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第三話 初クエスト
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居合わせたおじさん連中から「バケモン」とドン引かれたが、これで俺は五等英雄として正式に名が加えられた。その時オッサンは、「はっはー!ほーれ!言った通りだろー!」と声を張り上げ、とても上機嫌だった。もう日の暮れる時間であったため、その後は他に何もせずオッサンの家に帰った。オッサンは家に戻って直ぐ椅子に腰掛け、教会っぽいあの場所にいる時から顔に張り付くにやけ顔のまま話しかけてきた。
「今回は俺の目に狂いは無かったな。流石にあんなすげぇとは思わなかったがな!」
そう言ってガッハッハ!とにやけから一気に大笑いになり、オッサンはかなり興奮気味だった。
「なんだよ今回はって」
俺はさっきからずっと気になっていた部分をストレートに投げかけた。今までにも俺した様に英雄にされた者がいるのは聞かされたが、そのお目が狂った事があるみたいな言い草だ。
「お前、聞いてただろ?かなり端折るが、今までも何人かこうやって英雄になった奴はいるんだぜ?中にゃ、一等英雄になった奴もいる」
俺と同じように英雄になった奴が七人、俺で八人目。その中には一等になった人もいる様だ。そこだけ見れば、この赤い中年の目は確かに良いと思える。
「そうなんだ。すごいんじゃない?オッサンの目」
俺は障りの無い言葉で称賛した。しかしオッサンの目には、どうにも煮え切らないものが奥にある様に見えた。それに、俺がそう感じた直後から、オッサンの表情はどんどんと落ち着いていった。
「…だがな、こんだけ居ると悲しい事も多いわけさ、既に二人、三等に行った途端に死んじまった」
「……」
オッサンは静かにそう言った。英雄とは危険な仕事だと歩く最中にオッサンから聞かされた。だからと言え、誰だとしても親しかった人物を失うのはこれ以上に無く悲しいものだ。俺も同じ事があったから痛いほど分かる。しかしそんな事があってなお、オッサンは何でこんな事をまだ続けているのだろう。
「そりゃもうやめる気でいたさ。だがお前を見つけちまった。低レベルのスライムでさえ、武器も防具も無くて勝てる奴は稀だなんだ。だがお前はそれを成し遂げた。その『両手の甲に埋まった宝石』みたいなのがお前の魔力の根源だろ?『生まれついての魔導士』、いい人材だねぇ」
オッサンは初めて見せた悪どい顔でしみじみと言った。しかしそれは違う。俺はこの魔石達に適合しているだけで、生まれつきこれらの魔法が使える訳じゃなかった。でも、完全に的外れと言う訳では無いし、オッサンに今は勘違いしてもらってい方が都合がいいかもしれない。俺は抱える暗い感情を出さずに、声色明るく言った。
「あ、ちなみにデコにもあるんだ」
鼻先に届きそうな前髪を上げ、額に埋まる隠れた魔石を見せた。
「ああ!それがあの風魔法のやつか!」
右手の甲に『火の魔石』。左手の甲に『水の魔石』。額に『風の魔石』と、それぞれ決まった場所に埋まっている。この魔石は人によって同化して埋まる場所が違うし、それ以前に適合するかも分からない。適合者とされる人物でも、適合率は75%から96%と言われていた。不適合の部分が少しでもあれば、誰であれ、どんな形であれ、よろしくない事が起こる。でも俺は三つ全て100%適合している。はっきりとした理由は分からないが、これじゃないかと言う想像は付いている。
「これのおかげで結構便利なんだ、服を洗濯しなくても魔法で綺麗に出来るしさ」
俺はそう言いながら人差し指をピンと立て、その指先から水を出現させ空中に滞留させた。
「おお、そりゃ便利だな」
その後、生きの良い魚のように食いついたヴィザーに便利系の魔法を少し披露してみせた。随分力加減に苦労して来たが、今なら簡単に肉も焼けるし、そこに水も加えれば蒸すも煮るも出来る。服のシワも伸ばせるし、さっきみたいに飛ぶ事もできるし、地形さえ分かればそれ以上の事も可能。想像力次第でほぼなんでもありって奴だ。
その魔法で簡単な夜食も作った、オッサンの家にあった食材で。勝手に冷蔵庫を漁らせてもらったが、その動力源は多分魔力、水か風、もしくはその両方の力で物を冷やしていた。調味料は塩胡椒に似たものがあったのでそれを使わせてもらったが、胡椒はまだ高級調味料らしい。
因みにパッと見で位置が分からなかった洗面台、風呂トイレは壁を隔ててキッチンの隣にあった。オッサンが俺が料理中してる最中にドアの奥に行って、それで判明した。
主食のパンは保存庫と言う物で腐っていないストックの一切れを頂き、主菜には鶏っぽい奴を塩胡椒で少し焦がしめに焼いて味をつけた物を。副菜には植物由来のドレッシングと混ぜた野菜のサラダ、汁物はクリームスープだ。オッサンも料理をするが苦手らしく、軽く拍手を貰ってしまった。その後、夕飯を食べながら明日やる事について少し話し合い、風呂に入って例の二階で就寝した。オッサンは一階の作業机に居座って何か作業をしている。初日にしては発展しすぎかと思ったが、問題は特に無いだろう。
赤髪の中年は、夜分遅くに考え耽っていた。もちろんこれからについて。
「こいつぁ、拾っといて間違い無かったな。ヒカルは誰よりも強くなる。だとすりゃ、あと一ヶ月か…。俺の読みが正しけりゃ、十分間に合うな。ただ…あいつはそれで良いんかな…」
翌日の夜話した通り、オッサンの引率で早速クエストの受注に向かった。昨日も来た教会っぽいこの場所は集会所と言うらしい。他にはギルドがあるが、もっと大きな建物で設備も珍しい物があると言うし、ここからもっと北側にあるらしい。昨日北門から歩いて来る時前を通っていないらしいから、どんな場所かちょっとした楽しみだ。
「あはようございます二人とも」
集会所の中に入ると、早速メイラさんが声をかけて来た。今日も昨日のように大量の書類をファイリングして整理していた。一体あれは何の書類だと言うのだろうか。
「おぅよメイラ、早速こいつの初仕事だぜ!」
俺よりもオッサンが元気いっぱいだ。上機嫌なのはいいのだが、俺にとっては少し迷惑だ。とにかく声がデカいんだ。
「そうですか、ではこのクエストはどうです?持っている能力は申し分ないのですが、まずあの場所に慣れて頂く感じで」
そう言いながら、メイラさんは既にファイリングされている中からその一枚を探し抜き出してカウンターに置いた。
「えーなになに?」
取り出された紙はどうやら依頼書であり、内容はこう書かれていた。
『 <薬草採取> 難易度I
<概要>
エータルの森にて薬草採取
森入り口付近を推奨
<副依頼>
コーネノの狩猟 』
「おう!それがいいな!」
恐らく最低難度で取るに足らない依頼だろうが、オッサンが勝手に俺の仕事を決めていく。それが嫌な訳では無い、別に薬草採取くらいなら二年と少し前まで大体週一回の頻度でやっていた。俺はその下にある副依頼とやらがとても気になったのだ。
「どう?小手調べにやってみて」
「あの…コーネノって何…」
メイラさんがそう俺に推すが、俺の発言で集会所にいた俺以外の二人は、その時だけすんっと異様に静まり返った。そしてオッサンが俺に一言告げた。
「ん?お前昨日食っただろ?」
「え、あの肉?」
昨日魔法の披露の際に調理した肉、白く脂身の少ない鶏っぽいやつがコーネノだったらしい。しかもオッサンが言うには、『羽』と数えるが羽や翼は無いらしい。俺はそこで察しがついた。しかし、モンスタークラスが食料か、普通の動物はこの世界には居ないのだろうか?それともこっちの方が美味しいとかそんな理由だろうか。
「あいつらの脚は速いが、昨日のあれを見る限り大丈夫だろ」
オッサンは俺の飛行魔法の事を言っている、披露会の時に色々見せた中に入っていた。オッサン評はこんなだが、俺の知っているウサギと同じ速さなら確かに問題は無い。が、ここは魔法が確実に有る世界だ、コーネノが魔法を使わないとは限らない。
「ま、副依頼だからやんなくてもいいけどね。ホントに、お好きにどうぞってやつよ」
軽い口調でメイラさんが言った、片手には既に印鑑らしき物を握って。
「へー…じゃあそれでいい」
「よしきた!メイラよ、専用のバッグ用意してやんな」
「見た感じ手ぶらだったし、もう手元に置いてるわ。はいどうぞ」
まるで流れ作業の様に会話が進み、書類への判と物品の貸し出しが行われた。そして手渡されたのは使い古されたポーチで、擦れて元来より薄生地になっていそうだが破れそうな気配はない。メイラさんはまた紙を手に取って判を押し、これで依頼受注が完了したらしい。さあ行こうと一人思った矢先、オッサンが話しかけてきた。
「じゃあ門まで同行してやろうか?道もうろだもんな」
確かにこの街に来たばかりで道もろくに覚えてない。普通なら簡単でも道案内が必要だろうが、俺には必要の無いない事だ。
「ああ、嬉しいけど必要ないよ」
メイラさんは少し目を見開いて片眉を上げ、オッサンも同じような反応をしていた。あーだこーだと、オッサンは概ね道案内をする気でいたし、見守ったり時には手伝う事も吝かじゃないと主張した。俺は「そう言う心配性と言うか過保護なのは程々にしてくれ」と、先を憂いて言わせてもらった。前の世界でもそうだったが、大事にされ過ぎるのも癪なんだ。
「んじゃ、行ってくる」
俺はもう拗ね気味なオッサンとメイラさんに会釈をしてあの森に移動した。しかしこれが二人を大いに驚かせた。柔らかな風が吹いたなと感じた時には、俺の姿は目の前から消えていたのだ。頭の上にクエスチョンが浮かび上がって数秒後、何が起こったのか理解できたオッサンだけが叫び声を上げるのだった。
「ーッ!?こいつッ!瞬間移動もできるのか!?」
つくづく、魔法は便利な物だと思う。俺が持ってる三つの魔法はどれも全ての魔法の大元となる『原核魔法』と呼ばれる魔法。故にいくらでも応用が効く。そして今使った風魔法の中でも利便性が高く多用しがちな魔法『転身』。よくある「行った事のある場所に即座にワープできる」ってやつだ。ただ、移動先の座標を正確に設定しないといけないから、行き先は制限される。俺の場合まだ問題にはなってないが。
一瞬で移り変わった景色と肌を撫でる風、鼻を通る空気はじめっとして少し泥臭い。遠くでオッサンが叫んでいたのも知らずに、俺は草木を掻き分け薬草を探し始めた。ここは依頼文にあった様に森の浅い場所。木により掛かり渡されたバッグの中を確認すると、そこにはハンカチくらいの大きさの布が入っていた。布には小さくも分かりやすい簡単な絵と、それに対応する薬草の名前及び用途が記されてあった。これを頼りに集めろって事らしい。その布は何かの魔法で汚れがかなり付きにくく、落ちやすくなっていた。長く綺麗に使っているのだろう。
「これか?」
まず見つけた植物は束になった薇に広葉がついた見た目で、名を『ガーリック』。俺の知ってるガーリックとは全然違う、そこが異世界の面白い所でもあるがややこしい所でもある。これは樹木の根本付近に群生すると書いてあり、喉に効く飲み薬に使われるそうだ。
今度のこれは傷の消毒や痛み取りとしてよく使われると書いてある。茂みの中、十数センチ毎の階層になっている一番下に生えやすい片喰に似た薬草『ソルエ』。調合次第で大病にも効く、樹木に寄生して育つ花部分しかないと言うこの薬草は『ビター』。
他にも漢方薬に使える花や、何も使用用途が記されていない花の根っこもあった。そうして目敏く収集していたら、目標のラインまで一時間も掛からず集まった。バッグの中にはX字に仕切りがあり、何を入れるのか指定されていた。バッグの内側には赤くラインが引かれていて、それがノルマの目安だった。内容量の大体八割の場所にラインは引かれていて、そこを超えるとバッグが閉めづらくなる。
「閉めづらくなるのはちょっと予想外。いくつか無駄になっちゃった…」
薬草は結構な確率で群生しているから、見つけたら隣にも、その隣にも、と続いてたりする。まるで一度見つけたらキリがない人類の敵の真っ黒なあの虫の様だった。だから採取時間は全部で十分程度しか使っておらず、薬草の群生場所を探す方が圧倒的に時間がかかった。
オーダーはクリアした。しかし正直歯応えと言う物を感じなかった。以前の世界での薬草採取は、草食竜と揉めたり、肉食竜の警戒と万一の対応もしなければならなかったから、チームを組んでても中々に時間が掛かった。そのせいで勝手に消化不良みたいに煮え切らない。そんな時にふと思い出した。
「あ、そういえばコーネノってやつの狩猟があったな」
薬草採取がメインではあったが、副依頼としてコーネノと言うモンスターの狩猟が設けられていた。ただ、ずっと足元を見ていたせいでモンスターは見かけてないし、それらしい森のざわめきも無かった。やはり森の奥の方に行かないとモンスターは多くいないのかもしれないが、俺はこの世界についてより知る為に森の奥へ進む事にした。
とりあえず歩いてそれっぽいのを探してみる。俺はコーネノを大きめのウサギっぽいやつだと踏んでいるが、実際どうなのかは分からない。完全に手探り状態だ。唯一加工後の食肉状態なら見ているが、およそ参考に出来るものにはなり得ない。
あちらへこちらへと見渡しながら歩き、いつしか木に登らないと方角が分からなくなった。ただ分かるのは、俺知らない場所に来たと言うこと。体感ではあるが、俺が最初に降り立った場所よりも深い場所だろう。
モンスターから見つからない様に開けた道は行かず、先に見つかる事だけは避けて進んだ。少し窮屈に思うが仕方ない。以前の世界で音と気配を極力断つ術は教わっているから、それらで勘付かれる事は無いと思いたい。茂みや木の影を伝って隠れながら進んで行くと、この森では珍しい日の差す草本のよく生えた場所があった。そこにある草は今までの固そうなものではなく、弱い風に吹かれてはゆらゆらとなびくようなものだった。その茂みはどうやら当たりだったらしく、草を食む音が微かに聞こえて来る。
(あ、あそこか?)
最もコーネノらしき咀嚼音の元から近い木陰から、ゆっくりとナメクジの様に少しずつ近づいた。草本は俺の背の半分くらいで、しゃがめば俺の姿は草に隠す事が出来た。そのまま俺が草本を数歩踏み締めても、まだ気配を察知されていないらしくまだ食べ続けている。十分近付いた頃、俺は姿を見るために初めて手を使ってゆっくり茂みを掻いて覗き見た。
(やっぱりウサギみたいだなー)
ゆっくりと見えてきたのは草に紛れる白っぽい黄緑の毛、短く丸まった尻尾に、胴体と同じかそれ以上に大きな耳。デカい耳だなと思い観察していると、確かに耳は大きいが、毛もとても長いらしい事が分かった。しかも頭から尻尾の方に毛が流れている。よく知るウサギより体躯は一回り大きく、耳だけ異様に毛深い。あの大きさなら掴み取る事も確実に出来よう。そして、ザルな警戒で振った頭に付いた眼は赤黒かった。瞬間、コーネノと目線が合ってしまった。
パッと草を口から溢しコーネノが硬直した。目線の先にある翡翠色に輝く目を覗いている。肌で感じる魔力の流れが変化している、目の前に何者かの目が覗いている。以上の二点は、コーネノに『逃走』と言う選択肢を選ばせるには十分過ぎた。
丸く硬直したコーネノだったが、俺の気配を読んだ時には逃げようとしなかった。しかし俺が魔法を使おうとし始めた瞬間、ギョッとして若干怯み、恐怖を押して一気に駆け始めた。それはまさしく脱兎の如く。俺にはコーネノが消失し、土だけが掘り返った様に見える程。
「え、速っ!」
折っていた膝と腰を急いで伸ばしたが、気配は遠く、目視でももう点に見えてしまっているほど距離を離されてしまった。おまけに視界はあいにく様だ。俺はこの世界で最初に使った風魔法である、飛翔の魔法『翔』。これを使いコーネノを追いかけた。この魔法で出せる最高時速は130キロくらいだが、ここじゃ木々もあって時速50㌔くらいで飛ぶのが関の山。そのせいと言うのか、そうとも言えないと言うか、自動車並みのスピードであるはずなのにコーネノにちっとも追いつけそうもなかった。
(あのさー…兎が曲がりくねって走ってるのにむしろ少しずつ離されてる気がする)
こんなウサギが居てたまるかと思いつつ、俺は次の方法を考えた。もっとスピードを出すか、それとも。
(これにすっか)
俺は追いつけなくてもいい、コーネノの足が止まればいいだけだ。俺は手のひらにいくつか透き通った緑色の種を生成、それを力強く地面へと投げ込んだ。
「行ってこい!」
種と同じ大きさに地面に穴が開き、その時はそれ以外は何も起きなかった。もう後は簡単な仕事だ、奴を追い、この目で捉え続ければいいだけだ。
暫くコーネノを追い、奴の速さの秘密に気がついた。あれも風魔法だった。意図的に追い風を発生させ、空気の抵抗を軽減し、大きく毛の長い耳で舵を取り、それらを総合しスピードを落とさずとも自在に走り回れるのだ。しかも俺を撒く為に奇怪な事もやって見せた。スピードはそのままに木を駆け上がったと思えば、なんとその耳を大きく広げ滑空し始めたのだ。落下が遅く長く飛行出来るが、地上よりも逃げ道は直線的だった。
そして奴は気が付いた様だった。俺自身に捕まえる気概が無い事に。「あの人間との距離が一定になっている」、そう奴は思い始めたのか、不思議そうに何度か振り返って来た。『捕まえられる』という言葉が奴の頭から離れるにつれ、奴の逃げる速度も遅くなる。それにつられて俺の追う速度も遅くなる。遂には自転車より遅くなり、最終的に早朝のランニング程度まで遅くなった。コーネノは完全に魔法を使わなくなり、もう歩く感覚で逃げ続けていた。
「そうそう、あと少しだ」
俺は待っていた。いずれ警戒が薄れて自動車より遅くなるまで。コーネノは本来集団で生活していて、こうして単独行動をしている事は稀だと言う。しかし、自分に自信があったり、経験不足や親からの教養不足があると、単独行動をしてしまうと言う。俺は運良くそんなコーネノを見つけられただけだ。俺は待っていた。巻いた種が成長し追い付くまで。
「ありがとう。『絡み』」
俺の合図と共に地面からつるが伸びる。半透明で、植手とも呼べるつるの鞭。ほぼ無警戒になったコーネノは反応が遅れ、逃げようと地を蹴ったが、ギョッとしたのと合わさって脚は空を蹴った。地面から離れ伸び切った脚は即座につるが絡め取り、彼からすれば重力が上下反転したと感じていた。同時にその目には俺は逆さまに映っている事だろう。その顔からは驚き、戸惑い、恐怖が見て取れる。
「君達には悪いけど、俺達が生きる為だ」
俺は額に埋まる風の魔石と風魔法の名称を気に入っていない。『風』と名を持ちながら、自然全般の力も秘めている。その自然も風が元になっているので擬似的に植物の形を作り出すに過ぎないが、草木を模すなら不適切だと思っている。俺は翔でスゥっとコーネノに近づき、どう仕留めるか考えた。その間にコーネノは絡みを解こうと躍起になっていたが無意味に終わった。十数秒時間が経った時、絡みのつるの一つがコーネノの首を一周し、瞬時に輪を収縮させて頸椎を潰した。少し頭部に近い場所だったから、意識もすぐに飛び、即死に近い事だったろう。
「帰るか」
絡みを完全に解きコーネノを抱きかかえた。小さな体に痙攣は無く、しかし少しずつ強張って来る。再び転身でマニラウへ帰るが、どこがいいだろう。「瞬間移動みたいなものだから突然現れても驚かせるだろう」と、そう考えて近くの路地にする事にした。何気なく目をやっただけの場所だったが、それが役に立った。
マニラウへは行きと同じく一瞬で移動した。路地から出て集会所へ向かった。バッグをぶら下げコーネノを連れ、だが道ゆく人の注目はあまり集めなかった。例え目を向けても「すごい!」と言う様な表情ばかり。やはり「これが日常だ」と浸透しているのだろう。
路地からの道のりは短く、集会所に着き閉じたドアを押し開けようとした時、オッサンとその友人が会話をしていた。
「お前の末弟子、どんくらい時間かかると思う?こっから歩きで片道一時間以上、慣れてなきゃ薬草採取でも数時間かかったりする。しかもあの渡したバッグ中級者向けだろ?目利きじゃねぇと夜に帰ってくるぜ」
友人の声は記憶に無い物だった。にしても初級者向けじゃない事には文句を言いたい。
「あーそんな心配いらねぇさ、あいつは慣れてる。目利きだ。日が出てる内に帰って来るさ」
オッサンは随分俺を見ている。まだ出会って丸一日経つか経たないかって位なのに。
「はぁ、お前が言うと信用ならねぇな…ああそれはさておき、お前の一番弟子が『ディザント』で快進撃中だとよ」
静かに盗み聞きして聞こえたのは兄弟子の話。ディザントは街の名前だろうか。それと、俺はもうオッサンの弟子って事で確定らしい。
「そうか、もう二十年経ったのか…」
俺はオッサンの言葉に疑問が浮かんだ。どこから二十年と言う言葉が出て来たのか。
「お前はどうする?二回目は」
あの友人はお構いなく話し続ける。何度か催されている物なのか?
「やめておく、そこは弟子らに譲るさ」
オッサンの声は清々しい物があった。
「末弟子のあいつも、もう少し時期が早けりゃ可能性はあったかもな」
それらは少し耳がいい故に聞こえて来た会話だった。ドア一つを隔て、ドアからも数メートル離れていてもだ。俺は今帰った風を装い、知らないふりしてドアを開ける。ドアが開いたと同時に、オッサンは椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。その表情はにんまりと笑顔だった。
「おう!早かったな!やっぱ見込んだ男は早いねぇ!」
「まじか、コーネノまで連れ帰ったか…速過ぎやしねぇか?」
この友人さんは、夜まで掛かるのではと言っていた。だとしたら約一時間で採集と狩猟をこなした俺はどんな評価になるのやら。
「早いも何も、クエスト以外の移動に使う時間、往復0秒だからな!おーいメイラー!帰ってきたぞー!」
大声を上げるオッサンに背を押されてカウンターまで来た。その声を聞き、ドタバタとうるさく奥の部屋から声が近づいて来た。
「えぇ!早くないです?瞬間移動使えるからって流石にっ……ほんとだ…」
彼女の目が一瞬棒になった気がするが、ともあれクエストの報酬金を受け取る。十分な薬草の量、状態の良いコーネノは、依頼クリアに申し分無いとされた。報酬は薬草採取の場合その種と重量に比例して多くなる。またコーネノ一体につき大銅貨一枚の加算があり、今回のクエストで得た報酬は大銅貨七枚と銅貨二枚になった。
この世界の通貨を円換算すると銅貨一枚10ユーロ、円換算で100円。大銅貨は一枚100ユーロ1000円だ。つまり今回の稼ぎは「7200円」だ。この世界の通貨の名はヨーロッパの通貨と同じ名の単位だが、名が同じだけで全く別なのは言わなくても良かったか。
「初めてにしちゃ上々だぜ、頑張ったな!」
オッサンが褒めてくれたが、別に特段頑張ったわけでも無い。まぁ、嬉しいに変わりは無い。この世界で早めに収入源を確立できたのは幸先がいい。等級が上がれば報酬も増えるだろうし、まずは家を一つ買うか借りるかして、一人で暮らせるようになる位稼げるようになりたいと思った。
「今回は俺の目に狂いは無かったな。流石にあんなすげぇとは思わなかったがな!」
そう言ってガッハッハ!とにやけから一気に大笑いになり、オッサンはかなり興奮気味だった。
「なんだよ今回はって」
俺はさっきからずっと気になっていた部分をストレートに投げかけた。今までにも俺した様に英雄にされた者がいるのは聞かされたが、そのお目が狂った事があるみたいな言い草だ。
「お前、聞いてただろ?かなり端折るが、今までも何人かこうやって英雄になった奴はいるんだぜ?中にゃ、一等英雄になった奴もいる」
俺と同じように英雄になった奴が七人、俺で八人目。その中には一等になった人もいる様だ。そこだけ見れば、この赤い中年の目は確かに良いと思える。
「そうなんだ。すごいんじゃない?オッサンの目」
俺は障りの無い言葉で称賛した。しかしオッサンの目には、どうにも煮え切らないものが奥にある様に見えた。それに、俺がそう感じた直後から、オッサンの表情はどんどんと落ち着いていった。
「…だがな、こんだけ居ると悲しい事も多いわけさ、既に二人、三等に行った途端に死んじまった」
「……」
オッサンは静かにそう言った。英雄とは危険な仕事だと歩く最中にオッサンから聞かされた。だからと言え、誰だとしても親しかった人物を失うのはこれ以上に無く悲しいものだ。俺も同じ事があったから痛いほど分かる。しかしそんな事があってなお、オッサンは何でこんな事をまだ続けているのだろう。
「そりゃもうやめる気でいたさ。だがお前を見つけちまった。低レベルのスライムでさえ、武器も防具も無くて勝てる奴は稀だなんだ。だがお前はそれを成し遂げた。その『両手の甲に埋まった宝石』みたいなのがお前の魔力の根源だろ?『生まれついての魔導士』、いい人材だねぇ」
オッサンは初めて見せた悪どい顔でしみじみと言った。しかしそれは違う。俺はこの魔石達に適合しているだけで、生まれつきこれらの魔法が使える訳じゃなかった。でも、完全に的外れと言う訳では無いし、オッサンに今は勘違いしてもらってい方が都合がいいかもしれない。俺は抱える暗い感情を出さずに、声色明るく言った。
「あ、ちなみにデコにもあるんだ」
鼻先に届きそうな前髪を上げ、額に埋まる隠れた魔石を見せた。
「ああ!それがあの風魔法のやつか!」
右手の甲に『火の魔石』。左手の甲に『水の魔石』。額に『風の魔石』と、それぞれ決まった場所に埋まっている。この魔石は人によって同化して埋まる場所が違うし、それ以前に適合するかも分からない。適合者とされる人物でも、適合率は75%から96%と言われていた。不適合の部分が少しでもあれば、誰であれ、どんな形であれ、よろしくない事が起こる。でも俺は三つ全て100%適合している。はっきりとした理由は分からないが、これじゃないかと言う想像は付いている。
「これのおかげで結構便利なんだ、服を洗濯しなくても魔法で綺麗に出来るしさ」
俺はそう言いながら人差し指をピンと立て、その指先から水を出現させ空中に滞留させた。
「おお、そりゃ便利だな」
その後、生きの良い魚のように食いついたヴィザーに便利系の魔法を少し披露してみせた。随分力加減に苦労して来たが、今なら簡単に肉も焼けるし、そこに水も加えれば蒸すも煮るも出来る。服のシワも伸ばせるし、さっきみたいに飛ぶ事もできるし、地形さえ分かればそれ以上の事も可能。想像力次第でほぼなんでもありって奴だ。
その魔法で簡単な夜食も作った、オッサンの家にあった食材で。勝手に冷蔵庫を漁らせてもらったが、その動力源は多分魔力、水か風、もしくはその両方の力で物を冷やしていた。調味料は塩胡椒に似たものがあったのでそれを使わせてもらったが、胡椒はまだ高級調味料らしい。
因みにパッと見で位置が分からなかった洗面台、風呂トイレは壁を隔ててキッチンの隣にあった。オッサンが俺が料理中してる最中にドアの奥に行って、それで判明した。
主食のパンは保存庫と言う物で腐っていないストックの一切れを頂き、主菜には鶏っぽい奴を塩胡椒で少し焦がしめに焼いて味をつけた物を。副菜には植物由来のドレッシングと混ぜた野菜のサラダ、汁物はクリームスープだ。オッサンも料理をするが苦手らしく、軽く拍手を貰ってしまった。その後、夕飯を食べながら明日やる事について少し話し合い、風呂に入って例の二階で就寝した。オッサンは一階の作業机に居座って何か作業をしている。初日にしては発展しすぎかと思ったが、問題は特に無いだろう。
赤髪の中年は、夜分遅くに考え耽っていた。もちろんこれからについて。
「こいつぁ、拾っといて間違い無かったな。ヒカルは誰よりも強くなる。だとすりゃ、あと一ヶ月か…。俺の読みが正しけりゃ、十分間に合うな。ただ…あいつはそれで良いんかな…」
翌日の夜話した通り、オッサンの引率で早速クエストの受注に向かった。昨日も来た教会っぽいこの場所は集会所と言うらしい。他にはギルドがあるが、もっと大きな建物で設備も珍しい物があると言うし、ここからもっと北側にあるらしい。昨日北門から歩いて来る時前を通っていないらしいから、どんな場所かちょっとした楽しみだ。
「あはようございます二人とも」
集会所の中に入ると、早速メイラさんが声をかけて来た。今日も昨日のように大量の書類をファイリングして整理していた。一体あれは何の書類だと言うのだろうか。
「おぅよメイラ、早速こいつの初仕事だぜ!」
俺よりもオッサンが元気いっぱいだ。上機嫌なのはいいのだが、俺にとっては少し迷惑だ。とにかく声がデカいんだ。
「そうですか、ではこのクエストはどうです?持っている能力は申し分ないのですが、まずあの場所に慣れて頂く感じで」
そう言いながら、メイラさんは既にファイリングされている中からその一枚を探し抜き出してカウンターに置いた。
「えーなになに?」
取り出された紙はどうやら依頼書であり、内容はこう書かれていた。
『 <薬草採取> 難易度I
<概要>
エータルの森にて薬草採取
森入り口付近を推奨
<副依頼>
コーネノの狩猟 』
「おう!それがいいな!」
恐らく最低難度で取るに足らない依頼だろうが、オッサンが勝手に俺の仕事を決めていく。それが嫌な訳では無い、別に薬草採取くらいなら二年と少し前まで大体週一回の頻度でやっていた。俺はその下にある副依頼とやらがとても気になったのだ。
「どう?小手調べにやってみて」
「あの…コーネノって何…」
メイラさんがそう俺に推すが、俺の発言で集会所にいた俺以外の二人は、その時だけすんっと異様に静まり返った。そしてオッサンが俺に一言告げた。
「ん?お前昨日食っただろ?」
「え、あの肉?」
昨日魔法の披露の際に調理した肉、白く脂身の少ない鶏っぽいやつがコーネノだったらしい。しかもオッサンが言うには、『羽』と数えるが羽や翼は無いらしい。俺はそこで察しがついた。しかし、モンスタークラスが食料か、普通の動物はこの世界には居ないのだろうか?それともこっちの方が美味しいとかそんな理由だろうか。
「あいつらの脚は速いが、昨日のあれを見る限り大丈夫だろ」
オッサンは俺の飛行魔法の事を言っている、披露会の時に色々見せた中に入っていた。オッサン評はこんなだが、俺の知っているウサギと同じ速さなら確かに問題は無い。が、ここは魔法が確実に有る世界だ、コーネノが魔法を使わないとは限らない。
「ま、副依頼だからやんなくてもいいけどね。ホントに、お好きにどうぞってやつよ」
軽い口調でメイラさんが言った、片手には既に印鑑らしき物を握って。
「へー…じゃあそれでいい」
「よしきた!メイラよ、専用のバッグ用意してやんな」
「見た感じ手ぶらだったし、もう手元に置いてるわ。はいどうぞ」
まるで流れ作業の様に会話が進み、書類への判と物品の貸し出しが行われた。そして手渡されたのは使い古されたポーチで、擦れて元来より薄生地になっていそうだが破れそうな気配はない。メイラさんはまた紙を手に取って判を押し、これで依頼受注が完了したらしい。さあ行こうと一人思った矢先、オッサンが話しかけてきた。
「じゃあ門まで同行してやろうか?道もうろだもんな」
確かにこの街に来たばかりで道もろくに覚えてない。普通なら簡単でも道案内が必要だろうが、俺には必要の無いない事だ。
「ああ、嬉しいけど必要ないよ」
メイラさんは少し目を見開いて片眉を上げ、オッサンも同じような反応をしていた。あーだこーだと、オッサンは概ね道案内をする気でいたし、見守ったり時には手伝う事も吝かじゃないと主張した。俺は「そう言う心配性と言うか過保護なのは程々にしてくれ」と、先を憂いて言わせてもらった。前の世界でもそうだったが、大事にされ過ぎるのも癪なんだ。
「んじゃ、行ってくる」
俺はもう拗ね気味なオッサンとメイラさんに会釈をしてあの森に移動した。しかしこれが二人を大いに驚かせた。柔らかな風が吹いたなと感じた時には、俺の姿は目の前から消えていたのだ。頭の上にクエスチョンが浮かび上がって数秒後、何が起こったのか理解できたオッサンだけが叫び声を上げるのだった。
「ーッ!?こいつッ!瞬間移動もできるのか!?」
つくづく、魔法は便利な物だと思う。俺が持ってる三つの魔法はどれも全ての魔法の大元となる『原核魔法』と呼ばれる魔法。故にいくらでも応用が効く。そして今使った風魔法の中でも利便性が高く多用しがちな魔法『転身』。よくある「行った事のある場所に即座にワープできる」ってやつだ。ただ、移動先の座標を正確に設定しないといけないから、行き先は制限される。俺の場合まだ問題にはなってないが。
一瞬で移り変わった景色と肌を撫でる風、鼻を通る空気はじめっとして少し泥臭い。遠くでオッサンが叫んでいたのも知らずに、俺は草木を掻き分け薬草を探し始めた。ここは依頼文にあった様に森の浅い場所。木により掛かり渡されたバッグの中を確認すると、そこにはハンカチくらいの大きさの布が入っていた。布には小さくも分かりやすい簡単な絵と、それに対応する薬草の名前及び用途が記されてあった。これを頼りに集めろって事らしい。その布は何かの魔法で汚れがかなり付きにくく、落ちやすくなっていた。長く綺麗に使っているのだろう。
「これか?」
まず見つけた植物は束になった薇に広葉がついた見た目で、名を『ガーリック』。俺の知ってるガーリックとは全然違う、そこが異世界の面白い所でもあるがややこしい所でもある。これは樹木の根本付近に群生すると書いてあり、喉に効く飲み薬に使われるそうだ。
今度のこれは傷の消毒や痛み取りとしてよく使われると書いてある。茂みの中、十数センチ毎の階層になっている一番下に生えやすい片喰に似た薬草『ソルエ』。調合次第で大病にも効く、樹木に寄生して育つ花部分しかないと言うこの薬草は『ビター』。
他にも漢方薬に使える花や、何も使用用途が記されていない花の根っこもあった。そうして目敏く収集していたら、目標のラインまで一時間も掛からず集まった。バッグの中にはX字に仕切りがあり、何を入れるのか指定されていた。バッグの内側には赤くラインが引かれていて、それがノルマの目安だった。内容量の大体八割の場所にラインは引かれていて、そこを超えるとバッグが閉めづらくなる。
「閉めづらくなるのはちょっと予想外。いくつか無駄になっちゃった…」
薬草は結構な確率で群生しているから、見つけたら隣にも、その隣にも、と続いてたりする。まるで一度見つけたらキリがない人類の敵の真っ黒なあの虫の様だった。だから採取時間は全部で十分程度しか使っておらず、薬草の群生場所を探す方が圧倒的に時間がかかった。
オーダーはクリアした。しかし正直歯応えと言う物を感じなかった。以前の世界での薬草採取は、草食竜と揉めたり、肉食竜の警戒と万一の対応もしなければならなかったから、チームを組んでても中々に時間が掛かった。そのせいで勝手に消化不良みたいに煮え切らない。そんな時にふと思い出した。
「あ、そういえばコーネノってやつの狩猟があったな」
薬草採取がメインではあったが、副依頼としてコーネノと言うモンスターの狩猟が設けられていた。ただ、ずっと足元を見ていたせいでモンスターは見かけてないし、それらしい森のざわめきも無かった。やはり森の奥の方に行かないとモンスターは多くいないのかもしれないが、俺はこの世界についてより知る為に森の奥へ進む事にした。
とりあえず歩いてそれっぽいのを探してみる。俺はコーネノを大きめのウサギっぽいやつだと踏んでいるが、実際どうなのかは分からない。完全に手探り状態だ。唯一加工後の食肉状態なら見ているが、およそ参考に出来るものにはなり得ない。
あちらへこちらへと見渡しながら歩き、いつしか木に登らないと方角が分からなくなった。ただ分かるのは、俺知らない場所に来たと言うこと。体感ではあるが、俺が最初に降り立った場所よりも深い場所だろう。
モンスターから見つからない様に開けた道は行かず、先に見つかる事だけは避けて進んだ。少し窮屈に思うが仕方ない。以前の世界で音と気配を極力断つ術は教わっているから、それらで勘付かれる事は無いと思いたい。茂みや木の影を伝って隠れながら進んで行くと、この森では珍しい日の差す草本のよく生えた場所があった。そこにある草は今までの固そうなものではなく、弱い風に吹かれてはゆらゆらとなびくようなものだった。その茂みはどうやら当たりだったらしく、草を食む音が微かに聞こえて来る。
(あ、あそこか?)
最もコーネノらしき咀嚼音の元から近い木陰から、ゆっくりとナメクジの様に少しずつ近づいた。草本は俺の背の半分くらいで、しゃがめば俺の姿は草に隠す事が出来た。そのまま俺が草本を数歩踏み締めても、まだ気配を察知されていないらしくまだ食べ続けている。十分近付いた頃、俺は姿を見るために初めて手を使ってゆっくり茂みを掻いて覗き見た。
(やっぱりウサギみたいだなー)
ゆっくりと見えてきたのは草に紛れる白っぽい黄緑の毛、短く丸まった尻尾に、胴体と同じかそれ以上に大きな耳。デカい耳だなと思い観察していると、確かに耳は大きいが、毛もとても長いらしい事が分かった。しかも頭から尻尾の方に毛が流れている。よく知るウサギより体躯は一回り大きく、耳だけ異様に毛深い。あの大きさなら掴み取る事も確実に出来よう。そして、ザルな警戒で振った頭に付いた眼は赤黒かった。瞬間、コーネノと目線が合ってしまった。
パッと草を口から溢しコーネノが硬直した。目線の先にある翡翠色に輝く目を覗いている。肌で感じる魔力の流れが変化している、目の前に何者かの目が覗いている。以上の二点は、コーネノに『逃走』と言う選択肢を選ばせるには十分過ぎた。
丸く硬直したコーネノだったが、俺の気配を読んだ時には逃げようとしなかった。しかし俺が魔法を使おうとし始めた瞬間、ギョッとして若干怯み、恐怖を押して一気に駆け始めた。それはまさしく脱兎の如く。俺にはコーネノが消失し、土だけが掘り返った様に見える程。
「え、速っ!」
折っていた膝と腰を急いで伸ばしたが、気配は遠く、目視でももう点に見えてしまっているほど距離を離されてしまった。おまけに視界はあいにく様だ。俺はこの世界で最初に使った風魔法である、飛翔の魔法『翔』。これを使いコーネノを追いかけた。この魔法で出せる最高時速は130キロくらいだが、ここじゃ木々もあって時速50㌔くらいで飛ぶのが関の山。そのせいと言うのか、そうとも言えないと言うか、自動車並みのスピードであるはずなのにコーネノにちっとも追いつけそうもなかった。
(あのさー…兎が曲がりくねって走ってるのにむしろ少しずつ離されてる気がする)
こんなウサギが居てたまるかと思いつつ、俺は次の方法を考えた。もっとスピードを出すか、それとも。
(これにすっか)
俺は追いつけなくてもいい、コーネノの足が止まればいいだけだ。俺は手のひらにいくつか透き通った緑色の種を生成、それを力強く地面へと投げ込んだ。
「行ってこい!」
種と同じ大きさに地面に穴が開き、その時はそれ以外は何も起きなかった。もう後は簡単な仕事だ、奴を追い、この目で捉え続ければいいだけだ。
暫くコーネノを追い、奴の速さの秘密に気がついた。あれも風魔法だった。意図的に追い風を発生させ、空気の抵抗を軽減し、大きく毛の長い耳で舵を取り、それらを総合しスピードを落とさずとも自在に走り回れるのだ。しかも俺を撒く為に奇怪な事もやって見せた。スピードはそのままに木を駆け上がったと思えば、なんとその耳を大きく広げ滑空し始めたのだ。落下が遅く長く飛行出来るが、地上よりも逃げ道は直線的だった。
そして奴は気が付いた様だった。俺自身に捕まえる気概が無い事に。「あの人間との距離が一定になっている」、そう奴は思い始めたのか、不思議そうに何度か振り返って来た。『捕まえられる』という言葉が奴の頭から離れるにつれ、奴の逃げる速度も遅くなる。それにつられて俺の追う速度も遅くなる。遂には自転車より遅くなり、最終的に早朝のランニング程度まで遅くなった。コーネノは完全に魔法を使わなくなり、もう歩く感覚で逃げ続けていた。
「そうそう、あと少しだ」
俺は待っていた。いずれ警戒が薄れて自動車より遅くなるまで。コーネノは本来集団で生活していて、こうして単独行動をしている事は稀だと言う。しかし、自分に自信があったり、経験不足や親からの教養不足があると、単独行動をしてしまうと言う。俺は運良くそんなコーネノを見つけられただけだ。俺は待っていた。巻いた種が成長し追い付くまで。
「ありがとう。『絡み』」
俺の合図と共に地面からつるが伸びる。半透明で、植手とも呼べるつるの鞭。ほぼ無警戒になったコーネノは反応が遅れ、逃げようと地を蹴ったが、ギョッとしたのと合わさって脚は空を蹴った。地面から離れ伸び切った脚は即座につるが絡め取り、彼からすれば重力が上下反転したと感じていた。同時にその目には俺は逆さまに映っている事だろう。その顔からは驚き、戸惑い、恐怖が見て取れる。
「君達には悪いけど、俺達が生きる為だ」
俺は額に埋まる風の魔石と風魔法の名称を気に入っていない。『風』と名を持ちながら、自然全般の力も秘めている。その自然も風が元になっているので擬似的に植物の形を作り出すに過ぎないが、草木を模すなら不適切だと思っている。俺は翔でスゥっとコーネノに近づき、どう仕留めるか考えた。その間にコーネノは絡みを解こうと躍起になっていたが無意味に終わった。十数秒時間が経った時、絡みのつるの一つがコーネノの首を一周し、瞬時に輪を収縮させて頸椎を潰した。少し頭部に近い場所だったから、意識もすぐに飛び、即死に近い事だったろう。
「帰るか」
絡みを完全に解きコーネノを抱きかかえた。小さな体に痙攣は無く、しかし少しずつ強張って来る。再び転身でマニラウへ帰るが、どこがいいだろう。「瞬間移動みたいなものだから突然現れても驚かせるだろう」と、そう考えて近くの路地にする事にした。何気なく目をやっただけの場所だったが、それが役に立った。
マニラウへは行きと同じく一瞬で移動した。路地から出て集会所へ向かった。バッグをぶら下げコーネノを連れ、だが道ゆく人の注目はあまり集めなかった。例え目を向けても「すごい!」と言う様な表情ばかり。やはり「これが日常だ」と浸透しているのだろう。
路地からの道のりは短く、集会所に着き閉じたドアを押し開けようとした時、オッサンとその友人が会話をしていた。
「お前の末弟子、どんくらい時間かかると思う?こっから歩きで片道一時間以上、慣れてなきゃ薬草採取でも数時間かかったりする。しかもあの渡したバッグ中級者向けだろ?目利きじゃねぇと夜に帰ってくるぜ」
友人の声は記憶に無い物だった。にしても初級者向けじゃない事には文句を言いたい。
「あーそんな心配いらねぇさ、あいつは慣れてる。目利きだ。日が出てる内に帰って来るさ」
オッサンは随分俺を見ている。まだ出会って丸一日経つか経たないかって位なのに。
「はぁ、お前が言うと信用ならねぇな…ああそれはさておき、お前の一番弟子が『ディザント』で快進撃中だとよ」
静かに盗み聞きして聞こえたのは兄弟子の話。ディザントは街の名前だろうか。それと、俺はもうオッサンの弟子って事で確定らしい。
「そうか、もう二十年経ったのか…」
俺はオッサンの言葉に疑問が浮かんだ。どこから二十年と言う言葉が出て来たのか。
「お前はどうする?二回目は」
あの友人はお構いなく話し続ける。何度か催されている物なのか?
「やめておく、そこは弟子らに譲るさ」
オッサンの声は清々しい物があった。
「末弟子のあいつも、もう少し時期が早けりゃ可能性はあったかもな」
それらは少し耳がいい故に聞こえて来た会話だった。ドア一つを隔て、ドアからも数メートル離れていてもだ。俺は今帰った風を装い、知らないふりしてドアを開ける。ドアが開いたと同時に、オッサンは椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。その表情はにんまりと笑顔だった。
「おう!早かったな!やっぱ見込んだ男は早いねぇ!」
「まじか、コーネノまで連れ帰ったか…速過ぎやしねぇか?」
この友人さんは、夜まで掛かるのではと言っていた。だとしたら約一時間で採集と狩猟をこなした俺はどんな評価になるのやら。
「早いも何も、クエスト以外の移動に使う時間、往復0秒だからな!おーいメイラー!帰ってきたぞー!」
大声を上げるオッサンに背を押されてカウンターまで来た。その声を聞き、ドタバタとうるさく奥の部屋から声が近づいて来た。
「えぇ!早くないです?瞬間移動使えるからって流石にっ……ほんとだ…」
彼女の目が一瞬棒になった気がするが、ともあれクエストの報酬金を受け取る。十分な薬草の量、状態の良いコーネノは、依頼クリアに申し分無いとされた。報酬は薬草採取の場合その種と重量に比例して多くなる。またコーネノ一体につき大銅貨一枚の加算があり、今回のクエストで得た報酬は大銅貨七枚と銅貨二枚になった。
この世界の通貨を円換算すると銅貨一枚10ユーロ、円換算で100円。大銅貨は一枚100ユーロ1000円だ。つまり今回の稼ぎは「7200円」だ。この世界の通貨の名はヨーロッパの通貨と同じ名の単位だが、名が同じだけで全く別なのは言わなくても良かったか。
「初めてにしちゃ上々だぜ、頑張ったな!」
オッサンが褒めてくれたが、別に特段頑張ったわけでも無い。まぁ、嬉しいに変わりは無い。この世界で早めに収入源を確立できたのは幸先がいい。等級が上がれば報酬も増えるだろうし、まずは家を一つ買うか借りるかして、一人で暮らせるようになる位稼げるようになりたいと思った。
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