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第9話 Catch Me If You Can
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休み明けの、月曜日。
いつもより少しだけ、早い時間に大学に行こうと思い、支度をする。テレビ画面に映るニュースキャスターの顔が、いつもと違う。30分違うだけで、世界がまるごとがらっと変わってしまったような気分になる。
家を出る時、葵はまだ私の部屋で寝ていた。夕方からバイトがあるらしいので、放っておこう。どうせ鍵は持っているし、気が向けば勝手に出て行って、また気が向けば勝手に帰ってくるだろう。
猫みたいな私のふたごは、猫と違って家ではなく私自身に懐いているのだから。
いつもより早い時間に出るのは、なんとなく、陽花里に会うのがきまずいからだ。
(卑怯だな、私)
と思う。
ふったならふったで、堂々としていればいいのに、そこのところが小市民だから、微妙に状況から逃げてしまう。
でも、こんな私の小さい考えなんて、私を好きな相手にとってはバレバレだったのだろう。
「おはよう、凛ちゃん!」
「…おはよう、陽花里」
いつもより30分早く家を出た私は、いつもより45分ほど早く家を出た陽花里にあっさりと見つかってしまい、そのまま普通に一緒に歩いていた。
「今日は早いね、陽花里」
「それを言う凛ちゃんだって早いじゃない」
「私は…」
言葉を濁す。私より頭ひとつくらい小さい陽花里は、そんな私を見ながら、なぜか嬉しそうに、そして何事もなかったかのうようにいつ戻り、私の手にくっついてくる。
「凛ちゃん成分、補給ー」
「ひ、陽花里?」
「朝から好きな人の体温感じれて、幸せー」
一昨日、たしかに私はこの子を…ふったはずだよね。
自分でも、かなりの決意をもって、ふったつもりだったんだけど、なんか今、むしろ以前よりも親しくくっついているような気がするのは私の気のせいじゃないよね。
「あのー、陽花里?」
「もしも凛ちゃんが…」
本当に嫌だったら、言って。
そしたら私、こんなことしないから。
そう言いながら私にくっついている陽花里の口先は、少し震えていた。
「カラ元気です…」
ぽそりと、陽花里が心情を吐露する。
うん。分かってた。分かってたけど、まさか当人の口から改めて言われるとは思ってもいなかった。少し意外で、でもなんか陽花里らしくて。
「陽花里」
「なに、凛ちゃん」
「可愛いよ」
「…な、な」
あわあわあわ。ひらがなでそう表現するのが一番しっくりくる表情で、陽花里が口を大きく開けながらゆっくり私を見上げてきた。
一目で分かるくらい、顔中を真っ赤にしている。まるで、ゆであがったタコみたい。タコと言えば、陽花里からプレゼントしてもらったあのストラップ、今は家の鍵につけて大事にポシェットの中にしまっている。
「ど、どうしてさらりとそんなこと言うかなぁ…」
「あ、ごめんね。だって陽花里、本当に可愛かったから…」
「好きな人から言われると、期待しちゃうんだよ?」
「…本当にごめん…」
だって、陽花里は本当に可愛い。
大学のキャンパスを一緒に歩いていても、すれ違う人がよく私たちを振り返るのを感じることがある。その人たちは、たいてい陽花里の方を見ている。
陽花里はかわいい。
ふわふわの髪の毛は栗色で、陽の光に照らされると薄く輝く黄金色にもみえる。肌は陶磁器のように白くて、瞳はガラス玉のように透明感がある。よく、フランス人形のように可愛い子、という表現があるけど、陽花里はまさにそれで、そして動かないフランス人形と比べて意外と活発に動き回るので、その仕草ひとつひとつがまた可愛らしいのだ。
比べて私は…日本人形みたい、とよく言われる。
フランス人形は可愛いとはよく言うけど、日本人形を可愛いとはあんまり言わないから、まぁ、つまりはそういうことだ。
「♪」
なんだかんだ、褒められた陽花里はとても上機嫌になっており、自然と鼻歌をうたっていた。
私の手を握ったまま、手を大きく動かしながら鼻歌を歌っているこの可愛いフランス人形は、中身は立派な大学生なのに、はたから見ていればよくて高校生…見る人によっては中学生と間違えられるかもしれなかった。
(あ、この曲…)
聞き覚えがある。
覚えがあるどころか、つい先日、あのライブハウスで聞いた歌だった。
(紫苑さん)
思い出したくもない名前を、思い出してしまう。
なぜだろう。
私は、普段、人を嫌うということはほとんどないのに…あの人だけは、明確に「嫌い」だった。
考えるだけで、ムカムカしてくる。
考えてみれば、そもそも紫苑さんがいらないことさえしなければ、こんなめんどくさい状況に巻き込まれることは無かったのだ。
「♪♪♪」
気持ちよさそうに歌っている陽花里。よっぽど、ファンなんだろう。
私はファンなんかじゃないし、あの女嫌いだし、聞きたくもないんだけど…
(魚の小骨みたいに、私の中に残って突き刺さってる)
ムカつく。
陽花里がかわいいから、鼻歌やめさせたくないのが、さらにむかつく。
「ろくでもない女だよね、あの人」
「え…いきなり何、凛ちゃん?」
「いや、陽花里には悪いけど、やっぱり私、あの人好きになれない」
「あの人って…?」
「風見紫苑」
名前を口に出すと、なぜかさらにむかついてきた。
「歌は確かにすごかったし、パフォーマンスもすごかった。うん。軽い言葉かもしれないけど、感動した。感動したのは本当だよ?私、こんなことで嘘つけないもの」
「凛ちゃん?」
「でもね、なんか、それ以上に、なんか、嫌。出会った初日になんかわけわからないこと言って告白してくるし、それに」
「とっても、美人だから、とかどう?」
聞いたことがある声がした。
聞いちゃいけない声を聞いた気がした。
道端を見る。
ヒッピー?浮浪者?
きったない恰好をした女があぐらをかいて座っていた。
服には原色の絵具がたくさんこびりついていて、それが乾いた上に、また何層にも塗り固められたみたいになっている。
大きな帽子に、でっかいサングラス。
そしてそれでは隠しきれていない、燃えるように美しい金色の髪の毛に…あふれ出てくるオーラのような雰囲気。
道端にまれによくいる、「あなたの似顔絵描きます」といった風のその人は、地面に顔イラストやよく分からないイラストなどか描かれた色紙やらキャンパスやらを適当に並べていて。
そっと、サングラスをおろした。
「…っ!」
私の隣で、陽花里が私の腕をぎゅっと掴んだ。
その顔は、先ほどまで彼女が歌っていた歌の持ち主だった。
「紫苑…さん」
「やぁ、この前のライブはありがとうね」
絵筆を振り回す。
あぶない、やめろ。服に絵具が散る。
「どうして、ここに?」
当たり前の質問に、当たり前のように答えてくる。
「顔も名前も知っているけど、連絡先を聞いていなかったから、ここで待っていたら会えるんじゃないかな、と思って」
「…まるでストーカーですね」
「失礼な」
紫苑さんは笑った。
「まるで、じゃないよ。私は君のストーカーをしに来たんだから」
いばるな。
「それで、私になんの用ですか?」
聞きたくないけど、聞かなきゃ離してくれなそうだし、他の人に見つかって何か変な大騒ぎになるのはもっと嫌だから、とりあえず社交辞令もかねて聞いてみる。
…そして、聞かなきゃよかったと、後悔するはめになったのだった。
「用、というほどではないんだけどね」
紫苑さんはずたぼろの服装のままで立ち上がると、まるで宝石を砕いたかのように朝日に複雑に煌めく瞳で私をはっきりと捉えながら、一言いったのだった。
「君を、スカウトしにきた」
寝言は寝ていえ。
いまは…朝だぞ。
いつもより少しだけ、早い時間に大学に行こうと思い、支度をする。テレビ画面に映るニュースキャスターの顔が、いつもと違う。30分違うだけで、世界がまるごとがらっと変わってしまったような気分になる。
家を出る時、葵はまだ私の部屋で寝ていた。夕方からバイトがあるらしいので、放っておこう。どうせ鍵は持っているし、気が向けば勝手に出て行って、また気が向けば勝手に帰ってくるだろう。
猫みたいな私のふたごは、猫と違って家ではなく私自身に懐いているのだから。
いつもより早い時間に出るのは、なんとなく、陽花里に会うのがきまずいからだ。
(卑怯だな、私)
と思う。
ふったならふったで、堂々としていればいいのに、そこのところが小市民だから、微妙に状況から逃げてしまう。
でも、こんな私の小さい考えなんて、私を好きな相手にとってはバレバレだったのだろう。
「おはよう、凛ちゃん!」
「…おはよう、陽花里」
いつもより30分早く家を出た私は、いつもより45分ほど早く家を出た陽花里にあっさりと見つかってしまい、そのまま普通に一緒に歩いていた。
「今日は早いね、陽花里」
「それを言う凛ちゃんだって早いじゃない」
「私は…」
言葉を濁す。私より頭ひとつくらい小さい陽花里は、そんな私を見ながら、なぜか嬉しそうに、そして何事もなかったかのうようにいつ戻り、私の手にくっついてくる。
「凛ちゃん成分、補給ー」
「ひ、陽花里?」
「朝から好きな人の体温感じれて、幸せー」
一昨日、たしかに私はこの子を…ふったはずだよね。
自分でも、かなりの決意をもって、ふったつもりだったんだけど、なんか今、むしろ以前よりも親しくくっついているような気がするのは私の気のせいじゃないよね。
「あのー、陽花里?」
「もしも凛ちゃんが…」
本当に嫌だったら、言って。
そしたら私、こんなことしないから。
そう言いながら私にくっついている陽花里の口先は、少し震えていた。
「カラ元気です…」
ぽそりと、陽花里が心情を吐露する。
うん。分かってた。分かってたけど、まさか当人の口から改めて言われるとは思ってもいなかった。少し意外で、でもなんか陽花里らしくて。
「陽花里」
「なに、凛ちゃん」
「可愛いよ」
「…な、な」
あわあわあわ。ひらがなでそう表現するのが一番しっくりくる表情で、陽花里が口を大きく開けながらゆっくり私を見上げてきた。
一目で分かるくらい、顔中を真っ赤にしている。まるで、ゆであがったタコみたい。タコと言えば、陽花里からプレゼントしてもらったあのストラップ、今は家の鍵につけて大事にポシェットの中にしまっている。
「ど、どうしてさらりとそんなこと言うかなぁ…」
「あ、ごめんね。だって陽花里、本当に可愛かったから…」
「好きな人から言われると、期待しちゃうんだよ?」
「…本当にごめん…」
だって、陽花里は本当に可愛い。
大学のキャンパスを一緒に歩いていても、すれ違う人がよく私たちを振り返るのを感じることがある。その人たちは、たいてい陽花里の方を見ている。
陽花里はかわいい。
ふわふわの髪の毛は栗色で、陽の光に照らされると薄く輝く黄金色にもみえる。肌は陶磁器のように白くて、瞳はガラス玉のように透明感がある。よく、フランス人形のように可愛い子、という表現があるけど、陽花里はまさにそれで、そして動かないフランス人形と比べて意外と活発に動き回るので、その仕草ひとつひとつがまた可愛らしいのだ。
比べて私は…日本人形みたい、とよく言われる。
フランス人形は可愛いとはよく言うけど、日本人形を可愛いとはあんまり言わないから、まぁ、つまりはそういうことだ。
「♪」
なんだかんだ、褒められた陽花里はとても上機嫌になっており、自然と鼻歌をうたっていた。
私の手を握ったまま、手を大きく動かしながら鼻歌を歌っているこの可愛いフランス人形は、中身は立派な大学生なのに、はたから見ていればよくて高校生…見る人によっては中学生と間違えられるかもしれなかった。
(あ、この曲…)
聞き覚えがある。
覚えがあるどころか、つい先日、あのライブハウスで聞いた歌だった。
(紫苑さん)
思い出したくもない名前を、思い出してしまう。
なぜだろう。
私は、普段、人を嫌うということはほとんどないのに…あの人だけは、明確に「嫌い」だった。
考えるだけで、ムカムカしてくる。
考えてみれば、そもそも紫苑さんがいらないことさえしなければ、こんなめんどくさい状況に巻き込まれることは無かったのだ。
「♪♪♪」
気持ちよさそうに歌っている陽花里。よっぽど、ファンなんだろう。
私はファンなんかじゃないし、あの女嫌いだし、聞きたくもないんだけど…
(魚の小骨みたいに、私の中に残って突き刺さってる)
ムカつく。
陽花里がかわいいから、鼻歌やめさせたくないのが、さらにむかつく。
「ろくでもない女だよね、あの人」
「え…いきなり何、凛ちゃん?」
「いや、陽花里には悪いけど、やっぱり私、あの人好きになれない」
「あの人って…?」
「風見紫苑」
名前を口に出すと、なぜかさらにむかついてきた。
「歌は確かにすごかったし、パフォーマンスもすごかった。うん。軽い言葉かもしれないけど、感動した。感動したのは本当だよ?私、こんなことで嘘つけないもの」
「凛ちゃん?」
「でもね、なんか、それ以上に、なんか、嫌。出会った初日になんかわけわからないこと言って告白してくるし、それに」
「とっても、美人だから、とかどう?」
聞いたことがある声がした。
聞いちゃいけない声を聞いた気がした。
道端を見る。
ヒッピー?浮浪者?
きったない恰好をした女があぐらをかいて座っていた。
服には原色の絵具がたくさんこびりついていて、それが乾いた上に、また何層にも塗り固められたみたいになっている。
大きな帽子に、でっかいサングラス。
そしてそれでは隠しきれていない、燃えるように美しい金色の髪の毛に…あふれ出てくるオーラのような雰囲気。
道端にまれによくいる、「あなたの似顔絵描きます」といった風のその人は、地面に顔イラストやよく分からないイラストなどか描かれた色紙やらキャンパスやらを適当に並べていて。
そっと、サングラスをおろした。
「…っ!」
私の隣で、陽花里が私の腕をぎゅっと掴んだ。
その顔は、先ほどまで彼女が歌っていた歌の持ち主だった。
「紫苑…さん」
「やぁ、この前のライブはありがとうね」
絵筆を振り回す。
あぶない、やめろ。服に絵具が散る。
「どうして、ここに?」
当たり前の質問に、当たり前のように答えてくる。
「顔も名前も知っているけど、連絡先を聞いていなかったから、ここで待っていたら会えるんじゃないかな、と思って」
「…まるでストーカーですね」
「失礼な」
紫苑さんは笑った。
「まるで、じゃないよ。私は君のストーカーをしに来たんだから」
いばるな。
「それで、私になんの用ですか?」
聞きたくないけど、聞かなきゃ離してくれなそうだし、他の人に見つかって何か変な大騒ぎになるのはもっと嫌だから、とりあえず社交辞令もかねて聞いてみる。
…そして、聞かなきゃよかったと、後悔するはめになったのだった。
「用、というほどではないんだけどね」
紫苑さんはずたぼろの服装のままで立ち上がると、まるで宝石を砕いたかのように朝日に複雑に煌めく瞳で私をはっきりと捉えながら、一言いったのだった。
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