アズラエル家の次男は半魔

伊達きよ

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番外編

【番外編】リンダの休日(3日目②)

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「おーい、カイン~」

暗闇に向かって呼びかけてみるが、返事はなし。リンダは少し躊躇ってから、ゆっくりと「おばけやしき」の中に足を踏み入れた。
カインを追って走って来たはいいものの、結局この屋敷に着くまで追いつけなかった。

(まさか、途中で追い越したなんて事はないだろうけど……)

屋敷までは一本道だ。途中民家や店はあるが、カインが寄り道をするとも考えづらい。

「カイン……?」

屋敷の中は、想像以上に暗かった。灯りを探してきょろきょろと見渡してみたが、もちろん無人の屋敷に見つかる筈もなく。窓から差し込む明かりを頼りに、リンダは黴臭い屋敷の中を進んでいった。

(これ、俺の中身が大人だからいいけど……、子どもだったらかなり怖いんじゃないか?)

ぎっ、ぎっ、と鳴る床を踏みしめながら、エントランスホールを進み、二階へ続く階段を眺める。

「カイン~? おーい」

いろんな方向に向けて声を上げてみたが、返事はない。リンダはとりあえず、一階から見てまわることにした。



「ほんっとに、どこに行ったんだ?」

どこを見ても、カインの姿はない。もちろん返事も返ってこない。こうなると、屋敷に来ていない可能性が高まってきた。

(一回外に出て、日が暮れる前に兄さんか、大人を呼んで……)

考え事をしながら廊下を歩いている時だった。ギシ……ギシ……と嫌な音をさせて軋んでいた床が、ふいに、バキッ、と音を立てて抜けたのだ。
ちょうど右足を踏み出した床だったので、リンダの体は前屈みに倒れ込む。

「へっ、……っ、うわっ!」

慌てて手を突いたので顔面を強打する事はなかったが、脛のあたりまで床下に消えた右足の、その足首が、グキッ、と嫌な音を立てた。

「いっっっ、でぇ……っ!!」

どうやら、思い切り捻ってしまったらしい。リンダは「ひー」と呻きながら、座り込んで、足を引きずり出す。幸い、床板の木が刺さったり、それで引っかいたりはなかったが、何しろずきずきと足首が痛む。
リンダは、その場に座り込んで右足を擦った。

「リンダ……っ!」

「へ? ……あ、カイン!?」

突然名前を呼ばれて、座り込んだまま振り返ると、顔を青くさせたカインがそこにいた。

「おま……っ、どこにいたんだよ!」

「ずっと、そこにいたけど……」

そこ、と言われて見てみれば、エントランスホールの脇に置いてある大きな時計があった。時を刻むのを止めたその時計の横には、たしかに子供が座るのにちょうどよさそうな椅子が置いてある。まぁ、多少埃っぽくはあるが。

「えっ、俺が探し回ってるの見てたのか?」

つまりそういう事だろうと問えば、カインは気まずそうに俯いて、唇を尖らせる。

「見てた……」

「カイン、おま……」

「ごめん……、でも、だって、……嬉しかったんだ」

「え?」

カインはリンダの横まで駆け足でやって来るとしゃがみ込んでそのズボンを捲る。わずかに色を変えつつあるそこを見て、まるで自分こそが怪我を負ったかのように顔をしかめてから、「ごめん」ともう一度謝った。

「リンダ、いっつも『兄ちゃん』ばっか言うから。だから、『カイン』って俺の名前たくさん呼んでくれて、嬉しくて……」

「カイン……」

「困ればいいって思ったんだ。兄ちゃんばっか見てるリンダなんて。困って、俺を探せばいいって……。でも、怪我させたわけじゃなかったのに……おれ……」

そこまでひと息に言ってから、カインは腕で顔を拭った。顔というか、目のあたり。たぶん、滲んでしまった涙を。
そこでリンダは、目の前にいるカインがガイルと同年代である事を思い出した。
まだ、片手で足りるほどの年齢。両親は不在がちで、兄も忙しい。兄弟であり友のような存在である双子の兄は、その上の兄ばかり頼って。それで、構って欲しくて堪らなかったのだろう。

「……カイン。こっちこいよ」

リンダは立ち上がろうとして、それが無理な事に気が付き、自身の隣へカインを手招く。
カインは一瞬躊躇う素振りを見せてから、大人しく足元から、リンダの横へ移動した。カインの肩に腕を回して、リンダは優しく背中を撫でる。その体は、小刻みに震えていた。

「大丈夫だから。な?」

安心させるように、とん、とん、とゆったりと叩く。ガイルやシャンにするのと同じように。
次第に、震えが収まり、肩口に重みを感じる。ちらりと見やれば、カインが、その額をリンダの肩に擦り付けていた。

「……ごめん」

「ううん。俺もごめん」

「……リンダは、兄ちゃんの方が、好き?」

「いや。……どっちも好き。大好きだよ」

カインの方が好きだ、とは言えなかった。だってそれは、嘘になってしまうからだ。カインに、嘘はつけない。
リンダにとって、カインもファングも、大切な存在である。どちらか一方ではない、どちらも同じくらい、なのだ。
リンダの言葉を聞いたカインはもぞもぞと体を動かし、リンダの背中に手を回してきた。「……うん」とという小さくくぐもった声が肩のあたりから聞こえてきて、リンダは口元を緩める。

(けど、……どうするかなぁ)

カインと仲直りらしいことはできたが、いかんせん、それで怪我が治るわけではない。
軽く足を動かそうとしてみたが、やはり無理だった。というより、先ほどよりさらに痛みが増している。リンダは溜め息を噛み殺してから、煤けた天井を眺める。

「……俺、はこぶ」

むく、とカインが顔を起こし、リンダの腕を自身の肩に乗せる。少し目が赤いのが、どうにもいじらしい。

「あ、おい」

カインの方が、若干体格が良いが、あくまで若干だ。どう考えても担いでいくなんて無理だ。
しかし、制止するリンダを無視したカインは、口を引き結んで「んっ」と声を上げると、ふらふらと立ち上がった。リンダは片足に力が入らないので、どうしても体重をかけてしまうことになる。

「おわっ」

案の定カインはふらふらと体勢を崩し、リンダもつられて倒れ込む。ぐしゃ、と床の上にもつれるように二人して横たわった。
カインが下敷きになってくれたので痛みはなかったが、捻った右足をしたたか床に打ちつけて、「うっ!」と声が出る。

「……っ、ごめん!」

弾かれたように顔を上げたカインが、自分の足をぱしっと叩いて、もう一度立ち上がる。

「もう痛い思いさせねぇから」

カインはしゃがみこんで、今度は、リンダの両腕を自分の両肩にかけさせた。リンダを背負っていくつもりらしい。

「いや、カイン……無理すんな」

「腕まわして」

「だから……」

「リンダ」

何と言っても、引くつもりはないらしい。カインは固い意志を感じさせる声でリンダの名前を呼ぶ。
躊躇いながらも、リンダはカインの首に腕を回した。

「行くぞ」

カインが、足に力を込めて立ち上がる。ふら、と揺れはしたが、先ほどよりしっかりとした足取りで歩き出した。





赤色に染まった、夕暮れの道。リンダはカインの背に負われながら、街の、その向こうの山の合間へと消えていく夕陽を眺めた。
屋敷を出てしばらくの間は口をきいていたカインも、少し前から無言になってしまった。「は」「は」と苦しげな息遣いだけが聞こえて来る。何度か「休憩しよう」と声をかけたが、どれも無視されてしまった。

(そういえば……)

昔から、カインは一度「こうする」と決めたことは、絶対にやり通したがるところがあった。
聖騎士になったこともそうだ。幼い頃からリンダと一緒になって「聖騎士になる」と言っていたが、本当にその夢を叶えた。もちろん、元々才能があったのも事実だが、それを活かすのにも努力がいる。いつだって飄々として、きついことや苦しいこととは無縁のような顔をしているが、カインはたしかに努力家だ。努力家で、諦めが悪くて、責任感があって、それでいて意地っ張り。

(こんな小さい頃から、お前は、そうだったんだな……)

同じ目線でいる時は、気が付かなかった。双子の弟は、ライバルでしかなかった。だが、こうやって年長者の視線でみてみると、見えていなかったものが見えてくる。

ーーと、その時。人通りの少ない通りを、誰かが走って来るのが見えた。豆粒のように小さかったそれは、あっという間に大きくなって、その見覚えのある影をリンダ達に見せてくれる。

「あ……」

「兄さ……、兄ちゃん……!」

カインとリンダの呟きが重なる。
通りの向こうからやって来たのは、リンダとカインの兄であるファングであった。学園から帰ってから、すぐに走ってきてくれたのだろう。まだ学生服のままだ。

「リンダ、カイン……!」

リンダはカインに負われたまま、「はぁー……」と深く息を吐くファングを見上げる。その顔に滲む安堵を見て、リンダの心にも、なんとも言えない安心感が湧き上がる。
「今」のリンダよりいくつも歳下の、若い学生姿ではあるが、やはりファングに対する信頼感というか、溢れ出る安心感は別格である。
もう大丈夫、という気持ちが胸いっぱいに広がった。

「兄……」

「行くな、と言っていた筈の場所に行ったことに対する説教は、家に帰ってからだ」

若かろうとなんだろうと、やはりファングはファングだ。リンダとカインは揃って「ひ」と息を飲んでから、しおしおと肩を落として頷いた。
滑り落ちそうになったリンダを、カインが踏ん張って抱え直す。リンダは、は、と顔を上げた。

「ごめん、兄ちゃん、俺……右足首、怪我して」

「見せてみろ」

ファングはリンダの言葉を聞くなり、屈み込んで足首の様子を見る。
優しく足を持ち、しばし眺めたり手で撫でたりしてから、すっくと立ち上がった。

「俺が担いで行く。……カイン」

カインはファングを見上げてから、視線を彷徨わせて、俯いたまま、無言で首を振った。

「カイン?」

かなり辛そうだし、早くファングにリンダを渡せばいいのに、カインは頑なに拒否するように首を振って、歩き出した。

「カイン」

ファングが、少し強めにカインの名を呼ぶ。

「早く家に連れて帰って、治療してやるべきだ」

「…………」

カインは何も言わず立ち止まると、唇を噛みしめてから、「ん」とファングに背を向けた。リンダを、渡すということだろう。
ファングはその腕の中にリンダを受け取ると、優しく抱き込んだ。

「カイン……」

おそらく、最後までやり通したかったのだろうカインの心情を思い、リンダはカインの名を呼んだ。無言で背を向けるカインの足がわずかに震えているのを見て、胸が痛くなって、思わず手を伸ばす。

「カイン」

「……」

「……あのさ、おばけやしき、怖かったから。手、つないで帰って」

悩んだ末に、それらしいような、らしくないような、そんなことをカインの背に願ってみた。
しばし、誰も何も言わない無言の時間が続いて、出した手を引っ込めようかどうかと悩み始めた頃、カインが「……しょうがねぇな」と呟いた。

「リンダはこわがりだから、手、つないでやる」

すん、と鼻をすすったカインが、リンダの方を見ずに手を差し出してくる。リンダは込み上げてきた笑いを噛み殺しながら「うん」と大きく頷いた。

「行くぞ」

ファングの号令で、三人……、正確には、ファングとカインが歩き出す。リンダはファングの腕に抱え上げられながら、片手を伸ばして、それを、横を歩くカインに繋いでもらっている。なんともちぐはぐで歩きにくい格好だったが、カインはもちろん、ファングも何も言わなかった。
三人で、夕陽に向かって家路を急ぐ。道中、おばけやしきの感想を言い合ったり、ファングの学園での話を聞いたり、今日の夕飯の話をしたりして。
楽しく話をしていたはずなのに、気が付けばリンダは、うとうとと微睡んでいた。背中に回る逞しい腕の安心感、そして手のひらを包む温もりのせいかもしれない。

「リンダ」

「リンダ、寝たのか?」

ファングやカインの声が聞こえた気がしたが、それが現実の声なのか夢の中の声なのかわからなくなる。




「リンダ……、おい、リンダ……」

誰かが名前を呼んでいる。優しくて、柔らかくて、温かい。
リンダは、ふ、と目を開いて、顔を持ち上げた。

「リンダ」

ファングとカインが、不思議そうにリンダを覗き込んでいる。リンダは「あれ……」と声を上げてから、右腕で目を擦った。

「でっかい」

シャンに似た、可愛い顔をした幼いカインも、学生服を着た、まだ若干のあどけなさが残るファングもいない。
目の前の二人は動きやすい作業着を着ており、その捲り上げた袖口からは、がっしりとした、大人の男らしい筋肉が覗いていた。

「はぁ? なんだ、『でっかい』って」

「寝ぼけているな」

カインとファングにそう返されて、リンダはようやく自分が居眠りしていたことに気が付いた。どうやら、今見たすべては、やはり夢だったらしい。
口元を拭って涎が出ていないことを確認してから、リンダは「あれ、ごめん」と謝った。

「……んっ? てか、なんで二人がいるんだ? 今日仕事だよな?」

今日はフィーリィが仕事を休んで作業していたはずだ。どうして二人がいるのかわからず、リンダは首を傾げる。

「今日は早めに切り上げてきた」

「一応作業もひと段落したし、『打ち上げしよう』ってフィーリィの奴がうるさかったからな」

「あ、……へぇ」

気が付けば、部屋の中は薄暗くなっている。もう夕方……、いや、夜に近い時間だ。かなり長いこと寝ていたのだと気が付いて、リンダは「あ、夕飯……!」と腰を浮かす。

「今日は市場で出来合いのものを買ってきた」

「お前、まさか夕飯作るつもりだったんじゃないだろうな? 休みだぞ、や、す、み」

途端に二人に鋭い目で睨まれて、リンダは「うっ」と言葉に詰まる。別に悪いことをしているわけではないのに、何故か責められてしまった。

「作業が終わったから、そろそろ夕飯にする」

「フィーリィ曰く、『引っ越しお疲れさん会』な。あいつ、一番手間かけさせたくせによく言うぜ」

「なるほどな。了解、了解」

はは、と笑いながらベッドから起き上がり、開いていたアルバムを閉じようとしたところで、カインが「お?」と声を上げた。

「それ、お前が『記憶喪失』になった時のやつじゃねぇか」

「は? 記憶喪失?」

カインが指しているのは、リンダが寝る直前に見ていた、ファングとリンダとカイン、三人が並んだ写真だ。

「覚えてねぇの? すげぇ騒ぎになったのに」

「覚えてない」

ぶんぶんと首を振ると、先に部屋を出ようとしていたファングも、ちらりと振り返っている。何か言いたげなその顔はやはり、カインと同じ意見ということだろうか。

「なに、記憶喪失って」

「あーー……。その写真撮る前の日さぁ、お前、結構ひどい怪我したんだよ、足に。なのに次の日になって『なんで怪我してるのか覚えてない』とか言い出してさ」

「覚えてない?」

「あぁ。んで、まぁ~両親揃って『こんな怪我したのに覚えてないなんておかしい』って大騒ぎ。病院に連れてくし、治療士のとこに連れてくし、あげく記憶改竄の魔法が使われたんじゃないかって騒ぐし」

「はは……」

あの両親ならそんな風に騒ぎかねない、と頭の中で想像して、リンダは懐かしさとおかしさと、ほんの少しの寂しさを滲ませながら笑った。

「で、散々病院やら何やら回って、『どっこも異常ありません』で帰ってきてから撮った写真」

なるほど、とリンダは頷く。どおりで、リンダひとり何も知らないような顔で笑っているわけだ。カインとファングは不機嫌なわけではなく、心配しているからこそこんな表情になっていたのかもしれない。
もう一度写真を眺めてから、アルバムを閉じて。リンダは立ち上がりついでに、ふと、心に浮かんだことをを口に出してみた。

「もしかして……、おばけやしき?」

リンダの発言に、ファングとカインがぎょっとした顔で振り返る。

「思い出したのか?」

今さら、と目を丸くするカインに、リンダは「あー……」と口を開いてから、首を振る。

「いや、全然」

まさかな、と思いながらも、「さ、行こ」と二人を促す。

(まさか、夢が現実だなんて……)

「今」の自分が「過去」の自分に入り込んでいたせいで記憶が残ってないのでは……、なんてことをちらりと考えて、そのあまりの現実味のなさに、リンダは小さく吹き出す。
ファングとカインは微妙な表情を浮かべたまま顔を見合わせていたが、居間から響いてくる騒ぎの方へ意識を向けてしまったらしく、その話題は呆気なく立ち消えてしまった。

(まさかな)

背中と、手のひらに、まだほんのりと夢の温もりが残っているような気がしたが、リンダはそれを振り切るように部屋を出た。
本物の温もりが、すぐそこでリンダを待っている。

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