助けた黒猫は僕の運命の相手でした。

蜜森あめ

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一緒に

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 キッチンからトントントンと小気味いい音が聞こえてくる。香ばしさと甘い香りが合わさったような、美味しそうないい匂いに、僕は眠りから呼び戻された。
 一度深呼吸をして、目をひらく。ゆっくりと瞬きをするが、瞼が重い。

(あれ……、いつの間に朝?)

 窓から差し込む明るい光に少し眩暈がする。熱でもあるみたいに全身が気怠くて、また眠りの中に吸い込まれるように目を閉じる。うとうとしていると、突然ギシッとベットが揺れて思わず目を見開いた。

「おはよう、奏汰」

 視界に飛び込んできたのは、黒髪に煌めく琥珀色の瞳。
 穏やかな低音のその声の持ち主は、僕の好きな人。
 まだ眠気が覚めきれない頭のまま、覗き込んでくる顔に手を伸ばした。さらさらとした艶のある黒髪に触れると、僕の手に頭をすり寄せてくる。
 
「サクラ、おはよう。夢……じゃないよね?」

「寝ぼけてるのか? これが現実じゃなきゃ何なんだ」

 真っすぐに見つめられて、形の良い唇が近づいてくる。ふわりと唇が重なって、優しく甘やかなキスを落とされた。ほのかにバターの香りがする。しっとりと濡れたサクラの唇を見送りながら、その余韻にしばし思考を奪われてしまう。
 柔らかな唇の感触と体に残ったままの熱感……。

「っあ、僕……、あのままっ」

 急に昨日のことが頭をよぎって、ぼぼぼっと効果音が聞こえてくるくらいの勢いで、頬が熱くなった。

「しっかり目が覚めたみたいだな。体、つらい所はないか?」

 朝の陽ざしを受けてふわっと微笑むサクラの顔が、いっそう王子感を増して見えて、心臓が跳ねる。大きな手で優しく頬を撫でられて、触れられたところからじわりと馴染んでいく体温が心地いい。

「少し怠い気がするけど、大丈夫だよ」

 僕は恥ずかしさを誤魔化すように笑って見せて、勢いよく起き上がったのも束の間、腰から両足にかけて重い違和感を感じて、脇に座るサクラの方へふにゃりと脱力するように倒れこんでしまった。すかさず、広い胸に抱きとめられる。

「おっと、無理しなくていい。昨日、初めてであれだけ頑張ってくれたからな。そうなるのも当然だ」

「……っ、サクラってば!」

 更に頬が熱くなる。ニッと口角を上げたサクラが、背もたれ代わりにクッションを積み上げて、僕の体をもたれ掛けさせてくれる。優しい手つきが嬉しい。

「朝食を作ってみたんだが、食べられそうか?」

 ベットに座りなおしたサクラに聞かれて、昨日は何も食べずに眠ってしまったことを思い出した。意識すると急に空腹感が襲ってくる。

「うん、お腹ペコペコ。この美味しそうな匂いは、サクラが? 料理できるんだね」

「まぁな。俺の仕えていた神が人間の食べ物に興味があってな。それで覚えた」

 得意げな顔で待ってろと言って、キッチンに行ったサクラがトレーを運んできた。メイプルシロップがかかってバターがトッピングされた分厚いパンケーキと、野菜がたっぷり入ったスープがのっている。引き寄せたテーブルにトレーを置いて、サクラがパンケーキを一口サイズに切る。そして当然のように、僕の口に向かって運ばれてくる。

「えっ、あっ、自分で……むぐ」

 フォークを受け取ろうと手を伸ばしたが空中で制止され、あたふたしている隙にふわふわな欠片を口に押し込まれた。バターのほのかな塩味と、メイプルシロップの甘さが口いっぱいに広がる。

「んんんっ!」

 咀嚼するほどに深くなる味の調和に、思わずうっとりと目許が緩む。続けて運ばれてきたスープも、とろとろに煮込まれた野菜が美味しい、ほっこり温かな一品だった。食べさせてもらうなんて予想外だったけど、そんなことも気にならないくらい、どちらも幸せな味だ。

「うまいか?」

「サクラ、天才かも! すごく美味しいよ」

 慌てて口の中のものを飲み込んで、興奮気味に言う僕を少し驚いたように見て、すぐに嬉しそうに目を細める。

「そうか、それは良かった。ほら、もっと食べさせてやる」

 やはり自分で食べることは許されないままだったが、楽しそうなサクラに甘んじて、そこは譲歩することにした。程よいタイミングで口まで運ばれる食べ物に、僕はお腹も心も満たされた。

「ごちそうさまでした。後片づけは僕がするよ」

「足腰立たないのにか?」

「してもらうばかりじゃ悪いから。ゆっくり動けば大丈夫だよ」

 ベットから降りようと足を伸ばしたところで、またもやサクラに途中で制止されベットに戻されてしまった。

「片づけなんていいから、今日はベットから出るのは禁止だ」

 そう言って見据えられると、まるで自分が悪いことをして叱られている子どものような気分になってくる。

「大丈夫だって言ってるのに……」

 俯きながら言う僕の頭をぽんっと、サクラの手が慰めるように触れる。

「無理させたくないんだよ。奏汰をそんなふうにさせたのは俺だからな」

「それはお互いさまと言うか……もうっ、分かったよ」
 
 しょげたような視線を向けられてはもう降参するしかない。大人しく背もたれに体をあずける。すると、僕の両手を包みこむようにサクラの手が重なった。温かい、安心感のある大きな手だ。

「なぁ、奏汰」

 いつになく改まった口調で名前を呼ばれて手許から視線を上げると、サクラがその綺麗な瞳を切なげに揺らしてこちらを見ていた。僕は何度か瞬きして、首をかしげて見せる。

「俺の番になってくれないか?」

「つが……い?」

 思ってもみなかった言葉に、胸の鼓動が早くなる。

「あぁ、ピンと来ないか。人間的には、夫婦とかパートナーってことになるか」

「ふうふ? 僕とサクラが、夫婦?」

 驚いて思わず聞き返してしまったが、ピンと来ないはずがない。僕は獣医だ。動物を相手にしてきて、幾度となく耳にした単語だ。ぶわっと全身が熱くなる。

「そうだ。俺と番になったら、毎日うまいものが食べられるぞ」

 少しおどけたように言うサクラが面白くて、僕は吹き出してしまう。クールなだけじゃない、意外な表情を見せてくれる彼をとても愛しいと思う。

「なにそれっ、食べ物に釣られるほど僕は単純じゃないよ」

 笑っている僕を柔らかな視線が辿って、重ねられた手に力がこめられる。

「奏汰、好きだよ。もうずっと、愛してる」
 
 いつにも増して低い声で、はっきりと発せられた言葉に僕は笑いを止めた。僕たち二人の間に凛とした静寂が広がる。

「だからこれからの時間、俺と一緒にいてくれないか」
 
 その静寂を破って、サクラが優しく穏やかに囁く。言葉が胸に沁みこんで、僕の心をきゅうっと甘やかに締め付けてくる。

「こんなの、ずるいよ……っ」

 僕がずっと欲しかった言葉、叶わないと思っていた気持ち。それを一瞬にして満たしてくるサクラの言葉に、体が震える。嬉しくて震えるなんて、これまでの人生で初めてだ。僕の頬に熱い雫が伝って、それは次々に零れ落ちてくる。今まで願っては諦めてを繰り返し、封印するように鍵をかけて心の隅に押しやっていたサクラへの思いが、全て解放されたみたいに波のように押し寄せてくる。

「嫌か?」

 思い切りかぶりを振って、否定する。

「……っ、嫌なはずないっ。もうサクラと離れるなんて考えられないからっ」

 静かに涙を流しながら訴えると、ぐっと腕を引かれふわりと額にキスが落とされた。そしてそのまま優しく抱きしめられて、嗚咽を漏らす僕の背中を、あやすようにさすって落ち着くのを待ってくれる。

「ごめん、もう大丈夫」

 しばらくして泣き止んだ僕は、サクラの胸から顔を上げた。そんな僕を見て、サクラがふっと笑みをこぼした。

「やっぱり子どもの頃より、泣き虫になったんじゃないか?」

「これはサクラのせいだからね。サクラが嬉しいこと言ってくれるから……」

 やっと止まった涙がまた出てきそうになって、言葉に詰まる。昨日、サクラと再会してからまだそんなに経ってないのに、もう既に一生分の涙を流したような気がする。

「返事をもらえるか? 急に番というのもなんだから、彼氏でもいいぞ」

 鼻をすすっていると、優しく目を細めたサクラが聞いてくる。僕はサクラの瞳を真っすぐに見つめて、深呼吸をした。

「僕も、サクラのこと、愛してる。きっとサクラが思ってるよりもずっと前から」

 精一杯の笑顔で答えてから、サクラの首に手を回して自分から唇を重ねた。言葉では伝えきれそうにない、溢れてくる思いをキスに託す。
 そんな僕の気持ちを察してか、腰に回されたサクラの腕にきつく抱きしめられる。自然と深く絡み合っていた舌と舌が解けて、離れていく唇を追いかけるように、どちらからともなく啄むような軽いキスを交換する。

「サクラ、僕と一緒に暮らさない?」

 キスで乱れた息を整えながら、僕は思い切って尋ねてみた。引っ越して来たばかりでまだ雑然とはしているが、部屋もあるし家具もそろえていけばいい。何よりもサクラと離れるという選択肢が、僕には元からなかった。

「奏汰……! 俺も同じことを考えていた。それでこそ俺の可愛い番だ」

「番じゃなくて、まずは彼氏でもいいんでしょ?」

 嬉しそうに、飛びついてきそうな勢いのサクラを制して、僕はわざと悪戯に言ってみる。一瞬、目を丸くしたサクラだったが「もちろんだ」と自信ありげに言い放つ。

「番でも彼氏でも、俺にとっては大した違いはないからな。奏汰と一緒にいられるのなら、どちらでも構わない」

 煌めく瞳が、心からそう言っているんだと物語っている。そんなサクラの言葉一つ一つが嬉しくて、僕は心を躍らせる。それに、普通は恥ずかしくて言えないようなことも、さらっと言ってのけてしまうサクラが好きだ。もうどうしようもなく、幸せだと思う。

「奏汰、何をにやけてるんだ?」

「え? 僕、にやけてた? そんなことないけどっ」

 サクラに頬をつつかれて、自分の顔が緩んでいたらしいことに気付く。慌てて取り繕ってみたが、もう遅かった。幸せすぎてにやけるなんて、前代未聞だ。

「可愛いな、奏汰」

 そう言ってまた引き寄せられて、ちゅっと音を立ててキスをされた。離れていくサクラから、ほのかに花のような香りがする。そう言えば昨日、肌を重ねた時も同じ香りがしていたのを思い出した。

「サクラ、花の香りみたいな良い匂いがする」

「花の香り? 何もつけてないが……」

 不思議そうにしばらく考えていたサクラが、何か思い出したように僕を見た。

「たぶんそれは、奏汰だから感じとれるんだ。他の人間には分からない」

「僕だから? 僕だけに分かる香りってこと?」

「そうだ。ちなみに奏汰からは甘い匂いがするぞ」

「えっ、僕も香水とか何もつけてないけど、匂いするの?」

「あぁ、それも俺にしか分からない匂いだ」

 サクラが言うには僕たちは運命の相手で、その相手にしか分からない香りを出し、互いに感じ取ることができるらしいということだった。普通ならかなり驚くべき事実だが、猫だったサクラが人間になって表れた時点で、僕には疑う余地もない。

「僕とサクラは、運命の相手……」

 その特別な響きに、また顔が緩みそうになる。

「嬉しいのか?」

「うん。好きな人が運命の相手だなんて、すごいことだよ」

「まぁ、それもそうだな」

 少し照れたみたいに頭を掻いて、サクラが優しく僕を見つめる。

「これからよろしくね、サクラ」

「あぁ。もう二度と離れないし、離さないからな」

 僕達はお互いに顔を見合わせて、微笑みあった。

 
 結局その日、僕はベットから出してもらえずサクラに甘やかされ続けた。
 かいがいしく僕のお世話をしてくれるサクラの手を取って、ぎゅっと握る。大好きな人の温かい手だ。
 
「サクラ、僕と出会ってくれてありがとう」

 きっとこれからも続くであろうサクラとの幸せな未来に、僕はそっと心を寄せた。
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