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6話
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申し訳ていどについている薄いカーテンをひいて、窓を覆う。
「お母さま、今日もエイベル様が私を訪ねてきてくれたのよ。それで今度、舞踏会に一緒に行こうと誘ってくれたの」
窓際に置かれたベッドは朝日がよく差しこむ。まぶしいと感じているのかはわからないが、それでも少しぐらいは遮るものがあったほうがいいだろう。
シゼルが快適に眠り、目覚められるようにそっと布団をかけて、その手を握りながら穏やかに語り掛ける。
「誰かにエスコートされての舞踏会だなんて初めてだから、緊張するわ。失敗しないといいのだけれど……足を踏んでしまったらどうしようかしら」
◇◇◇
リネットは十五歳で社交デビューを果たし、それからも何度か社交界に顔を出した。
だが彼女に近づこうとする人はほとんどいなかった。
それがどうしてなのかわかったのは、三度目の夜会でだった。
「……魔力なしの不出来な娘のくせに社交界に顔を出せるとは」
そんな蔑むような眼差しと声に、リネットは社交界で自分がどう思われているのかを知った。
魔力がほぼないことは知れ渡り、それどころかメイディス家で起きた醜聞がすべて、リネットのしでかしたことになっていた。
アメリアの生活の中には当たり前のように、鞭で打たれるシゼルがいた。だから、そういうものなのだろうと彼女は思いながら育ち――粗相を働いた侍女を遠慮なく鞭で打った。
だが当時伯爵家で働く侍女のなかには男爵家や子爵家から行儀見習いに来た者もいたり、貴族につてのある商家の娘もいた。
そんな相手に傷を負わせたのだから、問題に発展しないはずがない。
だからメイディス伯は解決の際に「リネットが申し訳ないことをした」と謝り、多額の賠償金を支払った。
メイディス家は非を認めていて、賠償金まで支払っているのだから、誰が行ったかまではどうでもよくなったのだろう。
暗黙の了解のように、鞭で打ったのはアメリアではなく、リネットということになった。
ほかにも、アメリアはちょっとしたミスや粗相をすべてリネットに押し付けた。
妹に雑用を頼まれて寝る間もなかったから、妹が頼んだから、妹はわがままですぐに手が出るから――と、それはもう様々な理由をつけて、アメリアは自分の勘違いや失態はすべてリネットのせいだと言い訳し続けた。
そうしてリネット・メイディスという悪女の姿だけが社交界をひとり歩きし、彼女が初めて社交界に顔を出してからもずっとついて回っている。
悪女相手であれば何を言っても、何をやってもいいと思う者も出てくる始末だった。
たとえば、投資に失敗した者は自分の能力が低かったからではなく、リネットに嵌められたのだと言い訳したり。
我が子が何かしでかした者も、すべてはリネットの策略であると――
「足を踏んで、睨まれたことがある」
そんなふうに戦々恐々とした顔で語る者までいた。
本当にリネットが噂どおりの悪女であれば、罪を擦り付けてどうなるか、少し考えればわかるだろう。
それなのに誰もがリネットは悪女であると信じた。
罪をなすりつけたのは自分だけで、ほかの者の話は事実であると――そしてその者たちも何もされていないのだから、直接何かしなければ何もされないのだと、都合よく考えた。
はたから見てみれば、馬鹿げた話でしかない。
なにしろ、ていのよいスケープゴートに過ぎないリネットが、気づけば社交界一の策略家になっているのだから。
(私をなんだと思っているのかしら)
そうと知ったリネットも、怒りを通りこして呆れていた。
だがわざわざ誤解を解こうとはしなかった。そうなることを、自らの失敗を押し付けたアメリアはもちろん、メイディス伯も望んでいない。
もしも望んでいれば、早々にメイディス伯は解決を図っていただろう。だが黙認しているということは、そのほうが彼にとって都合がよいからだ。
恐れられている娘がいれば、メイディス家に軽々しく手を出せないとでも思ったのだろう。
だから十六歳――今年の社交シーズンがきても、リネットはいまだ誤解されたままだ。
夜会や舞踏会なんて行きたくないと思っても、行かないわけにはいかない。しかも今年は婚約者がいる。すべて不参加など、メイディス伯は認めないだろう。
「今度、舞踏会に出席しようと思うんだが……初めてのことで勝手を教えてくれると助かる」
そうした矢先、エイベルが訪ねてきて恥ずかしそうに頭を下げた。もちろん相手はリネットではない。
「ですが、私が教えるなど恐れ多く……リネットに教えてもらうのはいかがですか?」
「彼女に? 彼女が作法を知っているとは思えないが」
エイベルが訪ねてきたと聞いたリネットは、婚約者の務めとして挨拶ぐらいはしておくべきだろうと応接室に向かい――ふたりのやり取りを聞いてしまった。
「でも……私が教えたと知られたら……何をされるか」
「……ならば、彼女をエスコートすると誘うとしよう。そうすれば彼女も満足して、それ以上は追求してこないだろう」
そして帰りがけ、エイベルはその言葉のとおり見送りにきたリネットに声をかけた。
「今度舞踏会に行くつもりだが、くれぐれも俺に恥をかかせないでくれ」
一緒に行こうの一言もないそれに、リネットは微笑んで「はい、かしこまりました」と頷いた。
「お母さま、今日もエイベル様が私を訪ねてきてくれたのよ。それで今度、舞踏会に一緒に行こうと誘ってくれたの」
窓際に置かれたベッドは朝日がよく差しこむ。まぶしいと感じているのかはわからないが、それでも少しぐらいは遮るものがあったほうがいいだろう。
シゼルが快適に眠り、目覚められるようにそっと布団をかけて、その手を握りながら穏やかに語り掛ける。
「誰かにエスコートされての舞踏会だなんて初めてだから、緊張するわ。失敗しないといいのだけれど……足を踏んでしまったらどうしようかしら」
◇◇◇
リネットは十五歳で社交デビューを果たし、それからも何度か社交界に顔を出した。
だが彼女に近づこうとする人はほとんどいなかった。
それがどうしてなのかわかったのは、三度目の夜会でだった。
「……魔力なしの不出来な娘のくせに社交界に顔を出せるとは」
そんな蔑むような眼差しと声に、リネットは社交界で自分がどう思われているのかを知った。
魔力がほぼないことは知れ渡り、それどころかメイディス家で起きた醜聞がすべて、リネットのしでかしたことになっていた。
アメリアの生活の中には当たり前のように、鞭で打たれるシゼルがいた。だから、そういうものなのだろうと彼女は思いながら育ち――粗相を働いた侍女を遠慮なく鞭で打った。
だが当時伯爵家で働く侍女のなかには男爵家や子爵家から行儀見習いに来た者もいたり、貴族につてのある商家の娘もいた。
そんな相手に傷を負わせたのだから、問題に発展しないはずがない。
だからメイディス伯は解決の際に「リネットが申し訳ないことをした」と謝り、多額の賠償金を支払った。
メイディス家は非を認めていて、賠償金まで支払っているのだから、誰が行ったかまではどうでもよくなったのだろう。
暗黙の了解のように、鞭で打ったのはアメリアではなく、リネットということになった。
ほかにも、アメリアはちょっとしたミスや粗相をすべてリネットに押し付けた。
妹に雑用を頼まれて寝る間もなかったから、妹が頼んだから、妹はわがままですぐに手が出るから――と、それはもう様々な理由をつけて、アメリアは自分の勘違いや失態はすべてリネットのせいだと言い訳し続けた。
そうしてリネット・メイディスという悪女の姿だけが社交界をひとり歩きし、彼女が初めて社交界に顔を出してからもずっとついて回っている。
悪女相手であれば何を言っても、何をやってもいいと思う者も出てくる始末だった。
たとえば、投資に失敗した者は自分の能力が低かったからではなく、リネットに嵌められたのだと言い訳したり。
我が子が何かしでかした者も、すべてはリネットの策略であると――
「足を踏んで、睨まれたことがある」
そんなふうに戦々恐々とした顔で語る者までいた。
本当にリネットが噂どおりの悪女であれば、罪を擦り付けてどうなるか、少し考えればわかるだろう。
それなのに誰もがリネットは悪女であると信じた。
罪をなすりつけたのは自分だけで、ほかの者の話は事実であると――そしてその者たちも何もされていないのだから、直接何かしなければ何もされないのだと、都合よく考えた。
はたから見てみれば、馬鹿げた話でしかない。
なにしろ、ていのよいスケープゴートに過ぎないリネットが、気づけば社交界一の策略家になっているのだから。
(私をなんだと思っているのかしら)
そうと知ったリネットも、怒りを通りこして呆れていた。
だがわざわざ誤解を解こうとはしなかった。そうなることを、自らの失敗を押し付けたアメリアはもちろん、メイディス伯も望んでいない。
もしも望んでいれば、早々にメイディス伯は解決を図っていただろう。だが黙認しているということは、そのほうが彼にとって都合がよいからだ。
恐れられている娘がいれば、メイディス家に軽々しく手を出せないとでも思ったのだろう。
だから十六歳――今年の社交シーズンがきても、リネットはいまだ誤解されたままだ。
夜会や舞踏会なんて行きたくないと思っても、行かないわけにはいかない。しかも今年は婚約者がいる。すべて不参加など、メイディス伯は認めないだろう。
「今度、舞踏会に出席しようと思うんだが……初めてのことで勝手を教えてくれると助かる」
そうした矢先、エイベルが訪ねてきて恥ずかしそうに頭を下げた。もちろん相手はリネットではない。
「ですが、私が教えるなど恐れ多く……リネットに教えてもらうのはいかがですか?」
「彼女に? 彼女が作法を知っているとは思えないが」
エイベルが訪ねてきたと聞いたリネットは、婚約者の務めとして挨拶ぐらいはしておくべきだろうと応接室に向かい――ふたりのやり取りを聞いてしまった。
「でも……私が教えたと知られたら……何をされるか」
「……ならば、彼女をエスコートすると誘うとしよう。そうすれば彼女も満足して、それ以上は追求してこないだろう」
そして帰りがけ、エイベルはその言葉のとおり見送りにきたリネットに声をかけた。
「今度舞踏会に行くつもりだが、くれぐれも俺に恥をかかせないでくれ」
一緒に行こうの一言もないそれに、リネットは微笑んで「はい、かしこまりました」と頷いた。
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