったら?」
「わからない……」
「へ?」
「記憶がないんだ……この街の」
「え、マジで、大丈夫?」
「多分……大丈夫ではない……」
「そう……はぁ」
桜は大きな溜め息をつきクザンを家に引っ張り戻す。
「はい、座んなさい」
「……?」
「座って!」
「わ、わかった……」
促されるままクザンは椅子に座らせられる。
桜はベッドの縁に腰掛ける。
「どういうことなの? あなた、さっきから変なことばっか言ってるのよ?」
少しイラつき気味の表情から心配そうな顔つきに表情を変え桜はクザンに語りかける。
クザンは彼女に面倒をかけていることをひしひしと感じつつ、しかし彼女しか今、頼れる人はいないので正直に全てを話すことにした。
「言った通り、記憶がないんだ……君の言った西暦が正しいのなら……その……50年間の」
「まだよくわからないけど……?」
「簡潔に言うと、俺は今2020年までの記憶しか持っていない、普通に家で夕食を食べ、眠りについて、目覚めたら君のベッドの上にいたと言うことだ」
「でも色々おかしいよね、それ」
「ああ、鏡を貸してくれないか」
桜は洗面所から鏡を持ってくる。
クザンはもう一度自身の顔を観察する。
「やはり、髪が伸びているが顔はほとんど変わっていない」
「あなた、20代後半ってとこかしら?」
「そうだ、俺は28歳、1992年、2月1日生まれのはず……」
「やっぱり滅茶苦茶、さっきも言った通り今は……」
桜の言葉をさえぎりクザンが続ける。
「2073年復興48年……だろ?」
「その通り、あなた自分でもわかってるだろうけど色々クレイジーな事言ってるよ、普通なら生きててもヨボヨボのおじいちゃんのはず」
「あぁ、理解はしている、正直タイムスリップでもした気分だ」
桜も普段なら頭のおかしい人間の戯れ言と相手にしないかもしれない。
しかしこの男はそのような感じではない、この男にはきちんとした理性と思慮深さを感じたのだ。
「あなた、何か歴史の研究でもしてたんじゃない? それで頭打って記憶と知識が混濁してるとか?」
「だといいんだが、過去の記憶が鮮明すぎる……嫁や娘の事も、2020年の記憶も、俺には幻とは思えない……」
「うーん」
様々な憶測や推論を二人で交わし会うがどうあがいても話はまとまらない。
「とりあえず、警察のような所はないか? そこで行方不明者に自分のようなものがいないか聞いてみようと思うんだが……少なくともタイムスリップしたのでなければ俺はここで50年、生活していたはずだからな」
「それはまだ駄目ね」
彼女はピシャリと言い放つ
「何故だ?」
「いまさっき気づいたけど、あなたこれ、持って無いでしょ?」
彼女は自身の左手首にはまった薄い青色をしたセラミックス製の腕輪を指差す。
「この都市は指令府に許可されたものしか住めない仕組み、そしてこの腕輪は居住権を持っているかどうかの証。あなたがうっかり警察に行って、この腕輪の有無を確かめられようものならこの都市を問答無用で追い出されてしまうわ」
桜は続ける。
「しかもこの都市の外側は入都希望の人が暮らすスラムと廃墟が広がるだけ、村みたいなのは少しは有るけどこの都市の生活レベルには遠く及ばない。そんなところに記憶もない状態でほっぽりだされたら間違いなく詰みよ」
クザンは彼女の言う腕輪を何処かポケットにでも入っていないかと確かめるも徒労に終わり、自身の置かれた状況に途方に暮れて言葉につまる、自分だけならともかく、妻と娘、両親のこと、そして彼女が何の気なしに言った現在の日本の現状、考えなければならないことが多すぎる。
「なぜこんなことに……解らないことが多すぎる……」
困り果てたクザンを見かねて桜は言う。
「うーん、まぁ、今日のところはここで寝たら? 来客用の部屋があるから少しの間はそこにいていいよ」
「いいのか、こんな得体の知れない男を泊めて」
「んな弱り果てた仔犬みたいな表情されたら見捨てらんないよ、それに寝て起きたら記憶戻ってるかもよ?」
「恩に着る……」
「あはは、やっぱり50年前の人ってのはホントなのかもね、しゃべり方が古臭いや」
「そ、そうか?」
「うん、おじいちゃんっぽいよ、あはは! 明日になってもし記憶が戻らないんだったら頼りになる人紹介してあげる、今日はゆっくりしなさいな、そういえばあなた、名前は?」
桜の言葉に甘え、クザンは彼女に一晩世話になることにした。
夜の6時30頃、簡単な食事まで振る舞ってもらっている最中にまた事態は動き始める。
簡素な円い白テーブルの上にはマヨネーズとあえた茹で卵とツナ、切ったトマト、レタス、パイナップル、食パンが並んでいる。
「悪いね!大したもんないのよ私んち!」
手を合わせながら桜は言う。
「何を言っているんだ、身元不明の浮浪者にはもったいないくらい豪華な食事だ」
「それもそうね、あはは、まぁ食べて!」
「本当に感謝の言葉もない、いただきます」
そういってクザンは出された料理に手を合わせる。
「やっぱり本当に昔の人なのねぇ、今時そんなのお爺ちゃんお婆ちゃんしかやらないよ?」
食パンにたっぷりの卵を塗りながら桜は言う。
「そうなのか、これを忘れて嫁や娘によく起こられるのだがな」
「娘に怒られてたの? 情けないお父さんね」
「全くだ、所で桜……1つ聞きたいんだが」
クザンは遠慮がちにパンにツナを乗せながらサクラに問いかける。
「何? あとそんなケチケチしなくてもツナたくさん乗せていいからね?」
「ああ、すまん、で何でこんなことになってしまっているんだ日本……ここは山梨か静岡だったか」
立て続けに質問したい事があるが今もっとも聞きたいことをクザンは彼女に問いかける。
「こんなことと言われても……私が生まれる25年前にはもうこの都市の原型は出来てたらしいし、私にとっては当たり前の光景なんだけどねぇ、具体的に何がおかしいの?」
「では、何故山梨と静岡以外廃墟になってしまったんだ?」
サクラは卵サンドを食べ終えツナとキュウリのサンドを作りながら話す。
「戦争があったらしいよ」
「何処の国とだ?」
「宇宙人? かな?」
「は?」
「あぁ、歴史の勉強だと侵略者って習ったっけ? そいつらが滅茶苦茶強い戦闘機と爆弾使って世界の大きな都市をほとんど壊したんだって」
信じられない! とクザンは叫ぼうとしたがこの50年の記憶が無い自分にそんなことを言う権利もない、クザンは質問を続ける。
「それで、どうなったんだ?」
「勝ったよ、あなたも見たでしょ、あのとっても高い斜めの塔」
「あぁ」
「龍の錫杖って言うの。あれで侵略者の母艦を撃ち抜いて勝ったんだって」
「あれは……大砲なのか?」
彼女の話を聞く限り2020年から五年ばかりであの高い塔は建造され侵略者と戦った、と言うことになる、わからないことだらけだが妻や両親はどうなったのだろうか。
「いや、解んない、多分大砲なんだと思ってるんだけどそこはなんか誰も知らないのよねー」
「そうか、ではいま龍の錫杖はどうなっているんだ? あのままじゃ動かすことも出来なさそうだが……」
「今、あれは都市の発電所よ、あれが都市の電源を全て賄ってるの」
「発電……龍の錫杖は大砲なのでは?」
「言ったでしょ、そこは解んないよ、誰も教えてくれないか解らないかなんだから……」

 二人がとりとめもなく色々な会話している最中、突然朗らかなチャイムの音が鳴り響く。
「……あ、お客さんかな?」
玄関のドアをノックする音が聞こえる。
「はーい、出ます出ます!」
桜が応じてドアを開ける、ドアの向こうには四十代半ば程の見た目、ブロンドの長髪、大柄で筋肉質の体躯を持つ白人男性の姿があった。
「ジェラルド! どうしたのこんなとこに!」
「おう、近くに寄る用事があってな、猛にお前の様子を聞いてたから少し心配で様子を見に来たんだが……」
ジェラルドと呼ばれたその大男はクザンの姿を見やる。その鷲っ鼻の上に二つ有る鋭い眼にクザンは思わずびびってしまった。
だがその緊張を裏切るようにジェラルドは砕けた調子で、少し楽しそうに口を開く。
「どうやらお邪魔だったようだな、新しい彼氏が出来たとは知らんかった、悪かったな」
「違うから! これには事情があ……」
サクラの言葉をさえぎりジェラルドは話続ける。
「大丈夫だ、お前ももう二十五歳、とやかくいったりしねぇよ、むしろ小さい頃からお前を見てきた俺としては年頃のお前に三年近くも彼氏がいないのは心配だったんだよ」
「違うんだって!」
「背も高いし中々イケメンじゃねぇか、よかったよかった、はい、これお前の好きなシェリー酒、沢山飲んでガンガンいけ! 明日は警報が無い限り午後にくりゃいいぞ!じゃあな!」
「違うったら、おいっ! まてっ!」
サクラは凄い勢いでまくしたてそそくさと立ち去ろうとしたジェラルドを捕まえる。
「おいおいなんだよ! 俺に気を使う必要は無いんだぜ! 俺がここに来たのはついでだし、ここは思う存分二人で愛を深めるんだ! あっ! 避妊だけは忘れるなよっ! 俺はそれで昔とても痛い目に……」
「だから話を聞けぇっ!」
外でしばらく大騒ぎをした後、二人は室内で待ち惚けを食らっているクザンの元に戻ってきた。
「何なんだよ恋人じゃねえのかよ、おじさんワクワクして損したぜ」
頭をかきながらジェラルドはつまらなそうに桜の座っていた椅子に付く。傍らに立ちながら桜はうんざりした様子で言う。
「うるさいっ!! それにそういうのは心配してくれなくていいから!」
「わかったわかった! 悪かったよ!」
悪びれた様子もなくヘラヘラとジェラルドは桜に返事をする。
桜はその様子に溜め息をつきながらクザンに向き直り話しかける。
「ごめんなさいね、騒がしくて」
「居候の身にそんな気遣いはいらないさ、彼は?」
「第一印象はデカいアホなおっさんだっただろうけど、この人の事なの、さっきいった頼りになる人って」
ジェラルドがふざけた様子で反論する。
「お、嬉しいねぇ、だがアホなおっさんって酷くねぇか」
「いきなり思い込み全開で年甲斐も無くはしゃぐからよ」
「ぶははは! 確かに、悪かった悪かった……で、兄ちゃんまずは名前を聞こうか?」
「ハナサキ クザンだ」
「ジェラルド ペレス、よろしくな」
ジェラルドが笑顔で握手を求めたのでクザンも応じたがその手の大きさと力強さに思わずたじろぐ。
「で、桜、クザン、俺に何を相談しようってんだ? 金はかさねぇぞ?」
ふざけた様子のジェラルドに桜は今日起きた事の一部始終を語って聞かせる。
最初はジェラルドも軽い気持ちで聞いていた様子だったがクザンの記憶と年齢の部分に入ると眉をしかめ真剣な表情に変わっていく。
そして桜の話が終わると無言で席を立ち上がり、自身が持ってきたシェリー酒の瓶をサンドイッチの材料が並ぶテーブルの真ん中に置き座り直す。
「桜! お前に買ってきた土産だけど半分ほど使わせてもらうぞ」
「いいけど、何に使うの?」
「まぁ見てな」
ジェラルドはクザンが飲みかけていた水を奪って飲み干しそこにシェリー酒を刷りきり一杯、350mlほど注ぐ。
「クザン、お前酒は飲めるか?」
「いや、一滴も飲めない、体が受け付けないタイプだ」
「そうか、都合がいい、これを何回かに分けて全部飲んでみな」
「いや、そんなことをしたら俺は倒れてしまうんだが……」
狼狽するクザンにジェラルドは言う。
「少しずつでいい、まずは嘗めるくらいでもかまわない」
そこで桜がジェラルドの試みを制止する。
「ちょっとまって? それさっき私が好きなやつって言ったよね?もしかして……」
「ああ、アルコール度数45%、超極甘のワインにアルコール度数80%のブランデー原酒を大量にぶっこんだ特製のシェリー酒だ」
「そんなの普通の、ましてや酒飲めない人がそんなに飲んだら……!」
桜はそこでジェラルドの思惑に気づいたようだ。
少し困惑した様子だったが納得した様子で口を紡ぐ。
クザンはジェラルドに質問をする。
「これで何か分かるのか」
「ああ、俺の見立てが間違ってなければ何でお前が老いもしないままここにいるのかはとりあえず解る筈だ」
クザンは自分を見る二人の眼を見て思う、決してからかっている訳ではない。
「わかった、飲んでみよう」
クザンはコップに口を付けシェリー酒をたっぷりと口に含む。
むせ変えるような芳醇な香りと甘味、アルコールの刺激が舌を包む、それを意を決してクザンは飲み下した。
「10分待とう」
ジェラルドが腕組みをしながら言った。

 10分経過した時、クザンは自身の体の変化に戸惑っていた。
ビールの一口で体調をくずしていた筈なのに何ともないのだ。
「何故だ!?」
自身の体の不気味な変化が心底薄気味悪い。
「やっぱりな、念のためだ、全部飲んでみな」
ジェラルドは更に飲むようにクザンに言う。
その言葉は狼狽するクザンの耳には入っていなかったがそれでもクザンは再度シェリー酒を口に流し込む。
酔ってくれ、体調を崩してくれ、俺の体は酒に弱い筈なんだと自身に言い聞かせながら。
「……何ともない」
空になったコップを持ったまま呆然とするクザンにジェラルドが話しかける。
「まぁうろたえるのもわからんでないが何でこんなことをさせたのか一から説明させてくれ」
「あぁ頼む……」
「日本がなぜこんな事になってるかは聞いたか?」
「ざっくりとだが聞いた」
「俺と桜の仕事のことはもう聞いたか?」
「いや、まだだ」
「そうか、まぁ簡単に言うとだな、化け物と戦う仕事だ」
「どう言うことだ?」
「この町には害獣って呼ばれてる化け物が出る、そいつらを駆除するのが俺らの仕事だ」
「今度は化け物か、頭が追い付かないな……」
「まぁ五十年前の常識ではあり得ないだろうがな、侵略者どもが使用しようとした生物兵器だって一般では言われてる、熊よりデカくて猿よりずる賢い厄介者どもなんだが俺達はどうやって倒すと思う?」
クザンは少し考えてから答える。
「そんな聞き方をするのなら銃や爆弾ではないんだろうな……」
「そうだ、まぁ補助的に使うこともあるがメインはそれじゃねぇ、答えは……」
ジェラルドは言いながらテーブルの上に乗せた右腕に思いきり力を込める。
すると驚いた事に腕は薄紅色に染まり更に二回りほど太く逞しくなる。
爪もビキビキと音をたてながら獣の様に鋭く太くなる。
「こいつで戦う」
「な……なんだ、これは……」
驚愕するクザンを尻目にジェラルドは説明を続ける。
「俺達は体を強化改造してる、害獣相手にゃ豆鉄砲じゃ効果がねぇ、だからといって超高電圧のケーブルがみっしりつまった町中に現れる相手にむやみやたらにマシンガンや爆弾を使う訳にもいかん、だから適正のある奴に戦闘用の身体改造を施して対処させてるんだ」
「驚いたが……それが俺の現状とどういう関係が……」
「身体改造手術はとんでもねぇ量の薬剤を人体にぶちこまなきゃいかん、それに当たってまず人体の中で真っ先に強化しないといけない部分はどこだと思う?」
クザンはこの質問の意図を理解した。
額を手で抑え、目を閉じる。
「内臓、その中でも薬剤を代謝するときに負担のかかる肝臓や腎臓だろう……」
「正解だ」
少し間を置きジェラルドは続ける。
「つまり酒を飲めないあんたがこんなに強い酒を飲んでピンピンしてるってことは肝臓の強化が施されているってこと、肝臓の強化が施されているなら俺らみたいな身体改造者だろう、そして止めを刺すようで言いづらいんだが……」
「気遣いは要らん、というより察しはついている、いってくれ」
多少自棄になってクザンは答える。
「じゃあ遠慮無く言わせてもらう、身体改造された部分はたまの調整と経口薬の投与さえ怠らなければ生身の体とは比較にならん程の若々しさを保つことができる、つまり見たところ全身の老化が止まっちまってるあんたは…………恐らく全身を改造されちまってるんだろう」
クザンはジェラルドのその一言で改めて絶望をした。
今まではどこか、夢見心地で今の状況に現実感を感じなかった。
なぜかと言えば自身の姿が髪が伸びたとはいえほとんど変わりなかったからだ。
自身も変わりがないのだから妻や娘もそうなのではないかと言う根拠の無い漫然とした感覚があった。
しかしジェラルドに何故自身の姿が変わっていないのか、否どれだけ変わってしまっているのかをきっちりと説明されたために実感が事実に追い付いてしまったのだ。
「美紀……継花……」
クザンはか細い声で絞り出すように妻と娘の名前を呟いた
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