最後の未来の手紙

盛平

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渉くん

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  加奈子の予想に反して、連絡をくれたのは信子ではなく、溝上渉本人だった。仕事があるので昼休みの時間なら会えるという事だった。信子のように膝を付き合わせて、じっくりと話し合いたくはないという事だろう。加奈子としても、姉の美奈子を捨てた男だ、あまり長い時間話したいわけでもないため了承した。加奈子は仕事を休んで、平日に渉と会う約束をした。

  溝上渉の勤務先は街から外れた小さな鈑金工場だった。休憩時間になったら渉が工場から出てきてくれる事になっている。姉の美奈子は、渉は大学受験に失敗して浪人していると言っていた。

 加奈子も聞いて驚くような大学だったが、卒業してこの工場に勤めたのだろうか。工場勤務が悪いわけではないが、あの有名大学を卒業したならもっと違う仕事をしているような気がした。加奈子がぼんやりと考え事をしながら立っていると、一人の青年が現れた。黒縁メガネで、髪の毛がボサボサの青年だ。加奈子を見つけた彼の口が声もなく動いた、ミナコ。と、美奈子の元彼氏の溝上渉だ。

   渉は加奈子を工場の裏手にある、休憩所のベンチに案内した。この時間は工場の人間はいないのだそうだ。渉は加奈子に二本のペットボトルを差し出した。一本は緑茶で、もう一本はジャスミン茶だった。どちらかを選べというのだ。ジャスミン茶は美奈子の好きな飲み物だったが、加奈子はあまり得意ではない。だが渉は美奈子の好きなものを選んでくれたのだ、その気持ちが嬉しくて、加奈子はジャスミン茶を手に取った。途端に姉の美奈子との思い出が溢れ出す。

  「うぇ、花食べてるみたい」

加奈子は、姉の美奈子が入れたジャスミン茶を一口飲んで言った。

  「そこがいいんじゃない、ジャスミンの花びらが口の中に溢れるみたいで。もぅ、あんたが飲むっていったからいれたのに」
  「ちゃんと最後まで飲みますぅ。私は麦茶でいいわ」
  「ジャスミン茶には美肌効果があるのよ。それにジャスミン茶が好きなんていい女っぽくない?」
  「なんかあざとくない?」

  加奈子は知らずに微笑んでいた。以前は姉の事を思い出す度に、胸が引き裂かれるような痛みを伴っていたが、今では美奈子との記憶を思い出すと暖かい気持ちになるのだ。それは美奈子の手紙を読み、信子に会ってからだ。加奈子はペットボトルのジャスミン茶を一口飲む、やっぱり美味しいとは思えなかった。

  「美奈子さんの葬儀には参列できなくてすみませんでした」

  渉は口を噤んでいたかと思うと、急に話し出した。以前に一度渉と会った時は、連れてきた姉の美奈子がずっとしゃべっていて、渉はずっと黙っていたような気がした。加奈子の記憶では、渉はとても無口な印象だった。

  「いえ、こちらこそ連絡もせずにすみませんでした」
  「信子さんが連絡をくれたんです。美奈子さんにお別れをしてあげてと言われて。ですが僕は斎場の門の前まで来て、そのまま引き返してしまいました。子供じみた話ですが、美奈子さんにお別れを言わなければ、美奈子さんはずっと生きていてくれるのではないかと思ってしまったんです」

  渉の言葉に加奈子は黙った。加奈子たち家族もそうだったからだ。美奈子の死を受け入れる事がどうしてもできず、美奈子が生きているのではないかと妄想してしまうのだ。加奈子は、渉にずっと聞きたかった事を聞いた。

  「あの、何で姉と別れたんですか?」

  渉はピクリと身じろぎした。しばらく黙ってから、ゆっくりと話し出した。

  「僕は美奈子さん、いや、美奈ちゃんに相応しくなりたかったんだ。高校の時から、格差カップルって言われてたしね。美奈ちゃんは美人で優しくて強い人だ。僕は少しでも美奈ちゃんに近づきたくて、僕には分不相応な大学を目指した。何度試験に落ちても諦められなかった。美奈ちゃんは僕が大学受験する事を応援してくれていた。僕はコンビニのアルバイトをしながら浪人生をしていたんだ。バイト先の先輩に、関谷恵太という人がいてね。その人は大学を受験する為に浪人生を続けている人で、まるで将来の僕のような人だった。彼はバイト先の主のような人で、気に食わない後輩をいじめるような人だった。僕はバイトを始めてから、関谷先輩に目をつけられてしまってね、仕事の度に暴言や暴力を受けていたんだ。今思えばバイトを辞めてしまえばよかったのだろうけど、当時の僕は、関谷先輩に、お前はダメな人間だ。生きている価値がない。なんて事をいつも言われて、殴られていたから、僕自身もそれが正しいんだと考えるようになってしまったんだ。そんな僕を美奈ちゃんは心配してくれて、バイト先に様子を見に来てくれたんだ。関谷先輩は美人な美奈ちゃんを一目見て気に入ったみたいで、美奈ちゃんの前では面倒見のいい先輩のフリをして、美奈ちゃんが安心して帰った後僕に言ったんだ。美奈ちゃんはお前には相応しくない、別れろって。これも今考えれば、馬鹿げた話なんだけど、その時の僕は、関谷先輩の暴力に支配されていて冷静な判断ができなかった。関谷先輩の言う通り、僕は美奈ちゃんに別れを告げた。その後関谷先輩は美奈ちゃんの仕事先に押しかけて、自分と付き合うように言ったらしい。関谷先輩からは聞いてないけど、何も言わずにぶん殴られたから、多分美奈ちゃんにフラれたんだろうね。それから僕は大学受験もバイトも辞めてしまった」

  加奈子は黙って聞いていたが、だんだん腹が立ってきた。

  「渉さん、姉の為とか言っていてるわりには、自分の事ばっかりですよね、姉は、お姉ちゃんは、貴方と結婚したいって思っていたんですよ」

  加奈子はまずいと思った。鼻の奥がツンとして涙が出そうになったのだ。こんな自分の事しか考えていない男の前で泣きたくないと思ったのに、最近の加奈子はよく泣き出すようになってしまった。加奈子の目からボタボタと涙が溢れてきた。

 隣に座っていた渉は、突然泣き出した加奈子に焦ったようで、ポケットに手を突っ込んでゴソゴソし出した。クシャクシャのハンカチを差し出されたら嫌なので、加奈子はハンドバッグからハンカチを取り出して、目元に押し付けた。しかし涙はなかなか止まってくれず、ハンカチはみるみる濡れていった。

  「加奈ちゃん、はい」

  渉の声に、加奈子はハンカチの隙間から渉を見ると、渉の手のひらにはイチゴ味のキャンディがのっていた。

  「はぁ?!」

  予想外のものに加奈子は素っ頓狂な声を出した。

  「加奈ちゃん、イチゴ好きだったでしょ?」

  渉は呆然としている加奈子の手にキャンディをのせた。加奈子は渉と初めて会った時の事を思い出した。姉の美奈子が彼氏を連れてくると言った時、加奈子はとても楽しみだったのだ。カッコイイお兄さんができるんだと思っていた。しかし、やって来たのはあまりいけてない男の人だった。

 加奈子ははたから見てもわかるくらいふて腐れた態度を取った。渉がいくら話しかけてもぶっきらぼうに答えていた。加奈ちゃんは何が好きなの?という質問に、イチゴ!と言って自分の部屋に引っ込んでしまった。

 それ以来渉とは会っていなかった。渉は加奈子が言った言葉をずっと覚えていてくれたのだ。しかし加奈子はもう中学生の子供ではない、二十五歳の大人の女性だ。しかし渉にとって加奈子は姉を恋しがって泣きじゃくっている子供でしかないのだろう。加奈子は片手にキャンディを握りしめながら、片手でハンカチを目に当てたまま泣き続けていた。 

 渉はおずおずと加奈子の頭を撫で出した。私は大人なのよ、子供扱いしないでよ。と、加奈子は心の中で叫ぶのだが、頭を撫でる渉の手は暖かで、思いの外悪くなかった。加奈子の涙がやっと落ち着いた頃、今度は渉が加奈子に質問した。

  「加奈ちゃんは何で僕に会いに来てくれたの?」

  加奈子はグズグズと鼻をすすりながら答えた。

  「お姉ちゃんの手紙に渉さんの事が書いてあったんです。お姉ちゃんは十年後、渉さんと結婚しているって。子供ができていてとっても可愛いって。だけどバリバリのキャリアウーマンをしているって。渉さんも読みますか?」

  加奈子がハンドバッグから手紙を出そうとすると、渉はそれを手で制した。

  「その手紙は加奈ちゃんたち家族のものだよ。でも美奈ちゃんらしいな、美奈ちゃんはいつも未来を見ている」
  「渉さん、お姉ちゃんの事好きでしたか?」

  加奈子の質問に、渉は空を見上げながらゆっくりと答える。ふと加奈子が渉の横顔を盗み見ると、すっと通った鼻筋と、一重まぶたの瞳が意外に整っている事に気がついた。この男は、黒縁メガネを変えて、髪を整えたら随分と見違えるのではないだろうか。しかし姉の美奈子は、このままの渉を愛したのだ。ぼくとつとした不器用なこの青年を。

  「好きだよ、今でも。そしてこれこらもずっと美奈ちゃんの事が好きだ。僕は両親からも、ダメな息子だと言われ続けていたんだ。でも美奈ちゃんは、そのままの僕を受け入れてくれた、僕にとって美奈ちゃんは奇跡そのものなんだ」

  渉は今でも美奈子を大切に思ってくれているのだ。もう充分だ、加奈子は渉がもっと自分勝手な嫌な奴であって欲しかったのだ。姉の美奈子の知り合いで、怒りをぶつけられる相手を探していたのだ。だが、信子も恵梨香も、そして渉も美奈子を今も変わらず好きだと言ってくれるのだ。

  「渉さんに会いたかったのは、もう一つけじめをつけたかったんですです」
  「けじめ?」
  「お姉ちゃんが死んだ事を受け入れて、お姉ちゃんの事を思い出にできるようにするんです」
  「それって美奈ちゃんの事を忘れようとするって事?」
  「・・・、もう辛すぎるんです。いつも夢を見るんです。朝起きると、お姉ちゃんが先に起きてリビングにいて、寝癖ひどいよって私の事を鼻で笑うんです。私はお姉ちゃんに憎まれ口をききながら、やっぱりお姉ちゃんが死んだなんて悪い夢だったんだって。そう思った途端に目が覚めて、お姉ちゃんがいない事に気づいて涙が出るんです」
  「・・・、僕もあるよ。美奈ちゃんが夢に出てきてくれるんだ。目がさめると辛いけどね。僕はいくら辛くても美奈ちゃんの事を忘れたくない。美奈ちゃんが僕の名前を呼んでくれる声、美奈ちゃんの笑顔。みんな僕の大切なものなんだ。思い出す度に、胸を刃物で切られたみたいに辛いけどね。でも美奈ちゃんの事を忘れるよりずっといい」
  
  加奈子は渉の顔をジッと見つめたが、何も答えたなかった。渉は加奈子が気分を害したのかと思い、慌てて言葉を付け足す。

  「ごめん、加奈ちゃんの気持ちも考えないで、勝手な事を言って」
  「いいえ、こちらこそすみません。渉さんは私の事を考えて言ってくれたのに、でも今はまだ」
  「加奈ちゃんの中の美奈ちゃんは加奈ちゃんのものだよ」
  「はい、今日はありがとうございました。あの、関谷恵太って人の居場所教えてもらえませんか?私一言言わないと気が済まないです」
  「もう関谷先輩は罰を受けているよ。僕がバイトを辞めてから、関谷先輩は傷害事件を起こして、被害者から訴えられたんだ。関谷先輩の両親は、弁護士を雇い、被害者に示談金を払う事でこの事件をおさめたんだ。だけど、僕のバイト先の同僚、そいつは僕がバイトに入る前に関谷先輩に目をつけられていた奴で、僕が先輩に殴られるようになってからは殴られる事がなくなったんだけど、そいつは関谷先輩にされた仕打ちが許せなかったらしく、僕に関谷先輩を暴行罪で訴えようと持ちかけてきた。そいつは今まで先輩に恨みを持っている、辞めたバイト仲間にも声をかけて総勢八人で弁護士を雇って、訴えたんだ。関谷先輩の両親は、再度弁護士を立てて、僕らに示談を持ちかけた。だけど僕らの望みは金じゃない、関谷先輩への社会的制裁だ。結果的には、僕が先輩に殴られている動画を同僚が撮っていて、殴られた後の怪我の状態を写真に撮っていて、それを証拠として提出して先輩を起訴できたんだ。懲役一年の刑期がかせられたけど、保釈金を払ってすぐに出てきたけどね。関谷先輩は親から勘当されたらしくて今はどうしているかわからない。現在の自分は、過去の自分がどう生きたかだからね」

  加奈子は、渉の言った言葉が、関谷恵太に言った言葉なのか、はたまた自分自身の事なのか分からなかった。

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