漂う結び目

izumi_mutsu

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漂う結び目

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 庸子は弁当屋の近くの事務所で働いていると言ったあと、自分の後ろに隠れている子どもの手を握った。
「娘の絵梨花。少し離れた保育園に入れてるんだ」
「結婚してたことも知らなかった」
 賢一は素直に驚いた顔をして言った。
「連絡とってなかったもんね。賢一は?」
「俺も近くの会社に勤めてる」
 視線の高さが賢一と全く同じ庸子は、高校時代に比べてはっきりとした化粧で、変わった形のピアスを揺らしていた。
 ただ、思わぬ再会の笑顔のすぐ下には、疲れがにじんでいた。賢一はきっと自分も同じだろうと思い、深くは考えなかった。
 賢一はしゃがむと、庸子の腹にしがみついている絵梨花に挨拶をした。
 隣では三園が大声で虎泰という男性と話をしていた。賢一が思っていたとおり、東日本橋にある保育園に勤めているということだった。
「明日、園の行事があるんだ。緊急対応が入ったんで準備が全然できてないから、とりあえず弁当を買いに来た」
「へへ、どこも忙しいな」
 恥ずかしがる絵梨花から目を外すと、賢一はしゃがんだまま虎泰に話しかけた。 
「時々、散歩しているのを見かけますよ」
「ああ、そうでしたか。目立つでしょ、俺」
 虎泰は斜め下からの声に丁寧に返した。
 賢一は控えめにうなずいた。それに合わせるように、なぜか隣の女性も軽くうなずいた。
「お待たせしました」
 大きな声で全員が店を振り向いた。短い髪にメッシュを入れた女性がカウンターから身を乗り出していた。
 虎泰と女性はそこに歩み寄ると、大きなビニール袋いっぱいに詰まった弁当を受け取った。
「連絡する。アドレス、まだ生きてるよな」
「ああ、ライン招待するよ」
 三園と言葉を交わすと、虎泰は手をあげてその場を離れようとした。
 黒髪の女性はすぐに追わず、口を開きかけた。だが、賢一と目が合うとそのまま歩み去って行った。
 軽く手を振って二人を見送った三園に、メッシュの店員が厨房から声をかけた。
「ソノさん、何にします?」
「舞ちゃん、ハンバーグと生姜焼きのコンボ」
 そのやりとりに賢一は思わず言った。
「三園さん、いつも同じっすね」
「お前だっていつものり弁だろうが」
 絵梨花がお腹空いたと言った。庸子は鞄からせんべいを出すと、包装を開けてから娘に渡した。
 三園はそれを見て庸子に会釈すると、店内に入って行き、舞に声をかけた。厨房には舞ともう一人の店員がいて、手が空いた方がレジに立っているようだった。
「家、近いの?」
 賢一は三園に対するものとは違う口調になって庸子に聞いた。
「菊川だからすぐそこだよ」
「そう、ならよかった。お腹空いたよな」
 賢一が言うと、絵梨花はこくりとうなずいた。
「お弁当持って地下鉄なんて乗りたくないんだけど、今日はもう無理って感じ。料理も買い物もしたくない。賢一は家どこ?」
「今は平和島に住んでる」
「じゃあ反対だね」
 疲れのせいなのか、庸子の言い方が弱々しく聞こえるのが、賢一の記憶と違った。賢一が知っている庸子は、もっと力に満ちていたような気がしたからだ。
 庸子と絵梨花の弁当ができ、カウンターで袋を受け取ると、庸子はさっと携帯電話を取りだした。
「連絡先、ちょうだいよ。今度、もっと話しよ」
「いいよ」
 互いの登録が済むと、庸子は少し笑って弁当屋を後にした。


 庸子が去ってから賢一は店内を覗いた。
 三園は厨房で鍋を振るう舞を眺めながら、カウンターに置いてあるカードを手に取って、賢一に見せた。
「ここ、舞ちゃんが包丁握ってる店だってよ」
 カードには「こずえ」という店名と、創作料理という、結局は何の説明にもなっていないジャンルが書いてあった。
「店やってるんですか。富岡?」
「門前仲町だな。叔父さんの店らしいけど、最近はそこで料理人をしているってさ」
「へえ。まだ若いのに」
「若いって言ったって、お前と同い年だよ」
「そうなんですか? なんでそんなことまで知ってるんです?」
「俺を誰だと思ってる」
「自慢しないでください」
 こずえのカードを手にした二人を見て、弁当を袋に入れながら舞が説明した。
 こずえの料理人が他店に行ってしまい、舞が厨房に立つことになった。三園が言ったとおり、こずえのオーナーは舞の叔父だ。
 高校を出てから給食会社やレストランで働いてきた舞にとっては、願ってもない話だった。
 こずえに移ってからも、前職とかけもちでバイトをしていたげんき弁当を辞めることができず、今も週一回だけ入っている。
 こずえでは、メニュー選びに関しては裁量がないかわり、調理は一任されているという。
 客前でしゃべることがほとんどない舞だったが、店のことだと別のようだった。
「今度、店の方にも来てくださいね」
 シルバーアクセサリーで盛った見た目に反して、実直さを感じさせる言い方だった。
「もちろん」
 三園は弁当を受け取ると、ひらひらと手を振って店を後にした。
「今度行こうぜ」
「あの人と、そんなに仲良いんですか?」
「野暮だね。客として、そこはかとない接点を持ち続けるのがいいんじゃないか」
「三園さん・・・・・・、意外です」
「気持ち悪いって、はっきり言わないところが青貝の社会性だよな」
「それ、褒めてるんですよね?」
 保育士たちが大量に弁当を買っていったため、かなり時間がかかった。店を出る頃には、もう西の空の残照もかき消えようとしていた。
「さっきの背の高いママさん、親しそうだったな」
 三園が思い出したように言った。
「高校の同級生ですよ。向こうの大学を出てから上京したって話は聞いてたけど、まさか子どもがいるとは思いませんでした」
「ほお、すごい偶然だねえ。かなり近しい間柄だったとか?」
「そんなんじゃなかったですね。今じゃ不思議だけど、友だちとしてきちんと成立してました」
「ああ、あるよな、そういう時期が。青春だな」
 三園はおかしな感銘を受けたようで、一人夜空を見上げた。
「三園さんこそ、あのプロレスラーみたいな人と知り合いだったんですね」
「ああ、俺は全然気づかなかったけど、見かけてたって?」
「よく園児を散歩に連れ出してますよ。たぶん、今年の春からじゃないかな」
 三園はうんうんとうなずいた。
「ちょっとさ、俺も保育園って聞いて驚いてるんだよ。あいつ、虎泰って名前なんだけど、その名前とあの見た目で保育士だぜ? しかも京都大の院を出て、確かコンサルティングファームに就職したはずだった」
「マジですか?」
「うん。俺は違う大学だったんだけどさ、地域のイベントで一緒になってから仲良くなったんだよ。その頃はもっとわかりやすいやつだったけどね」
「人は見かけによらないですねえ」
「あれは極端すぎる」
 三園は呆れたように言い放った。
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