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第七章【未来16歳/沙織28歳】
第87話 【閑話休題⑩】白鷺葵と凛の場合②
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生まれて初めて、焦がれるほど人を好きになってしまった。
未来に出会ったのは、中学二年生の時。今では私も高校二年生になったから、ちょうど3年間、片思いをしていることになるのかな。
未来のことを思うと、心の奥がじくじくしてくる。
好きで好きで仕方ないのに、愛しているのに、でも絶対に、この恋が報われることはないと分かっているからだ。
私の好きな人が好きな人は、私ではないのだ。
「未来…」
好きな人の名前を口に出す。私の好きな、同級生の女の子。
同性愛に対して、私は偏見を持っていない…と思う。むしろ、大好物だ。
私の趣味は、女の子と女の子の恋愛小説、いわゆる百合小説を書くことで、昔からずっと、たくさんの小説を書いてきた。
その小説の中で、いろいろな恋模様を書いてきた。
主人公の女の子が報われる話も、報われない話も、純愛も、悲恋も、考えつくかぎり、あらゆる恋を書いてきた。
でも、どんな妄想だって、私の現実の恋にはかなわない。
「未来…好き…」
かなわない恋の相手の名前を言う。
誰もいない虚空に向かって、好きと言う。
もちろん返事はかえってこないし、最初から期待もしてはいない。
(でも、未来が好きな人は)
(水瀬先生)
知ってる。
分かってる。
昔から、未来は水瀬先生に一途だった。出会った時からずっと、未来が水瀬先生に惚れていて、追いかけていて、まっすぐだった。
(そんな未来が好き)
水瀬先生に恋をしている未来のことを好きになってしまったのだから、あの純粋な心が好きになってしまったのだから、未来が私を好きになるはずもないし、もしそうなったら…それはいわゆる、解釈ちがい、というものになってしまうのだろう。
(でも、それでも)
妄想することくらいは許してほしい。
未来のことを考えながら、未来が私に向かって、「凛…好きだよ」って言ってくれる姿を想像して、私は布団の中で、枕をぎゅっと抱きしめた。
(私も…私もずっと、未来のこと好きだったよ)
(うん。知ってる)
(…嬉しい)
妄想の中の未来は私だけを見つめてくれていて、笑ってくれていて、光の中にいて、そして。
目を開き、暗い部屋の中、私は親友ではあっても愛されてはいないのだと思い知る。
「未来…」
「…凛、眠れないの?」
声がする。
私と同じ声。
ふたごの、葵の声。
「…うん」
見上げると、心配そうに私をのぞき込んでいる葵の姿が見えた。
私と葵はふたごで、生まれた時は本当にそっくりで、時々、私が葵で、葵が私なんじゃないかと勘違いすることもあって。
私と葵は、お母さんのお腹の中にいた時は同じ人間だったらしいから、その境界線があいまいなのも自然なことなのかもしれない。
「そんなに、未来のことが好きなの?」
「…うん」
葵の目。私をじっと見つめてくれる、その目。
高校二年になった私たちは、もうずいぶん見た目が変わってきてしまった。ううん。変わってきてしまった、のではない。私たちは自分自身で道を分かれ、自ら変わってきたのだった。
私は内省的になり、黒髪は長く、日本人形のように。
葵は外交的になり、髪は短く、活発に。
もう、私と葵は同じ人間じゃない。それぞれ別の人格を持った、ふたごであり他人でもあるのだ。
その証拠に…私たちは、それぞれ別の人間を好きになってしまった。
私は…未来を。
葵は…私を。
「私じゃ、駄目かな。私じゃ、凛の心を埋めることはできないかな?」
葵が布団の中に入ってくる。
葵の体温が触れてくる。暖かい。柔らかい。
「私、凛のこと、好きだよ」
「うん。知ってる」
「…嬉しい」
さっき私がした妄想のような言葉が、現実に繰り広げられていた。
妄想の中で、私が未来に言った言葉。
現実の中で、私が葵に言われる言葉。
「…ごめんね、葵。それでも、私は未来じゃないと駄目なの」
「…絶対に結ばれないって分かってるのに?」
「…」
「未来が好きな人…水瀬先生なんでしょう?」
「…うん」
「奪っちゃえば?」
「…無理よ」
未来がどれだけ水瀬先生のことを好きなのか、たぶん、未来以上に私の方が知っている。私は、ずっと未来を見ているから。だから、未来が私を親友以上に見てくれることはないのだと、私が一番理解している。
「…壊しちゃえば?」
葵が、ぽそりと、そう呟いた。
「教師が生徒と付き合っているなんて…そんな事実がおおやけになれば…未来と水瀬先生だって今まで通りには…」
私は葵をつかむと、葵を布団に押し付けた。
両手で、葵の肩を掴む。息が荒くなる。睨みつける。
「そんなことをしたら、許さない」
2人の破局を願う気持ちが、私の中に全くないかといえば…そうではない。私の中の黒い部分が、あの2人に別れて欲しいと、願っている。分かってる。見たくないけど、そんな自分がいることは知っている。
でも、それ以上に。
「少しでも未来を悲しませるなら、いくら葵でも…絶対に許さないからね」
未来が悲しむ顔を見るくらいなら、私の恋なんて消えてなくなってもいい。
未来には…好きな子には…私が世界で一番、愛している子には。
幸せになって、もらいたいんだ。
「…ずるいよ、凛」
「なにが?」
「そんな顔するの、ずるいよ」
葵は泣いていた。
泣きながら、でもまっすぐに、布団にくみふされながら、私を見つめ返してきていた。
「凛は未来が不幸になるのを絶対に許さないのに、自分は不幸になっているじゃない…私、凛が好きなんだよ。どうして好きな人が不幸になっている姿を見せつけられなきゃいけないの?」
私は…葵の言葉に答えることができなかった。言葉が胸に突き刺さる。
「自分だけ、ずるいよ。凛がずっと苦しんでる姿、私、これからもずっと一番傍で見続けなきゃいけないの…」
「…ごめん」
「謝らないでよ。謝られたって、どうしようもないんだから」
葵はそう言うと、下から私の肩を掴み返して、そのままぐるりと、身体の位置を反転させた。
今度は私が、葵に組み伏せられる形になる。
「葵…」
「動けないでしょ、凛」
息が荒い。
外は夜。月明りが部屋に差し込んできている。葵は青白く照らされていて、息をするたびに肩が上下しているのが分かる。
「私の方が、力が強いんだからね」
たしかに。
葵の力は強くて、いくら身をよじってもぴくりともしない。私は完全に、葵の支配下に置かれてしまっていた。
「…最初は、同じだったのにね」
「…もう同じじゃないんだから」
葵は私を見つめてくる。
目が見開かれている。
「別々の人を、好きになっちゃった、他人なんだからね」
私は未来が好きで、葵は私が好きで。
いつの間にか、私と葵の線はもう二度と交わらないくらい離れてしまっていたみたいだった。
「凛、キスしたこと、ある?」
「…ないわ」
「私はあるよ」
中学生の時。未来への当てつけのために、颯真にしたよ。凛に頼まれて、私はしたよ。
そしてそのまま、葵は私にかぶさってきて。
唇が、触れる。
私と同じだった顔が、今では私と違う顔が、私と同じだった唇が、今では私と違う唇が。
いまは一つに重なって、同じものに戻っている。
「…」
長い、長いキス。
舌まで入れてくる。
葵の舌が私の口内をまさぐって
「…っ」
噛んでやった。
葵は顔を離し、私を見下ろしている。
その唇から、血が流れ落ちている。
紅い血。
月明りに照らされたままの葵は、血をこぼしながら、私に向かっていった。
「凛のファーストキス、奪っちゃった」
「…そうね」
私はたぶん無表情のまま、言葉を続けた。
「…それで?」
「…っ」
葵が表情を変える。
汗を流しながら、真っ赤に上気して、心臓の脈打つ音がみえてきそうなくらい。
「凛…私のこと、嫌いになった?」
「なれるわけないでしょう」
私は葵の下から抜け出して、そのまま布団の上に座り込んだ。葵もぺたんと座り込んでいるから、ちょうど向き合う形になる。
「嫌いになんか、なれるわけがない…私と葵は、もともとは同じ人間だったんだから」
「…でも、私は私の事が嫌いだよ」
「葵は、私のことが好きなんでしょう?」
「うん。好き。大好き」
「なら、自分のこと嫌いだなんて言わないで…それって、私のことも嫌いって言っているのと同じことなんだから」
顔を近づける。
泣いている葵を見る。
今度は私から、そっと唇を近づける。
先ほどとは違う、優しいキス。
これは愛情だけど…愛じゃない。
私の中にある未来への感情とは違う…その違いがどこから来るのかは分からないけど、たぶん、心の中の一番奥底、魂って呼ばれる部分に起因しているのかもしれない。
「キス、してくれるの?」
「ただのキスよ。唇と唇が触れただけ。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「…それでも、私にとっては特別だよ」
葵は目を伏せる。
私にとっての特別、か。
ふと、思う。
時々、未来と話をしている時、ふいに、ちょこんと、手が触れる時がある。それだけで、私は身体の奥底がしびれるくらい気持ちよくなる。今のキスなんてくらべものにならない、背骨が溶けちゃうくらいの快感。
(あれが、あれこそが、私にとっての特別、なのかな)
未来が私に与えてくれる感情を、私は葵に与えてあげれるのかもしれない。それは優越感でも何でもなかった。ただ、そうあるだけだった。
この何ともない無力感…これこそが、愛しているのに愛されてはいない、その残酷さの証なのかもしれない。
「…愛されないなら、傷つけて、傷跡として残るのもいいかな、って思ったんだ」
葵がそう言う。まるで、私の心を読まれたような気がして、少しびくっとする。あぁ、やっぱり、葵と私は…もとは同じ人間、なんだな。
見たくない部分も、鏡のように、見えてしまう。
私の中にたしかにかすかにある、そんな部分を。
「凛」
「なに?」
「私、凛のことが好き」
「ありがとう。でもごめんね。私、他に好きな人がいるの」
「知ってる」
「知ってるのに、言うの?」
「自分の好きな人が好きな人が自分じゃないって分かっていたら、凛はその恋を諦めることってできる?」
「…無理ね」
「でしょう。私も同じ」
女同士だからでもない、姉妹だからでもない、ただ単に、別々の人を好きになった、それだけのこと。
「私が凛の恋をどうすることもできないように、凛だって私の恋をどうすることもできないんだからね」
「…そうね」
「だから、私は凛が好き。今は振り向いてくれなくても、いつか振り向いてくれるかもって…期待するのだけは、やめない」
私には返す言葉もないし、その資格もない。
私だって…同じなのだから。
「凛は文芸部だよね。文芸部、楽しい?」
「最高よ」
「…そうか、私が入ってる部活、知ってる?」
「葵は部活に入ってはいないでしょう」
私は答える。
葵は部活に入っていない。
葵が入っているのは…
「生徒会、なんだから」
「うん。そうだよ。今はただの生徒会の一員。でもね」
葵は笑った。
それは…何かを決意したかのような、不敵で、妖艶な笑いでもあった。
「来月、6月になったら、生徒会長選挙があるんだ」
その言葉に私は驚き…はしなかった。なんとなく、分かっていた。だから、次の言葉も予想できた。
「私、出馬するよ。生徒会長に…私は、なる」
諦めの悪い私のふたごは、諦めの悪い私の恋心と同じように、あがいて、あがいて、何かをしようとしている。
いろいろ考えて、いい言葉が思い浮かばなくて、それで結局、私は当たり障りのない言葉だけを返した。
「そう…頑張りなさい」
「うん…頑張る」
これから、何が変わるかは分からないけど。
これから、何かが変わることだけは、分かった。
未来に出会ったのは、中学二年生の時。今では私も高校二年生になったから、ちょうど3年間、片思いをしていることになるのかな。
未来のことを思うと、心の奥がじくじくしてくる。
好きで好きで仕方ないのに、愛しているのに、でも絶対に、この恋が報われることはないと分かっているからだ。
私の好きな人が好きな人は、私ではないのだ。
「未来…」
好きな人の名前を口に出す。私の好きな、同級生の女の子。
同性愛に対して、私は偏見を持っていない…と思う。むしろ、大好物だ。
私の趣味は、女の子と女の子の恋愛小説、いわゆる百合小説を書くことで、昔からずっと、たくさんの小説を書いてきた。
その小説の中で、いろいろな恋模様を書いてきた。
主人公の女の子が報われる話も、報われない話も、純愛も、悲恋も、考えつくかぎり、あらゆる恋を書いてきた。
でも、どんな妄想だって、私の現実の恋にはかなわない。
「未来…好き…」
かなわない恋の相手の名前を言う。
誰もいない虚空に向かって、好きと言う。
もちろん返事はかえってこないし、最初から期待もしてはいない。
(でも、未来が好きな人は)
(水瀬先生)
知ってる。
分かってる。
昔から、未来は水瀬先生に一途だった。出会った時からずっと、未来が水瀬先生に惚れていて、追いかけていて、まっすぐだった。
(そんな未来が好き)
水瀬先生に恋をしている未来のことを好きになってしまったのだから、あの純粋な心が好きになってしまったのだから、未来が私を好きになるはずもないし、もしそうなったら…それはいわゆる、解釈ちがい、というものになってしまうのだろう。
(でも、それでも)
妄想することくらいは許してほしい。
未来のことを考えながら、未来が私に向かって、「凛…好きだよ」って言ってくれる姿を想像して、私は布団の中で、枕をぎゅっと抱きしめた。
(私も…私もずっと、未来のこと好きだったよ)
(うん。知ってる)
(…嬉しい)
妄想の中の未来は私だけを見つめてくれていて、笑ってくれていて、光の中にいて、そして。
目を開き、暗い部屋の中、私は親友ではあっても愛されてはいないのだと思い知る。
「未来…」
「…凛、眠れないの?」
声がする。
私と同じ声。
ふたごの、葵の声。
「…うん」
見上げると、心配そうに私をのぞき込んでいる葵の姿が見えた。
私と葵はふたごで、生まれた時は本当にそっくりで、時々、私が葵で、葵が私なんじゃないかと勘違いすることもあって。
私と葵は、お母さんのお腹の中にいた時は同じ人間だったらしいから、その境界線があいまいなのも自然なことなのかもしれない。
「そんなに、未来のことが好きなの?」
「…うん」
葵の目。私をじっと見つめてくれる、その目。
高校二年になった私たちは、もうずいぶん見た目が変わってきてしまった。ううん。変わってきてしまった、のではない。私たちは自分自身で道を分かれ、自ら変わってきたのだった。
私は内省的になり、黒髪は長く、日本人形のように。
葵は外交的になり、髪は短く、活発に。
もう、私と葵は同じ人間じゃない。それぞれ別の人格を持った、ふたごであり他人でもあるのだ。
その証拠に…私たちは、それぞれ別の人間を好きになってしまった。
私は…未来を。
葵は…私を。
「私じゃ、駄目かな。私じゃ、凛の心を埋めることはできないかな?」
葵が布団の中に入ってくる。
葵の体温が触れてくる。暖かい。柔らかい。
「私、凛のこと、好きだよ」
「うん。知ってる」
「…嬉しい」
さっき私がした妄想のような言葉が、現実に繰り広げられていた。
妄想の中で、私が未来に言った言葉。
現実の中で、私が葵に言われる言葉。
「…ごめんね、葵。それでも、私は未来じゃないと駄目なの」
「…絶対に結ばれないって分かってるのに?」
「…」
「未来が好きな人…水瀬先生なんでしょう?」
「…うん」
「奪っちゃえば?」
「…無理よ」
未来がどれだけ水瀬先生のことを好きなのか、たぶん、未来以上に私の方が知っている。私は、ずっと未来を見ているから。だから、未来が私を親友以上に見てくれることはないのだと、私が一番理解している。
「…壊しちゃえば?」
葵が、ぽそりと、そう呟いた。
「教師が生徒と付き合っているなんて…そんな事実がおおやけになれば…未来と水瀬先生だって今まで通りには…」
私は葵をつかむと、葵を布団に押し付けた。
両手で、葵の肩を掴む。息が荒くなる。睨みつける。
「そんなことをしたら、許さない」
2人の破局を願う気持ちが、私の中に全くないかといえば…そうではない。私の中の黒い部分が、あの2人に別れて欲しいと、願っている。分かってる。見たくないけど、そんな自分がいることは知っている。
でも、それ以上に。
「少しでも未来を悲しませるなら、いくら葵でも…絶対に許さないからね」
未来が悲しむ顔を見るくらいなら、私の恋なんて消えてなくなってもいい。
未来には…好きな子には…私が世界で一番、愛している子には。
幸せになって、もらいたいんだ。
「…ずるいよ、凛」
「なにが?」
「そんな顔するの、ずるいよ」
葵は泣いていた。
泣きながら、でもまっすぐに、布団にくみふされながら、私を見つめ返してきていた。
「凛は未来が不幸になるのを絶対に許さないのに、自分は不幸になっているじゃない…私、凛が好きなんだよ。どうして好きな人が不幸になっている姿を見せつけられなきゃいけないの?」
私は…葵の言葉に答えることができなかった。言葉が胸に突き刺さる。
「自分だけ、ずるいよ。凛がずっと苦しんでる姿、私、これからもずっと一番傍で見続けなきゃいけないの…」
「…ごめん」
「謝らないでよ。謝られたって、どうしようもないんだから」
葵はそう言うと、下から私の肩を掴み返して、そのままぐるりと、身体の位置を反転させた。
今度は私が、葵に組み伏せられる形になる。
「葵…」
「動けないでしょ、凛」
息が荒い。
外は夜。月明りが部屋に差し込んできている。葵は青白く照らされていて、息をするたびに肩が上下しているのが分かる。
「私の方が、力が強いんだからね」
たしかに。
葵の力は強くて、いくら身をよじってもぴくりともしない。私は完全に、葵の支配下に置かれてしまっていた。
「…最初は、同じだったのにね」
「…もう同じじゃないんだから」
葵は私を見つめてくる。
目が見開かれている。
「別々の人を、好きになっちゃった、他人なんだからね」
私は未来が好きで、葵は私が好きで。
いつの間にか、私と葵の線はもう二度と交わらないくらい離れてしまっていたみたいだった。
「凛、キスしたこと、ある?」
「…ないわ」
「私はあるよ」
中学生の時。未来への当てつけのために、颯真にしたよ。凛に頼まれて、私はしたよ。
そしてそのまま、葵は私にかぶさってきて。
唇が、触れる。
私と同じだった顔が、今では私と違う顔が、私と同じだった唇が、今では私と違う唇が。
いまは一つに重なって、同じものに戻っている。
「…」
長い、長いキス。
舌まで入れてくる。
葵の舌が私の口内をまさぐって
「…っ」
噛んでやった。
葵は顔を離し、私を見下ろしている。
その唇から、血が流れ落ちている。
紅い血。
月明りに照らされたままの葵は、血をこぼしながら、私に向かっていった。
「凛のファーストキス、奪っちゃった」
「…そうね」
私はたぶん無表情のまま、言葉を続けた。
「…それで?」
「…っ」
葵が表情を変える。
汗を流しながら、真っ赤に上気して、心臓の脈打つ音がみえてきそうなくらい。
「凛…私のこと、嫌いになった?」
「なれるわけないでしょう」
私は葵の下から抜け出して、そのまま布団の上に座り込んだ。葵もぺたんと座り込んでいるから、ちょうど向き合う形になる。
「嫌いになんか、なれるわけがない…私と葵は、もともとは同じ人間だったんだから」
「…でも、私は私の事が嫌いだよ」
「葵は、私のことが好きなんでしょう?」
「うん。好き。大好き」
「なら、自分のこと嫌いだなんて言わないで…それって、私のことも嫌いって言っているのと同じことなんだから」
顔を近づける。
泣いている葵を見る。
今度は私から、そっと唇を近づける。
先ほどとは違う、優しいキス。
これは愛情だけど…愛じゃない。
私の中にある未来への感情とは違う…その違いがどこから来るのかは分からないけど、たぶん、心の中の一番奥底、魂って呼ばれる部分に起因しているのかもしれない。
「キス、してくれるの?」
「ただのキスよ。唇と唇が触れただけ。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「…それでも、私にとっては特別だよ」
葵は目を伏せる。
私にとっての特別、か。
ふと、思う。
時々、未来と話をしている時、ふいに、ちょこんと、手が触れる時がある。それだけで、私は身体の奥底がしびれるくらい気持ちよくなる。今のキスなんてくらべものにならない、背骨が溶けちゃうくらいの快感。
(あれが、あれこそが、私にとっての特別、なのかな)
未来が私に与えてくれる感情を、私は葵に与えてあげれるのかもしれない。それは優越感でも何でもなかった。ただ、そうあるだけだった。
この何ともない無力感…これこそが、愛しているのに愛されてはいない、その残酷さの証なのかもしれない。
「…愛されないなら、傷つけて、傷跡として残るのもいいかな、って思ったんだ」
葵がそう言う。まるで、私の心を読まれたような気がして、少しびくっとする。あぁ、やっぱり、葵と私は…もとは同じ人間、なんだな。
見たくない部分も、鏡のように、見えてしまう。
私の中にたしかにかすかにある、そんな部分を。
「凛」
「なに?」
「私、凛のことが好き」
「ありがとう。でもごめんね。私、他に好きな人がいるの」
「知ってる」
「知ってるのに、言うの?」
「自分の好きな人が好きな人が自分じゃないって分かっていたら、凛はその恋を諦めることってできる?」
「…無理ね」
「でしょう。私も同じ」
女同士だからでもない、姉妹だからでもない、ただ単に、別々の人を好きになった、それだけのこと。
「私が凛の恋をどうすることもできないように、凛だって私の恋をどうすることもできないんだからね」
「…そうね」
「だから、私は凛が好き。今は振り向いてくれなくても、いつか振り向いてくれるかもって…期待するのだけは、やめない」
私には返す言葉もないし、その資格もない。
私だって…同じなのだから。
「凛は文芸部だよね。文芸部、楽しい?」
「最高よ」
「…そうか、私が入ってる部活、知ってる?」
「葵は部活に入ってはいないでしょう」
私は答える。
葵は部活に入っていない。
葵が入っているのは…
「生徒会、なんだから」
「うん。そうだよ。今はただの生徒会の一員。でもね」
葵は笑った。
それは…何かを決意したかのような、不敵で、妖艶な笑いでもあった。
「来月、6月になったら、生徒会長選挙があるんだ」
その言葉に私は驚き…はしなかった。なんとなく、分かっていた。だから、次の言葉も予想できた。
「私、出馬するよ。生徒会長に…私は、なる」
諦めの悪い私のふたごは、諦めの悪い私の恋心と同じように、あがいて、あがいて、何かをしようとしている。
いろいろ考えて、いい言葉が思い浮かばなくて、それで結局、私は当たり障りのない言葉だけを返した。
「そう…頑張りなさい」
「うん…頑張る」
これから、何が変わるかは分からないけど。
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