恋を失った私と、恋を知らない彼女

雄樹

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第11話 2+1+1=4

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「本当に来てくれるとは思わなかった」
「来てくれ、って言ったのはあなたの方でしょう?」
「来てくれるかくれないか、確率50%くらいかな、と」
「なに、その駄目な計算方法…」

 講義の終わった夕方、私たちは紫苑さんに指定されたお店に来ていた。朝誘われて、そのまま講義をさぼって行く、などという選択肢ははなから無かった。大学には真面目に行く。そしてその後、余力があれば、紫苑さんのところに行く。
 私の本分はあくまで大学生であり、勉強であり、正道を外れるわけにはいかないのだ。

「凛は真面目だなぁ」
「悪かったわね」

 自分は曲げない。自分の納得したこと以外はやらない。
 …だから、今、紫苑さんのところに来ているのは、不本意ながらも…私の心の中に、「行ってもいい」と思っている自分が確かにいるからなのは、間違いなかった。むかつくけど。

「で、でも、私まで一緒についてきて、本当によかったんですか?」
「もちろん。だって、凛がそう望んだからね」

 私の隣をおずおずとついてきている陽花里が尋ねた質問に対し、こともなげに紫苑さんはそう答えた。
 憧れの人を目の前にして、少し緊張している陽花里。
 緊張のかけらもない紫苑さん。
 少しふてくされている、私。

(なに、この状況)

 いつの間にか、もう夕方。
 私の右隣を陽花里が歩いていて、左隣を紫苑さんが歩いている。
 大学からは、少し離れてしまった。周囲の景色が、少しずつ変わってきている。
 すれ違う人の服装というか雰囲気も、だんだんと変化してきた。なんといえばいいのだろう。いい言い方をするなら、個性的に、悪い言い方をするなら…雑。

「さぁ、ついたよ、ここだ」

 紫苑さんの足が止まり、同時に私と陽花里の足も止まる。
 目の前にあったのは…とても東京のど真ん中にあるとは思えない、ボロボロのアパートだった。風情がある、とでもいえばいいのだろうか。二階建てで、各階に5つずつ扉がみえる。上の階と下の階をつないでいるのは外付けの階段で、風雨にさらされて手すりがさび付いているのが分かる。
 階段の下には自転車やバイクが置かれているのが見えた。
 手書きの看板で、コーポ〇〇〇と書かれている。さきほどの階段と同じくさび付いていて、文字がよく読めない。看板としての機能を半分失っているんじゃないか?と思った。
 一言でいうなら…そう、「昭和」だった。

「ここは…」
「ん?私の家」
「えっ、こんなに…」

 思わず失礼なことを言いそうになってしまい、慌てて口を閉じる。確かに、私は紫苑さんにむかついている。けど、それとこれとは話が違う。私の中で、言っていいい、と判断したことが相手が何を想おうとも口に出すけれど、言ってはいけない、と決めたことは何があっても言うわけにはいかない。

「ボロい、って思ったろ?」
「そんな…」
「いいよ、別に。本当の事だから」

 言わされた。
 こうやってこの人は、人の心の中にするっと入りこんでくるのが上手くて…ずるくて…うん、やっぱりむかつく。

「二階のはしっこだから、ついてきて。あ、階段の端っこのほうは踏まないでね。そこが抜けるかもしれないから」
「…本当に、大丈夫なの?」
「防犯対策防犯対策♪」

 少し嬉しそうな紫苑さん。普段からテンション高そうな人だけど…今はさらに、浮かれているように見えるのは私の気のせいだろうか?
 私はふりむいて、陽花里を見る。
 陽花里はこくん、と頷いた。

「ごめんね、陽花里。巻き込んじゃって」
「いいよ、凛ちゃん…私、嬉しいもん」

 陽花里は手を伸ばして、そっと私の手を握り締める。

「凛ちゃんと一緒にいれるのが、嬉しい」

 それに、憧れの紫苑さんのこと、もっと知れるかもしれないし…
 そう呟く陽花里に対し、「憧れがくすまないといいんだけどね」と、これまた心の底からの感想を、私は漏らした。

 こん、こん、こんと私たちの足音が階段に響き渡る。
 今回は、なんとか無事に持ってくれたようで、私も陽花里も同時に2階についた。鍵を取り出して扉を開けようとしている紫苑さんを目の端に入れながら、そのまま少しだけ高い視点から背景にうつる街を見る。

(東京…だよね)

 一応、24区内のはずなんだけど、目の前にうつる光景は昔想像していた大都会ではなく、田舎、とまではいかないものの、下町といった雰囲気を残す、少し落ち着いた光景だった。

(住んでいても、暮らしていても、見ようとしなかったら見えない光景、というのもあるのかもしれないな)

 ふと、そんな事を思う。
 いつも通り大学に行って、いつも通り講義を受けて、そんな生活を繰りかえすだけなら決して気づかなかった世界が、たしかに私が生きている世界に重なって存在している。
 少し離れて、少し高い場所に視点をうつすだけで、それがみえる。
 そんな簡単なことでも、しようとしなければ気づくことすらできないし、この紫苑って人に誘われなければ、知らずに気づかすに私は生きて死んでいったのかもしれない。でもとりあえず、むかつく。

「汚いところだけど、入って」
「…失礼します」
「お、お邪魔します…」

 紫苑さんに誘われて、家の中に入る。
 玄関は、狭い。人が二人並ぶことは出来ないから、最初に私、次に陽花里、という順番で入った。
 靴が置いてある。
 あれは…紫苑さんの靴。もう一足ある。これも紫苑さんの靴かな…ううん、違う。紫苑さんの靴にしては、サイズが大きい。紫苑さんの家にある、紫苑さんより大きい靴。

「ただいま、色葉。ごめん、待たせた」
「…ちょっと…?朝、ちょっと出ていくといって、今何時だと思ってる?」
「17時」
「…分かっているのがなお悪いわね」

 奥から、予想通りの声がしてきた。
 紫苑さんが組んでるユニット「金色の闇」のもう一人のメンバー、彩瀬色葉さんの声だった。

 部屋の中は、本当に汚かった。
 この場合の汚い、とは、汚れているとか掃除が行き届いていない、といったたぐいの「汚い」ではなく、ただ単に、単純に、物が多かったのだ。
 壁には本やらCDやらが層を重ねて積み上げられている。映画のポスターがいたるところに張り付けられていて、もはやポスター以外の壁の部分を探す方が難しい。
 コルクボードが何個か立てかけられていて、そこにいろんなメモが押しピンと共に差し込まれていた。

(…雑多…)

 私が今まで知りあってきたどんな人とも違っている。こんなにきちんとしていない大人が存在するなんて…存在するだけではなく、わりと有名人でもあった。

(世界が違う)

 今まで知らなかった世界。本当に足を踏み入れてもいいのだろうか。

「さて、色葉。新メンバーを紹介するよ」
「ちょっと待って…紫苑、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「状況が追い付かない」
「頑張って」
「えーっと、たしか今朝、あなた言ったわよね。ちょっと朝ごはん買ってくるから、待っていてって」
「言ったね」
「もう一度聞くわね、いま、何時?」
「17時」
「朝ごはんには遅すぎない?」
「夕ご飯には早すぎるね」
「…まぁ、いいわ。そこは置いておきましょう」

 置くんだ。
 2人の会話を聞きながら思った。許せるんだ、色葉さん。私なら無理。絶対に食パン頭に叩きつけている。色葉さんが寛大なのか、紫苑さんがずばらなのか、おそらく両方だろう。

「それで…何、新メンバーですって?」
「前から言っていたでしょう。白鷺凛。私がずっと欲しがっていた子」
「…それも、それも100歩譲って、受け入れましょう」
「悪いね」
「でも、私の目には、もう1人姿が見えるんだけど」
「あー、それね、この子は…」

 そう言いながら、紫苑さんはゆっくりと私たちを見つめてくる。

「名前、なんだったっけ?」

 言ったでしょう。忘れたの?私のことはともかく、陽花里のことをないがしろにするのは許せない。私が抗議しようとしたのを雰囲気で察したのか、陽花里は私の袖をぐっと掴んで、可愛らしい声で自己紹介をした。

「三崎陽花里です…先日はお世話になりました」
「そう、陽花里ちゃん。色葉、ちゃんと覚えた?」

 当たり前のようにそうのべる紫苑さん。一周回って、なんかこの人、すごいな、と思うようになる。

「それで…えーっと、ああ、頭が混乱してくる」
「色葉、大丈夫?」
「頭痛の原因は黙っていて」
「はーい」
「私と、紫苑の金色の闇に、この2人をくわえるってわけ?」
「うーん、半分正解で、半分不正解」
「?」

 紫苑さんは笑った。
 
「正解なのは、2人を加えるっていうところ」
「…じゃぁ、不正解なのは?」

 訝しげに尋ねてくる色葉さん。
 なんか私、心情的に、色葉さんの味方になりそう。
 この変な女にいつも振り回されているんだろうな、と、少し同情してしまうから。

「それは、ね」

 紫苑さんは一回、私たちの方を振り向いた。にこやかに笑っている。心底楽しそうで、たぶんろくなことを考えてはいないんだろうな、と思った。

 そして、色葉さんの方を振り返って、ピースサインをする。

「金色の闇は、解散します!そして私たち4人で、新しいサークルを立ち上げます!」


 ほら。
 やっぱり。
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