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第8章

8-03世界軸

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 「え? 有紀が?」
 予期せぬ言葉に湧は動揺を隠せなかった。
 5歳のあの日、突如湧の前に現れた少女。
 正確には湧の身体に憑依して、精神的に異常をきたして湧を殺そうとした母親を代わりに手刀で貫いた。
 双子の姉だと思念で語るその少女は、生まれることなくこの世界から消滅したのだ。
 「あ…」
 湧は思い当たった。
 もし、母親の胎内で消滅したのが有紀でなく自分だったら…。
 「どうやらYOUには理解してもらえたようですね」
 ルイーナが沈痛な声で呟いた。
 一方、いずみも他人事ではなかった。
 心臓が冷えて停まってしまったように固まっていた。
 いずみの場合は湧よりさらに深刻だから…。
 もしあの時、さくらが身を挺していずみを救わなかったら、いずみが消滅していたのだ。
 「この3次元世界では、平行世界とか可能性の世界とか言われてますが、それは各世界を移動する手段がないため、理論の域を出ません」
 ルイーナが続ける。
 「しかし、可能性の世界ではないのです。さっきお話しした穴の開いた板と糸というのは、個人個人の記憶そのものですが、3次元においてはその経過自体が世界を形成する唯一のものなのです」
 「? え? 唯一? 世界が違うのに?」
 「はい。そこが時間縛りによる3次元世界の厳しいところなのです」
 「あ…、もしかして…一度起こってしまった事象はその後に別世界に転移したとしても…」
 湧が急に呟いた。
 「YOUの考えた通りです。平行世界などは存在しないので、その時間以降はどんなに世界を転移できたとしても、3次元からではその事象そのものは消せません」
 「だったら、変更するためには…3次元以外の世界から過去に戻らなければ…」
 「そういうことです。だから私と大介さんはその世界の状況を把握した後、一度6次元に転移してから過去に戻ったのです」
 大介の記憶はショートカットされなかったため、転移してもそれまでに経験した時間の記憶は全て残っていた。
 「つまり大介さんとルイーナはトータルで約5年もの間、最近の時間を繰り返していたんですね?」
 湧には、二人がどんな思いで過ごしてきたのか想像もできない。
 「そもそも世界線とか世界軸っていうのは、個人個人の時間経過によるものであって、基本的な世界線や世界軸というのは存在しません」
 「え? じゃあ世界の歴史とかってどうやって特定されるの?」
 ルイーナの説明に納得がいかないいずみは即座に疑問点を口にする。
 「それは観測者の視点によるものです」
 「観測者?」
 「例えばある事象を体験した複数の人がいた場合、その事象に対する意識はその場にいる人々ごとに異なっているはずです。それはその事象に対する立場や見方など色々なファクターが関わっていますが、全員が同じ見え方、感じ方ではないということです」
 「同じ場所にいても違うの?」
 「もちろんです。例えば今回のガマガエルですが、いずみとYOUは違う角度から見ていました。そしてガマガエルに対する攻撃に関しても、それぞれ違った場所を狙い、タイミングも違っていたでしょう? その視覚的情報もいずみとYOUでは全く異なっていたはずです」
 「そりゃそうだよね?」
 「つまりこの3次元で記録として後世に伝承されている“歴史”というのは、誰かの視点で観測したものでしかないわけです。他の観測者だとまた違う“歴史”になっていた可能性があります」
 大スクリーンの真ん中に星のオブジェクトを表示させ、正面と右再度にカメラのマークを表示させるルイーナ。
 「この画面を見てください。正面から見るとこのオブジェクトは“星型”に見えます。しかし、右側から見たこのオブジェクトは…」
 「四角い?」
 思わずいずみは呟いた。
 「その通りです。すべての事象がこんなに単純なわけではないのですが、見る角度によって全く異なっている可能性があることは理解してもらえると思えます」
 「じゃあ、歴史って誰が決めるの?」
 「それはその事象に関わった人々の残した記録を後世の人が編纂するのです」
 「へ? じゃあ…」
 いずみは嫌な予感に囚われた。
 「いずみの感じた通り、歴史が正しいとは限りません。観測者によって観測された事象のみが歴史として残ります。」
 「つまり観測されなかった事象はなかったことになる?…」
 「あの、いずみ? 問題はそこじゃないです。私が言いたいのは、各観測者の情報を統合したものが“歴史”として記録されていますが、各個人が経験したことは唯一無二のものであり、その本人の記憶なんです」
 「はぁ…、ふんふん」
 「あ、ルイーナが言いたいことって…」
 「湧、わかったの?」
 意外そうな顔で湧を振り向く。
 「まあなんとなく。つまりこの3次元においては、世界線とか世界軸っていうのは個人的なものであり、同じ事象を経験してもそれぞれが異なるということだよ」
 「その通りです。そして時間を遡ることが基本的にできないため、フラッパーズのように6次元を経由して時間遡行した場合は、3次元に戻った時点より未来の事象に関するあらゆる情報は消去されます」
 「消去? 思念体には保存されてるとかじゃなくて?」
 「パラドックスを回避するために3次元世界の未来の記憶は消去されるんです」
 「じゃあ、大ちゃんの記憶ってなんなの? なんで消去されてないの?」
 「それははっきりと判りませんが、大介さんのスキルの一部なんじゃないかと考えています」
 「へ? スキルぅ? そんなRPGじゃあるまいし…」
 いずみは呆れて両手を上げた。
 「ただ、今までの記憶を保持してる証明として、通算で約5年間分の時間を肉体年齢として消費しているんじゃないかと思います」
 「そういえば身長もいきなり伸びてるね。180cmくらい?」
 「だと思う」
 大介は静かに答えた。そういう雰囲気は確かに少し前の大介と比べると、かなり大人びている感じがした。
 「そ、そういえば…大ちゃんは無事だったさくらにもあったんだよね。どんな様子だった? 元気だった?」
 いずみが大介を気遣うつもりで呟いたが、
 「そんなわけないだろっ!」
 驚いたように大介が怒鳴り出す。
 「え? だ、大ちゃん?」
 「いずみっ! お前がいない世界でさくらが元気なわけがないだろっ!」
 「!」
 「いずみが亡くなってから、自分を責めて、健康も損ねて、笑顔も見せなかった。途中からしか様子を見ていないが、それはもう人相から異なっていたんだ」
 「さ、さく…ら…が?」
 「その気持ちはお前の方がよくわかってるだろう。フレンズになったものの、さくらはこの世界から消滅したんだ。しかし、あっちのさくらにはフレンズとしてのいずみはいないんだ」
 「あ、そうか…」
 自分の失言に心が痛んだ。大介の苦しさを少しも理解していなかった自分が腹立たしい。
 「でも…。その世界に行けばさくらに会えるんじゃない?」
 いずみは発想を切り替えて、思いついたことを口にした。
 が、
 「いずみ…、それは無理です」
 ルイーナが即座に否定した。
 「な、なんでよ?」
 「それはその世界のいずみが既に死亡し、存在していないからです。
 思念体としてのいずみは統合されていますから、その世界のいずみが存在しない以上、転移は不可能です」
 「? どういう意味?」
 「う~ん。今のネットワークに例えるなら、パソコンやスマホとクラウドの関係に似ています。同一のアカウントなら、無限とも言えるクラウドに蓄積されたの情報をどの端末からでも得ることができます」
 「うんうん」
 「でも端末が1台しかなく、しかもその端末もしくはアカウントを持つ人間が死亡した場合、クラウドの中の情報を引き出すことはできません」
 「なるほど…、でも2台あったり、分析用のハッキングできる端末ならできるんじゃない?」
 「いずみの言いたいことはわかりますが、この3次元世界で端末に相当する人間は唯一無二ですよ? 分析用の端末に相当するものは、統合された思念体に情報が融合するので、他者が覗き見ることはできません」
 「そうかぁ」
 「そして、クラウド(統合された思念体)は蓄積できる情報量が無限だとしても、端末(3次元の物質的時間的制約のある人間)は、物質としての最大容量分しか情報の蓄積はできません。
 パソコンならハードディスクドライブやSSDの最大容量のことです」
 「そういうことなのね…」
 いずみが朧げながら理解した。
 「また、本人が死亡した世界に転移できない理由も、思念体と統合したために二重存在となってしまうからです」
 「二重存在?」
 「その世界では周囲の人々の認識は“死亡”となっています。それなのに別世界からとはいえ、その本人が現れたら混乱を生じます。その混乱は存在そのものの矛盾となるため、統合された思念体となった世界には転移できないのです」
 いずみの頭の上に再び“?”が浮かんだ。
 「じゃあ、その統合された“さくらの思念体”に会うことはできるの?」
 「できます」
 ルイーナ即答だった。
 「ただし!」
 「あっ。やっぱり条件付きなのね…」
 「当然です。さくらに会えるのは3次元以外、できれば6次元以上の世界でなければなりません」
 「2次元とかじゃダメなの?」
 「…2次元に思念体が存在できると思いますか?」
 「できないの?」
 「2次元は平面の世界ですよ? この3次元から見ても厚みが全くない世界です」
 「うんうん」
 「ちなみに時間も光も重力もありません。そんな世界で思考することができるでしょうか?」
 「?」
 「思念体は物質ではありませんが、その考えるという行動は波で現れます。しかも時間的制約はないので、3次元世界で見れば一瞬だったり、何万年もかかったりしますから、空間的な広がりは必須なのです」
 「ああ、そうか6次元では光や重力もコントロールできるんだっけ?」
 「物質的には可能です。ただ、それも6次元の一部というだけです」
 「…結論から言えば、私がさくらに会うためには6次元にいなきゃだめなんだね…」
 「そういうことです」
 「さらに、3次元に戻ったら、その時刻以前の記憶しか残らないんだね」
 「封印されるといった方がいいかもしれませんが、その記憶はその3次元世界のいずみの物質的な肉体には存在しません」
 「ああ、そうか。6次元ではあくまで思念体本体に記憶されるんだっけ」
 「そういうことです。なので、3次元に戻った時点で矛盾のない一部の記憶だけが肉体に記録されているということです」
 複雑な表情でいずみは頷いた。
 いずれにしてもさくらに会えるのは、近くて果てしなく遠い6次元世界に行くしかないことはいずみにも理解できた。
    <続く>
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