恋してしまった、それだけのこと

雄樹

文字の大きさ
54 / 118
第五章【未来14歳/沙織26歳】

第54話 ガラスの橋【未来14歳/沙織26歳】

しおりを挟む
 出勤前の朝。
 普段から出勤前の時間は少し憂鬱になるものだけど、夏休みが終わって新学期が始まるという今日の朝は、億劫な気分がいつもの二割増しになっていた。

(…特に、今年の夏はいろいろあったし)

 スーツに着替えながら、この夏のことを思い出す。26歳になって、初めての恋人ができた夏。
 スマホがなった。アラームの音ではなく、メッセージの着信の音だった。画面を見てみると、つい先ほど思い浮かべた恋人の名前がのっていた。

『沙織さん、おはようございます』

 憂鬱だった朝の気分が、一瞬で淡く暖かいものに書き換えられる。いま、にやけているんだろうな、と思いつつ、返事をかえす。

『おはよう、未来』
『今日から新学期ですね』
『そうね。少し憂鬱』
『そんな沙織さんに、元気の出るプレゼント!』

 そんなメッセージと共に、写真が送られてくる。
 にっこり笑って、手を振っている未来の写真。

(可愛い)

 嬉しい。未来とは、スマホで写真のやりとりをすることが多くなっていた。私の写真フォルダの中は、未来の…恋人の写真で一杯になってきている。
 自分の写真が元気の出るプレゼントになると思っている未来が可愛いし、そしてその思惑どおり、私に元気が湧いてくる。
 すぐに返事を返そうとして、ちょっと止まる。

(えっと…ここらへんに置いておいたかな)

 ノートを見つける。新品の、まだ真っ白なノート。
 私はそのノートに、黒いサインペンで大きく『未来、大好き。』と書く。そして少し悩んだあと、その隣にちょっと小さな文字で『あなたの恋人、沙織より』と付け加えた。

(我ながら、浮かれているなぁ)

 自分でそう自覚しつつ、そのノートを手に持って、文字がみえるように自撮りをする。
 なかなかうまく撮れた…よし、送信。

 既読。
 しばらくして。

『えへへへへ。嬉しいです。逆に私が元気もらっちゃいました』
『本当のこと書いただけだから』
『沙織さん、大好き。本当に好き。私、世界一幸せです』
『私もよ、未来。大好き』

 お互い、好き、好きと送信しあって、いつまでたっても終わりそうになかった。やめどきが見つからない…何度『好き』と送っても、まだ足りない。

(このままじゃ遅刻しちゃうなぁ)

 そんなことを想いつつ、私は朝の光の中で幸せを甘受していた。


■■■■■


 マンションを出ると、ちょうど結城先生と鉢合わせになった。同じマンションに住んでいて同じ高校に勤めているので、こういうことはたびたびおこる。

「おはようございます、結城先生」
「おはようございます、水瀬先生」

 軽く挨拶をする。結城先生は少し首をかしげて、覗き込むように私を見つめてきた。

「水瀬先生、何かいいことありました?朝から顔がゆるゆるになっていますよ?」
「そ、そうですか」

 朝から未来といろいろやりとりをしていたので、どうやら気持ちも緩んでしまっていたらしい。気を引き締めないと。私は高校教師。生徒たちの模範とならなければならない立場なのだから。

「結城先生も幸せそうですよ」

 何の気なしに、軽く言葉を返す。すると結城先生は何食わぬ顔で答えてきた。

「ええ。昨夜も、姉さんにたくさん愛してもらいましたから」
「愛し…あ、え…」

 返答に窮してしまう。愛してもらう、この言葉はこの言葉どおりの意味というか、結城先生の場合は、その、お姉さんと。
 いろいろ、愛されているわけで。
 時々、結城先生とお姉さんが一緒に歩いている時に遭遇する時があるのだけど、そんな時、2人は同じ匂いをまとっていて。つまり、そういうことなのだ。

「ふふ」

 結城先生は悪戯っ子のような笑みを浮かべると、足取りはそのままで私に尋ねてくる。

「恋人さんとは、うまくいっているみたいですね」
「…」
「見てるだけで、分かりますよ?」

 結城先生は分かりやすいんですから、と言う。そして、少し険しい顔になって、

「ですから…気を付けてくださいね」

 私を見つめてくる。その目は、真剣だった。私を心配してくれている目だった。
 私と未来との関係を、結城先生は知っている。
 というよりも、知っているのは結城先生だけだった。
 私と未来が恋人同士になったというのは、秘密にしておかなければならない。

(悪いことをしているわけではないのだけど)

 と、想う。と、想おうとする。
 けれど、自分たちがどう思おうとも、世間一般の目で見れば私たちの関係はいわゆる「普通」からは大きくかけ離れていた。

 12歳差。
 女同士。
 叔母と姪の関係。

 どれ一つとってもアウトなのに、三つも重なっているのだからスリーアウトチェンジだ。弁解のしようもない。

(…かつて、同じ経験をした私から忠告させて頂きますと)
(水瀬先生と、姪っ子ちゃんとの関係は)
(絶対に他人に漏らしてはいけません)

 結城先生からそうアドバイスをもらっていた。
 その言葉は本当に真摯なもので、自らが犯した過ちと同じレールの上を走ろうとしている私たちを何とか救ってあげたい、という思いが込められているのが伝わっていた。

 そうだ。
 たしかに、私は浮かれてしまっていた。
 未来のことが…恋人のことが、嬉しすぎて、可愛すぎて、幸せすぎて。

 でも、未来は私より12歳も子供だ。
 大人である私が、守ってあげなければならない。
 未来はまだ14歳。
 せめて…せめて未来が成人する、18歳になるまでは。

(この恋人関係を)
(秘密に)

 私はそう決意を新たにして、足取りをすすめた。


■■■■■


 放課後の職員室には、紙とインクのにおいが漂っていた。
 窓の外ではグラウンドに夕陽が落ちかけていて、部活の掛け声が風に混じって聞こえてくる。
 陽射しはまだ夏の名残をなんとかとどめてはいるのだけど、風だけはもう少し冷たさを含んでいた。

「…ふぅ」

 書類をまとめていた手をとめて、ひとつため息をつく。
 夏休み終わって初日の授業はやはり少し緊張してしまい、勝手が戻るまではもう少し時間がかかりそうだった。

 目を閉じて、ふと、恋人のことを考える。
 未来も今頃、夏休み明けの学校を満喫している頃かな?
 私は高校で教師をしていて、未来は中学で授業を受けている。立場も場所も違うところにいる私たちだけど、心の底はしっかりとつながっていた。

「水瀬先生」

 後ろから名前を呼ばれて、振り返った。
 そこには、妙齢の女性が立っていた。

 白鳥真理子。48歳。
 私の勤めている高校の教頭で、厳格な性格ながらも芯の通った優しさもあり、生徒たちからは恐れられながらも慕われている。

 白鳥先生は黒髪をきっちりとまとめ、表情はいつも崩さない。その目の奥は、いつも冷静に相手を見つめていて、見られるものに緊張をいつも抱かせてくる。

「来月行われる文化祭、その進行の確認をお願いできますか?」
「私が、ですか」
「ええ。あなたが、です」

 白鳥先生はかけていた眼鏡に手を添えた。

「一年生のクラスで、少し指導が行き届いていないようなので」
「分かりました。明日の放課後にでも見に行ってきます」
「お願いしますね」

 生徒たちにとっても、文化祭は大切な思い出の一助になるのですから、と、教頭は続けた。
 この人の行動は常に生徒のことを第一に想っての行動なのだけど、かもしだす雰囲気がどうしても厳格で厳しいのだけが、少し誤解される原因だと思ってしまう。

(白鳥先生に未来の可愛らしさの100分の1でもあれば、もっと生徒たちに人気がでるだろうになぁ)

 なんてことを考えてしまう。

「…」

 白鳥先生が、ふと私の顔を見つめてきた。

「…水瀬先生、夏休み前に比べて、少し顔が優しくなったわね」
「そうですか?」
「ええ。悪いことではないけれど」

 私がこういうのもなんだけど、と、ちょっと自嘲気味に教頭は続けた。

「優しいことと、甘やかすことは違いますからね」
「…」
「立場というものは、顔に出るものよ」

 教頭の顔は真剣で、私を思って指導してくれようとしていることが、はっきりと伝わってくる。

「あなたにどんな事情があるかは分かりませんけど…教師としての顔、は、きちんと切り替えておきなさいね」

 それが生徒を指導していく教師としての責任ですから。

 言葉づかいは穏やかなものだったが、その裏に流れる想いは厳しいものだった。ある種の、警告、を含んでいるように感じられる。
 私は唾をごくんと飲み込んで、

「はい。ご指導ありがとうございます、白鳥先生」

 そう答える。

「頼みましたよ、水瀬先生」

 そう言って去っていく白鳥先生の背中を見ていて、私の胸の中にちいさなざらつきが残っていた。

 私は教師。
 私は、生徒たちを守り、指導していかなければならない。
 私には、大人の責任がある。

(未来)

 恋人の顔を思い浮かべる。
 好き。大好き。
 大好きだからこそ…

(私が、しっかりしないと)

 窓の外では、夕陽がグラウンドを黄金色に染めていた。
 誰かが笑い、誰かが走り、日常が続いていく。

 日常を続けられる、その「当り前」ということを守ることが、どれだけ難しく、大切なことか。

 私が今たっているこの場所は、綺麗なガラス細工で作られた橋のようなもので、綺麗で、繊細で、輝いているからこそ、ほんの少しの油断で亀裂が入り、ガラスの橋は砕け散って私たちは奈落の底へと落ちて行ってしまうだろう。

 私一人が落ちるならともかく。
 未来を…巻き込むわけにはいかない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

モヒート・モスキート・モヒート

片喰 一歌
恋愛
主人公・翠には気になるヒトがいた。行きつけのバーでたまに見かけるふくよかで妖艶な美女だ。 毎回別の男性と同伴している彼女だったが、その日はなぜか女性である翠に話しかけてきた。 紅と名乗った彼女は男性より女性が好きらしく、独り寝が嫌いだと言い、翠にワンナイトの誘いをかける。 根負けした翠は紅の誘いに応じたが、暑い盛りと自宅のエアコンの故障が重なってしまっていた事もあり、翠はそれ以降も紅の家に頻繁に涼みに行くようになる。 しかし、妙な事に翠は紅の家にいるときにだけ耐え難い睡魔に襲われる。 おまけに、ほとんど気絶と言って言い眠りから目覚めると、首筋には身に覚えのないキスマークのような傷が付いている。 犯人候補は一人しかいない。 問い詰められた紅はあっさり容疑を認めるが、その行動の背景には翠も予想だにしなかった事情があって……!? 途中まで恋と同時に謎が展開しますが、メインはあくまで恋愛です。

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~

楠富 つかさ
恋愛
 中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。  佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。  「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」  放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。  ――けれど、佑奈は思う。 「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」  特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。  放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。 4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。

身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子) 彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。 ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。 その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。 毎日19時ごろ更新予定 「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。 良ければそちらもお読みください。 身体だけの関係です‐三崎早月について‐ https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060

かつて絶交した幼馴染と再会できたなら、その時はあなたを二度と離さないと決めていました。

白藍まこと
恋愛
 白凪雪(しろなゆき)は高校時代、唯一の親友で幼馴染の羽澄陽葵(はすみひなた)と絶交してしまう。  クラスで他者との触れ合いを好まない雪と、クラスの中心的人物である陽葵による価値観のすれ違いが原因だった。  そして、お互いに素直になれないまま時間だけが過ぎてしまう。  数年後、社会人になった雪は高校の同窓会に参加する。  久しぶりの再会にどこか胸を躍らせていた雪だったが、そこで陽葵の訃報を知らされる。  その経緯は分からず、ただ陽葵が雪に伝えたい思いがあった事だけを知る。  雪は強い後悔に苛まれ、失意の中眠りにつく。  すると次に目を覚ますと高校時代に時間が巻き戻っていた。  陽葵は何を伝えようとしていたのか、その身に何があったのか。  それを知るために、雪はかつての幼馴染との縁を繋ぐために動き出す。  ※他サイトでも掲載中です。

身体だけの関係です‐三崎早月について‐

みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」 三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。 クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。 中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。 ※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。 12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。 身体だけの関係です 原田巴について https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789 作者ツイッター: twitter/minori_sui

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

日陰の百合は陽光を求めて

楠富 つかさ
恋愛
 クラスに友達がおらず一人でお弁当を食べる地味JKの日下はある日、人目を惹く美少女である光岡に出会う。ふとした出会いで昼食をともにするようになる二人だが、光岡には悪いウワサもあり――。  陰キャ×陽キャの学園百合ラブコメ、開幕!

処理中です...