恋してしまった、それだけのこと

雄樹

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第七章【未来16歳/沙織28歳】

第88話 試験勉強と重大発表【未来16歳/沙織28歳】

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 五月下旬の放課後。
 文芸部の部室内で、ペンを動かす音が複数聞こえてくる。
 部活動をしている…わけではない。もう来週に迫ってきている、中間テストの勉強をしているのだった。

「うーん…」

 私はペンを止めると、しばらく考える。私の成績は悪い方じゃないけど、決していい方でもない。ちょうど真ん中くらい、平凡な成績だ。

「どうしたの?未来。どこか分からないところある?」

 隣に座っている凛がそう聞いてきてくれた。凛は私と違って、入学以来ずっと学年一位の成績だった。いつも一緒にいるのに、いったいいつ勉強しているんだろう?と思うこともある。そもそも最初から、私とは頭の作りが違うのかもしれない。

「えーっとね、ここがよく分からなくて…」
「どれどれ」

 肩を近づけて、教えてくれる。凛の髪の毛の匂いが少し漂ってくる。

「ここはね、この公式を使えばいいのよ」
「あ…本当だ。ありがとう、凛」
「どういたしまして」

 凛は優しい。私と違って中間テスト対策の勉強なんてしなくてもいいくらい頭がいいのに、こうしてずっと私に付き合ってくれている。
 本当は家で試験勉強すればいいのだろうけど、家にいたらつむぎがずっと邪魔をしてくるから、なかなか勉強がはかどらないのだった。

(玲央もいるけど…)

 スポーツや家事ならともかく、勉強面では玲央はまったく役には立たない。うちの高校にギリギリで合格した玲央の成績は、入学して一年以上経過した今でも、常に低空飛行を続けているのだった。

「雪原くんや朝比奈さんは、今回が初めての中間テストね」
「はい、そうです」
「ですですー」

 机の向こう側に座っている後輩の2人に声をかける。名前の通り白い肌の雪原くんのノートには、小さな文字でびっちりと書き込まれているのがみえる。

「頑張ってるね」

 思わず声をかけてしまう。

「僕、これくらいしか取り柄がありませんから」
「いやいやいや、首席合格だよ。すごいよ。あたしなんてビリ、最下位だったのに」

 謙遜する雪原くんの隣に座っていた朝比奈さんが、素直に雪原くんを褒める。
 見てみると、朝比奈さんのノートには、まるで虫がのたうちまわったかのような文字が躍っていた。
 朝比奈さん、沙織さんが黒板に書いた文字に憧れてうちの部に入ることにした、と言っていたな。

(沙織さんの字、綺麗だし)

 ふふーんと、恋人のすごさを誇りたくなる。
 私の沙織さんとの関係は秘密なのでここで自慢することは出来ないのだけど、それでも嬉しくて仕方ない。
 私は胸元に隠しているネックレスをそっと触った。そこについている沙織さんとのペアの指輪に触れているだけで、心がふわっと温かくなる。

(…)

 視線を感じる。ふと横を見ると、凛が私を見ていた。私はあわてて、指を離すとペンに持ちかえる。凛は少しだけ、寂しそうな顔をしていた。

「雪原くん、勉強のコツとかってあるの?あたしもせめてドベからは脱出したいんだ」
「コツ、ですか」

 顎に手をあてて、考える雪原くん。
 私も参考にしたいから、雪原くんを見つめる。私の視線に気づいて、雪原くんはちょっと慌てて視線を逸らした。

「予習と復習を毎日続けることでしょうか。家に帰ったらとりあえずノートを開く癖をつけると、いつの間にか習慣になりますよ」
「…正攻法だ…」
「ごめんなさい、面白みがなくて」

 なぜか謝る雪原くん。朝比奈さんはあわてて手を振る。

「そんなことないって、すごい、すごいよ!あたし全然できないし、ノート開いたら眠たくなるし!」

 そう言いながら、朝比奈さんは手にしていたペンをくるくると回していた。そんな朝比奈さんを見ていて、ふと、思った。

(颯真と同じ癖だ)

 小学校の頃から、颯真は何かとペンを回す癖があった。懐かしいな、と思う。小学、中学とずっと一緒だったのに、高校に入ってクラスが別々になると、自然に会う機会も減ってきてしまった。

(颯真はサッカー推薦で入学したから、勉強頑張らなくてもいいのかな)

 と思った。頑張らなくていいはずはないけど、少なくとも、優先するのは勉学よりもスポーツの方なのかもしれない。
 こうして颯真のことを思っていたら、続けて美月の事も思い出してきた。

(美月、今頃何しているんだろう)

 美月とは高校も離れてしまったから、颯真以上に付き合いが希薄になってしまった。夏休みや冬休みといった長い休みの時には会うことがあるけど、普段の生活の中では本当に接点がなくなってしまった。

(あんなに、いつも一緒だったのに、な)

 距離が離れてしまうと、どうしても心も離れて行ってしまうのかもしれない。
 想いは永遠、と言いたいところだけど、そんな風にうまく行かないのが人生なのだ…私、まだ高校生だけど、それくらいのことは分かる。

(沙織さん)

 好きな人のことを思う。私の細胞全部が求めている人の事を思う。沙織さんと離れたからといって、私が沙織さんのことを思わなくなる日が来るなんて思えない。でも、少しでも、1%でも、0.1%でも、0.000000001%でも、想いが減るのは嫌だ。

(選択肢を、ちゃんと選択できるようにならなくちゃ)

 中学の時、沙織さんが勤めているこの高校に入るために、私は一生懸命勉強した。頑張って勉強したから、合格出来て、同じ高校に通えることができるようになって、今の関係が構築できたのだと思う。
 もしも不合格だったら…別の高校に行っていたら…

(可能性を、減らしちゃいけない)

 勉強するということは、自分がつかみとれる可能性を広げることだ。
 何の役に立つかは分からないけど、手のひらから零れる運命をすくいあげることができる一番簡単な方法は、勉強することなんだと思う。

(だから、頑張らなきゃ)

 また、私は気づかないうちに、胸に隠したネックレスを触っていた。


「未来、さっきから手が止まっているわよ」

 はっと、現実に戻される。
 私を戻してくれたのは、楼蘭先輩だった。
 眼鏡をして、いかにも真面目そうなこの先輩は、見た目通りとても真面目な人であり、ちゃんとノートを広げて、参考書を広げて、コツコツとしっかり勉強をしていた。

「ご、ごめんなさい」
「別に謝る必要なんてないわよ」

 楼蘭先輩はにっこり笑うと、そのまま、部室の片隅に丸まっている布団の方に目を向けた。

「謝る必要があるのは、むしろ、こいつね」

 養豚場の豚を見つめるような瞳をする。
 その布団が、もぞりと動く。
 中からにょきっと手が出てきて、ふるふると手をふって来る。

「睡眠学習中だよー」
「まったく」

 蹴った。
 遠慮なしに、思いっきり。

「真面目に勉強している後輩たちにとって迷惑だから、消えてもらえないかしら」
「だから姿見えないように布団の中にいたのに…」
「ゴミが喋ってる」
「ひどくない!?」
「あ、そうね。こんなのと比べられるなんて、ゴミに対して失礼だったわ…」

 そう言いながら、またげしげしと布団を蹴っていく。そのたびに布団の中から「ぎゃふん」「暴力反対ー」「墾田永年私財法」とか声が聞こえてくるのだけど、そのすべてを楼蘭先輩は無視していた。

「ははは…は」

 思わず、笑いが漏れてしまう。
 これが普段の光景で、もはや懐かしい、とまで思えてしまっていた。
 ちなみにこんなゴミ…じゃなかった神美羅先輩だけど、その実、入学以来学年トップの成績は一度も譲っておらず…学年どころか、全国模試でもすごい成績だったらしいんだけど…

(よく考えたら)

 1年生のトップ、雪原くん。
 2年生のトップ、凛。
 3年生…どころか全国トップクラスの、神美羅先輩。

 この3人がそろっているうちの部活って、けっこうすごいんじゃないだろうか?

(まぁ、私がすごいわけじゃないんだけどね)

 そんな事を考えていたら、がらっと部室の扉が開いて。
 私の光が、差し込んできた。

「ごめんなさい、遅れました」
「遅いよー、水瀬先生」

 布団の中から顔を出さずに、声だけで神美羅先輩がそう言った。

「ちょっと職員会議が長引いちゃって…」

 そう言いながら、沙織さんは後ろでで扉をしめると、すたすたと部室の中に入ってくる。沙織さんは文芸部の顧問だから部室に来ることはよくあるんだけど、今日は試験勉強前の勉強会だという話だったから、沙織さんが来てくれるとは思っていなかった。

(嬉しい)

 頬が緩んでしまう。沙織さんは歩いて、私の隣を通り過ぎた。その時、沙織さんの髪の毛の匂いがただよってきた。いい匂い。溶けそうな匂い。好き。
 隣にいる凛が、なぜか不満そうに、髪の毛をいじっているのが見えた。

「それで、どうだった?」
「一応、通ったわよ」

 神美羅先輩の問いに、沙織さんは答える。通った?何がだろう?

 沙織さんは丸まった布団の隣に座ると、私たち文芸部員を見つめた。きりっとしている沙織さんも綺麗…
 つい、先日のデートの事を思い出してしまった。私の耳たぶをかぷっと噛んでくれた沙織さん。あの甘いあまい沙織さんと、今目の前に座っている高校教師の沙織さんが同一人物なんだと思うと、なんか背中がむずがゆくなってしまう。

(私だけが、知ってるんだ)

 秘密だけど、その秘密があるからこそ、なんともいえない変な気持ちになってしまう。

「試験勉強の邪魔して悪いわね。報告だけしたら、すぐに帰るから」

 そんな。もっといてくれたらいいのに…と思ったけど、沙織さんと同じ部屋にいたら私の勉強が進むはずなんてないから、我慢する。

「この夏休み、文芸部は、合宿をすることにします」

 文芸部での合宿?いったい、何するんだろう。
 疑問が頭に思い浮かぶ。その疑問に答えるように、沙織さんは言葉を続けてくれた。

「8月に開催される東京ファンマーケットに、サークル申請いたしました」

…え?
 よく分からなかったので、聞いてみることにする。

「その東京ファンマーケットって、何なんです?」
「それはね…」

 沙織さんは、ゆっくりと説明をしてくれた。

「毎年夏と冬に東京で開催される、超巨大なファンたちのマーケットのことよ。全国からクリエイターが集まって、自分で描いたマンガや小説、グッズなんかを発表する同人イベントね。通称『ファンマ』って呼ばれていて、参加者は何万人も来るわね」

「どうだい、面白そうだろう?」

 布団の中から、神美羅先輩が顔を出してきた。
 輝くような銀髪が広がる。その深紅の瞳がキラキラと煌めいている。心の底から嬉しそうで、その嬉しさを隠さず、神美羅先輩が口を開いた。

「私の高校生活最後の思い出に、みんなを引きずり込むことにしたよ」

 悪戯っ子のような、屈託のない笑顔。
 その隣で楼蘭先輩が、やれやれといった風に肩をすくめている。「本気だったのね、由良」とこぼし、神美羅先輩はニヤッと笑って「私が本気じゃなかったことがあると思う?蘭子?」と言葉を返す。

「イベント前日に出発して東京に一泊し、翌日、イベント参加。終わったらその足で帰ってくるから、一泊二日の合宿になります…泊まりになりますので、親御さんに外泊の許可をとってきてください」

 沙織さんがそう告げる。
 泊まり…泊まり。
 沙織さんと、一泊!

 いや、私と沙織さんの2人っきりじゃなくって、文芸部みんなで泊るんだろうけど、それでも、胸のときめきとワクワクが止まらない。

「イベントに向けて、文芸部として冊子を出すことにします。中間テストが終わったら時間もできると思うから、その間に各自テーマを決めて作品を作ってください」

 今は5月。来月になったら生徒会選挙があるけど、うちには関係がないので、時間はたっぷりある…いったい何を書こうかな。

「それって、あたしたちも参加できるんですかー?」
「もちろんよ、朝比奈さん。素敵な作品作ってくださいね」

 一年生たちもワクワクしている。神美羅先輩は言わずもがなだ。

「凛、楽しみだね。頑張ろうね」
「…そう、だね」

 みんながワクワクしている中、凛だけが、少しだけ、元気がないようにみえる。
 どうしたんだろう…と思ったけど、それでも、気のせいかなと思って、深くは追及はしないでいた。


 後から思えば。
 この時。

 凛が私を思ってくれているのと同じくらい、私も凛のことを思っていれば。
 ちゃんと言葉を交わしていれば。

 あんなことには、ならなかったのに。
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