どうやら私は悪女らしい~ならそれらしくふるまいましょう~

由良

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2話 身に覚えのないもの

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 婚約者の姿かたちすら覚えていないが、何も覚えていない私にほかに当てはなく、彼らに従うしかなかった。
 幸い日常生活を送るのに不都合はなかった。歩くことも話すことも食べることもできた。
 おそらく、体か、あるいは頭のどこかで覚えていたのだろう。

 だが、父と母は私が生きているだけでは不満だったようだ。貴族令嬢らしいふるまいを早く取り戻せというように、朝から晩までマナーやダンスの練習をさせられた。
 歩き方、フォークの持ち方、言葉遣い。私のどこにもないそれを一から覚えるのは大変だった。

「ほんとう、お姉さまって何をやっても駄目なのねぇ」

 ドレスの裾を踏んで転びかけた私にそう言ったのは、私の妹だと名乗ったセリーヌ。
 彼女はただ私の様子を見に来ては失敗するさまを見てくすくすと笑っていた。

「魔法の才能もないのに記憶も失って……しかも死ぬことすら失敗するなんて。お姉さまにできることってあるのかしら」

 嘲笑う彼女に返す言葉を私は持ち合わせていなかった。
 セリーヌと私がどういう関係だったのかまったくわからなかったからだ。

 言い返せばいいのか、へりくだればいいのかすらわからない。

 わかるのは、セリーヌが私のことを嫌っているらしいということと、馬鹿にしているということだけだった。


 ――そうして、なんとか言葉遣いだけは及第点を得た私は、婚約者であるシリル・アヒレスに会うことになったわけだけど。

 会ってそうそう睨まれ、悪行をまくしたてられた。
 しかも、あのセリーヌを私がいじめていたという内容のものを。婚約者に会えた感慨を感じる暇すらない。

 それに、義妹というのはどういうことだ。そんな話を私は聞かされていない。
 セリーヌが義妹ということは、養子か――あるいは父と母のどちらかが継親だということになる。
 てっきり実の親かと思っていたのに、違ったなんて。

「俺が知っているとは思いもしなかったか」

 セリーヌをいじめていたという話よりもそちらに衝撃を受け、ぽかんと呆けていた私に何を思ったのか、シリルが鼻で笑う。
 さもしてやったりというような顔で。

「曾祖父の約束さえなければ、お前との婚約など解消するというのに……まったく、忌々しい」

 なんでも、私とシリルの婚約は何十年も前に決まったらしい。
 エティエンヌ家とアヒレス家の曾祖父同士が仲がよく、年ごろの男女が生まれたら結婚させようと約束したはいいが、彼らの孫の代に生まれたのはどちらも男児だったそうだ。
 そうして約束は繰り越され、条件を満たしたのが、私とシリルだった。

 私は魔力適性試験の成績が芳しくなかったそうで、約束がなければ絶対に婚約できない相手らしい。
 もしもシリルとの婚約が駄目になったら、記憶を失った令嬢など誰も嫁にもらってくれるはずがない。それ相応の魔力があればどこかしら拾ってくれたかもしれないが、私ではその見込みもない。
 私を死ぬまで養う余裕はなく、なんとしても、記憶を失ったことは気づかれるな――シリルに会う前、念を押すように父が教えてくれた。

「……記憶以前の問題じゃないかしら」

 ここまで嫌われているのなら、記憶を失っていようとなかろうと婚約を解消されるのではないだろうか。

「なんだ」
「いえ、なんでもありません。それよりも……曾祖父の約束など放棄しようとは思わないのですか?」
「できるものならしているに決まっているだろう。だが、いくらお前の性格が悪いからと説いても父上は納得してくださらなかった!」

 父親に断られたときのことでも思い出したのか、激高したシリルの手が机を叩く。
 それは残念でしたね、と言うと火に油を注ぎそうだ。ここは黙っていることにしよう。

「でなければ誰がお前などと……」
「……どうやら、私はだいぶシリル様に嫌われているようですね」
「お前を好く者などいるものか」

 吐き捨てられる言葉に、胸の奥が痛くなる。
 私がクラリスだという実感はいまだない。だからといって、面と向かって暴言を吐かれ、憎しみを向けられて、傷つかないわけではない。

「でしたら、今日はこれでお開きとしましょう。失礼いたします」
「ああ、そうだな。そのほうが俺も清々する」

 シリルとのお茶会は定期的に開かれているそうだ。婚約者同士の親睦が深まるようにと――曾祖父が残した遺言書に書かれていたらしい。
 だから、急いでマナーを身に着けて今日という日に挑むことになった。

 その結果がこれとは。もう二度と顔を合わせたくないものだが、きっとそうもいかないのだろう。定期的に開くということは、またしばらくすれば会うことになる。
 考えるだけで、今から億劫だ。

 記憶を失う前の私は、あの婚約者の態度に何を思っていたのだろう。耐えられていたのだろうか。
 いや、耐えられなくなって死のうとしたのかもしれない。

 ああ本当に、私にはわからないことだらけだ。
 シリルが語った悪行の数々が真実かどうかすら私にはわからない。あのセリーヌをいじめていたとはとうてい思えないけど、それは私が記憶を失っているからそう思っているだけなのかもしれない。
 もしかしたら、これまで受けた鬱憤を晴らそうと思って、あんな態度を取ってきたのかもしれない。

 わけがわからないまま嫌われ、見下される。私がどういう人間だったのか、何も知らないのに。

 だけど両親に私がどういう人だったのか聞いても無駄だろう。実の親でないことすら伏せていたのだから――それが意図したものでなかったとしても、彼らが必要ないと判断した情報は教えてくれない可能性が高い。

 クラリスのことを知るのなら、調べるべきは彼女の部屋だろう。
 私に与えられた部屋は元はクラリスの部屋だったらしい。ここに何か残されていないかとあさる。
 この部屋に覚えもなければ懐かしさもない。だからどこに何があるのかもわからず、ただ手あたり次第に棚の中を引っ張りだし、引き出しをひっくり返す。

 クラリスがどういう人間だったのか。嫌われ、見下されるだけの理由があるのかどうか。
 何も知らないままでいるよりは、少しでも何か知りたくて、必死に探す。


 ――そうして出てきた答えは、案外単純なものだった。
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