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国王エドモンド

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 かん高い馬のいななきを耳にして、イアンはガバリとベッドから起き上がった。イアンは水の精霊ウィンディーネと契約してから、聞こえない声が聞こえるようになった。この声はシンドリア国王エドモンド五世の契約霊獣、天馬のものだ。天馬が助けを求めている、エドモンド五世に危険が迫っているのだ。イアンは大声で自身の契約精霊を呼ぶ。

「ウィンディーネ!」

 イアンの側には美しい水の精霊が現れた。イアンはすぐさまベッドの足元にある靴をはく。イアンはエドモンド五世が刺客に狙われてから寝巻きではなく私服を着てベッドに入るようにしていた。国王に何かあればすぐさまかけつけられるようにだ。

 イアンはウィンディーネと共にとなりのザックの部屋に飛び込んだ。そしてベッドのザックを見てガックリうなだれてしまった。ザックは上半身裸で、下はズボンだけ。腕には酒びんを抱え、大いびきでベッドに寝ていた。イアンは自身が使える水魔法でザックの顔に水をぶっかけた。ザックは冷たさにとび起きる。

「起きろザック!エドモンド王が危ない」

 寝ぼけていたザックの目が厳しくなる。イアンはザックにその場にある服を着せ、ウィンディーネはブツブツ言いながらザックに靴をはかせている。イアンはザックの支度が終わると、彼の手をとり水精霊魔法を発動させる。イアンとザックは細かな水の泡となってその場から消えた。

水の細流〈マーマオブウォーター〉

 この水魔法はイアンとウィンディーネが思い描いた人物、場所に瞬時に移動できるのだ。イアンはエドモンド王を脳裏に思い浮かべた。きっとエドモンド王は危険な状態にあるはずだ。イアンたちはエドモンド王の前で水の泡から再構築される。

 イアンの目の前に驚いた表情のエドモンド王がいた。エドモンド王の側には倒れた兵士と、天馬がいた。エドモンド王たちは皆怪我をして血だらけだった。イアンは瞬時に水防御魔法でその場にいる全員を大きな水の膜でおおった。イアンが水防御魔法を発動した途端に、強力な炎魔法と氷魔法が襲いかかった。水防御魔法はそれらの攻撃を防いだ。

「王よ、お怪我をされたのですか?!」
「余はいい、早くシルフィとケインの怪我を治してくれ。イアン、ウィンディーネ頼む」

 慌ててエドモンド王に近寄ろうとしたイアンにエドモンドはきっぱりと言い放った。イアンはため息をついた。いつもこうなのだ、エドモンド王は自身よりも他人を優先する。イアンは倒れている兵士に目を向ける、彼がケインという名前だと、この時初めて知った。

 それはイアンが他を軽んじる人間だというわけではない。城の兵士は何百人もいるのだ。いちいち覚えてなどいられない。だがエドモンド王は違う、神業的な記憶力でこの城に働く全ての人間の顔と名前を覚えているのだ。その事をエドモンド王は特別な事とは思っていないのだ。

 シンドリア城内では、王が城内を移動する時に、そのまわりの兵士メイドにいたるまで王が歩く廊下の横に並び黙礼するしきたりになっている。ある時エドモンド王の後ろをイアンが警護のため歩いていると、エドモンド王はなぜかキョロキョロ辺りを見回しながら歩いていた。そして一人のメイドを見つけると、パァッと明るい顔になって、そのメイドの側まで歩いて行ってしまった。それを見た、後ろに控えていた大臣たちは渋い顔をする。

「ティナ、テオの咳の具合はどうだ?」

 どうやらエドモンド王はティナと呼ばれたメイドの子供の具合を気にしているらしい。エドモンド王は胸元から何かをゴソゴソと取り出した。イアンがヒョイッとのぞくと麻の袋を二つ持っていた。エドモンド王は驚いて目を丸くしているティナをよそに話を進める。

「これはな宮廷医がせんじてくれた咳のせんじ薬だ。テオにせんじて飲ませてやってくれ、だがこの薬はとっても苦いのだ。だからこちらの袋には甘い菓子が入っている。テオがちゃんと薬を飲めたらご褒美に食べさせてやるといい。この薬が効いても効かなくても、余に言うのだぞ。効くならまた宮廷医にもらってくるからな。効かなければまた違う処方をしてもらうからな」

 ティナは口元を押さえ、ブルブルと震えるとワァッと泣き出してしまった。エドモンド王はティナが何故泣いているのか分からずオロオロしていた。無理もない、ただのメイドがシンドリア国王から言葉をかけてもらえるどころか、息子の心配までしてくれたのだ。ティナのとなりにいたメイドが心配げにティナの肩に手を置いている。エドモンド王はそのメイドをみると、彼女にも声をかけた。

「シンシア、ティナは体調が悪そうだ。今日は早く部屋に帰らせて休ませてやってくれないか?」

 それを聞いたメイドのシンシアも口をパクパクさせてびっくりしているようだ。そこにツカツカと近づいてくる老齢の女性がいた。彼女の事はイアンも知っている。メイド長のダリヤだ。彼女はとても厳しくて、メイドたちから恐れられている存在なのだ。メイド長ダリヤはエドモンド王が目下の者と親しくする事を喜ばないのだ。険しいダリヤの目線にエドモンド王が気づくと、ティナとシンシアにこの場から下がる事を言いつけ、王もキッとダリヤをにらみながらおごそかにいった。

「これは余が勝手にした事だ。決してティナを責めるでないぞ、これは命令だ」

 エドモンド王は誰かにものを言いつける時は、頼むと言う。だが誰かを守ろうとする時は命令というのだ。全ては自己のためではなく他のためなのだ。
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