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61話
しおりを挟むボーッと目の前の壁を見つめるだけ。
どこにでもありそうな白い壁。
俺は囚われてしまった。振り向く事も、ここから出る事も出来ない。この極致に。
そう、ここは恐らく更衣室。そして最側は今、まさにお着替え中だ。
ハメられた!! こ、この女……。
「実際、だるくないですかぁ。バイトってー」
え? なんだって?
「せーんぱーい! 聞いてますぅ?」
あれ? とりあえず答えるか。
「あ、うん。俺はまだ働いてないからな」
「じゃあ明日からだるだるですねー」
なにこれ……? 普通に会話が始まっちゃったよ。
「いっぱい汗かいちゃいましたよぉ。店内暑すぎなんですよぉー」
背後1~2メートルに最側を感じる。
甘い香りが部屋を包み込む。
え、ほんとなんなの?
トントン。背中を叩かれる。危うく振り向いてしまいそうになった。
「はい、せーんぱい。一枚あげます♪」
スッと、ボディペーパーが差し出される。最側の手だけが俺の視界に現れた。
とりあえず、振り向いたら終わりだ。恥ずかしがったりするのも負けを意味しそうだ。
「おう。ありがとうな」
「いーえー! 使ってくーださぁーい」
THEフルーティーな香り。これで体を拭けと? 俺、そんなに臭かったのかなぁ。
「ふぅーーー」
最側が体を拭いているであろう様子を背後1~2メートルに感じる。近い……。
「まぁ、時給いいですからねぇー。しばらくはつづけますけどぉ」
「へ、へ~そうなんだ」
俺が時給二倍だと言う事は口が滑っても言えないな。
シューー。スプレーの音がする。
「うぅー、気持ちいぃー」
モアっと部屋の中をさらに甘い香りが漂う。
トントンッ。
「はい、せーんぱい♪ これで仕上げです♪」
スッと、ピンク色のスプレーが差し出される。またもや最側の手だけが俺の視界に現れる。これさっきと同じパターン。
コールドスプレーかと思ったら制汗スプレーでした。
「お、おう。ありがとうな」
「接客業なんですからぁ、気を付けないとだめですよー」
「注告ありがとう」
つまり、俺は……臭いって事かな。おい最側!?
どうしたもんか。と、思ったが、最側は何事も無いかのように、普通に会話を続ける。
「やっぱり替えの靴下は必要なんですかねー。先輩はどっち派ですかぁ?」
「必要ないでしょ」
「まじですか。じゃあ、いーのかなぁ」
「いーんじゃね」
「でもでもぉ、バイトで履き替えて、バイト終わったらぁ、その靴下にまた履き替えるんですよぉ?」
「大丈夫。気にする事ないって」
「じゃあ、いっかぁ♪」
シューーシューー。
またスプレーの音がする。今度はなんだ?
異様なまでの当たり前の空気。気にしている俺が馬鹿とさえ思える程、当たり前の空気。
女子更衣室じゃあるまいし。気にしてる俺が馬鹿なのだろう。兼用なんだ! そーだよ!
……でもさ、俺らってこんな普通の会話をする仲だったっけ?!
トントンッ。
「もう振り向いてもいーですよぉ!」
ようやく振り向ける。俺は辺りを見合わした。
完全に更衣室でした。端に並べられてる靴のサイズが全て小さい。少し嫌な予感がする。
……ってあれ、こいつ。最側って。
「えっ、どうしたんですかぁ? そんなにジロジロ見ないでくださいよーー!」
「悪い。同じ学校だったんだなぁと思ってさ」
俺は知ってたはずだ。だってこいつは四天王になる予定なのだから。興味がない事は本当すぐに忘れちまうんだな。
「当たり前じゃないですかぁッ!」
ぶーぶーとぷっくりしてみせてお決まりのぶりっ子炸裂。
「あっ、先輩これ!」
唐突に笑顔でスプレーを渡して来る。えーっと、これはなんだ? 靴の臭い消し。っておい!!
色々と傷付くなぁ。つまりはおまえは臭いからこれつけろって事でしょ。
三回目ともなると流石に心が折れそうで、顔に出てしまったのだろう。俺の顔をみて最側は不思議そうな顔をした。
「あっ、別に臭いとか思ってないですからねッ?」
「え、そうなの?」
「当たり前じゃないですかぁ!!」
じゃあなんで渡すの! さっきから色々!!
ちょっぴり嬉しい気分になったけどさぁ、紛らわしいことしないでよ? 傷付くから!
「まぁ、ありがとうな」
「いーえー!! エチケットですよ♪」
「なんだよそれ、あはは」
思わず笑ってしまった。
「へ~、先輩ってそんな顔して笑うんだぁー!」
「そんなにジロジロ見るなよ」
「さっき見られたんでー、お返しです♪」
ニコッと笑ってみせる最側だが、今の笑顔は不思議とぶりっ子をしてないように見えた。
性格が悪いだけの子かと思ってたけど、違ったのかな。
だとしたら、何を企んでいるのだろう。これじゃ、まるで……友達みたいじゃないか。
──俺は最側彩乃の事を誤解しているのかもしれない。
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