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第3話 おにぃちゃんしゅきしゅきちゅっちゅわんわんお☆

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「ひどい。ひどいよお兄……。小学生の頃に好きだった男子にも同じこと言われて傷付いたのに……。あの日からずっと気にしていることをそんな風に言うなんて……ひどい。……やっぱりわたしって、見た目だけの女なのかな……」

 な、なるほど。とんでもないトラウマを引き当ててしまったのか……。

 でもこればかりは事実だからな。
 可愛いのは外見だけで、それ以外はお世辞にも褒める箇所はない。

 妹補正ありのお眼鏡で見ても、どうしようもなくクソッタレなんだよ。

 ……それでも、俺はお兄ちゃんだ。

 妹が涙を流したのなら、これ以上責めたりしてはだめだ。
 そんなのはもう、兄のすることじゃないと思うから。

 だからといって、優しい言葉を掛ける義理はない。
 俺は今後、こいつには虐げられないし関わりを持たない。これは決定事項で、断固たる意志だ!

 壁ドンに怯える日々とは確実にサヨナラをして、腕立て伏せをするんだよ!

 ──責めはしないが、突き離す!

「悪いけど、出てってくれるか? 俺、ハウスって言ったよな? 何回同じこと言わせるんだよ? お利口な犬はな、ハウスって言われたら犬小屋に走っていくんだよ。わかったら早く自分の部屋に戻れ。ハウスッ!」

 楓は涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてあろうことか、自分の部屋には戻らずに──俺の膝に縋って来た?!
 
「ねぇ、どうしたらいいの? 教えてよ、お兄ちゃん……」

 ……そ、そんなバカな。
 泣いたと思ったら今度は甘えん坊……。凶暴なライオンの楓が……?

 しかもお兄ちゃん・・・って言ったよな。ちゃん・・・を付けて呼ばれるのなんて、初めてだぞ……。

 たまたま引き当てたトラウマがクリティカルヒットしてしまったのだろうか……。

 状況が状況なだけに、安心させるような優しい言葉のひとつやふたつ掛けてあげたくもなるけど……。

 だめだ。

 これは虐げられる自分との決別。
 油断や甘さは命取りにだってなりかねない。この先クラスメイトのライオンたちを相手に取ろうとしているのなら、尚のこと。

 なにより忘れてはならない。楓もまた、ライオンだ!
 
「たったらまず、壁を蹴るのをやめろ! 一年間蹴られずに居られたのなら、話くらいは聞いてやるよ。ってことで、ハウスッ!」

 とはいえ俺は、やっぱりお兄ちゃんだ。
 本当は絶縁宣言をしたいところだけど、泣きながら縋って来たのなら、もういいじゃないか。

 一年間の保留。それくらいが落としどころだろう。

 しかし楓にハウスをする様子は見られず──。

「そんなこと言ったって無理だよ……。気づいたら蹴ってるんだもん。わたしの意志じゃないもん……」

 わたしは悪くない。無理。
 この期に及んで出てくる言葉が、この手の類のものとは思いもしなかった。

 だからなのか、気づいたら俺は声を荒げていた。

「だったら牛乳飲めよ! カルシウムを取れ! お前は怒りやすいんだよ。怒りそうになったらぐっと堪えろ! 簡単な話だろ! どうしてそんな簡単なことがわからないんだよ!!」

「それはちょっと、無理かも……」
「なんだよ? 牛乳は飲めないって言うのか? ああ?! わかるように言ってみろ!!」
 
 …………なにやってんだよ、俺。
 こんな風に威圧的な態度をとるのは、楓が今までしてきたことと同じだろ。

 やめよう。俺はこんなことがしたいわけじゃない。

 だがしかし。楓に怯える様子はまったくと言っていいほどに見られず──。それどころか、とんでもないことを口にした。

「そうじゃなくて……。ほら、これ以上大きくなったら困るし。重いの」

 言いながら楓は自らの手のひらに下乳を乗せた。

 な、なるほど。ま、まぁ、やたらと大きいなとは思っていたが……。

「お前それ、何カップあんだよ?」

 ……実はずっと前から気になっていた。

「……Gカップだよ。これ以上成長したら日常生活に支障をきたすから……。牛乳飲むと大きくなるって聞くし……」

 いやはや。デカイとは思ってはいたが、なるほどGカップもあるのか。

 ……って、違うだろ!! なんでこんな会話をしているんだよ!

「もうこれ以上、お前と話すことはない。出ていけ。とっとと失せろ。ハウスッ!」

 しかし。これまたハウスをする様子は見られず──。

「……ねぇ、お兄ちゃん。お願いがあるんだけど」

 あろうことか、俺の目をじっと見つめながらズボンの端をぎゅっと掴んできた。

 うっ……。

 ……本当に勘弁してくれよ。
 そんなふうに甘えられると、お兄ちゃんとして許したくなっちゃうだろ……。

 どんなにクソッタレだとしても、楓は妹なんだ。ここにはどうしたって兄として放棄してはならない感情がある。

 でも、だめだ。

 今まで虐げられた日々をなかったことになんてできないし、これは虐げられる自分との決別なんだ。

「……聞くだけなら、聞いてやる。聞くだけだからな?」

 とはいえ、ちょっとだけ気になる。
 “お兄ちゃんお願い”だなんて初めて言われたし。

「うん。あのね、レーニングに付き合ってほしいの。お兄ちゃんはわたしを捌け口だと思って、罵倒してくれるだけでいいから。それにわたしが耐える。だめ? 牛乳飲めないなら、精神的に鍛えるしかないと思うの。さっきからお兄ちゃんが酷いことを言うたびにね、胸が締め付けられてやばくて……。だからもっと酷いこと言って? ねえ、お願い……お兄ちゃん。もっとちょうだい?」
 
 おいおい……。おいおいおいおい!
 いったいどんなトレーニングだよ……!

 付き合ってられるか!
 俺は筋肉トレーニングで忙しいんだよ。今すぐ腕立て伏せがしたいんだよ!

 けど……。

 罵倒していいのか……。
 ライオンの称号を獲得せしめし、楓を捌け口のように使っていいのか……。

 それは俺にとっても、良いトレーニングになるのではないだろうか。

 たとえお遊びだとしても、楓相手に息を吸うように罵倒できるようになれば……クラスメイトのS級ギャル三人衆を前にしても、物怖じせずに堂々たる自分を晒け出せるようになるのではないだろうか。

 答えは確実に、YESだ!

 正直、今こうして楓と話しているだけでも心臓はバクバクだ。いつなんどき、切れ出すのではないかと恐怖すらしている。

 だからこれは、願ってもない申し出!

「いいぜ。俺も理不尽なこの人生に抗おうと思っていたところだ。お前のトレーニングになるのなら、捌け口に使ってやるよ。それこそボロ雑巾のようにしてやるよ! このメス豚がぁ!」

 ……だ、大丈夫か? これでいいのだろうか? 罵倒ってたぶん、こんな感じだよな……。

 楓は胸を押さえると「……はぁはぁ」と苦しそうに呼吸を乱した。

 まじで切れ出す二秒前とか、そんな感じがひしひしと伝わってくる。

 けれども必死に耐えているようにも見える。
 
 ……そうか。トレーニングって言ってたもんな。
 俺が罵倒して、楓が耐える。ってことはいま、楓はブチ切れるか否かの狭間で戦っているんだ。

 ゴクリと息を飲みながら、様子を見守っていると──。

 乱れた呼吸を整えるように深呼吸を大きく一回。すると怒りに打ち勝てたのか、嬉しそうに大きな声で返事をした。

「ぶぅーッ!」

 ──────?!
 ちょっと待て。待て待て待て! これは違うだろ。絶対に違う!

 トレーニングとはいえ、こんな返事の仕方は間違っている。今すぐ正しい道に導いてやらないと!

「返事は『ワン』って言えよ! そっちのほうが忠誠心を感じられるだろうが!」
「……ワンッ!」
「よしいい子だ。やればできるじゃねーか」
「ワンワンッ!」

 待て待て待て!
 違うだろ! そうじゃないだろ!
 
 でも──。なんとも言えない、愉悦感……。

 まるで自分が『ライオン使い』になってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
 それだけじゃない。目の前の辛辣かつ凶暴だったはずのライオンが、従順なワンコに思えてしまうんだ……。

 この錯覚はどう考えてもまずい。トレーニングと銘打っている以上、俺が調子に乗って対応を誤れば、楓が今にブチ切れ出す事態にだってなりかねない。

 さっきの様子を見るに、限界は近い。

「よし。今日はもうハウスしろ」
「ワンワンッ!」
「あぁ? なに物欲しそうな顔してんだよ? 今日はやらねーぞ? 明日な、明日。わかったらハウスしろ!」

「……はぁはぁ。待ってお兄ちゃん。やばいかも。……はぁはぁはぁ」

 おいおい待てよ。やばいって今にもブチ切れそうってことだよな。また息遣いも荒くなっちゃってるし……!

 怖い怖い。すぐにでも俺の部屋から出て行ってもらわないと!

「早く出てけよ! うざってぇワンコだな! ハウスッ!」
「うん。それ。もっと言って。はぁはぁ……。お兄ちゃんっ、もっと。もっともっと言って!! はぁはぁはぁ……! ちょうだい! はやくっ!!」

 なんてことだ。楓は限界に達するまでトレーニングを続けるつもりだ。

 ──チャレンジャー。挑戦し続ける者。

 その姿勢は嫌いじゃない。ついさっき俺も腕立て伏せを限界までやったからな。

 己の限界を知ることが、始まりとも言うし。

 でも、だめだ。

 限界が訪れたらお前、俺にブチ切れるってことだろうが! 

 そんなのは絶対にだめだ! 俺は『ライオン使い』だ! 飼い犬に手を噛まれてしまっては、今後の示しがつかないんだよ!

「いや、まじで出てけよ? 言うこと聞かずに駄々をこねるようなら、もうやってやんねえぞ? ってことでハウス! 四足歩行で今すぐ出ていけ! これは最終警告だ!」
 
 楓は残念そうな顔を見せるも、すぐに大きな声で返事をした。

「ワンッ!」

 そして四つん這いの体勢を取ると、言いつけ通りに四足歩行で俺の部屋から出て行った。しかし──。

「────ッ?!」

 ……水玉模様のショッキングピンク!

 パ、パパパンツが見えてしまった……!

 何やってるんだよ、俺……! 他でもない妹のパンツを見てしまうなんてだめだろ! 

 狙って四足歩行を命令したわけではない。けどこればかりは兄としてあるまじき行い。……とは思うも──。校則から逸脱したスカートの丈を操りしライオンなら、パンツが見えてしまうのはわかっていたはずだ。

 にも関わらず、従った。
 あまつさえ、パンチラなんてヤワな見え方ではなく、お尻を突き出すような四つん這いの態勢で、だ……。

 楓……。お前はそうまでして、怒りっぽい自分を変えたいってことなのか。

 ……俺は誤解をしていたのかもしれない。
 楓が俺を虐げてきた事実は変わらないけど、こんなにも自分を変えようと妹が頑張っているのなら、兄としてその気持ちに応えてあげるべきだ。

 なにより、このトレーニングは俺にとっても凄まじくプラスになる。
 ライオン相手にこれだけのことを言える機会なんて、この先の俺の人生には二度とないはずだから。

 ──だったら、やるしかないだろ! とことんまで付き合うしかないだろ!

 そうと決まればやはり筋トレだ。
 罵倒していいと了承を得てはいても、どうしてもまだ恐怖心が残る。

 だから一日でも早く、より多くの筋肉を付けるんだ!

  〝筋肉とは自信の象徴!〟

 思い立ったら吉日!
 明日でいいやはダメ絶対!

 と、意気込んだところで──。隣の部屋から声が聞こえてきた。

「はぁはぁっ……。……はぅっ! んうっ……」

 もしかして……。楓も筋トレを始めたのか? 自分の部屋にハウスしてすぐに?

「はぁ……はぁ……。んうっ……」

 間違いない。これは筋トレに励む者の苦しむ声だ。
 そうか。楓も俺と同じ考えに至ったのか。血の繋がりはないとはいえ、一つ屋根の下で暮らす者。通ずるものがあるのかもしれない。

「……はぁはぁはぁ」

 それにしても、割と声漏れするものなんだな。
 さっき俺が腕立て伏せをしていたときも、こんな感じに声が漏れてしまっていたのだろうか。

「んんぅっ……。…………はぅっ! ……はぁはぁ」

 かなり高負荷な筋トレっぽいな。
 当たり前か。Gカップを背負っての筋トレともなれば、腕立て伏せや腹筋をするだけでも重荷になってしまうのはわかりきっている。

「……はぅ。もぅだめ……んんんっ────」

 もうだめってことは、己の限界を知ったのかな。俺は24回だったぞ。楓はいったい何回できたのだろうか。……明日聞いてみようかな。

 と、思った矢先!

「はぅ……。はぁ……はぁ……はぁはぁ……」

 な、なんだと? 己の限界を知ったばかりだというのに、もう次のトレーニングを始めるのか!

 すごい。すごいぞ! 楓!

「……ぁぅっ。ぅぅっ…………はぁんっ……」

 しかも俺に迷惑をかけまいと、声を押し殺している様子さえもうかがえる。

 いいんだぞ、楓。遠慮することはない。俺もこれから筋トレを始めるからな!
 
 お互い、遠慮はなしでいこう!
 明日、このことについても言ってやらないとな!


 よーしっ! 俺も負けてはいられない! 次は腹筋の限界を知って、そのあとはスクワットだ!
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