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4 黒雲立ちこめる時も恋人たちには無関係で
しおりを挟むとある日の特級クラス、三年生の教室である。教壇に立っているのはアインである。本日の講義は生徒たちからのリクエストで精霊学初級と銘打った内容である。
「そもそも精霊とは何だってところから話を始めないといけない。で、お前らは、どういう解釈なんだ?」
アインの問いかけに生徒達は考えるような素振りを見せる。ちなみに本日はシェルミールが教室の後ろの席でアインの授業を聞いている。
「はい!」
「どうぞ、アンナ」
アインが促せばアンナは自信満々で答える。
「今はあんまり見なくなったけど五大元素を象徴する存在。今主流になってる幻獣や魔獣の先触れみたいな存在だと思います」
「五大元素とは?」
「え!?」
アインの追加の質問にアンナは困惑する。
「ご、五大元素は五大元素」
「……はあ。辞書や教本の受け売りは聞いてないぞ、俺は」
「うわあん。シェルミール先生みたいなこと言わないでよお」
アンナの泣き言にアインは呆れた様子で笑う。シェルミールはため息をついた。
「五大元素って火、風、水、空気、土、じゃねえの?」
「それも当たりだ」
「それも?」
ザイールが代わりに答えたが、アインの求めている答えではなかったらしい。
「そもそも五大元素は魔法史を学べば分かることだが、時代、そして支配者によって定義が異なっている。現在は、さっきザイールが答えたものが主流だな」
「もっと細かいことを言えば魔術体系でも違う。錬金術師たちは火、風、水、エーテル(空気中に漂っている不可視のエネルギー)、土を五大元素と定めている。今は、な。少し前はエーテルが宝石などを示していた。今は産出が少なくなっている天然の魔法石のことだ」
シェルミールが補足すると生徒たちは驚いた顔をする。
「え、ええ!? じゃあ、五大元素って言ってももしかして同じ魔術師でも通じないことがあるってこと?」
「その通りだ。混乱を避けるために現代では基礎教本には五大元素の基本を火、風、水、空気、土と表記こそしているが、魔術師それぞれで専門としている魔術によってはがらりと違うことがある。そしてアインの言う通り時代の定義まで含めてしまえば一概に五大元素といってもどの元素を示すか分からない」
他の生徒の悲鳴にシェルミールが更に追加をすると生徒たち全員が息を吐いた。
「じゃあ、精霊ってなに? 俺達はアンナが言うように五大元素を象徴する存在だと思ってたけど」
「それが精霊学だ」
「え!?」
ザイールの言葉にアインが答える。
「そもそも古代帝国が滅んでから精霊そのものの存在意義、存在価値が薄れてしまっていて精霊自体に対する理解、知識が現代ではほぼ皆無だ。だから精霊学は、そもそも精霊とはという根源的な解明を求めるものとなってる。現代はな」
「古代は違ったんですか?」
アインの説明に生徒の一人が首を傾げる。
「古代最大の帝国、サンライズ帝国が滅ぶまでは残っている古代資料を読む限り彼等は精霊を“神”として扱っていた。もしくはそれに次ぐ高次元の存在として」
「神様……信仰の対象だったってことですか?」
「そうだ。精霊を信仰することで信仰という人間の精神エネルギー、または定期的に開催される式典や祭りにて多くの人間の魔力を精霊に捧げることで彼等の存在を維持、安定させていた。それによってかの帝国は強大な力をもつ今で言う魔神クラスの精霊を召喚、また生み出していたという説もある」
「説、なんですね」
「そりゃな。大体資料があんまり残ってない。俺のさっき話したものだって数年前までは俗説扱いでアカデミーでは絵空事扱いされてたものだ。最近、資料の一つの解析が進んでこの説も俗説扱いではなくなった。また数年後は分からないけどな」
「へえ、すごーい。古代の資料なんだから古代文字ですよね? しかも神代末期って滅茶苦茶面倒くさい装飾まじりの文字って聞きましたけど。それを解析できる人がいるんですか」
素直に感心するピモットという男子生徒の発言にアインは、ちらりとシェルミールを見る。
「お前の後ろで偉そうにふんぞりかえってる賢者さまが大得意だぞ」
『!?』
生徒全員がシェルミールを見る。シェルミールはアインを見た。
「なんだ? お前の大好きな研究の助けになっただろう?」
「はいはい、ありがとうございます。おかげさまで書いてた論文に使おうと思ってたやつが間違いみたいな空気になったんだよ!」
「お前が結論を急ぐあまりに飛ばしまくるからだろう。大体アカデミーには送らないってこの前話したんだからきちんともっと資料に当たれ。あと、お前自身がやっている精霊調査をまとめればいいじゃないか。おまけにお前の守護精霊は上位精霊なんだろう? その上位精霊のことをまとめるだけで充分賢者の称号に至れる」
シェルミールの言葉にアインは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「……なんか友人を売るような感覚がしていやなんだよ。物心つく頃から見えてたし、一緒に遊んだりしてたし」
精霊の愛し子であり、前世の記憶もある程度しっかりあるアインにとって精霊は友人である。恐らく彼の現世での経験を書くだけでも相当な学術貢献にはなるはず、なのだが。アインはどうしてかそれをするのははばかられた。
「それに学問的なアプローチするなら俺みたいな特異例じゃなくても至れる結論とか結果じゃないと意味ないってお前が言ったんじゃないか」
「まあな。そのほうが魔術研究としては正しいあり方だ。なら余計にお前は論文を書くことを急ぐべきではないだろう? 大体当たってる資料がお前は古いものが多いんだ。新説も出ているんだからそちらも見てから書けと何度も」
「うっるさーい! わかってるんだって! わかってるけど読む本読む本お前の名前が書いてあってイラッてするんだよ!」
アインの爆弾発言に生徒達は目を丸くする。一方、シェルミールは呆れる。
「どいつもこいつも……精霊召還の考察に入る度に賢者シェルミール・ベルドハンドの著書によれば、ばっかり書きやがって……幻獣召還と精霊召還は似て非なるものだろうが!」
「一番比べやすいんだから仕方ないだろうが。大体、現代の精霊召喚術はシエルードの幻獣召喚術を参考にしている。その流れを汲んで組み直した私の幻獣召喚術式を参考にするのは可笑しくないだろう?」
「分かってるよ! だけどなんか……なんか腹立つ」
「個人的感情で俺の名前が出る度に本を投げ飛ばす奇行をやめろ。まじめに読み込め」
アインとシェルミールのやりとりに生徒たちは呆けている。
『アイン先生ってシェルミール先生のこと嫌いなのかな?』
『違うよ。好きだから突然文字でも名前出てくると恥ずかしくなって読み進められないんだって』
『え、ほんと?』
『だってこの間、図書室で悶絶してたから聞いたらそう言ってた』
「そこ! 何をごちゃごちゃ言ってんだよ!」
アインが生徒達の内緒話に気づいて声をかけるとアンナが生温かい笑みを向けた。
「アイン先生がシェルミール先生大好きだから文字でも名前見るだけで動揺しちゃうって話」
「ばっ!? おま、なんでここでそういうことい」
「ほう?」
「違う違う、違うからな!?」
真っ赤になって否定するアインに、それはそれはにやけ顔が止まらないシェルミールの構図を見る羽目になった一同である。
「シェルミール先生の名前が出てこない本って近年のやつであるかな?」
「最近のやつならないんじゃない?」
「だから、違う。違うからな!?」
「違うならシェルミール先生の名前のところに付箋貼って目に入らないようにして頑張って読もうとしてるあれは何だったの?」
「だから、アンナ! お前は一々一言多いって言うだろ!」
「……あとで個別指導だな、アイン」
「いらない!」
「必要だろう。師匠としては心配するレベルなんだが?」
「だから、違うって言ってる!」
そんなことを言ってると終了の鐘が鳴ってしまった。
「……終ります」
疲れたように教本を閉じるアインに生徒たちがいう。
「アイン先生、次回も続きして」
「もうしない。絶対しない」
「してよー。だって先生の精霊に関する定義聞いてない」
「そうそう」
「シェルミール先生に任せます」
「私は幻獣と魔獣が専門だからな。次こそきちんと授業を頼むぞ?」
ニヤニヤと笑うシェルミールをアインは睨み付けるが顔は真っ赤で目が潤んでいるために全く迫力がない。
『個人指導って何するんだろ?』
『まじめにやるなら慣れるまで読み込めって言うのかな?』
ひそひとと生徒たちが話している間にアインはシェルミールと研究塔に戻っていた。
*********
「で、本当の理由はなんだ?」
研究塔のシェルミールの部屋にて、アインはシェルミールの前に座らされていた。
「……なんのことですか、先生」
「とぼけるな。論文を急ぐ理由はなんだ? アカデミーには送らないと約束しただろう? どうしても送るならまず私に見せろと話したはずだが?」
厳しいシェルミールの目にアインは顔を背ける。
「別に……さっさと書き上げたいだけだ」
「それだけか?」
「……」
「アイン。今はお前の師匠として聞いている。急に舵取りを変えたのは何故だ? 先日までは確かに面倒そうにはしていたがきちんと新説の載っている論文集など目を通していただろう?」
シェルミールの視線をアインは避けていたが、逃げられそうにないと悟り渋々口を開いた。
「……クロノス王国所蔵の門外不出の資料を……読みたくて」
「……例のあれか。期日までに論文を提出し認められた者のみへの限定公開の話に飛びつこうとしたのか」
最近クロノス王国の王宮魔術研究所にて保管されている門外不出とされている精霊召還に関わる資料を限定公開するという旨の知らせがアカデミーを通じて魔法学校にも届いたのである。アインとしてはどうしても読みたかったのだが、条件として期日までに論文を一本以上提出しそれが認められれば、という話であった。
「うう……分かってんだよ、頭では。急いで書き上げた考証適当にしたやつなんて見向きもされないのは。だけど……」
「分かっているなら尚更駄目だろうが。見たい気持は分からんでもないが、急いで書いたものの粗は読み取られるしお前の研究の価値を下げるぞ。それこそお前の大事にしている友人達の価値を下げる」
「……はい。今回は諦めます」
まじめにシェルミールに怒られアインは素直に頷いた。
「大体、本当に公開するか分からないぞ? しかも全部とは限らない。一部分しか見せず、後は論文を取り上げられて終りなど割とよくある話だ」
「……姉さんにも聞いてみたんだけど、管轄が違うから姉さんも詳しくは知らないみたいで。姉さんの上司でファントム導師のお孫さんのレイモンドさんも詳細は聞いてないって」
「それなら尚更辞めておけ。いくら管轄は違うとはいえ上層部に近いラナンも、その上司も知らないとくれば研究所の連中の独断の可能性がある。大体、論文提出が条件というのが気に入らん。しかも条件が、アカデミーに未提出のものに限るとあっただろう? 本当に善意での公開なら、アカデミー提出済のものでもいいはずだ。実績が知りたいだけなら尚更な」
「……まあ、確かに。だけど王宮管轄の研究所の独断ってあり得るのか?」
「別に珍しい話じゃない。しかもこれまで世におおっぴらに出していない資料を持っているとなれば尚更。管理権を与えられて舞い上がった馬鹿が独断でやらかした話なんぞいくらでもあるぞ」
そんなことを話していた時だった。窓をコツコツと叩く音が聞こえてアインとシェルミールが窓の外を見る。小さな鳥の姿を模した風の精霊が何かをくちばしにつけている。アインは窓を開けて精霊を招き入れた。
「姉さんの魔力を感じるってことは……姉さんの使いか」
くちばしにつけているのは小さな魔法石だった。アインが受取ると精霊が魔法石に吸い込まれる。同時に魔法石からラナンの声が聞こえた。
『アイン? ラナンだよ。この間話してた例の研究所の件だけどね、論文送ったら駄目だからね? なんか副所長の独断だったみたいで今、こっちドタバタしてるんだ。アカデミーには論文提出の話は取り消しをお願いしてるけど、結構な回覧をしちゃったからどさどさ論文来ちゃってて所長が必死にお詫びの手紙書いて送り返してるの。副所長は罷免になるし、問題の資料は改めて陛下が直に管理するって研究所から取り上げたから多分、一般公開はないと思う。じゃあ、取り急ぎ用件だけ伝えておくね』
ラナンの声が消えると魔法石は形を保てなくなり消失した。
「ほらな。やはりろくでもない話だったな」
「……ええ」
「良かったじゃないか送る前で。まあ、お前が念のためにラナンに確かめたのが功を奏したんだろう。今の連絡通りなら数日以内にアカデミーから再度文書が回ってくるだろうな。アカデミーも大変だろうな。文書回覧担当者は今頃顔真っ青じゃないか?」
「だけど回してくれって言われて回したなら責任そこまで問われなくないか?」
アインの言葉にシェルミールは首を振る。
「いいや。最高顧問のローレライ導師の考えはともかくアカデミーは仮にも全魔術師、魔術に関わる者全てに称号を与える立場にある機関でもある。その機関が精査もしなかった内容の文書を回覧させたとなれば……アカデミーを元々よく思っていない連中にとってはいい攻撃のネタになる。勿論批判くらいでアカデミーが潰れることはないだろうが、アカデミー批判の種を作ったとして責任問題になるだろうな。アカデミーに居座っている老賢者や老導師どもにこれでもかと責められるだろうな」
「……こわ」
「ああ、だから行く必要はないと言っている。あそこは本当に研究だけしていたい連中ばかりではない。行き場所がない権威に取りすがっている連中が仕方なく身を寄せている場所でもあるんだ。最高顧問のローレライ導師が万が一アカデミーを辞めるとか、なくすと言えば一瞬で消え去る場所でもある。あの人がいるから、皆、アカデミーを守るしアカデミーに一定の敬意を払う。なにせあの人が、多くの魔術書や魔術師を保護し続けてきたからこそ今の我々が一定の地位を保てている。シエルードを近代魔術の祖という者が多いが、ローレライ導師こそ近代魔術の祖であり古代魔術の守り手だろう」
「改めて考えるとすごい人なんだな、ローレライ導師って」
「そりゃそうだ。それこそ、あの人が分からない魔術なんてないんじゃないかと言われているくらいだ。とはいえ、彼と並んでいる他二人の導師も相当だがな。ファントム導師に至っては俺は頭が上がらん。あの人がシエルードの召還術式を画期的なものと証明し、世に広めた。俺が改良を加えるときには大分手助けしていただいたしな」
「……最近、そんな恩人に色んな意味で迷惑かけた奴がどの口をって感じなんだが?」
アインが半目で睨むとシェルミールが少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。
「お前が俺のものにさっさとならないから悪い」
「はあ!? 俺の論文わざと送らなかった奴に言われる筋合いない! 大体……学生時代にはそんな素振り見せなかったじゃないか。卒業した途端ベッドに引っ張り込むやつがあるか!」
「これでも我慢したんだ。生徒に手を出すのはいかがなものかと」
「卒業したら大丈夫判定が緩すぎだろ! まったく……うう。姉さんに散々男の趣味が悪いって言われたけど、確かにそうだ。うん」
「一度頷いたからにはもう逃がさないからな」
そう言ってアインを引き寄せて膝に乗せて抱きしめるシェルミールに、アインは腕の中でうめく。
「……はあ、なんでお前なんて奴が好きなのか自分でも分からない時が割と頻繁にあるんだが」
「分からなくていいから側にいろ。誰にもやらない、やりたくない」
「……わがまま。自分勝手、馬鹿」
「何とでもいえ。どうせもう、お前は俺のものだ」
「……傲慢。ばあか」
柔らかなアインの言葉にシェルミールは目を細めて顔を自分に向けさせると唇を食む。甘く、やわく。
「……ばか」
「馬鹿でいいから、もっと寄越せ。お前が足りない」
「やだよ。欲しかったら、お前がその気にさせろっての」
「ほう? いいのか?」
アインの腰に置いていた手をゆるゆると動かし、体の線を確かめるようにしながら時々アインの弱い場所を指先で弾く。
「ん……」
「挑発したのはお前だからな? 俺はお前が俺の手で乱れる様が一番好きだからな。お前が欲しがるまでいくらでも弄ってやる」
「は……へんたい」
シェルミールの言葉にアインが睨むが、シェルミールには単に煽っているようにしか映らなかった。
「ああ、お前に対してだけは認めるさ。お前が乱れる様だけはいつでも見たいしな」
「は……この間はお前の方が根を上げてたじゃないか」
「……あれか。あれはお前に抱きしめてキスをする以外出来なかったからな。今日は違うだろ?」
アインの頬を撫で、唇を撫で――首筋に手を這わせながらシェルミールが笑う。アインは目を細め、唇を舐めた。赤い舌先がゆっくりと唇を舐める様は視覚的に艶やかで。
「……どこで覚えてきた」
「ふ……知りたいか?」
「当たり前だろ?」
シェルミールの言葉に笑って、アインがシェルミールの方へ体を傾けシェルミールの唇を吸った。甘い口づけに脳が溶けそうになる。
「んん……ふっ」
唇を離すと透明な糸が生まれて、ほどけた。
「随分手慣れてるじゃないか」
「おかげさまで」
アインは笑うと再度シェルミールに口づけた。今度は軽く。
「……自分で仕込んでおいて嫉妬するな、ばあか。お前以外、知らないんだから、俺は」
「俺だってお前以外知らん。知る必要もないがな」
アインのガウンのボタンを外して中のシャツも、脱がしていく。アインもシェルミールのガウンのボタンを指先で外した。
「……アイン」
「なんだよ」
「また、痕をつけるつもりか?」
「いやか?」
「いいや。つけてもいいが、俺もつけるぞ」
「いつもつけてるくせに」
シェルミールのシャツをアインの指先が乱すと、アインのシャツをシェルミールの手がはだけさせた。アインの肌にはシェルミールのつけたキスの痕がちらばっている。
「昨日もつけたのに?」
「毎日つけておかないとな。マーキングと一緒だ」
「お前しか触らないのに?」
「だからだ」
アインの胸に唇を押し当てながらシェルミールはつげた。
「俺のものだって、確かめたい。そして刻みつけたい、それだけだ」
*********
数日後、アカデミーからクロノス王国の件の資料に関する訂正文書が回ってきた。研究所の一部職員による独断であったこと、そして門外不出の資料に関してはクロノス王国にとっては王家に代々引き継がれてきた家宝のようなものではあるが、資料としての価値は高くないと見ていること、それでも王家にとっては初代国王が子々孫々に引き継ぐようにと子ども達に託してきたものであり王の証のようなものであること。研究所に預けていたのは資料としての価値はそれほど高くないとはいえ、古代帝国に関する記述も僅かながらにあり、古代文明を研究するに当たっては必ずしも不要とは言い切れない程度のものという認識であったために貸し出していたにすぎず、それを王家に断りもなくあまつさえ――まあ、要約すると
「王家に断りもなく勝手に自分の物として出そうとされて大変怒っておりますって話だな。王家にとっては大事なものだが研究者に価値を根掘り葉掘り言われるのは耐えられないから世に公開していないだけだと」
シェルミールの言葉にアインは、なるほどと頷きながらも首を傾げる。
「だけど古代帝国に関することも載ってるなら、歴史学者的には喉から手が出るほど欲しいんじゃないのか?」
「どの程度かによるがな。国の研究の発展の一つになればと貸していたら私物化されてぶち切れましたって話だ。これは俺達が生きている間に公開はないかもしれないな」
「それにしてもクロノス王国の初代国王が所持してたって……一体どういった経緯でそうなったんだ? クロノス王国って割と新しいほうの国だよな?」
「古代サンライズ帝国が滅んだ後に、台頭してきたアストレイク帝国が一度は大陸を支配したが……結局カリスマ性溢れたディノール王が病で没した後は分断と地方の独立を許したために帝国は解体。その帝国の最後の王族の生き残りが逃げ続けて辿り着いた地が今、クロノス王国がある場所だ。アストレイク帝国はサンライズ帝国の跡地から帝国の宝物を一通り運び出している。その中にあったのかもしれんな、その資料とやらが」
「その資料を持って逃げた? 生きるか死ぬかみたいな時にでも手放せないものだったのか?」
「推測にすぎないが、もしもそうだとしたら……一体どんなものか知りたいものだな。詳細はもう、王家にしか分からなくなってしまったが」
アインとシェルミールが話していたその時、クロノス王国の謁見の間では国王によって招集された王族が一同に介していた。
「此度の件は、王宮の管理下にあるはずの研究所の一部による暴走として収めたが、例のあいつは誰が任命したのか分かっていない」
口火を切ったのは現国王セレイスである。薄い色素の髪と瞳に長身の彼は王座に腰掛けながら招集した王族を一人一人見据える。
「……ネズミがいるってことかよ」
そう切り返したのは黒髪に切れ長の瞳を持つ騎士であった。国王親衛隊という王宮魔法騎士団とは別に国王の身辺警護に徹する親衛隊の隊長であり現国王セレイスの実弟であるディゴルアである。
「しかも隠れるのが上手なね。とはいえ、あれは近代においては決して価値があるものじゃないわ。それを条件付きとはいえ公開しようとしたっていうのが引っかかるわ。尋問はどうなっているの?」
次に発言したのは艶やかな雰囲気を持つ女性である。セレイスの正妃レストであり、彼女自身呪術師でもある。
「……大変申し上げにくいのですが、自殺しました。獄中で」
報告したのはデビストである。デビストの言葉にセレイスは静かに問う。
「……警備はつけていたのかい?」
「勿論。上級騎士三名、並びに近辺に上級魔術師も配備しておりました。しかし……交代時間の変更が成されていました。団長が現在調査してくださっていますが、恐らく手がかりは得られないでしょう」
デビストの報告にディゴルアはため息をついた。
「団長管理のシフトに手を加えられるのは……お前しかいないぞ、デビスト」
「ええ。ですから恐らく敵は私を次に狙うつもりでしょうね。そして私を陛下の手で処断、または遠方に送還。副団長に次に収まる人物が……黒幕かまたはただの下っ端かは分かりませんが」
「……まさか乗るつもりじゃないでしょうね?」
レストの険しい視線にデビストは目を伏せた。
「そのつもりはありませんが……最近私物が盗まれることが多いんです。レイモンドが警戒してくれてはいますが」
「……はん。気に入らねえな」
デビストの言葉にディゴルアは苛立ったように髪をかきあげた。
「連中の狙いが分からない以上、どうしようもないわね。件のものが一体どんな価値を持つのか、私達は正確には知り得ない」
「……狙いなど分かっている」
セレイスはため息をついた。ディゴルアは目を細めた。
「だけどよ、あの例の物は親父の話じゃ適合者がいなければ意味がねえって話じゃなかったか?」
「それを敵も分かっているかどうか、だ。古代サンライズ帝国――神代の終わりのあの国の門外不出の本来であれば残っていてはいけないもの。それを初代様が持ち出してこの国に封じた。これまでの……アストレイク帝国王ですら危険視して封じようとしたが、全て無に帰し果ては帝国は滅んだ。まるで何かの大きな意思があるように」
セレイスの言葉にレストはため息をつく。
「結局あれは何なの? 王家が命に代えても守らなければならないものとしか私は聞いていないけど」
「……古代サンライズ帝国の真の秘宝に至るための鍵だ」
「鍵?」
レストにセレイスは頷く。
「古代サンライズ帝国は精霊の力にて繁栄を手に入れた。そして彼等には独自の魔術があった――精霊王を召喚する秘技だ」
「精霊王? 精霊たち全てを統治する原始の精霊? 神話では天地創造に関わった大いなる存在って扱いだけど」
「命の理を知るもの。命の根源を司り、地上に命あれと命じた存在。そう、言われている」
「……それを召喚できる術式が書かれているということですか?」
「ああ。そう、私達は聞いている。しかし、ただ術式を展開しても勿論召喚はできない。適合者以外に精霊王は応えない。もしも適合者以外が用いようとした場合は――滅びの魔が召喚されるという」
滅びの魔。世界の終末に現れ地上の全ての命を奪い尽くし食らうという存在。勿論神話で語られているだけで本当にそんなものがあるかも分からない。
「連中は精霊王を呼べると思って狙ってるってこと?」
「恐らくな。古代サンライズ帝国が精霊王の加護を得て大国となり長い繁栄を手に入れたことを夢物語と思わない連中がいるのは確かだ。今までのクーデターもそうだった。古代サンライズ帝国の復活を――そう叫んで死んでいったものたちを私達は知っているだろう?」
セレイスの言葉にレストは顔を青ざめる。
「だけど、だけど……精霊王を呼ぶ適合者がいなければ意味がないんでしょう? 言い伝えの通りなら滅びの魔が召喚されるというなら」
「どっちでもいいんじゃないか? 俺はむしろ終末を望む連中が勝手に悲嘆に酔いしれてやってると思ってる。古代では精霊の力で何でもできた黄金時代だと考えてる頭がおめでたい連中がな。地方にはまだ残ってるしな。精霊信仰と古代帝国の信望者たちが」
「そもそも適合者って誰よ」
レストの問いかけにセレイスは静かに口を開いた。
「それは勿論、失われた古代帝国の王族――太陽の民にして花の民だけだ」
*********
ラナンは大変に憤っていた。
「ああもう! 役に立たない研究論文ばっかり持ってくるんじゃないっての! こちとら副所長の資料を持って来いって言ってんの!」
「中に入れてくれないから仕方ないでしょ」
ラナンのぼやきに反応したのは女性騎士のキリエ・アラベスクである。美しいプラチナブロンドに青い瞳を持つ見目麗しい女性である。彼女もまた王宮魔法騎士団に所属している。
「自分達の不始末なのに偉そうなんだよ!」
「……しょうがないわよ。家柄とアカデミーでの研究論文の成果だけが、あいつらの持てる自意識の全てなんだから」
「アカデミーでの成果って……ローレライ導師にがんばったで賞もらって満足して帰ってきたってだけじゃない」
ラナンのぼやきにキリエは苦笑しながら手近にあった研究所から押収した箱を開ける。
「これも論文の束ばかりかしら……あら?」
「どうしたの?」
「魔術書? あと、日記帳かしらね。古びてるけど」
キリエが取り出した本を受取るとラナンはまず魔術書らしき分厚い本をめくった。
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「へえ? どんな?」
「……」
ラナンはしばらく眺めていて、ふと何かに気づいてもう一冊の薄い冊子を手に取る。そしてそちらを丁寧にめくり、しばらく読み込んで青ざめた。
「ね、ねえ?」
「……シエルード・ヴィエラの日記帳だ、こっち。それでこの研究ノートは彼のもの」
「ええ!? そ、それって魔術師的にはお宝じゃない?」
「……うん」
ラナンは眉根を寄せる。暗い表情にキリエはいぶかしむ。
「ね、ねえ……何の研究ノートだったの?」
キリエの問いかけにラナンはしばらく分厚い本を見つめて、深く、深く息を吐いて答えた。
「……死者を蘇らせる魔術、反魂の魔術だよ」
「え、永遠のテーマにして不可能って言われてる?」
「うん。だけどシエルードは理論上では可能とノートに書いている」
「え?」
「……まあ、無理だとは思うよ。だって」
ラナンは天を仰いだ。
「地上の全ての人間の命を生け贄にして、なおかつ精霊王を召喚して滅ぼすって書いてあるからね」
*********
反転させればいいのだ。
地上が生者のための世界ならば、黄泉の国は死者のための国。その国に到達できればいい。あとは、自分で見付ければ良い。愛しいあの人を。
生身の肉体で黄泉の国に行けないというならば、地上を黄泉の国に変えてしまえばいい。そうすれば繋がるはず。地平線の果て、生者が死に絶えた地獄の先に冥界は口を開く。そうして私は――彼を迎えに行けば良いのだ。
ああ、残念だ。ああ、無念だ。あと僅かに私がはやくこのことに気づけていれば。
きっと、必ず成し遂げられていたはずなのに。
アイラ……きっと、あなたを……必ず
まあ、それでも、ある種良かったのだろう。もう少し早ければきっとやっていた。私ならやり遂げていた。けれど間に合わなかった。それならば黄泉の国を回り彼を探そう。魂だけの存在となって彼を。幾星霜かかっても、必ず。
シエルード・ヴィエラの手記より。
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彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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