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2章:幽霊少女の願い
幽霊少女3
しおりを挟む山の頂上に作られた学校の校舎が茜色に染まりつつあった。
ゆうきは放課後の楽しげな雰囲気を懐かしく思いながら、夕日に色付かされたベンチに腰を下ろす。
ゆうきは和人に話しかけてみるが、近くにいないことに気づいて辺りをキョロキョロしてみる。
白猫さんを抱き抱えたままウロウロしている姿は、どうやら目立ってしまうようで、周囲の女子たちが
「あの子、何してるの?」
「可愛い!」
「お人形さんみたいに目がくりくりしてるね!」
とざわめいてしまっている。
もちろんゆうきは和人を探すことに夢中なので、そのざわめきに気づきはしない。
そう時間をかけずに、ゆうきは和人を見つけた。
ゆうきは視力が良かった。
ゆうきにとって、手のひらで砂粒ひとつひとつを数えられる自信があった。
真っ白な記憶の中に、ぽつんとひとつ置かれた自信。
記憶を失ったからこそ、その瞳に映し出される『興味』を具現化したような物体が、ゆうきにはよく見える。
まるで子供のように、ガラス玉の瞳にはどんなものも輝やかしく光ってしまう。
ゆうきは和人に「何してるんですかー!」と叫んでみたが、和人は聞こえていないように自販機の前で頭を抱えていた。
近くに寄ろうとしたゆうきだったが、バスケットボールを持った複数の友達らしき人たちに話しかけられている姿が目に入り、歩み寄る足を止めた。
和人はその友達と軽く会話を交わしたあと、手を振りあってゆうきの元に帰ってきた。
「アップルジュースなんだけど、飲む?」
そう言って、和人は夕日に被さるように缶をゆうきに差し出した。
和人の顔に影がかかってくっきりとその端正な顔立ちが写し出される。
ゆうきは安城和人という人物が、意外にも自分好みのイケメンであったことに気がつくと、少し顔を赤らめて、お礼を言いながら缶を受け取った。
一方、ゆうきの赤面に気づきもせず、和人は座って缶コーヒーを開けた。
「それで、なにか困ったことがあるんだよね?」
ゆうきは缶の口を開けて、アップルジュースで喉を3回ほど潤すと、静かに「はい」と返事をした。
『もし、そのお兄さんとやらの家に泊めてもらいたいなら、上手く嘘をつけ』
ゆうきは校門で待っている際に白猫さんに忠告されたことを思い返しながら、言葉を選んで和人に説明をした。
ゆうきの説明はそれほど時間を要すことなく終わり、それに伴い白猫さんのテンションも終わりを迎えていた。真面目に聞こうとしていたお兄さんでさえも、額に汗を隠せないでいる。
「じゃあ、ゆうきちゃんは独り立ちするためにこの街に来たけれど、先日の大雨で家が雨漏りしてしまったから住む宿がなく、お金も雨に濡れて持っていないのでホテルに泊まることもできず、実家も遠いので帰れない·····ということでよかったかな?」
「はい!」
威風堂々と胸を張って説明し終えたゆうきに、和人は苦笑し、白猫さんはどうにでもなれと言うように欠伸をした。
和人にはあまりの子供っぽさに、ゆうきが独り立ちできるほど立派には見えないでいた。そもそもここ数ヶ月、大きな雨は降っていないし、町外れに住んでいない限りそれほど築年数の経った建物はこの街にはほとんど存在していない。
和人は、あまりにも胡散臭い説明をどこから掘り下げていいのか分からないでいると、ゆうきは「ということで!」と勢いよく和人の目の前に立ちはだかり、頭を下げた。
「わたしと白猫さんを数日間泊めて下さい!」
風が虚しく、2人と1匹の隙間を吹き抜けていく。白猫さんのため息もその風に乗っていった。
和人は缶コーヒーに口を当てながら考えあぐねる。
このまま断ってしまっても、おそらくゆうきはまた野宿をするだろう。
しかし、本当のことを言わない理由が分からない。事情があるにしても、もし誘拐事件に発展してしまっては困りものだ。
しばらく和人が唸っていると、ゆうきは遠目に正門に歩いていく女の子を見つける。
「あ、さっきの子だ!」
白猫さんはゆうきの声に反応してその存在を視認する。
ゆうきが走って女の子に近づこうとすると、白猫さんはできるだけ声を抑えて、「おい、さっき言っただろ!」と再び忠告する。
しかし、それをお構い無しの女の子の手を掴んだ。
「捕まえた!」
女の子はゆうきの嬉しそうな瞳に驚いて、すぐに掴まれた手をほどく。
「さっきはごめんね。強引·····だったよね」
あはは、と笑うゆうきに、女の子はきまりが悪そうに声を発する。
「いいえ。こちらこそ·····大きな声をあげてしまってごめんなさい」
女の子の仕草はとても小さいものだった。
女の子はゆうきより少しだけ身長が低かった。身に纏うセーラー服も一回り大きなもので、腕も細く、その繊細さを表しているようだった。
白猫さんはその女の子を訝しげに観察する。
「でも、ごめんなさい。やっぱり、1人で探します」
女の子はゆうきの目をしっかりとみて、深く頭を下げた。
ゆうきも再度丁寧に断られたことで、手伝わせてほしいと頼むことはできなかった。
「わかった。·····じゃあ、友達になろーよ!」
だからこそ、ゆうきは笑顔を思い返すように咲かせて言った。
「友達·····」
女の子にとって、その無垢な笑顔は閉ざされ続けていた1本の光だった。その光を掴むことさえできれば、女の子にとってなによりも変え難い幸せになるはずのものだ。
だから、女の子はゆうきのまっすぐに伸ばされた手のひらを掴みかける。
「ゆうきちゃん、なにをしているの?」
ゆうきだけを呼ぶ声が、1人の間に落とされた。
女の子は信じられないというように口を手で覆い、ゆうきと近づいた距離を徐々に離して、瞳が潤っていった。
「あ、和人さんごめんなさい! さっき話してた女の子を見つけたら、つい·····」
差し伸べた手を頭の後ろ置いて、ゆうきは笑い誤魔化す。
和人もゆうきのおちゃらけた調子に苦笑いしながら言う。
「へえ、そうなんだ。それで、話は終わったのかな? 母さんにも聞いてみたらとりあえず了解は得られたんだけど、今話しても大丈夫?」
「本当ですか!?」
ゆうきは食い入るように和人の話を聞こうとしたが、話していた女の子のことを思い出して体の向きを戻した。
しかし、そこには誰もいなかった。
グラウンドのトラックを走る部活動の掛け声と帰宅や挨拶を交わす生徒たちの声たちが、奇妙なほど鮮明にゆうきの耳に残った。
つむじ風に呑まれた桜の花びらが舞い、女の子の背中を照らしていたはずの夕日も、その存在を秘匿するように地面に吸い込まれている。
「あの、和人さん」
ゆうきの左手に持たれている缶に力が伝わる。
和人に質問しかけたゆうきの言葉は、喉を突っかかり、うまく声に出来ないまま飲み込んでしまった。
「とりあえず、歩きながら話そうか」
ゆうきは頷いて、夕日に向かって歩き出す和人の1歩後ろを歩き始めた。
ゆうきは和人の踵あたりを意味もなく見つめながら、女の子のことを気にしていた。
「そういえば、似たような靴を履いていた気がする」
「そうだったか?」
「うん」
ゆうきと白猫さんは小声で話を交わす。その会話に和人は話題を被せた。
「ゆうきちゃん、説明しておくことがあるんだ」
和人の顔は影になっていて、ゆうきはその美しい顔立ちに惚れ惚れしてニヤけてしまう頬を手で抑えた。
「まず、俺は実家暮らしだから、母親、猫、犬、ハムスター、あと·····いや、それだけか」
「豊かで賑やかな家だね」
「全部妹の友達のものだけどね」
「妹·····? 妹さんがいるの?」
和人は少し間を置くと、大きく息を吸った。
「ああ、いるよ。ただ·····今は家出をしててね。いつ帰ってくるか分からないんだ」
「それならわたしと似ているね!」
ゆうきはまた、花を咲かせた。ちょうど、道に伸びている桜の枝から、花びらが落ちた。5月に近づいているということもあって、咲いている花は少ない。
和人はその桜を名残惜しむように見上げながら、額に乗った花びらを手のひらにのせた。
ゆうきもひらひらと舞い落ちる花びらを掴んで白猫さんに見せてやった。
強い風が吹いた。
ゆうきは靡く髪を抑え、霞む視界の中で、和人の涙が見えた·····気がした。
風が止んでもう一度見てみると、和人に泣いた様子はなかった。
どこか儚げに微笑む和人は、ゆうきの髪から花びらを取って、話を続けた。
「だから少しうるさいかもだけど、我慢してね。部屋は妹の部屋を貸すから」
「え、でも妹さん帰ってくるかも·····」
「たぶんないと思うから安心して使ってくれて構わない」
「そんな申し訳ない、です·····猫がいるなら、多分白猫さんは大丈夫なんでしょうけど」
「掃除しているのに、一つだけ空いてるから寂しいんだ。使ってやってよ」
「でも·····」
ゆうきは柄にもなく敬語を使って、後ろめたい思いを隠そうと必死になった。しかし、それは逆効果で和人の親切心に酷似した強調を強調させた。
和人は微笑むと、ゆうきは断りずらくなっていった。
反応が薄れていくのを確認して、和人は付け加える。
「あと、母さんを説得するためにゆうきちゃんが話してくれた事情に少しだけ説得力をもたせておいたから」
「なんで! あの説明以上に完璧にまとめるなんてできないよ!」
ゆうきは表情を一変させた。
「あの説明じゃ、すぐに嘘だって分かっちゃうよ·····」
「嘘·····完璧すぎる説明でバレないと思ったのに」
苦笑しながら話す和人に、ゆうきのテンションは明らかに下がっていく。まさに急降下だ。ゆうきは息を落とさずにはいられなかったが、白猫さんはその息を頭に浴び、体を震わせた。
「じゃあ、どんな説明にしたんですか」
落胆しきった声で、ゆうきは言った。
「友達が妹を置いて旅行に行ってしまったからその面倒をみる、ってことで」
「なっ! 全然違うじゃないですか! 少しじゃないですよ!」
「そうかな·····でもこうでもしないと母さんも認めてくれないし」
「そんなこと言ってもわたし高校生ですよ! お留守番くらい出来ます!」
「高校生だったの!? 小学生だと思ってたよ」
ゆうきは落胆しきったいたはずのテンションをさらに下げて、底の見えない螺旋階段を降りているかのように急激に心を病ませていった。
ゆうきはまた、白猫さんの頭上で深く息を吐いた。
「それで、わたしも話を合わせればいいんですね?」
諦めるように言い放ったゆうきに対して、和人は至って自然であるかのように言い放った。
誠意を見せるわけでもない和人に、ゆうきは口をすぼませて不服そうな様子でいる。
「他は何も無いんですか」
ほのかに怒りを漂わせるゆうきだったが、和人にその怒りは届かない。白猫さんはゆうきの立場を自分の立場と重ね合わせて笑っている。
「あと、お母さんには電話を入れとくこと!」
そう言われてゆうきは、自分のお母さんのことを考える。もちろん、覚えていないので顔も性格も思い出せない。
「はーい! ゆうきママに連絡しておくね!」
白猫さんは気になってゆうきを見上げてみたが、ゆうきには忘れているからこそ、明るく振る舞える余裕があった。
ゆうきは自分のスマートフォンを出そうとするが、ポケットには財布がひとつ入っているだけだった。
ゆうきが電話をする手段を持っていないことを察した和人は、
「うちの電話貸すよ」
と気遣った。
ゆうきは大きく頷いてお礼を言う。
その姿は子供らしく、それでいてゆうきにはまるで似合わない礼儀正しいものだった。
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