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本編

白虎、邂逅-5

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 メイズがゴールド・ティーナ号に乗り込むと、周囲の空気がぴりりと張り詰めた。あちらこちらから視線を感じる。それらを無視して、メイズは案内役に促されるまま、船内の一室に足を踏み入れた。

「来たか」

 重々しい言葉は、部屋の奥、中央に立つ男から発せられた。
 男は老人と言うほど老いてはいなかったが、深く刻まれた目尻の皺や、白髪の混じった色褪せた金髪、蓄えられた髭から年齢を感じさせた。何よりも、声に重圧感と深みがある。しかし目の光は強く、一九〇ほどはある厚い体躯をしっかりと支えている。海賊としての衰えは感じさせない。金の海域の民のほとんどがそうであるように、ゆったりとした服装に、体を覆うことのできるローブをまとい、頭には日射を遮るためのターバンを巻き、目の周りを黒く縁どる化粧をしている。
 彼が四大海賊の始まり、エドアルド。
 メイズが視線だけ動かすと、エドアルドの両脇には六人の男たちが立っていた。一人を除いて、皆一様に隙が無い。おそらく、白虎海賊団の幹部だ。白虎は規模が大きいため、統率を取るためにいくつかの部隊によって構成されている。
 一人だけ、異質な男が混ざっていた。白衣をまとい、眼鏡をかけた初老の男。優し気な目元をしており、うすく髭を生やした口元は、メイズの視線を受けて穏やかな笑みをかたどった。

 呼ばれた立場ではあるが、礼を失したのはこちらだ。先に挨拶をすべきか、とメイズは口を開いた。

「たんぽぽ海賊団副船長、メイズだ。用件は先の二人から聞いているだろうが、まずは非礼を詫びる。俺が姿を見せることで、そちらに余計な混乱を与えまいとした。決して軽んじたわけではないが、誤解を与えたのなら悪かった」

 その言葉に、エドアルドは品定めをするかのように、すっと目を細くした。

「いや、その懸念は正しい。だからこちらも部屋を用意させてもらった。狭くて悪いが、お前の姿が見えていると、落ちつかない奴らもいるもんでな」

 落ちついた返しに、メイズは怪訝な顔をした。てっきりメイズに対し何かしらの感情があるから呼びつけたものと思っていたが、エドアルドからは特に敵意も悪意も感じない。

「俺は白虎海賊団の船長、エドアルドだ。事情は聞いているが、お前の口から、もう一度話を聞きたい」

 感情の読めないエドアルドの表情に、メイズは慎重に言葉を紡いだ。ここでのやり取りは、奏澄の命に直結する。絶対に失敗するわけにはいかない。

「うちの船長が、三日前から熱病に罹っている。解熱剤を飲ませたが一向に体温が下がらず、今はもう意識が無い。次の島まではまだ日がかかる。かなり弱っていて、そこまで待っていたら体がもたないかもしれない。無理は承知だ、望む対価を払う。白虎の船医に診てもらいたい」

 メイズの言葉と視線を受け止めて、エドアルドは考えるように髭を撫でつけた。
 メイズの態度が気に食わなかったのか、灰色の髪を横で括った幹部の一人が苛立ったように零した。

「頼み事すんのに、頭の一つも下げらんねぇのかよ」
「おい」
「誠意が感じられねぇっつーんだよ」
「船長が話してんだろ、黙っとけ」

 隣に立つ仲間に窘められ、幹部の一人は舌打ちをして黙った。
 メイズは予想外の言葉に面食らった。どんな対価を要求されるか、という懸念はあったが、頭を下げるという発想は無かった。
 誠意。その言葉は、記憶にある。

 ――『誠意を見せろよ』

 かつての船の連中が、泣いて許しを乞う相手に、下卑た笑いと共にそう言っていた。無駄を嫌うメイズは、悪趣味だとは思ったが、大して気にもしなかった。それを言われた相手は、どうしていたか。
 思い返しながら、メイズはその場に膝をついた。ぎょっとしたような顔が見えたが、構わずに両膝をついて、同じように両手をついて、そのまま――額を、地につけた。

「俺には、あいつを助ける手段が無い。もう、これ以上は、苦しんでいる姿を見ていられない。頼む、この通りだ。助けてくれ……!」

 懇願するメイズに、幹部たちの動揺した空気が伝わる。この行動が果たして正しいのか、メイズにはわからない。ほとんどのことは力で解決してきた。人に頼み事をするのに、対価以外で、どうすれば誠意が伝わるのかなど、わかるはずもない。
 しかし、できることなら何でもやる。土下座程度で済むのなら、己の矜持など。泥を被っても、足蹴にされても、何一つ削られることは無い。
 重力に従って、首から下げていたペアリングが、シャンと音を立てて目の前に落ちてきた。

「頭を上げろ、メイズ」

 エドアルドの言葉に、メイズは膝をついたまま、ゆっくりと上半身だけを起こした。

「うちのが余計なことを言ったな。悪かった」

 そう言って、エドアルドは幹部の一人に視線をやった。

「お前も謝れ、アニク」

 呼ばれた男――アニクは、ばつが悪そうに頭をかいて、メイズの前まで歩いてきた。

「悪かったよ。まさかそこまでするとは思わなかったんだ。やけに上からもの言うから、偉そうにと思っただけで」

 ほら、と手を差し出されて、メイズは戸惑った。手を出さないメイズに痺れを切らせたアニクは、メイズの腕を掴んで立たせた。

「ふっつーに頭下げりゃいいものを。極端だなお前」

 呆れたように言われて、メイズはやっと思い至った。そうか、ただ腰を折ればそれで良かったのか。どうにも気負い過ぎていたらしい、とメイズは肩の力を抜いた。
 悪意を感じないはずだ。当然知られている相手に名乗ってみせる、礼儀を重んじる誠実さ。格下の海賊相手にも躊躇なく謝ってみせる、この謙虚さ。白虎の乗組員は、船長を筆頭に根が善人なのだろう。

「お前の気持ちはよくわかった。船医を貸そう」
「本当か!」

 エドアルドの言葉に、メイズは身を乗り出した。

「最初は、お前があまりに冷静に見えたから、どうしたものかと思ったんだがな。見捨てるつもりはなかったが、場合によってはお前から保護する必要があるかもしれないと考えていた」

 その言葉に、メイズは目を瞠った。
 そうだ。白虎が『急病人の少女』を見捨てるわけがない。では、何を渋っていたのか。その可能性を、考慮しなかった。メイズと奏澄が共にいることを、だと感じる方がなのだ。

「俺たちは」
「わかった、と言っただろう。お前が彼女を、心から大切にしていることは伝わった。それで充分だ」
「……恩に着る……!」

 メイズは、今度は心からの感謝に、深々と頭を下げた。
 他人の大切なもののために、力を貸してくれる者たちがいる。そのためには、まずこちらが心を開く必要がある。
 悪意を、敵意を、疑って。捻じ伏せれば、同じものが返ってくるのは当然だ。それでいいと思っていた。自分一人なら。けれど、それでは彼女と同じ世界には生きられない。
 彼女の教えてくれた世界は。面倒で、やりにくくて、心配事も多いが。
 少しだけ、メイズにも、優しい。
 それをどう受け止め、どう向き合っていくかは、メイズ次第なのだろう。

「疑うわけじゃないが、うちの大事な船医を貸すとなれば、それなりの担保がほしい。お前の大事な物を、何か一つ預けてくれないか」

 言われて、メイズは眉を寄せた。メイズにとって大切なものは、たった一つしかない。

「俺の大事なものは、船長ただ一人だ。患者本人は預けられないだろう」

 臆面もなく言ってのけるメイズに、エドアルドは多少驚いた様子を見せた。
 それを気にも留めず、メイズは続ける。

「俺を拘束してもらっても構わないが」
「いや、人質がほしいわけじゃない。何より、お前は向こうの船に必要だろう」

 言って、エドアルドはメイズの姿を眺め、胸元に目を留めた。

「その指輪は」
「……ああ、これは」

 先ほど土下座をした時に、服の外に出てしまったのだった。メイズは指輪を持ち上げて、目を細めた。

「船長と、揃いで持っている」

 それを聞いて、アニクが「えっ」と声を上げた。訝しんだメイズが視線を向けたが、アニクは口を押さえていた。さきほどの件を反省し、余計な口を挟まないようにしているのだろう。

「……なるほどな」

 エドアルドは、妙に納得したように息を吐いた。

「いつの時代も、男を変えるのは女か」

 ひとり言のように呟かれた言葉に、メイズはむっつりと黙った。直接的な言葉でないだけに、肯定も否定もしづらい。そもそも白虎は奏澄の年齢を知らないと思われる。下手なことを言えば墓穴を掘る。

「それを預かろう。構わないか?」
「ああ」

 メイズはチェーンを首から外し、指輪をエドアルドに預けた。

「これは契約だ。船医が戻った時、この指輪も必ず返そう」
「よろしく頼む」

 二人の約束が成されると、エドアルドは白衣の老人に声をかけた。

「ハリソン。すぐにでも、向こうの船に行ってやれ」
「わかりました」

 返事をした老人――ハリソンは、メイズの前に来ると、友好的に手を差し出した。

「船医のハリソンです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、頼む」

 メイズはその手を握り返した。仕事をする人間の手だが、戦う人間の手ではない。彼は完全に非戦闘員、医療のみを行う者だ。それでもこの部屋にいたということは、彼もまた、メイズを見定めるための一人だったのだ。エドアルドの信頼が厚いと見える。
 そのままエドアルドは、もう一人、幹部に声をかけた。

「アニク、お前も行ってこい」
「えっ俺ぇ!?」
「ハリソン一人で行かせるわけにもいかないだろう。護衛も兼ねて、雑用でもしてこい」
「うへぇ……わかりましたよ」

 嫌そうにしながらも、アニクは船長の指示に従った。

 そうして、メイズは無事、船医であるハリソンと護衛のアニクを連れて、コバルト号へと帰還した。
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