【BL】1000年前の恋の続きを

茶甫

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3 それを貴方は恋と呼ぶのか

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 特級クラスの再試験が行なわれた。
 その結果は
「全員合格」
『やったあああ!』
 大喜びする生徒たちを見てアインは呆れる。
「初めから合格点出せ! ていうか二回目と思えないくらいギリギリなんだが?」
「そこはご愛敬ってことで!」
「馬鹿なのか」
 アインがため息をつきながら三年生を見る。シェルミールは二年生の特級クラスにて同じように全員合格を言い渡していた。
「全員合格とする」
 シェルミールの淡々とした言い方に一同は一瞬ひるんだが、すぐに言葉の意味を理解して歓声を上げた。
「やったー!」
「これで先生から講義受けられるんだ」
 喜ぶ二年生たちにシェルミールは、少しだけ驚くが、緩く笑った。最近彼は良く笑うようになったと言うのは長い付き合いの学校長、マーロンである。
「優しい顔するようになったよねえ。アインくんのお陰かなあ」
 ちらりと覗いた二年生の特級クラスでの様子を思いだしてマーロンはひとりごちる。
「というか、最近上機嫌なことが多いんだよね。何かいいことあったのかねえ」
 そこまで言ってはたと気づく。
「……まさか」
 マーロンは真顔になり、慌てて走り出した。そしてその日の講義の終り時間を待ってマーロンはアインを捕まえたのだった。
「アインくん、話があるんだけれど」
「はい? なんでしょう?」
「ごめん、ここじゃなんだから学校長室で」
 そう言ってアインを引っ張って行くマーロンのただ事でない様子に生徒達は不安がる。
「え、何かあったのかな?」
「シェルミール先生が何かやらかしたとか」
「何かってなんだよ」
「ほら、准導師の資格を剥奪とかなんとか」
「え、でも結局例の授業の審査うんぬんの話はやらないって言ってたじゃん。アイン先生が先生やめて論文に専念してアカデミー行ったら嫌だからって」
「じゃあ、別件?」
「なんだろ……あ! もしかしたらマーロン学校長ってあちこちに顔広いって聞いたから……お見合い話とか」
 とある生徒の一言に一瞬にして場が凍り付いた。主に背後にいた人物の圧のせいで。
「……ほう?」
「しぇ、シェルミール先生!? あ、もしかしてアイン先生迎えに来たんですか? あの、アイン先生は」
「マーロンのところか」
 ただでさえ低めの声が更に低くなりそれはそれは恐ろしい声に聞こえた。生徒達は必死に頷く。
「そうか……もしもそんな馬鹿みたいな話だったらマーロンめ……この世に生まれてきたことを後悔させてやる」
 そう呟いてもの凄い早さで学校長室の方向へ向かうシェルミールを見送り、生徒達が両手を合わせたのだった。

 ところ変わって学校長室である。マーロンはアインに椅子を勧め自身も腰をかけて、とても、とても真剣な顔をしていた。あまりにも真剣な顔をしているのでアインは、一体何事だろうかと身構えている。
「……アインくん」
「は、はい」
 静かに切り出すマーロンの声に少し怯えながらアインは返事を返す。
「……君のプライベートに口を出すようで、大変に心苦しい。だけど、その……こればっかりは今だけは、許してほしい」
「は、はあ」
 プライベートのことを聞きたいというマーロンにアインは首を傾げる。一体なんだろうか。
「……シェルミールと、どうなってるのかな?」
「はい?」
 突然の師匠の名前の出現にアインは固まる。
「ど、どういうこと、でしょう?」
「……いや、最近シェルミールが怖いぐらい機嫌がいいからね、何かそんなに良い事があったのかなって思って……それでふと、この間君と結婚したいとか言ってたなあと思いだして」
「あんの野郎、マーロン様になんつーことを言ってんだ!?」
 思わず素が出てしまったアインは、暴言を吐いた後にはっと我に返って口を押さえる。マーロンは咎めず、むしろその反応に安心したらしい。
「結婚させられたってわけじゃ、ないんだね?」
「してません!」
「そう、良かった……うん、いや、あの、こう言ってはなんだけど、彼は結婚相手にお勧めしないから、ちょっと、いや、かなり心配してしまって。しかも、最近君を弟子にするためにとんでもないことしてたって聞いたから不安でね」
「……ご心配おかけしたようで、すいません」
「いいや、私こそ、彼を信用しすぎてしまって申し訳ない。ある意味アカデミーの顧問がローレライ導師で良かったよ……これがアガリア導師だったら君の将来がどうなっていたことか」
 三大導師と呼ばれる魔術師たちの頂点に君臨する三人の魔術師がいる。一人がアカデミーの最高顧問、ローグ=ローレライ。妖精との混血で年齢は不詳。古代魔術から近代魔術まで網羅していると言われている賢者であり最古の導師。そして魔術師たちの位階を定め多くの弟子を輩出した魔術師達の最終目標と言われる人物である。次に有名なのがアガリア=フォン導師である。錬金術師の祖と言われており彼女にかかれば土塊ですら金塊に変えてしまうという奇跡の腕を持っている。賢者の石を所有しており、奇跡の石は世界のために使用するべきであるという考えを崩さず賢者の石の錬金方法は彼女によって封印されている。かなりまじめで不正が嫌いな人物として有名である。そして最後の一人がレノール=ファントム導師。魔神と呼ばれる魔族よりも上位に君臨する存在との交信を成功させ炎、水、風、大地の魔神と契約している。元々魔神は精霊、幻獣、魔獣たちの祖とも言われている。魔神の力を分け与えられ規模を小さくしたのが精霊たちとも言われている。そんな存在との交信を成功させただけでも奇跡だが、契約まで行なっている。そして勿論精霊、幻獣、魔獣とも数多く契約しており契約魔法の革命者としても名を馳せている。ちなみにラナンがアインのためにコンタクトを取った知人とはこのレノール=ファントム導師である。彼は気さくな性分で、特に若手の育成に力を注いでいる。そしてローレライ導師の親友でもある。
「聞けば、ファントム導師が口利きをしてくださったらしいじゃないかい」
「はい。ラナン姉さんの上司の方が、まさかのファントム導師のお孫さまだったらしくて……正確にはお孫さまがファントム導師にお願いしてくださったらしいです」
「……本当にあの男は」
「ああ、でも! お手紙という形ではありますが、先生もファントム導師、ローレライ導師にお詫びをしまして、許して頂けたので」
「……ファントム導師は聖人君子のようなとっても優しい方でね、ローレライ導師も気さくな方だからね、うん、まあ、本当にあのお二人で良かったね」
 マーロンの疲れたような顔にアインは申し訳なさそうに頭を下げる。
「君のせいじゃないのに、謝らせてしまってるね……ごめんね」
「いえ! マーロン様にご心配をかけたのは事実なので」
「……本当にアイン君は良い子だなあ! 私にいい伝手があれば、結婚相手を紹介したいくらい」
 そこまで言った瞬間に世界が、凍った。
「……私からアインを取り上げるつもりか、マーロン」
 部屋の温度が急激に冷える。マーロンは思わず身震いする。気づけば扉の前にいつの間にかシェルミールが、まるで地獄から戻ってきた幽鬼のような顔で立っていた。
「ひいい!! か、勝手に入らないでよ!」
「貴様がアインを連れて行ったと聞いてな……何事かと思ったら……貴様」
「貴様連呼しすぎ! 私、ここの学校長! 君の上司!」
「だから?」
「こっわ! アインくん、逃げて、逃げるんだ!」
 マーロンが叫ぶがアインは呆れたような顔をして立ち上がりシェルミールの元へ歩いて行く。そしてシェルミールの目の前に立つと――
「落ち着け、ミール」
 その頬に軽く口づけた。途端にシェルミールの怒気は霧散する。
「何、一人で怒ってるんだ。マーロン様は、お前が導師二人も巻き込んでやらかしたことに心配してくださってただけだぞ?」
「……本当か?」
 シェルミールの視線にマーロンは、とりあえず頷いた。頷いたが、先ほど見た光景が衝撃的すぎて突っ込まずにいられなかった。
「……つかぬことを聞くけどね? シェルミール? 君、アイン君に、手、出してないよね?」
「とうの昔に出してるし、先日やっと恋人になったが?」
 シェルミールの言葉にマーロンは雷に打たれたような顔をした。
「え、え、え、ええええ!?」
「ミール! そ、そういうことをペラペラと話すな!」
「何故だ?」
「な、何故って……は、はずかしい」
 頬を染めて俯くアインにシェルミールは、それはそれは甘く優しい顔をして抱き寄せて、額に唇を落とした。この時点でマーロンは耐えきれずに叫ぶ。
「な、なんてことだあああ! 未来ある若者を、こんな、こんな魔術しか能が無い屑の手に落としてしまうとは! 教育者として、私は……無力!」
「うるさいぞ、マーロン。で、アインへの話は終ったのか? 終ったのなら帰るぞ」
「君ねえ!? ほんっとに良識ってもの持ってないの?」
「ある程度は持っているつもりだが」
「持ってるなら自重してほしかった……! アイン君を何て言ってだましたの」
「失礼な男だな、さっきから。だましてなどいない」
 マーロンとシェルミールが言い争っていると部屋の扉をノックする音が聞こえた。アインはシェルミールの手を外して扉まで歩く。
「はい?」
「あ、シェルミールさまがこちらにいらっしゃると聞いたのですが」
 アインが少しだけ扉を開くと事務員の女性だった。用件を聞くとシェルミール宛の電報が届いたらしい。
「電報? 手紙ではなく?」
 アインの質問に女性は頷く。アインと女性のやりとりにシェルミールが気づき声をかけた。
「どうかしたのか?」
「お前宛に電報が届いたんだとさ」
「電報だと?」
 シェルミールがいぶかしむと女性はシェルミールに件の電報を渡した。電報の入った筒の封をシェルミールが開ける。筒には一枚の紙が入っていた。
「チチキトク、スグカエレ……?」
「ええ!? 君のお父上ってライオール伯爵だよね? ダルムークだよね。クロノス王国領の」
 クロノス王国領ダルムークは、クロノス王国でも辺境のほうにある。これといった名物や観光名所はないが、のどかで落ち着いた町並みが広がっている。
「……母の実家のものをクロノス国王に献上して、あいつが手に入れた土地だ。特別な土地ではなく長らく国の重鎮たちが隠居するための町になっていた。そこに急に置かれたのがあいつだ。領地経営なんてまともにできないから、結局国から派遣された役人が管理してる。あいつは名ばかりの伯爵で家自体は昔ながらの家業を回して生計を建てている」
「ライオール商会だね。結構大きな商会で、なんでも扱ってる。うちは取引していないけど。良い品が多い分高くてねえ」
「しなくていい。がめついあいつに付き合うと碌な事ないぞ。まあ、この電報が本当なら奴は死にかけらしいが」
 シェルミールは電報をしまうとため息をついた。
「こんなものを送られても俺は今はライノールの家から籍を抜いている。それにあいつの顔なぞ、死に顔でも見たくない。だから帰らん」
「ええ!? いいのかい!?」
「当たり前だ。あいつに関わると碌な事がないんだ。絶対に帰らんぞ」
 硬い決意をするシェルミールだったがアインが首を振った。
「いや、とりあえず一旦帰るべきだと思うぞ?」
「アイン? なんでだ」
「だって前に聞いた通りだったらお前の親父さん、籍を抜くって言っても止めなかった上に今まで放置されてたんだろ? なのに電報が来たと言うことは……何か家の問題があるのかもしれない。財産分与とか」
「……あり得るが、それこそ俺には関係な」
「どうすんだ、愛人に貢ぎまくって実は借金こさえてて誰が払うか揉めてたら」
「それは……ないとは言い切れないのが何とも」
 ライノール伯爵はシェルミールが家を出る前にも数人の女性と関係を持っていた。そして気前よく何人かには金銭の支援をしていた。それが度を超してしまっていないとも確かに限らない。
「行かなかったら後で勝手に借金だけ負わされてるってことになるかも」
「……ないとも言い切れない話だな」
「なら帰った方がいいんじゃない? あ、でも」
 マーロンは不敵な笑みを浮かべた。
「アインくんはお留守番ね。二人とも休まれたら特級クラス閉めなきゃいけないし」
「なんだと?」
 連れて行くつもりだったらしいシェルミールが抗議しようとするがアインが先に頷いてしまう。
「ミールの家の問題に関しては俺は部外者だし。一緒に行っても邪魔になるだけだから、とりあえず俺が出来る範囲で授業は進めておく」
「アイン……」
「いや、こういうのって部外者いるだけで険悪になるって聞くし」
「どのみち話し合いはアイン君追い出されちゃうと思うよ? まだこっちにいてくれたほうが君の精神衛生上いいんじゃない? だって、君……アインくんが何処で何してるか分からないと不安でたまらないって前言ってたじゃない……」
 マーロンの話にシェルミールは不服だったが、仕方なく頷いた。実家に無理にアインを連れて行っても、マーロンの言う通りに引き離されている間に何かアインにされてないか不安になるだろうと考えたからだ。
「……明日、朝一で行く。借金などの問題がなければすぐ戻ってくる」
「問題なければ、一週間くらいゆっくりしてくれば」
「一週間もアインがいないのは耐えられん。俺にとって不利益になりそうな問題がなければすぐに戻る」
「君ってやつは……」
 呆れるマーロンを無視してシェルミールはアインの腕を掴む。
「とりあえず、今日はもう帰るからな」
「ああ、はい。いいけど、アイン君に乱暴なことしないんだよ?」
「するわけないだろ」
「説得力ないんだよねえ」
 心配そうにしているマーロンを無視してシェルミールはアインを連れて屋敷に戻った。
 シェルミールの荷造りをする。数日滞在することになっても困らないように着替えと葬式に参加することになった際の喪服など。魔術師御用達の魔法の旅行鞄に丁寧に入れていく。
「んー……あと、なんだ?」
「携帯食料と水を入れて置いてくれ」
「なんでだ? 食事くらいは出してくれるんじゃないのか?」
 アインの疑問にシェルミールは苦い顔をする。
「あの屋敷のメイドが一新されていなかった時のためにな……人の飲食物に異物を突っ込んで来る奴らが多かったんだ。あの屋敷で飲食物を口にするのが嫌だ」
「あ、はい」
 少し前に聞いた媚薬などを盛られた事件のことだろうか。流石に今でもいるとは思わないが、一応本人からのリクエストなので入れて置いた。
「可能ならお前の淹れる紅茶と、お前の手作りがいいが我慢する」
「……帰ってきたら淹れてやるよ」
 アインの言葉にシェルミールは少しだけ元気になったらしい。アインを抱きしめて抱え込む。
「……面倒だ、行きたくない」
「だけど、行かないことで発生する面倒事もありそうだろ?」
「大いにありそうだから余計に嫌だ。はあ……」
 シェルミールはアインを抱きしめながらアインの顔を見る。
「……お前がいないと寂しい。お前は……少しは寂しがってくれないのか?」
 シェルミールの言葉にアインは、少しだけ拗ねたような顔をする。
「……寂しくないと思ってるのか?」
「アイン……悪かった」
 こみ上げてくる感情にシェルミールは衝動的に従ってアインの唇を奪う。吸って、絡めて、また吸って。
「ん……もう、だめ」
 何度か口づけをしているとアインから唇を離されてしまう。
「だめなのか?」
「さびしくなるから……やだ」
 拗ねたような、そして本当に寂しそうに目を伏せるアインにシェルミールは、愛しさがあふれてくる。
「アイン……そんな可愛いことを言うな。したくなる」
「……馬鹿」
「馬鹿でいい。アイン……愛してる。もう一度だけ、キスさせてくれ」
 こめかみや頬、額に唇を落としながらシェルミールがねだると、顔をあげてくれた。アインの唇を指でなぞって、唇を開かせると食らいついた。深い、深いキス。
「ん、ん……ん」
 長い長いキス。途中の息継ぎは鼻で、ほぼずっと唇は離さず貪るようにキスをした。
「ふ、あ……なが、すぎ」
「ふ……足りないな、やはり、全く」
 シェルミールは囁いて、アインの頬を撫でて首筋に唇をおしつける。
「アイン……」
「は……ん、したい、のか?」
「したい」
 アインの肌にシェルミールが触れる度に、アインの肌が震える。それに目を細めてシェルミールは囁く。
「アイン、お前が欲しい。もっと、もっとくれ」
 願うように、耳元で囁けば朱に染まる肌。アインは美しい青い瞳と長い睫を震わせて、シェルミールを見た。
「……欲しいのか?」
「欲しい」
「……お前もくれる? 俺に」
「ああ、いくらでも」
 シェルミールの答えにアインが微笑む。そして香る、甘い、甘い果実のような――匂い。アインの甘い匂いに飢えを覚える。食らわねば飢える。食らってもきっと、飢える。そうと分かっても手を伸ばしてしまう。愛しさと執着が混じってシェルミールの手はアインの手を掴み、その手を強く握る。
「アイン……愛してる」
「……俺も……好きだよ、ミール」
 少し恥ずかしそうに告げられた言葉にシェルミールの心臓が震える。血が全身を巡って沸騰しそうだった。シェルミールは、アインをベッドに引っ張って行って共に飛び込むように押し倒す。そのまま服をはぎとって、肌に手をはわせ、唇で、指先で――己の欲まみれの肉棒で愛した。
「は……ん、ああっ!」
「アイン、アイン……!」
 名を呼びながら快感に悶えるアインの顔を、目を、唇を、声を、記憶するように貪った。
「ミール……ミール、すき……あいして、る」
 かすれた声で応えられた言葉と名に、シェルミールの理性は溶ける。本能と欲望のままに、そして愛しさのままアインを食らった。
 結局月が白むまで二人は愛し合った。気絶するように眠りについて、次に意識を取戻した時は朝を迎えていた。

*********

「……」
 シェルミールは列車に乗っていた。本当は飛竜――以前アインがホルプと名付けたレッドドラゴンに乗って行こうと思ったが悪目立ちすぎるし何より結局愛しさと欲に負けて、寝不足だ。後悔は勿論していないが。シェルミールはスリなどの対策に気配遮断の簡易魔法を自分にかけて目を閉じる。列車の振動が眠気を誘う。目的のダルムークは乗り込んだ列車の終点のため寝過ごすことはない。とはいえ簡易魔法のせいで倉庫に列車と共に入り込んでしまうという失態は避けたいが。
(それにしても何年ぶりだろうか……ダルムークは)
 あまり、良い思い出はない。母の生家はダルムークの隣にある小さな町で、シェルミールは母が死ぬまでその家で過ごした。物心つくかつかないかの頃、雇われの年老いた乳母がシェルミールを抱き上げている横で母は、力が無い目でずっと一日中扉を見ていた。彼女の愛した夫が、彼女が息を引き取るまでに扉をくぐる事は無かったのだが。母の死後、乳母と共にシェルミールはライノール伯爵の屋敷に引き取られた。伯爵家の嫡男として形式的に雇われた家庭教師に基礎教養、剣の稽古、礼儀作法を叩き込まれた。そうこうしている間に父は、入れ替わり立ち替わりで女性たちを屋敷にいれ、短ければ数日、長くても数ヶ月程度で女性達は顔ぶれが変わっていた。そしてシェルミールが貴族の作法を一通り覚えた頃に父は赤子と女を連れてきた。次男イヴィアとその母であった。イヴィアを可愛がったのは、数日のことだった。恐らく、あの男の方が女に飽きてしまったのだろう。女とイヴィアは追い出された。そして後にイヴィアだけが戻ってきた。追い出された女が死んだらしかった。世間体のためだけに息子を引き取って、あとは人任せだった。幸いだったのはイヴィアは赤子の域を脱しきる前だったので、母のことをあまり覚えていなかった。乳母を素直に慕い、シェルミールのことも抵抗なく兄と呼んだ。
 そして、更に月日が過ぎて再び父は女とやっと自分の足で歩ける程度の子どもを連れてきた。三男ジャックとジャックの母だった。数ヶ月後はジャックだけになっていた。母親はジャックを置いて失踪していた。ジャックは荒れた。泣いて、泣いて騒いで、暴れて。誰もが彼を問題児とした。しかしシェルミールもイヴィアもジャックの暴れる様を咎めなかった。母に見捨てられた形で最悪な男の元で過ごさねばならなかったのだ。子どもの力では一人で生き抜くのは難しかった。その無力さと母恋しさを全力で示していただけに過ぎない。シェルミールは逆に羨ましかった。ああして表立って感情をぶつけられたら、とすら思っていた。イヴィアは単純に弟に寄り添おうと努めていた。心優しく、そして彼なりの諦めへの都合の付け方、だったのだろうと今なら思う。
 結局ジャックは、心の支えとして優しいイヴィアを選んだ。シェルミールに対してはどうだったか分からない。嫌われてはいなかったと思う。素っ気ないが目が合えば挨拶を返し、何も無くとも側にいても特別敵意をぶつけてくるといったことはなかった。無関心なだけ、だったのかもしれない。
(家を出て……十四年と少し、か)
 十四の頃に魔法学校に行くと告げてシェルミールは家を出て、ライノール伯爵家から籍を抜いた。その後はアカデミーで研究や調査にあけくれ、その数年後には魔法学校をつくったというマーロンに誘われて彼の魔法学校に教師として雇われて――今に至る。
(執事のセバールは元気だろうか。もし元気なら電報の主は彼だろうか)
 あの屋敷でシェルミールたちを父の代わりに面倒をみてくれていたのは彼である。白髪交じりの物腰柔らかな彼だけが、あの屋敷の良心だった。家庭教師の評価も社交パーティでの評判も無頓着な父に代わり褒め、時には叱り、時にはアドバイスをくれたのは彼だ。
(次点でイヴィアだな。面倒事があったなら尚更、というところか。ジャックはないな。まず電報という手段が浮かばないだろう)
 あの電報が悪戯の可能性もあった。しかし電報の入っていた筒にはライノール伯爵家の印が押されていた。
(悪戯のほうがいいが。すぐに帰れるわけだし)
 そんなことをつらつらと考えているうちに終点到着のアナウンスが聞こえた。シェルミールは目を開けて窓の外を見る。あまり記憶と大差ないのどかな風景が広がっている。

*********

 シェルミールが駅に降り立ち、まず向かったのは案内板だ。近辺の地理をあまりしっかり覚えていなかった。
(……ライノール伯爵家は、何処だ?)
 案内板を睨み付けていると辻馬車の御者が声をかけてきた。
「旦那、この土地は初めてかい?」
「初めてではないが、大分久しぶりでな……知人を訪ねに来たんだ。ライノール伯爵家に仕えている」
 本当は伯爵の息子だが、そこは敢えて隠す。御者はシェルミールの言葉に何かを察したような顔をする。
「……もしかして伯爵に雇われた恋人とか?」
「……私の他にもいるのか?」
 敢えて乗ってみると御者が、やはりという顔をしてみせる。
「何と言うか、気の毒にな。俺はあんまり遭遇してないけど仕事仲間が、あんたみたいなわけありを結構乗せてる。大体血走った目をしてたり、悲痛そうな顔をしてるが、あんたは落ち着いてるな」
「……あまり顔に感情が出ないとは言われている。これでも、困っている」
「そりゃ、すまん! 詫びに、近くまで乗せてやろうか? 安くしておく」
「では、頼まれようか」
 こうしてシェルミールは屋敷近くまで辻馬車に乗ってやってきた。遠目からでも分かる位置まで来て降ろされる。
「いくらだ?」
「安くしておくって言ったからな。本来なら800リオだが、500リオにまけてやるよ」
「相場が分からないから本当にまけてもらったか分かりづらいな。まあいい」
 そう言ってシェルミールは1000リオ紙幣を出した。
「チップも含めてだ」
「ひゅう! ありがとさん!」
 男は紙幣を受取ると機嫌良く帰っていった。シェルミールは屋敷を見る。
「さて……悪戯であってほしいものだな」
 ひとりごちてゆっくりと屋敷に向かう。無駄に広い屋敷は最近塗り直されたのか真っ白な外壁になっていた。代わりに庭の木が減り殺風景になっている。
(……可笑しいな。人の気配があまり、しない)
 無駄にメイドを雇っていた屋敷は、近くまで来ると彼女たちのかしましい声が聞こえてきたものだが、今は静かだ。
(これはいよいよ借金こさえたか?)
 嫌な予感を胸に潜めてシェルミールは玄関に立つ。家人を呼ぶドアノッカーはくたびれた銀色の獅子だ。握ってドアを鳴らすとしばらくして扉が開かれた。
「どちらさまで?」
 顔を覗かせたのは見覚えのないメイドだった。しかもかなり年かさの。
「……シェルミールという。電報を受取った」
 電報を見せると女性は何度か瞬きをして「お、お待ちください」と言って引っ込んだ。とはいえ、少しだけ扉が開いたままになっていたため彼女の叫びが聞こえたのだが。
「ちょ、ちょっと! あたしゃ聞いてないよ! あんな美形が旦那様の長男さまだなんて! てっきり堅物の賢者さまだって聞いてたからどっぷり太ったいやみったらしい男だとばかり」
「声が大きいってミストレおばさん! ええ、でも、おばさんがそう言うならかなり期待しちゃうー」
(若いメイドもいるのか……しかも苦手なタイプだな)
 こっそりため息をついていると再度扉が開かれた。現れたのは記憶と違わぬ姿のセバールだった。
「お待たせして申し訳ありません、シェルミール坊ちゃま。よくぞお戻りに」
「坊ちゃまはよしてくれ。この家の籍は抜いたが、こんなものをもらっては一度状況を聞くべきだと判断したから寄っただけのことだ」
 電報を見せるとセバールは微笑んだ。
「イヴィア坊ちゃまの電報が無事届いたようで何よりです。実はシェルミールさまにご相談したいことがございまして」
「イヴィアが、か?」
「私も含めて、です。詳しい話は中で。どうぞ」
 中に招かれて入ると五人のメイドが待っていた。右端から先ほど顔を出した年かさのミストレ、その隣に化粧の濃い若いツインテールにしているメイド、次にロングヘアの泣きぼくろが特徴の美女メイド、その次に険しい表情の褐色の綺麗な顔立ちのメイド、最後が小柄で黒髪の可愛らしい顔立ちのメイドが立っていた。
『おかえりなさいませ、シェルミールさま』
「……はっ。あのクソ旦那の息子かよ。のこのこ戻ってきて、何様だっての」
 褐色のメイド以外が声を合わせてシェルミールに挨拶する。褐色のメイドの女性は終始険しい顔でシェルミールを睨んでいる。
「……セバール」
「通過儀礼と思って頂ければ……挨拶が済んだなら持ち場と仕事に戻りなさい。シェルミールさまの身辺の御世話は私がする。お前達は旦那様方を引き続き頼む」
『え、えええー!?』
「……ふうん? セバールのおっさんが見ないと無理なくらいやばい性癖もち?」
「アマンダ。口が過ぎるぞ。興味ないと言いながら顔を出しおって。本当に興味ないなら皆を連れて奥へ戻れ」
「はいはい、了解。ほら、あんたたち、行くよ」
 アマンダと呼ばれた褐色のメイドに促されメイド達は渋々離れていく。いなくなったのを確認してシェルミールは深く息を吐く。
「……相変わらずの趣味だな、あの男は。数は大分減っているようだが」
「……それも含めてのご相談です。とりあえず奥へ」
「期待されても困るから言っておくが、賢者の称号を持っていても私は裕福ではないからな? 自分を食べさせるので精一杯だ」
「大丈夫です。お金の無心ではございません……そうならないように坊ちゃまを、シェルミールさまを今、呼んだのですから」
 セバールに案内されたのは、以前は伯爵の書斎だった部屋だ。現在はイヴィアの書斎になっているらしい。セバールがノックをすれば入室を許可する声が聞こえた。
「失礼いたします。シェルミール様がいらっしゃいました」
 セバールが中に伝えてシェルミールを中へ促す。入るとやつれたような顔のイヴィアと立派な青年に成長した、少し目つきが悪いジャックが椅子に座っていた。
「兄さん! ああ、良かった! 来てくれて嬉しいよ」
「久しぶりだな、イヴィアに……ジャックか。大きくなったな」
「親戚のおじさんみたいなこと言わないで。結構前からこれくらいの背にはなってた」
「ジャック。兄さんはお前が立派な大人になって喜んでるんだよ。何でもかんでも噛みつかないよ」
「ふん……」
 少し拗ねたようなジャックに呆れながらもイヴィアは本当に嬉しそうな顔をしてシェルミールを見上げる。
「だけど良かった。僕たちじゃ、もうどうしていいか分からなくて。兄さんに相談したかったんだ」
「セバールにも言われたが、一体何があったんだ? お前達の様子から見て、あいつは別に危篤になっていないようだし」
「残念ながらぴんぴんしてるよ。ぴんぴんしすぎてやばいことになってるけどね」
「やばいこと?」
 ジャックの吐き捨てるような言葉にシェルミールが首を傾げる。
「……最近連れてきた女性が魔術師みたいなんだ。それで、どうも父さん、魅了の術か何かにかかってるみたいで……何でもかんでもその女性にあげてしまっているんだ。この間なんか、爵位の証明書を渡そうとしてて」
「……あいつが? 命より大事な爵位を女にやろうとしてたのか?」
 シェルミールが驚くと、イヴィアもジャックも頷く。
「そこで可笑しいって気づいたんだけどね。セバールが気づいて父さんを叱ってくれたから難を逃れたけど。今はイヴィア兄さんが預かってくれてる。この間はあやうく会社の権利書渡しそうになってた。それは俺が蹴り入れて止めたけどね」
 とりあえず今は最悪の事態までは至っていないが、この分では破産は目前らしい。
「手遅れになる前にどうにかしたいんだ。だけど、どうしていいか分からなくて。僕らは魔術師でも何でも無いし、魔法を使われたら太刀打ちできない」
「……それで俺を、私を呼んだのか。まあ、そんなとんでもないのと何処で知り合ったかしらないが一般人相手にするような術者なら恐らく魔術師としてはそこまでランクは高くないだろう。大物はやはり国王やその側近あたりを狙うからな」
 とはいえ、気まぐれに一般人に毛が生えたような相手を選ばないとも限らない。油断しないようにするしかない。
「その女は何処だ?」
「奥の離れだよ。最近までは他にも父さんのお気に入りの女性が結構いたんだけど、気づいたら彼女だけだね」
「ならすぐ分かるな。とりあえず見てくる。セバール、悪いが案内を頼めるか」
「ええ、勿論。早速参りますか?」
「ああ。もし上級術者でないならすぐ終らせる。面倒事は速やかに処理するに限る」
 シェルミールの言葉にイヴィアが何かを決意したような顔をした。
「あの、兄さん。僕もついていってはだめ? 父さんが心配なのもあるし兄さんが……あの、魔術師の兄さんの姿を見たいというか」
 少し恥ずかしそうなイヴィアに面食らいながらもシェルミールは頷いた。
「構わないが、私の後ろから出るなよ。お前まで術にかかるのは困る」
「わかったよ」
「……イヴィア兄さんが行くなら俺もいきたい」
 ジャックまでも言うので、少しためらったが結局頷いた。
「……万が一俺でも準備がいりそうな相手だったらセバール、お前が責任持って二人をこっちに引っ張っていけ。俺は大抵の魔術には耐性があるし、低級の魔法などの類いは無効化するガウンを持っているからな。俺は気にしなくていい」
 そう言って荷物の中からガウンを引っ張りだして身につけた。賢者の紋章の入ったそれを、三人は眩しそうに見る。
「兄さん、かっこいい。本当に賢者さま、なんだね」
 目を輝かせるイヴィアに少し照れくささを感じながらもシェルミールは気を引き締めた。
「なんと言えばいいかわからんが、まあ、そうだな。セバール、改めて頼む」
「はい。では行きましょう」
 四人はセバールに案内されて離れへやってきた。離れに入ると先ほどのメイドたちが退屈そうに過ごしていた。
「なんだよ、結局こっち来るのかよ」
 アマンダが呆れたような顔をするがシェルミールのガウンを見て顔色を変える。
「……あんた、魔術師って本当だったの? しかも賢者さま、だっけ?」
「嘘だと思っていたのか?」
 セバールが呆れたように言えばアマンダは肩をすくめる。
「あのクソ旦那の息子が、そんなのになれると思わないから。イヴィア坊ちゃんもジャック坊ちゃんも確かにあのクソの遺伝子受け継いでるとは思えないくらい立派だとは思うけど、魔力なんてないから」
「……俺は、というより俺達全員母親が違うからな」
 シェルミールの言葉にアマンダは目を丸くし、舌打ちする。
「……ほんとあいつ、クソ」
「知ってるさ。そして俺達は残念ながらあいつのお陰でこの世にいる。悲しいことだがな」
 自嘲してシェルミールはセバールを促して目的の部屋を目指す。部屋の前まで来てシェルミールは魔力を探る。
(常時微量の魔力を放っているな……一般人にはこの程度で済むのか。それにしてもこの感覚、何処かで覚えが?)
 少し考えるが覚えがある、から脱しきれなかった。
「大丈夫そうですか、坊ちゃん」
「……いけなくはなさそうだが」
 セバールにそう返した時だった。中から女の声がした。
「ねえ、ダーリン。わたし、今度はあの金の時計が欲しいの。最近出回ってるあの、金の大時計」
 甘ったるい媚びた声。その声に聞き覚えがシェルミールにある。だが、何処だったか。考えていると父、ライノール伯爵の声が聞こえた。
「ああ、いいとも! すぐに手配してみせよう! かわいいお前のためだ、メリア」
「メリア……?」
 名前に引っかかりを覚える。メリア、メリア……
「……思い出せないから多分、たいしたことはないな」
 シェルミールは、そう結論づけた。セバールに目配せするとセバールがノックする。
「なんだ? いいときに」
「申し訳ありません、旦那さま。お会いして頂きたい方がいらしておりまして」
「はあ? 誰だ」
 その言葉を聞いてシェルミールは勢いよく扉を開けた。
「よくも馬鹿なことを繰り返せるものだな。いい加減に?」
 乗り込んだ部屋の中で父は椅子に腰掛けている。その膝の上にショートヘアの見目麗しい美女が座っていた。美女と目が合った瞬間、くすぶっていた記憶が蘇る。
「……筆記試験の女王メリア・バートン?」
「そのあだ名やめなさいよ! てか、え、どういうこと!? なんであんたがここにいんのよ! シェルミール!」
 慌てた様子で立ち上がった美女メリア・バートンは、シェルミールの魔法学校時代の同期生である。彼女は大変に優秀だった。そう、筆記試験においてだけは。
「実技がからっきしだったポンコツとして有名だったじゃないか、お前」
「ぐああああ! それ! あんたのそういうところ、だいっきらいよ! 人の気にしてることあげつらって楽しい?」
「お前の場合は純然たる事実だろう。あと、俺も別にお前のことはどうとも思っていないから嫌いで結構だが?」
 淡々と冷めた目で告げるシェルミールにメリアは美しい空色の瞳を歪ませる。
「ああああ! ていうか、本当にどうしてこんなところに」
「……そのクソは残念だが俺の実の父親でな。最近、あまりにも不甲斐なさ過ぎて家の財産が減る一方で困っていると弟たちから救援を頼まれた。お前が原因か」
「うっそでしょ!? 名字違うじゃん!」
「このクソと同じ名字を名乗っていたくなかった」
 心からそう思っているといわんばかりのシェルミールにメリアは呆けるが、すぐに持ち直す。
「あ、ああ、そう。まあいいわ。結構いい思いはさせてもらったけど、まだまだ欲しいものはあるし。何よりにっくきあんたの父親なんて、ふふ。搾り取れるだけ搾り取ってやるんだから」
「別にそいつが野垂れ死のうが俺は構わんが、巻き込まれる弟たちと使用人達が哀れだからな。悪いが追い払わせてもらうぞ」
「あっはっは! 昔のあたしと同じだと思わない方がいいわよ! なんたってあたし、呪術師だから!」
 そう言って空中に術式を描く。シェルミールは防護魔法を展開しようとして、ふとメリアの術式を見る。
「ん? お前のその術式は」
「気づいた? 気づいたなら受けなさい! あんたには絶対に解けない呪い、かけてあげる!」
 そうして放たれた魔術はシェルミールを直撃する。シェルミールは敢えて避けなかった。
「に、兄さん!」
「お、おい、大丈夫なのかよ!」
「……平気だ」
 慌てる弟たちにシェルミールは頷く。しかしメリアは勝ち誇った顔をしてみせる。
「はは! 馬鹿ね、まともに受けちゃって。これであんたは早ければ三日後に死ぬわ」
「……随分猶予をくれるんだな?」
「あら、情けよ。だって、あんたには」
 にいっとそれはそれは楽しそうにメリアが笑う。
「心からあんたを愛してくれる相手なんていないでしょうからね! その呪いはあんたを愛してくれる相手からのキスを受けないと解けないわよ」
「わあ、なんておそろしいのろいだー」
 全く感情のない顔でシェルミールが言えばメリアが頬をひきつらせる。
「……ねえ、その顔、全然問題ありませんって顔してるけど?」
「いや、まさか……思ってないぞ」
「いやいや、ちょっと、めちゃくちゃにやけてるけど? え、ちょ、え? 嘘でしょ? あんた、解ける、の? 鬼畜、人に興味ない、魔術書だけがお友達状態のあんたに……そんな相手いるわけない……」
 信じられないものを見るような目でシェルミールを見るメリアに、シェルミールは思わずそれはそれは楽しそうに笑ってみせた。
「感謝するぞ、メリア。初めてお前に感謝するぞ。は、ははは!」
「え、ちょ、は、あ? いい、いいこと!? セフレとかじゃ駄目なのよ? 相手もあんたのこと愛してるって言い切れるくらいの相手じゃないと」
「分かっている。むしろそれを聞いて安心した。ふ、ふふ」
 シェルミールは興奮を抑えきれないというような顔をしてみせる。メリアが呆然としているうちに、シェルミールに集中していたために魅了の魔術が解けてしまったらしい。ライノール伯爵の目に光が戻った。
「はっ!? わ、わたしは、今まで、なにを!?」
「あ! しまった、術が途切れ」
「おい」
 シェルミールがライノール伯爵に、それはそれはドスの利いた声をかけるとライノール伯爵は目を丸くした。
「しぇ、シェルミール!? 何故お前がここに」
「正気に戻ったのなら、その女を憲兵に差し出せ。そいつは魔術でお前を魅了し財産を根こそぎ奪おうとした輩だぞ」
「な、なんだって!?」
「はっはん! 悪いけどとろい一般人に捕まる程じゃ」
 そう言って逃げようとしたメリアをシェルミールが術で捉える。
「影よ、かの者を縛れ」
 メリアの影がメリアの体を瞬時にとらえ縛り上げる。
「ひぐうっ! い、いったい!」
「憲兵が来るまで大人しくしていろ。状況証拠、そして」
 にいっとシェルミールは笑う。
「この俺に呪いをかけた。この事実だけでお前の処遇は良くて地下牢、悪ければ……どうだろうな?」
「ひ、ひい! しまった、こいつ腐っても賢者だった」
 青ざめるメリアにシェルミールは大変に機嫌良く告げた。
「賢者に呪いをかけるその愚かさ、牢屋でたっぷり思い知ることだな」
「い、いやあああ! た、たすけてえええ! ていうか、それも踏まえてわざと受けたわね!?」
「当たり前だろ? この程度、今すぐにでも解けるが……個人的に大変興味深く美味しいのでそのままにしておく」
「美味しい!?」
 メリアの驚く顔を無視してシェルミールは機嫌良く笑った。
「とんでもないことに巻き込まれたと思ったが、こんなにいい土産が手に入るとはな……」
「この呪いを楽しもうとしてるってことは……あんた、まさか……まさかのまさかだけど恋人が、いるの?」
 メリアの恐ろしい者を見るような目にシェルミールは満面の笑顔で返す。
「ああ、いるが? 綺麗で可愛くて優秀で、誰にも渡したくないくらい愛している恋人がな」
「は、はああああ!?」
 メリアが驚いている横でライノール伯爵もセバールも、イヴィアも、ジャックも呆然とした顔でシェルミールを見ている。それはそうだ、彼等は知っている。シェルミールが、人間嫌いで、他人に無関心な男であることを。なのに、今、この目の前にいる男は
「ぼ、坊ちゃん。恋人が、できた、のですか?」
「ん? ああ、最近だがな」
「に、兄さんに恋人?」
「は? まじかよ……あんた、寄ってくるメイドもゴミみたいに見てたのに」
「あんな俺の肩書きというか、そこのクソの財産を目当てによってきていた奴らと一緒にするな。あいつは……アインは俺が何をしてでも側にいて欲しいと願った唯一の人間だからな」
 アインのことを語るシェルミールの表情の柔らかさに全員が面食らう。ライノール伯爵ですら驚きすぎて一言も発せないほどだ。
 そうこうしているうちに憲兵がやってきた。シェルミールはメリアを引き渡し、自分にも呪いをかけてきたと証言。憲兵の一人に魔術師がいて、その証言が正しいことはあっさりと証明された。
「なんという……シェルミールさまに呪いなどと」
「まあ、大したものではない。こいつを逮捕してもらうためにわざと受けた程のものだ。二度とこの家に関わらないと誓ってくれればいいが、まあ……多少は痛い目にあってほしいな」
「お任せください。シェルミールさま。必ずその不敬者に相応しい罰を与えます故」
 敬礼する憲兵に適当に挨拶してシェルミールはライノール伯爵に顔を向ける。
「これに懲りたら、せめて遊ぶ相手は今度からきちんと選べ。見目だけじゃなくな」
「ああ……す、すまん」
 珍しく殊勝になる伯爵にシェルミールはため息をついた。
「俺にではなくイヴィアとジャック、そしてセバールたちに謝れ。お前が馬鹿なことをして辞めさせられた使用人たちにも。お前の取り柄は商才だけなんだ。さっさと金を稼いで使用人達の給与を補填しろ」
 言うだけ言うとシェルミールは背を向けた。
「さて、用事は済んだから俺は帰る。それではな」
「兄さん……もう帰るの?」
 イヴィア、そしてジャックの僅かに不安そうな顔にシェルミールは、安心させるように笑った。
「今日は帰るが、私が必要そうならまた呼べば良い。商売のことは期待するな? 私はあくまで魔術師だからな」
「坊ちゃま」
 セバールがシェルミールを見つめて声をかける。
「是非、坊ちゃまの恋人にご挨拶をさせてください。私の知る貴方であれば、恐らくきっと今日、ここには来られなかったでしょう」
「……そうだな。確かに一度は辞めようと思ったが、あいつが言ったから足を運んだに過ぎない。気が向いたら連れてくる」
「なるべく早く気が向いてくださるといいのですが。私も歳なので。その方にお礼をお伝えしたい」
 真剣なセバールの言葉にシェルミールは困ったように笑った。
「お前の頼みならば聞くしかないな……あいつが頷いたら連れてくる」
「お待ちしております」
「僕たちにも挨拶をさせてね、兄さん」
「……興味ある。あんた、昔、そんな顔して笑わなかった」
 弟二人にまで言われてしまいシェルミールは苦笑した。
「そうだな……俺も自分がこんなに笑える人間とは思わなかったよ」
 そう告げてシェルミールは窓から外に出た。そして頭上に印を描く。
「来たれ、飛竜。我が足となり、我が翼となり空を駆けよ」
「キュアアアアアアン!」
 印が発光し、光から飛竜――レッドドラゴンが現れた。ホルプとアインに名付けられた、あの飛竜である。
「す、すごい……」
「ど、ドラゴン!? あ、兄貴、ドラゴンを呼べるのか?」
 イヴィアとジャックが興奮したようにシェルミールを見る。シェルミールは一瞬驚いて、すぐに優しい顔をした。
「次、来た時に晴れていたら乗せてやる。それでいいか?」
「う、うん!」
「絶対だからな!」
 喜ぶ二人に頷いてシェルミールはレッドドラゴンの背に乗った。
「毎度悪いが、家に帰る。頼むぞ、ホルプ」
「キャワアアアン!」
 ドラゴンは吠えると空へ舞い上がった。そうしてシェルミールを乗せて真っ直ぐに飛ぶ。シェルミールを落とさない程度に速度を上げてシェルミールの屋敷に向かう。アインが待っている、屋敷に。
「とはいえ、安易に約束してしまったな……まあ、あいつのことだから絶対に嫌だとは言わなさそうだが」
 シェルミールがぼやいている間に、列車で数時間の距離がみるみるうちに進んでいく。伯爵の屋敷を出たのは夕刻になろうとしていた時間なのに、今はまだ太陽が沈みきっていない。関心しているうちにもう見えてきた。
「今度からお前で行こう……そうしよう」
「ギャオ?」
 とはいえ、今は大分テンションが高いために眠くないだけで行きは眠すぎたために列車で行ったのだが。
(結局もしアインを連れて行くとしても列車かもな)
 なんだかその予感だけは当たりそうな気がした。

*********

 アインがそれこそ夕食の支度をしようと思っていた時だった。外からドラゴンの鳴き声がして、ついで――朝出て行ったはずのシェルミールの声と気配がしたので大層驚いた。
「え? も、もう?」
 久しぶりに一人の夜なので寂しさを紛らわすために精霊たちでも呼ぼうかなどと考えていた矢先である。とはいえ、一旦戻ってきただけというのも考えられる。あまり期待しないようにして気配がする中庭に通じる扉を開けた。そこにはレッドドラゴンとその鼻を撫でるシェルミールの姿があった。
「ミール?」
 恐る恐る呼べばシェルミールが気づいてこちらを向いた。アインを見て表情がほどける。
「アイン……ただいま」
「お、おかえり。もう終ったのか?」
「ああ。幸いな」
 言うなりシェルミールはアインを抱きしめる。抱きしめられてふとアインは違和感を感じる。
「ん? お前、何か術? いや、呪い受けてないか?」
「ああ」
 あっさりと認めるシェルミールに驚いてアインが叫ぶ。
「なにやってんだ! お前! ていうか感覚的にそんなに強くないやつだろ? なんで解かないんだ」
「解いてくれ」
「は?」
「愛する人にキスされないと三日以内に死ぬ呪いらしい」
 笑顔で告げるシェルミールにアインは目眩を覚えた。この男は――確実にそのキスされないと云々の所に気づいてわざと受けたのだ。
「……お、お前なあ! 下心ありきで受けただろ! 馬鹿だろ」
「まあ八割はな。残り二割は経験したかった。呪いを受けて正攻法で解くという感覚のな」
「なんだそれ……ていうかお前、なんか女の香水みたいな匂いがめちゃくちゃするんだけど」
「そうなのか? すまん、自分では分からん。あの男のハレム扱いの場所に入ったからな。移ったのかもしれない」
「入っただけでこんなに匂うのか?」
 不満そうなアインの顔をシェルミールは新鮮な気持で見ている。
「……まさか、嫉妬してくれているのか?」
「……悪いか」
 拗ねたようなアインの愛らしさにシェルミールは思わず抱きしめる。
「わっ! な、なんだよ」
「かわいい……アインが、俺の恋人が可愛い」
「……馬鹿にしてるのか」
「してない。興奮してる」
「興奮!?」
 驚くアインにシェルミールは抱きしめたまま告げる。
「お前に嫉妬してもらえる日が来るとは……嬉しい」
「嬉しいのか?」
「お前はあまり嫉妬してくれないからな。お前の愛を疑っているわけではない。だが、その……愛されてると強く感じる」
 シェルミールの言葉にアインはシェルミールの腕の中で不満そうに呟く。
「……嫉妬くらい、いつもしてる」
「……今、心臓がとまりそうなくらい興奮する言葉が聞こえたんだが」
「興奮で止めるなよ……はあ、もう」
 むすっとしながらもアインはシェルミールから少し体を離してシェルミールを見上げる。
「……解いて欲しいのか?」
「ほしい。解けてもキスはずっとしていてほしい」
「馬鹿」
 ぐっと引き寄せられアインがシェルミールの唇に彼の柔らかな唇を重ねる。ついばむように、そして求めるように絡められた舌先にシェルミールは気分を高揚させて自らも舌を絡め、吸い付く。何度も何度も繰り返しているうちにシェルミールの心臓に必死でしがみついていた何かがパキンと壊れたような感覚がした。
「……はあっ。解けたか?」
「ん……解けたな。ちっ、あっさあり解けたな」
「お前な……そりゃかなり弱い感じの術だったし、お前の魔術耐性で殆ど意味無い感じになってたけど、呪いは呪いなんだから気をつけないと」
「相手が知ってる相手で、なおかつポンコツと知っていたからな。そうでなければ流石に俺も抵抗したぞ」
「顔見知りだったのか?」
 アインの質問にシェルミールは簡潔に何があったか説明した。メリアのことを話すと何故か拗ねた顔を再びする。
「……美人なのか、その人」
「メリアか? まあ、そういう部類なんだろうな。学校時代はあいつのファンクラブというか親衛隊が出来ていたし」
 そしてその親衛隊の内部ではランクがあり、彼女に常に付き添い従う「ナイト」だの登下校の送り迎えをする「ビショップ」だとかいう役割が与えられていた。シェルミールはメリア本人に急に声をかけられ「ナイト」にしてやると言われたことがある。勿論秒で断ったが。
「……それって、その人はお前に少なからず気があったんじゃないのか?」
「そうなのか? 正直どうでもいいから気にしたことはなかった」
 基本シェルミールはアイン以外にどう思われても気にしない男である。
「……はあ、なんか焼き餅焼いてるのが馬鹿らしくなった」
「……だから拗ねたような顔をしていたのか。すまん、何故か不機嫌そうだが、可愛いなとしか思っていなかった」
「ば、馬鹿じゃないのか! お前は! いつも俺を見る度に可愛いとか」
「思っていることを言っているだけなんだが?」
 なんなら怒っていても可愛いと思う。何か考えごとをアインがしている時の顔は見惚れるほど綺麗だし、眠っている顔は愛しい。
「……馬鹿、ばあか」
「キャパオーバーになると馬鹿しかいえなくなるところも可愛くて好きだぞ」
「ばっか! もう、知らないからな!」
 拗ねて――というより恥ずかしさの方が勝ったアインはシェルミールを置いて屋敷に戻る。勿論シェルミールは追い掛ける。
「アイン……機嫌を直してくれ」
「……やだ」
 追い掛けてアインを後ろから抱きしめ、宥めるように頬や手に口づけるシェルミールに、アインは精一杯顔を背けて怒っていますアピールをしている。ちなみにシェルミールは一応表情こそ困っている風を装っているがアインが照れとキャパシティオーバーで怒っている振りをしているのが分かっているので必死ににやけるのを我慢している。
(今日は良い日だな)
 拗ねてる風のアインの機嫌を取るために愛を囁くのもキスを降らせるのもシェルミールにはご褒美でしかない。
「アイン、どうしたら許してくれる?」
 耳元で囁きながらこめかみに唇を落とす。後ろから抱きしめて時折アインの髪を撫でながらシェルミールはアインを堪能する。アインはしばらく頬を染めながらも怒っているアピールを続けていたが、何か思い立ったのかアインはシェルミールのほうへくるりとむき直るとシェルミールに抱きついてシェルミールの胸に顔を埋めてきた。
「……アイン?」
 シェルミールが恐る恐る尋ねれば、顔を上げたアインが、拗ねた顔を見せた。
「……やっぱり香水みたいな匂いがする。やだ」
「すまん。脱げば良いか?」
「ん」
 とりあえずガウンを脱げば再度アインが抱きついてきた。シェルミールは再びアインが満足するまで抱きつかれている。
(かわいい……かわいすぎるんだが)
 静かに悶えているとアインがやっと顔を上げた。先ほどよりは機嫌は直ったように見えるが、やはりまだ不安そうだ。
「ん? どうした?」
「……本当にはやく機嫌直してほしい?」
「ああ、ほしい。どうすればいい?」
 シェルミールが聞けば、アインが少し恥ずかしそうにして、小さな声で告げた。
「……抱きしめて、キス、してほしい。たくさん」
「は? ご褒美なんだが? いいのか、それで!?」
「な……!? じゃ、じゃあ、あと……」
「なんだ?」
「……た、たくさん、すきっていって」
 これでもかというほど赤くなりながら告げるアインにシェルミールは思わず真顔になった。
「なるほど、俺のご褒美タイムなんだな」
「ち、ちがう! うう、もっと恥ずかしがると思ったのに」
「恥ずかしくない、むしろもっとしたい」
「……じゃあ、俺がもういいって言うまでそれ以外したら駄目」
「……そ、うきたか」
 どうだと言わんばかりの顔に、シェルミールはうめく。
「確かにそれは、ある意味……苦行だ」
「お前スケベだもんな? 俺と毎日エッチしたいんだろ?」
「したい」
「素直すぎだろ……じゃあ、それで」
 楽しそうに笑うアインにシェルミールは、してやられたという顔をする。
「俺がしたくなるくらいたくさんキスして抱きしめて、好きっていって?」
 小首を傾げて妖しげに笑うアインにシェルミールは骨抜きにされたのだった。

*********

 時と場所は変わり――クロノス王国王宮魔法騎士団詰め所にて。クロノス王国には王宮魔術師と王宮護衛騎士の双方が所属する国王直属の組織がある。それが王宮魔法騎士団である。基本王宮内、特に王家の護衛任務が主となる。そのほかの任務にま王家または国家に関わる事柄の調査、摘発という任務もある。そして今回のメリアの件は魅了の魔術を使用した詐欺事件にあたり、一般庶民だけでなく一部の貴族階級が被害にあっており、加えて賢者であるシェルミールへの呪い付呪容疑が上がったために王宮魔法騎士団が出ることになったのである。大事になってしまった上に、相手は国王直属のエリート軍団。そして今回メリアの尋問担当は
「……」
 首に魔術発動抑制の装置、加えて手かせ、足かせ、そして口には自害防止のための口枷をされたメリアは絶望的な感情で目の前に座る男を見つめていた。
「容疑者名メリア・バートン。性別は女性。容疑は詐欺による金銭強奪容疑ならびに賢者シェルミール・ベルドハンド様への付呪容疑が上がっています」
 男の両脇に控えるのは魔術師風の男女。罪状を読み上げたのは女性魔術師――ラナンキュラス=アネモーネである。
「本人自称のクラスは呪術師ですが、呪術師協会にその名はありません。魔術師協会にて登録が確認されています」
 そう告げたのは男の魔術師――レイモンド・ファントム。彼こそがファントム導師の孫であり王宮魔法騎士団の筆頭魔術師である。そしてメリアの目の前に座り沈黙を守っている上級騎士風の青年――デビスト・クロノス第一王子の護衛官でもある。デビストは王宮魔法騎士団の副団長でもある。
(おわった……まさか黒獅子の王子が出てくるとか思わないじゃない)
 デビストの異名――黒獅子の王子とはクロノス王家を代々守護する黒い獅子の幻獣の加護を得ているという意味である。そしてこの黒獅子はかなり気まぐれで王家の人間であっても必ず加護を与えるわけではない。そのため、デビストが生まれるまで幻獣の加護は長らく王家に無かったのだ。久方ぶりの黒獅子の祝福を受けし王子として彼は国中で期待されている存在。本人も期待に添うよう研鑽に励み、昨年度満場一致で副団長の座に就任した。とにかくもそんな人物が、メリアの尋問に入ると聞いてメリアは既に死刑宣告を受けた気分である。しかも彼が連れてきた護衛のレイモンドと尋問補佐を務めるラナンも上級魔術師である。逃げる余地はない。
「こちらで確認できた情報は以上です、殿下」
「……わかった。では、尋問に移る。初めに先ほどこちらで調べ上げた情報の確認から入る。早く終らせたければ無駄話はせずに簡潔に事実を話すように。ラナン、頼む」
「承知しました。口枷を解除します。メリア・バートン、あくまでも尋問のための解除です。そして魔法や呪術の類いは発動しません。それでも発動させようとした時点で殿下へ危害を加えようとしたという容疑が加わるので命が惜しければ馬鹿な真似はしないように。死にたければご自由に。もしも私の魔術かレイモンドさまの炎のどちらが先に貴方を滅するのか興味があれば試しても結構ですが?」
 挑発するようなラナンの言葉にメリアは涙目になる。
「あんまり挑発すんな。本当にやろうとしたらどうする?」
「え? 遠慮無く消し炭にすればいいじゃないですか。大体……なんでよりにもよってシェルミール先生、わざと呪い受けてまでこの女こっちに寄越したんです? あいつ僕がここにいるって知ってて嫌がらせでやりやがったな……大体あの人が呪いなんて受けなかったらうちの管轄じゃないじゃないですか、こんな小物」
(こ、小物って言ったわね、この小娘)
 まだ口枷は外れていないので心の中で毒づいているメリアである。ラナンの発言にレイモンドは苦笑する。
「まあまあ……お前とシェルミールさまの因縁はさておいてだ。普通の奴なら何の策もなく、そして覚悟なく賢者に呪いなんかぶつけないって」
「普通はね? だけどこの女、情報みる限りただの考えなしですよ。ねえ、殿下?」
「……俺に振るか。まあ、見る限りでは、な?」
「ほらあ!」
 どうだといわんばかりのラナンにレイモンドは呆れる。
「俺だって思ってるよ。だけど仕方ないだろ? 陛下からの勅命だし。陛下はお前の恩師のファンだし」
「恩師じゃないですー。ただのくっそ腹が立つ先生と生意気生徒っていうだけの関係です! ああ、もう。陛下もあのクソのファンとか可笑しいですって! あの人、ただの変態ですよ!?」
「……10くらいの年の差じゃ驚けないくらいの例を知ってるから俺は何とも」
 レイモンドが遠い目をする。なにせ彼はファントム導師の孫――つまりあのローレライ導師のこともよく知っているということである。
「……ラナン? レイでもいいから、はやく尋問を終らせよう。お前達が仲が良いのは分かったから」
「殿下だって外せるじゃないですか。ていうか、尋問いります? 記録が増えるだけで面倒ですって、絶対」
「……」
「おい、こら、デビスト! それもそうだなって空気出すな! 尋問開始するぞ。口枷よ、罪人の言の葉を一時解放せよ。その口に真実を語らせるために」
 レイモンドが慌ててメリアの口枷を外す呪文を唱えた。途端にメリアの口枷は外れ地面に落ちた。
「……っ」
「ち、外しちゃったか。じゃあ、僕は一応記録はいりまーす。あんまりぺちゃくちゃ余計なことしゃべらないでね? 書くのだるいから」
「お前な……」
 呆れるレイモンドを他所にラナンは筆記具を準備する。デビストはラナンの準備が終るのを待ってからメリアに視線を向ける。
「それでは、尋問に入る。容疑者メリア・バートン。お前の基本情報は先ほど述べたもので正しいか?」
「……やだ」
「ん?」
 メリアは、急にぼろぼろと泣き出してしまう。
「うああああん! まさかあいつの父親だなんて思わなかったのよー! だって似ても似つかぬデブだしいい! だけどお金は持ってそうだったからいくらかもらったらお暇しようとしてたのに、まさかあいつが出てくるなんて思わないじゃない!」
「あ、はい」
 あまりのメリアの様子に思わずデビストも普通に返事をしてしまう。
「大体……初恋だったのよ」
「は!? あれが? 趣味悪いでしょ」
「おい、そこの記録係ー、茶々いれるな」
 レイモンドが思わず反応してみせたラナンを注意するがメリアはラナンの発言に火が付いたのか、ぼろぼろと話し出した。
「だって、昔から顔はいいんだもん。しかも初めてだったのよ……あたしが声かけて興味ないって感じでふってきたの。みんなアタシに甘い顔してきたりスケベな目で見てきてたのに」
「なるほど。新鮮な対応に恋と勘違いした系だね?」
 ラナンがなるほどと頷きながら相づちをうつ。
「なんだよ、急に女子会始ったんだけど」
「……尋問じゃなくなったな」
 レイモンドとデビストは黙っておくことにしたらしい。尋問を放棄してしばらく好きに語らせることにした。
「あの呪いだって、別に本気で殺したくてやったわけじゃないわ。ちょ、ちょっとだけ下心が入っちゃったけど」
「どんな下心?」
「……あいつが恋人なんてできるはずないって思ってたんだもん。ちょっと焦らせて、もし本当に困ってたら、あ、あたしが、その」
「ははーん? キスして解除してあげようって思っちゃったわけ? 思考が乙女でお花畑すぎでしょー。腐っても賢者ですよ、あいつう」
「分かってたつもりだけどお……はあ、恋人できちゃったのかあ。あんなに他人に無関心な男だったのに……はあ」
 本気で落ち込むメリアにラナンは思わず心配した声をかける。
「……まだ好き?」
「……うう。あんな思いやりのかけらもない男なのに……ね。あああ、やっぱり久々に実物見たけどかっこよかった」
「ええ……かっこいい? まあ、悪い顔じゃないとは思うよ? でもそんなため息ついちゃうほど? 中身あれだよ?」
「分かってるわよおお! 初恋引きずりすぎなことも分かってるのお!」
「はあ、これは重傷だなあ……絶対にやめておいた方がいいってば!」
 二人の恋バナ談義を眺めながらレイモンドとデビストは互いに目を合わせた。
「……なあ、いつまで放っておくんだ? これ」
「……正直、もう適当に書類書かせて釈放でいいかなと思ってもいる」
「じゃあもうそれで行こうぜ。まあ、とりあえず手元の金目のものは没収で」
 と二人が話し合っているとメリアがデビストとレイモンドを睨んだ。
「ちょっと! あたしがもらったものはあたしのよ! 渡さないわよ」
「金には強く反応したよこいつ」
「はあ……とはいえお前が奪ったもののいくつかは王家からの譲渡品もいくつかある。処分してしまっていないものは回収させてもらう」
 デビストの言葉にメリアは叫んだ。
「え、えええ! やだー! 失恋した上にお金も取られるとかやだー」
「やかましいわ。そもそもお前が、シェルミール様に呪いかけなかったら良かった話だろうが!」
 思わずレイモンドが怒るとメリアはふてくされる。
「だからあ、一発逆転? みたいなの狙っちゃったの! あいつに恋人なんてできるはずないって思ってたんだもん。ていうか、もう解除しちゃってるみたいね。自力かその恋人に解いてもらったかはしらないけど」
「僕にはわかる。なんだかんだ言ってアインはあのクソのこと大事だから、きっと……解いてあげたんだ。あー、腹立ってきたなあ、あのクソ賢者」
「おちつけ、ラナン」
「おちつけなーい! やっぱりやだー! せめてもうちょっとまともでお金持ちなイケメンか美女がいいよお、アインくんの相手は」
 駄々をこねるようにラナンが叫ぶと呆れた様子でレイモンドが宥めるようにその頭を軽く叩いた。
「仕方ないだろ、お前の話だと惚れてんだろ、そのアインってやつも」
「そうなんだよ! 目を覚ませと言ってるのに! 好きなんだって! お姉ちゃんは悲しい」
「本当の弟じゃないんだろ?」
「気持は本当の姉弟です!」
 わあわあと今度はラナンとレイモンドが騒ぎ始めたのでデビストはどうしたものかと考える。メリアはため息をついた。
「はあ……ほんとついてない。だけど、あいつにあんな顔させられる人間がいたのね」
「あんな顔?」
 デビストの聞き返しにメリアは目を細めた。うらやむような、眩しいものを見るような、そんな目を。
「本当に大切で、幸せを噛みしめたような、そんな穏やかな顔だったの。あたしはあんな顔、見たことなかった」
 メリアが見たことがあるのは、暗い、何処までも人を拒絶するような光のない瞳。
(まるで――世界を恨んでいるような目をたまにしてたのに)
 時折ぼうっとしていることがあった。そんな時の彼は必ず空を見ていた。うつろな目で、まるで空が青いことすら許せないような顔をしていた。
(あの目をしているときは本当に人が違っているような程、荒れてたし、酷いときは訓練場で上級生をぶちのめしたりしてたものね。それが、あんなに丸くなっちゃって)
 恋とは恐ろしいものだ。


 本当にそれが「恋」なのかは分からないけれど。


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