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東雲愛華(後)
しおりを挟むあんな1件があったせいで僕は学校に行くのが億劫になっていた。もちろん東雲先輩に会うのが怖いという事なのだけれど、学年も違うし特別な繋がりも無いわけで、意図的に会おうとしなければ会う事はない。それでも学校に行きたくない気分になるのは、それほどに嫌な感じを受けてしまったのだろうと思っている。とはいえ、学校に行かないわけにもいかないので、重い足を引きずって登校しているのだ。
「はい。あ――ん」
「い、いや、いいよ」
僕はその落下式卵焼きから顔を背ける。
「どうしたの? 最近元気ないのね。苛め甲斐がないわ」
綾篠さんが僕を見つめるけれど、決して心配そうにしてないのが悲しい。
「この前、東雲先輩に会って『私に近づくな』みたいな事を言われたんだけど、あの辞書みたいな本が理由なんだろ?」
「...そうね。文字を食べる霊なのだけれど、本にとり憑いてるみたいね」
文字を、食べる。
とはまた奇怪な霊だと思った。綾篠さんの言う『食べる』が普通に食事の意味なのかは分からないけれど、現場を見た限りではまさに『食べる』行為そのものだった。
しかし分からない。それを見てしまった事がなぜ関わらないで欲しい理由にるのか?
「東雲は試験の時にその霊を自分に憑依させてる。霊と記憶を共有してるのね。それはいわばカンニングしてるって事でしょ? それを知られまいと釘刺すなんて小物にも程があるわ」
なるほど。それでは成績もトップクラスになるわけだ。しかし、霊をまるで便利な道具のように扱うなんて普通では考えられない。よほど霊現象を熟知していないと恐ろしくて出来ないような事なのだ。
「釘なんて刺されなくとも、そんな女には興味なんてないけれど...」
ずい。
綾篠が机に膝をついて身を乗り出す。鼻が触れ合う程の距離で、もはや綾篠さんの瞳孔しか見えない。
「それは、いつ、どこで、どうやって聞いたのかしら?」
...!
まさかそこを突っ込んで来るとは思わなかった。東雲先輩2人きりで喫茶店にいた、なんて正直に言える雰囲気じゃないけれど、上手い言葉は見つからない。
「言えないのかしら?」
ごくりと息を呑む。必死にこの場を切り抜ける回答を探すけれどダメだ。何1つそんなもの浮かびはしない。答えに窮する僕を見つめたまま綾篠さんは、ふっと体を離し立ち上がった。
「...殺す」
「ひっ...!」
深く沈んだ瞳を僕に向け、ふらつく足取りで迫って来る。まさか学校の教室で死刑実行ですか!? なるべく雰囲気を良くしようと無理矢理笑顔を作る僕。
「じょ、冗談だよね?」
「……ええ。動かないでじっとしててね?」
全く僕の言葉は耳に入ってないらしい。
僕から身体を離した綾篠さんは、ゆっくり丁寧に弁当箱を鞄にしまった。そしてそのまま鞄の中から鋏を取り出すと、ガタリと席を立った。その椅子の音に身体が強張る。静かな微笑みを浮かべる綾篠さんの背後から黒いオーラが放たれる。
僕は悟った。僕の人生もどうやらここまでらしい、と。
「浅木君はここにいて、ね?」
綾篠さんは僕の頬をすっと撫でるとフラフラと教室から出て行った。僕は助かったのか?と要領を得ないままに呆然としていたが、やがてふと気付く。
違うのだ。
死刑はまさに実行されようとしているのだ。ただそれを受けるのが僕ではなかったというだけなのだ。受刑者はおそらく東雲先輩だ。僕は思わず教室を飛び出した。
綾篠さんを止めなくちゃ。と思った。
ここで東雲先輩を庇ったらまた変な誤解を生むかもしれないとも思ったけれど、綾篠さんの事だ。死刑は間違いなく実行されるはずだ。彼女を人殺しにはさせたくない。東雲先輩の教室がどこにあるのかわからなかったから、手当たり次第3年生の教室を回って見た。けれど、東雲先輩は見つからなかった。
では、東雲先輩はどこにいるのか?一瞬考えたがすぐその回答は見つかった。それは単純。おそらく「食事中」なのだ。
――・――
僕は息を切らせて図書室の前にたどり着いた。
けれどその扉に手をかけたが、それを開ける手が止まった。扉についているガラス窓から僕の目に飛び込んできたのは、長机に足をかけた綾篠さんと、それに向かい合う形で座っている東雲先輩の姿だった。綾篠さんの手にはしっかりと鋏が握られ、刃を東雲先輩に突きつけている。少ないながらも周りには他の生徒がいるのだけれど、この2人の異様には気にもとめずそれぞれ参考書を開いたりノートにペンを奔らせたりしている。そんな空間に強烈な違和感を感じ僕の手が止まってしまったのだ。
「綾篠さん、あなたが何をそんなに怒っているのか知らないけれど、他人に鋏を向けるなんて良くない事なんじゃない?」
「残念だけれど、私の鋏はそれが許されてるの」
相変わらず滅茶苦茶な事を言っているけれど、もちろん許されるわけがない。
「そんなに私が気に入らないの?綾篠さん」
「……ええ」
「蟲食なんて小さな瘴霊なんて放っておいて欲しいのだけれど」
「そんな事私は気にしてないわ」
「あら。じゃあ何でそんなに怒っているのかしら?」
「……」
鋏を向けられた東雲先輩だったけれど、その刃物には全く動じずむしろその表情には微笑さえ浮かべている。余裕。があるのだろうか?
「あなた浅木君と付き合っているのね」
東雲先輩の言葉に綾篠さんの眉がピクリと動く。
「綾篠さんが好きになるのも、なんとなく分かる気がするわ」
綾篠さんの鋏を握る手に力を込めらていく。
「彼、可愛いものね」
東雲先輩がクスリと微笑みながら言い放つ。
その瞬間、綾篠さんは手に持っていた鋏を東雲先輩の前に広げていた本に突き立てた。辞書のように厚いその本は見た目とは裏腹に簡単に綾篠さんの鋏を飲み込んで、鋏の刃がガツンと机に当る音がした。突き刺された本はもちろんただの本で、無機物なのは間違いない。間違いないのだけれど鋏が刺さったその本はまるで生き物の様にぐねぐねと動き、開かれたページは波打つように歪な動きをした。そしてそれはやがて次第に収まり、ピクリとも動かなくなった。
「酷い事をするわね。気に入ってたのに」
「だったらもう私に……いいえ、浅木君に近づかないで頂戴」
東雲先輩は微笑みを浮かべたまま、ええ。と頷いて席を立つと廊下に立つ僕の方へ歩いてくる。僕を挟んだ図書室の扉に手をかけたところでふいに東雲先輩が止まった。
「食蟲……私には目には見えないのだけれど、浅木君には見えるらしいわね。綾篠さんには見えるのかしら?」
扉に手をかけたまま振り返らず東雲先輩は言う。
「……」
綾篠さんからの回答はなかった。
ガラリ。と音をたて東雲先輩が扉を開ける。僕はバツの悪い気分で目を逸らした。東雲先輩は僕がここにいた事を知っていたかのように微笑みを浮かべる。
「またね、浅木君。今度は喫茶店よりも良い所に行きましょ……綾篠さんには内緒で」
すれ違い様に僕にそっと耳打ちする。僕は目を伏せたまま黙っていた。顔を上げてその瞳に見つめられると本当に連れて行かれる様な気がしたんだ。東雲先輩は僕の横を通り過ぎるとそのまま長い廊下を歩いて行った。
開け放たれた図書室の扉を恐る恐るくぐると背を向けた綾篠さんがいるのだけれど、何と声をかけたらいいのか分からずに僕はその小さな背中を見つめていた。
「今日の……」
綾篠さんが僕に背を向けたままボソリと呟くように言う。
「放課後、まずは喫茶店でお茶しましょう」
東雲先輩への対抗心か喫茶店なんて言い出す綾篠さんだった。
けれど気になる。
まずは。
という一文。
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