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ゆうべには白骨となる
【六】迷探偵に羊羹を
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ぺりぺりと、セロハンのようなものを剥がす音が聞こえた。
向かいに座る佐和子の様子を伺うと、音の出どころは彼女の手元からのようだ。
彼女はどこからか取り出した一口羊羹の包装フィルムを剥がすと、それをひょいと頬張りながら二杯目のお茶に口をつけた。
「ほえで――」
ごくん、とひとつ喉が鳴る。
「――まずは、どこから?」
彼女は食べ終わった羊羹の包装フィルムを熨すようにしてデスクに広げはじめた。
これから話し合いを進めていくのはいいけれど、いかんせん取っ掛かりとなるものが無くては素人にはどうしようもないだろう、と彼女は言う。こういう場合、ミステリ小説では何から捜査するのが定石なのかと誠人は問いかけられた。
「そうですね……『殺人事件』なんかを扱ったミステリでは、最初に死亡推定時刻を設定して、それからその時間のアリバイの有無を関係者たちに当たりながら犯行時刻を絞り込んでいくのが一般的な流れなんですが……」
「なるほどねぇ……まあ、推理小説さながら『ご遺体』なら実際にあるんだけどねぇ……いかんせん小説とは勝手が違うわけだから、容疑者やアリバイがどうのっていう発想は、いまいちしっくりこないわね」
「そうでしょうか? たしかに本件は人的ミスが要因となって起こった可能性が高いので『容疑者』なんて物騒な物言いは避けるべきかもしれませんが……それでも『遺体の入れ替わり』が、いつ、どのタイミングで起こったのか特定することを初動捜査の方針と考えるのは、あながち間違ってないと思いますよ」
ふーん。そういうもんかね。とでも言いたそうに佐和子は包装フィルムを器用に細長く折り畳んでいる。
「あんたがそう言うなら……まあ、そうね。それじゃあ、まずは事件が起きた時間帯を絞ってみましょうか」
「では――」こほん、と軽く咳払いをする。
「――話は少し戻りますが、さっき音喜多さんと話し合った内容から、田中さんのご遺体が少なくとも六日の夕方五時までは地下に安置されていたのは確実とみていいと思います。ということは、事件が起こったのはそれ以降ということになりますから……現時点では、霊安室でぼくが熊男と対面した午後の一時過ぎまでが、その範囲であると考えていいんでしょうか?」
「あぁ……それね。それだったら、時間はもうちょっと絞れるわよ」
「もうちょっと絞れる? 午後一時以前に『熊男の遺体』の目撃情報でもあるんですか?」
あるんだな、それが――と、彼女が得意気に鼻を鳴らす。
「……いや、じつはね。今のいままで忘れてたんだけど……あたしは今朝ここへ出勤してすぐに霊安室でドライアイスの交換をしてたのよ」
ドライアイスはご遺体を腐敗から守るために処置されるものだが、時間とともに気化して無くなっていくので一日ごとに新しいものに取り換えなければならない。
「ドライ交換……それはつまり棺のフタを開けて、ご遺体の全身をくまなく見たってことですね? ――じゃあ、目撃者っていうのは音喜多さんご自身ですか?」
「ほうよ――」
佐和子が二つ目の羊羹をお茶で流し込む。
「――もちろん、顔もはっきり見た。ウチで預かっているご遺体すべてね。その時の記憶によれば……あたしがドライを当てた田中薫さんの遺体はすでに、あんたの言う熊男だったの。それが朝の九時のことよ」
この佐和子の証言をふまえると「異変」が起こったと思われる時間は六日の午後五時から七日の午前九時までのあいだ、つまりは閉館中の時間帯と考えて良さそうだ。
「そうだったんですか。朝九時の時点で遺体はもう……。なるほど。音喜多さんは熊男の存在をとっくに確認してたんですね」
だったらなぜそのとき――と言いかけた言葉のつづきを、彼女の上目遣いに押し留められた。
「――あ! そ、そうですね。失礼しました。音喜多さんは、その時点ではまだ遺影写真を見てないんでしたね」
わかればいいのよ、と彼女が静かに頷く。
そうだった。葬儀関係者で「遺体が入れ替わっているのではないか」ということに思いが至る人間は、遺体と遺影写真の両方を目にした者だけだ。今朝の時点で佐和子が気付かないのも無理はない。
この直前まで、誠人は脳内でひとつの仮説を思い描いていた。
その仮説とは、霊安庫内で四人の遺体が交換された可能性を想定したものだ。
現在、地下で保管されている遺体は以下の通り。
①五十嵐 公康
②皆川 宗平
③田中 薫
④不詳
自社で管理している安置所はこの会館以外に存在しないため、遺体が夜間にうっかり外へ持ち出された可能性は限りなく低い。
もし、遺体がまだ火葬されておらず館内に存在しているとするならば、それは故柩紙の貼り間違いなどの人為的ミスによって、この四者の間で遺体の入れ替わりが起こっている公算が高いだろう――そのように誠人は踏んでいた。
つまりはこういうことだ。
「熊男は何者か?」――彼は、①②④の内の「誰か」である。
「田中 薫はどこへ消えたのか?」――今もその「誰か」と入れ替わっている。
しかし、結局はこの推理も佐和子の証言によって早々に否定された形になる。
彼女はいましがた「今朝、すべての棺を開けて中を確認した」と証言したのだ。もし今朝の時点でご遺体と棺があべこべになっていたら、流石にその場ですぐに気付いただろう。
念押しして「他のご遺体に変わったところは無かったか」と聞いてみるも、彼女が言うには「異常なし。他のどのご遺体も写真の人物には該当しない」とのこと。
これを受けて、誠人は脳内でこの仮説に打消し線を引いた。
だめか。いいとこ突いてたと思ったんだけどなぁ――当てが外れて思わず表情が曇る。
しかし、その一方で彼は同時に得体のしれない「引っかかり」のようなものを感じてもいた。
あれ?――
――いま、なにか大事なことを見落としてなかったか?
その瞬間、脳内が俄かに騒めき立つ。
この違和感の正体は何だ?――ここまでの佐和子の言動か。あるいは目を通した資料の中にあった記述か。突如として思考に紛れ込んだ微小なノイズがちらちらと気になりだして、さきほどから振り払うことができないでいた。取るに足らないことのような気もしたが「軽視してはならない」と本能が警告音を発してもいる。
口元を手で覆い隠して一点を見つめる。
なんとかしてその正体を探ろうと集中してみるも、あまりに漠然とした疑念を前にその糸口すら掴めそうになかった。
どうやら、いまは記憶の中へと釣り糸を垂らして気長に待つ他はなさそうだ。
「どした? 具合でもわるい?」
ふと気が付くと、佐和子が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「あ、いえ……ちょっと気になることが――」
誠人が目の前で手を振る。些事に囚われて推理が本筋から逸れてしまっていたことを見咎められるかと思ったが、存外なことに佐和子には誠人がずっと物欲しそうな目をしているように見えていたらしく、
「あ! ひょっとして……羊羹、欲しかった?」
と、すまなそうに包装フィルムを手で隠した。
「……え? あ……ああ!――そうですね。少々頭を使ったので、ちょうど甘いものが欲しいところでした」
なにも疚しいことをしているわけではないものの、条件反射で取り繕うように調子を合わせる羽目になってしまった。
当然そんなつもりはなかったのだが、せっかくだから彼女の厚意に預かろうかと気を利かせて自分から申し出ようとするも、
よかったら、ひとつ頂けますか――などと言う間もなく、
「ごめん。さっき食べちゃったのが最後だわ」
にべもなく断られた。
「じゃあ、いいです」
羊羹はさておき、違和感の正体はおおいに気掛かりとなってしまった。しかし、ここで躓いていても埒が明かない。こっちのほうは後回しだ。
誠人は両肘をついて手を組み合わせた。
そうだ。いまは音喜多さんの気が変わらないうちに、一歩でも――
「――話を先へ進めましょう。音喜多さん、昨夜から今日にかけて閉館中に人が出入りした形跡がないか調べたいんですが、なにかわかりませんか?」
そう言うと、佐和子は眉根を寄せて「まったく、人使いが荒いわね」とでも言いたげに渋々とパソコンを操作しはじめた。
やがて、目当てのデータを探し当てたらしく手招きでこちらを呼び寄せる。
誠人は彼女の背後にまわりこみ、肩越しにその画面を注視した。映し出されたのはタイムカードのような表で、日付ごとに何らかの時刻が詳細に記録されていた。
「なんですか、コレ」
「半人前のあんたはまだ知らないと思うけど、ウチは交代制で夜勤があるの」
「知ってますよそれくらい。夜間に亡くなられた人の搬送と打ち合わせは、その日の当番の人が対応してるんですよね」
「そう。――で、コレはその夜間業務の際の入館記録なの。ここの会館は五時過ぎに閉館したあとは無人になるでしょ? その後に出入りする社員は、正面玄関の鍵のほかにセキュリティを解除するためのカードキーも持たされてるのよ。入館時と退館時にカードを切る必要があるから、それに紐づけされてその時間もここに記録されてるってわけ」
そういう仕組みがあったのか。監視カメラには録画機能ひとつないくせに、また変なところに金をかけたもんだ――誠人が食い入るように画面に顔を近づける。
「すみません。見方がいまいちわからないんですが、このデータだと昨日の夜から今朝まではどうなってるんです?」
「昨日は……。ほら、ここ。夜の十一時と、日付をまたいで七日の午前一時に記録が残ってる。十一時にご遺体が搬送されてきて、納棺やら葬儀の打ち合わせやらを済ませて、二時間後の午前一時に退館してるってことになるわね」
六日の夜間――夕方の閉館時刻から七日の朝まで――には、人の出入りが可能な時間帯があった。午後十一時から午前一時。葬儀の打ち合わせに費やされたその二時間のあいだは、誰であろうと隙をみて忍び込むことは可能だ。
口元に拳をあてて考えに耽る。
ふと横に目をやると、吐息がかかりそうな距離に佐和子の横顔があった。
「ちかすぎ」――ドン、と脇腹に肘鉄を受けた。
「あ! す、すみません!」そそくさと向かいのデスクへ戻る。
「ち、ちなみに……昨日搬送されてきたのはどのご遺体ですか?」
言って、誠人は仄かに赤らんだ顔色を隠そうと、資料を読むふりをしながらバインダーを衝立のように広げた。
「それだったら、あんたがいま持ってる受注書に書いてあるわよ。五十嵐家のやつ。昨日の夜十一時に、五十嵐公康さんという方が病院で亡くなって搬送されてきたみたいね。打ち合わせの担当は坂城さん」
坂城さんは業界歴二十年を超えるベテラン社員だ。物腰柔らかく冷静で判断力に長けている。過去に担当したお客様からの信頼も厚く「この人になら――」ということで、リピーターとなって坂城さんを指名してくる人も少なくない。
「坂城さん……坂城さん、か。あの人にかぎって……いや、でも――」
「ぶつぶつうるさいわね。坂城さんが遺体をすり替えたとでも言いたいの?」
「い、いえいえ! そんな滅相もない!」
言って、バタバタとおおげさに手を振る。
しかし表面上こそ及び腰を装って見せるも、このとき誠人は
――なるほど「すり替え」か。それもアリだな。
などと、内心では強かに思索に耽っていた。
とくに深い考えもなく先輩社員への邪推を口走ってしまったが、冷ややかに反抗心を仄めかす佐和子とは対照的に、これが不思議と誠人にはしっくりきた。
――何者かが、遺体を故意にすり替えた。
どう考えても創作物の中でしか起こり得ないような突飛な思いつきだ。しかし、これまでとは違った角度から事件を捉えたこの発想は、充分に検討の余地があると誠人には思えた。
人為的なミスに起因するものではない。これは、悪意ある人の手によって成された犯行なのだ――と。
「はいへはいへほ――」
佐和子がもぐもぐと口を動かして言った。
「……すみません。いま、なんと?」
見ると、彼女は何故か三枚目の包装フィルムを折り畳んでいた。
おい。羊羹、まだあるじゃないか――釈然としない思いがよぎったが、そんなことで話の腰を折るわけにもいかず大人しく言葉のつづきを待つ。
「――『ありえないでしょ』って言ったの。その推理は根本的に無理があるんじゃない? 坂城さんの人間性がどうのって以前に、状況的に考え難いと思うけど」
「それは……ちなみに、どうしてですか?」
「だって、ウチの寝台車にはご遺体を一人分しか乗せられないもの。もし、坂城さんがすり替えた張本人だって言うなら、昨夜の搬送時に五十嵐さんと一緒に熊男のご遺体もここへ持ち込まれたことになるでしょ」
「まぁ、そうなりますかね」
「『どこから熊男を調達したか』についてはこの際、目を瞑るとしましょう……でも、やっぱり二人分のご遺体を一度に運ぶのはちょっと無理があるわよ」
「そうですか? ご遺体の手足を器用に折り曲げて、助手席に座らせたっていうのはどうです?」
言ったものの、我ながら気味の悪い発想だなぁと思った。
「そりゃあ、物理的には可能といえば可能だけど、昨夜は五十嵐家の喪主と長女も寝台車に同乗して来館されたって申し送りに書いてあるでしょう? 熊男のご遺体を助手席に乗せたとしたら、遺族のどちらか一人はその膝上に座ってもらう必要があるわね」
そう言って佐和子が肩をすぼめた。
自分でも「坂城さん犯人説」は薄いとわかっているので、それについては元より反論の余地も無かったのだが……しかし、どうだろうか。瓢箪から駒ということもある。ここはもう少しだけ掘り下げ甲斐がありそうだ。
「絶対に無理とは限りませんよ。だって、なにも遺体を同時に搬送してくる必要は無いじゃないですか」
「なにそれ。二回に分けて往復したってこと?」
「ええ。そうは考えられませんか? たとえばですけど、打ち合わせの合間に会館を抜け出してもう一人のご遺体を運んでくるとか……」
「それは難しいわね。あたしも打ち合わせの経験があるから言えることだけど、搬送から打ち合わせを終えるまでの二時間は基本的に葬家と付きっきりなの。だから途中で抜けてご遺体を取りに行くだなんて、そんな暇あるわけない。直葬ならまだしも、二百万円を超える見積の打ち合わせをトリックに弄する余裕を残して時間内に収めることは不可能よ」
「じゃあ、熊男のご遺体を前もって隠しておくとかはどうです? 外との行き来が無理だったら、打ち合わせ中に館内のどこからか取り出した熊男を隙をみて入れ替えてしまえばいいんですよ。五十嵐家を見送ったあとに、田中さんを入れ替わりで寝台車に乗せて会館を後にした――それだったら、トリックに割ける時間も捻出できるんじゃないですか?」
「前もって……って、いつ? 坂城さんが日常的に抱えてる業務の量を考えたら、日中にわざわざ会館に足を運ぶ暇なんて無いと思うけど」
「夜間にこっそり来ていたかもしれないじゃないですか……」
「少なくとも、ここ数日は閉館後に不審な出入りをしたような痕跡は見当たらないわね。――だいたい遺体を前もって隠しておくにしても、そんな都合の良い場所が会館にあるかな? いかにも隠し場所になりそうな備品倉庫とかリネン室なんかは、あたしたち従業員や清掃業者やらが毎日巡回してるし」
「れ、霊安庫の中は……」
「霊安庫なんてもってのほかでしょ。ただでさえスタッフが頻繁に見て回ってるうえに、いつ新たなご遺体が搬送されてくるかもわからないじゃないの。人の不幸は先読みが効かないのよ? 未使用の霊安庫にこっそり忍ばせておくなんて、うっかり開けられて見つかるリスクが高いだけで危険極まりないと思うけど」
それに――と、佐和子がトドメの一言を放つ。
「――そもそもの話、そんなことして坂城さんに何の得があるわけ?」
それを言われては、ぐうの音も出ない。
――「何の得があるか」だって? ぼくが聞きたいよ。そんなこと!
葬儀屋の遺体をこっそり入れ替えて得をする人間なんて、どう頭を捻っても悪戯目的の愉快犯くらいしか思い当たる節がない。葬儀社に勤める人間が、わざわざ自社で預かっているご遺体にちょっかいを掛ける理由は正直、思い当たらない。身内の犯行とは考えにくい。
と、ここまで考えて「待てよ」と思い直す。逆に考えて、外部からの侵入者による犯行とすれば、動機の面でも筋の通った理屈はひねり出せるかもしれない。
――うん。だいじょうぶ。劣勢だがもう少し闘えそうだ。
誠人は潔く翻意して「外部の人間による犯行説」を提言した。
坂城さんが五十嵐家の打ち合わせをしていた二時間は、誰でも会館に出入りが可能だった。打ち合わせに充てられる時間の大半はスタッフと葬家が顔を突き合わせて話し合いに集中している。場所は大抵、二階のお清め場か三階の応接室。人目を忍んで地下に入り込もうとすれば、やってやれないことはなかったはずだ――と。
しかし、これも「ありえない」と、あっさり却下されてしまう。
なぜならば、六日の夜に会館が開放されていたのは不幸な巡り合わせによる偶然そのものであり、第三者が計画的にその時間を狙って侵入することは不可能だからだ――というのが、彼女の見解だった。
そうくると思った――これに誠人が反論する。
そもそもこれは計画的な犯行などではなかったのだ、と。
誠人の推理はこうだ。
まず、行きずりの犯行により何者かが人を殺めてしまったとする。この被害者とは、言うに及ばず熊男のことだ。そして犯人は、死体をどこかへ遺棄するために当てもなく徘徊を繰り返していた矢先に、偶然にも夜間に開放している葬儀会館へと行き着いた。しめた。木を隠すなら森の中だ。ここの霊安庫で眠る遺体のひとつにこっそり紛れ込ませてしまおう――
「――ツッコミどころ、だらけね」
佐和子が呆れて天を仰いだ。
「熊男みたいな大柄な死体を担いで、誰にも見られずに会館に忍びこんで、そんでもって棺の中に入れて隠した? 常識的に考えて、そんなことが可能だと思う?」
「この現状がすでに常識から外れてるんですから、多少は飛躍した発想も必要だと思いますけど……。犯人も同じくらい大柄な男性で、尚且つ複数犯だって可能性も考慮すれば絶対にありえないとは言い切れないはずです」
「あんた忘れたの? 地下のご遺体は『増えた』わけでも『減った』わけでもない。ちゃんと受注書の記録どおり四体揃ってるのよ? 百歩譲って、熊男のご遺体が外部から持ち込まれたものだとしましょう。だとしたら、犯人はなぜ田中さんのご遺体を入れ替わりに持ち出したっていうの? 遺棄する目的で侵入したっていうのに、お土産を持って帰ってどうすんのよ」
それは――と、しばらく目を閉じて推理に集中する。
うん。このセンならいけるかも。
「田中さんのご遺体は、納棺された熊男と入れ替わりで館内のどこかに隠されたんじゃないでしょうか。その理由はこうです。犯人は死亡推定時刻をごまかすために、自らが殺めた死体を低温の霊安庫に遺棄する必要があると考えた。しかし、不審なご遺体がひとつ増えていたら発覚が早まるかもしれない。そこで先客の誰かに立ち退いてもらうことに決めて、目をつけられたのが田中さんだった、というわけです。わざわざ棺に入れ替えてまで念入りに工作をした甲斐もあって、一昼夜あけるまで、現にぼくたちは気付かなかった」
「それにしたって、わざわざ『入れ替え』なんて手間のかかる手段をとらなくても、最初から熊男を館内のどこかに隠せば済む話じゃない。死体を冷やす必要があるなら、屋外にあるドライアイスの業務用冷蔵庫でもいいわけだし」
「音喜多さん忘れたんですか? 田中さんと熊男では体格にかなりの差があるんですよ。熊男の身体は業務用の冷蔵庫でも収まらないほど大柄です。それに比べて細身の田中さんだったら、冷やしておく必要もないうえに隠し場所も熊男ほど苦労はしません。犯人にとっては、田中さんをどこかに隠すほうが都合が良かったんですよ」
「館内の目ぼしい場所はすでにチェック済みって言わなかった?」
「犯人だってそれを承知の上で隠し場所を選ぶわけですから、日常業務で目の届かない場所を狙ってくるに決まってるでしょう。ご遺体が見つかっていない以上は、まだどこかに隠されているという可能性は否定しきれないはずです」
ふーん――と、佐和子が鼻から息を抜く。
「――で? その隠し場所ってのはどこなの?」
「うぅっ! そ、それはなんとも……」
それがわかれば苦労しないよ――威勢よくパンチの応酬をしていたつもりが、佐和子の放ったジャブがカウンターとなって思わず足がとまる。この場に限ってではあるが証明責任を請け負った以上、舌戦ではこちらの分が悪いか。
「なによ。威勢が良いのは最初だけ? まったく詰めが甘いわね。あれだけ大見得切ってみせたからには、せめて隠し場所の見当くらいつけてから物を言いなさいよ」
佐和子がずけずけと詰め寄る。なかなかに痛いところを突かれてしまった。
しかし「遺体の隠し場所」はこの推理の肝の部分でもある。ここをないがしろにしては、これ以上の話の進展が望めないのも事実だ。
――考えろ。考えろ。遺体があるとすれば、どこに隠されている?
肘をつき、目を覆うようにして額に手をやる。
一見して、館内に遺体を隠せるような場所などは存在しないように思える。
だが――もし本当にそんな隠し場所があるとするならば、その候補となる空間は以下の二つの条件を満たす必要があるだろう。
①関係者の目に触れることがない場所。
――なにも白骨化するほどの長期間である必要はない。昨夜から今日にかけて、一時凌ぎで人目から遠ざけられるような場所でいい。
②小柄な体躯でなければ入れない場所。
――入れ替わりで田中薫が隠されたと考えるならば、それは熊男では大きすぎて入れないような狭小な空間でなければならなかったはずだ。
どうだ。該当するような場所があるだろうか。
誠人は脳内に描いたイメージで、館内を外から順に隅々まで巡回していく。
駐車場――人を隠すとなれば生垣の中くらいか……いや、あの植え込みの低さではいくら小柄な男性でも人目につかないわけがない。
ドライアイス用の冷蔵庫――現状、最もあり得そうなのはここだが……生憎、彼女が今朝の交換業務でチェックしているはず。
一階(受付・ロビー・式場)――花見生花店をはじめ、従業員の出入りが最も多い場所だ。ここに隠すのは難しい。
二階(お清め場・パントリー)――清掃に取り掛かる前に自分の目でひと通り確認した。当然、不審なものは何ひとつ無かった。
倉庫とリネン室――物は多いが整理が行き届いているおかげで視界は広く取れる。人目を遮るほどの空間は無いだろう。
三階(応接室・事務所)――あればとっくに見つかっている。
そして地下(霊安室)――未使用の霊安庫がカラであることを彼女が確認済み。
「だめだ! 何も思いつかない!」
髪をくしゃくしゃと掻き乱して叫ぶ。
一方で、佐和子は包装フィルムをくるくると指に巻き付けながら
「まぁ、そうよね。この建物はそんなに広くはないし。人目に触れない場所なんてまず無いでしょ。――それこそ『開かずの間』のような隠し部屋でもない限り、ご遺体を隠しておくことなんて到底無理だと思うけど」
と、口角を上げて言う。
『開かずの間』――
その言葉を聞いた瞬間、誠人ははたと顔をあげた。
思考の奥底に沈んだ深い淀みに、その一言が一筋の光となって落ちていく。
すると、その光に照らされるようにして、いままで漠然としていたイメージが輪郭を伴って徐々に浮かび上がってきた。
人目に触れない――「暗く」て――
そして「狭い」場所――
「あ!」雷に打たれたように上体が跳ね上がった。
「わかりました!」
「わかったって、なにがよ」
「隠し場所ですよ! この館内には一カ所だけ――『開かずの間』が存在したんです! 田中さんのご遺体がまだあるとしたら、もうあそこしか考えられません!」
ほお――と、佐和子の目が見開かれる。
「この土壇場で、最後の悪あがきってわけね――それで? その『開かずの間』ってのはどこなの?」
誠人は力強く両手をつき、ガタッと立ち上がった。
「確証に乏しいので、詳しいことはまだ話せませんが……いまから、それを確かめに行きたいと思います。音喜多さんも一緒についてきてください」
佐和子が「げ。」と顔を歪める。
「あはひもひはなは、はえはほ?」
「当たり前です! あなたも探偵の端くれなら、少しは足で情報を稼ぎましょう!」
「……あたし、ただの会社員なんだけど」
佐和子の呟きは、もはや誠人の耳には届いていなかった。
彼女が腰を上げるのを待たずして、誠人は事務所の外へと飛び出していく。
――行こう。もう一度「あの場所」へ。
願わくば、そこで、すべてに決着せんことを――
(つづく)
向かいに座る佐和子の様子を伺うと、音の出どころは彼女の手元からのようだ。
彼女はどこからか取り出した一口羊羹の包装フィルムを剥がすと、それをひょいと頬張りながら二杯目のお茶に口をつけた。
「ほえで――」
ごくん、とひとつ喉が鳴る。
「――まずは、どこから?」
彼女は食べ終わった羊羹の包装フィルムを熨すようにしてデスクに広げはじめた。
これから話し合いを進めていくのはいいけれど、いかんせん取っ掛かりとなるものが無くては素人にはどうしようもないだろう、と彼女は言う。こういう場合、ミステリ小説では何から捜査するのが定石なのかと誠人は問いかけられた。
「そうですね……『殺人事件』なんかを扱ったミステリでは、最初に死亡推定時刻を設定して、それからその時間のアリバイの有無を関係者たちに当たりながら犯行時刻を絞り込んでいくのが一般的な流れなんですが……」
「なるほどねぇ……まあ、推理小説さながら『ご遺体』なら実際にあるんだけどねぇ……いかんせん小説とは勝手が違うわけだから、容疑者やアリバイがどうのっていう発想は、いまいちしっくりこないわね」
「そうでしょうか? たしかに本件は人的ミスが要因となって起こった可能性が高いので『容疑者』なんて物騒な物言いは避けるべきかもしれませんが……それでも『遺体の入れ替わり』が、いつ、どのタイミングで起こったのか特定することを初動捜査の方針と考えるのは、あながち間違ってないと思いますよ」
ふーん。そういうもんかね。とでも言いたそうに佐和子は包装フィルムを器用に細長く折り畳んでいる。
「あんたがそう言うなら……まあ、そうね。それじゃあ、まずは事件が起きた時間帯を絞ってみましょうか」
「では――」こほん、と軽く咳払いをする。
「――話は少し戻りますが、さっき音喜多さんと話し合った内容から、田中さんのご遺体が少なくとも六日の夕方五時までは地下に安置されていたのは確実とみていいと思います。ということは、事件が起こったのはそれ以降ということになりますから……現時点では、霊安室でぼくが熊男と対面した午後の一時過ぎまでが、その範囲であると考えていいんでしょうか?」
「あぁ……それね。それだったら、時間はもうちょっと絞れるわよ」
「もうちょっと絞れる? 午後一時以前に『熊男の遺体』の目撃情報でもあるんですか?」
あるんだな、それが――と、彼女が得意気に鼻を鳴らす。
「……いや、じつはね。今のいままで忘れてたんだけど……あたしは今朝ここへ出勤してすぐに霊安室でドライアイスの交換をしてたのよ」
ドライアイスはご遺体を腐敗から守るために処置されるものだが、時間とともに気化して無くなっていくので一日ごとに新しいものに取り換えなければならない。
「ドライ交換……それはつまり棺のフタを開けて、ご遺体の全身をくまなく見たってことですね? ――じゃあ、目撃者っていうのは音喜多さんご自身ですか?」
「ほうよ――」
佐和子が二つ目の羊羹をお茶で流し込む。
「――もちろん、顔もはっきり見た。ウチで預かっているご遺体すべてね。その時の記憶によれば……あたしがドライを当てた田中薫さんの遺体はすでに、あんたの言う熊男だったの。それが朝の九時のことよ」
この佐和子の証言をふまえると「異変」が起こったと思われる時間は六日の午後五時から七日の午前九時までのあいだ、つまりは閉館中の時間帯と考えて良さそうだ。
「そうだったんですか。朝九時の時点で遺体はもう……。なるほど。音喜多さんは熊男の存在をとっくに確認してたんですね」
だったらなぜそのとき――と言いかけた言葉のつづきを、彼女の上目遣いに押し留められた。
「――あ! そ、そうですね。失礼しました。音喜多さんは、その時点ではまだ遺影写真を見てないんでしたね」
わかればいいのよ、と彼女が静かに頷く。
そうだった。葬儀関係者で「遺体が入れ替わっているのではないか」ということに思いが至る人間は、遺体と遺影写真の両方を目にした者だけだ。今朝の時点で佐和子が気付かないのも無理はない。
この直前まで、誠人は脳内でひとつの仮説を思い描いていた。
その仮説とは、霊安庫内で四人の遺体が交換された可能性を想定したものだ。
現在、地下で保管されている遺体は以下の通り。
①五十嵐 公康
②皆川 宗平
③田中 薫
④不詳
自社で管理している安置所はこの会館以外に存在しないため、遺体が夜間にうっかり外へ持ち出された可能性は限りなく低い。
もし、遺体がまだ火葬されておらず館内に存在しているとするならば、それは故柩紙の貼り間違いなどの人為的ミスによって、この四者の間で遺体の入れ替わりが起こっている公算が高いだろう――そのように誠人は踏んでいた。
つまりはこういうことだ。
「熊男は何者か?」――彼は、①②④の内の「誰か」である。
「田中 薫はどこへ消えたのか?」――今もその「誰か」と入れ替わっている。
しかし、結局はこの推理も佐和子の証言によって早々に否定された形になる。
彼女はいましがた「今朝、すべての棺を開けて中を確認した」と証言したのだ。もし今朝の時点でご遺体と棺があべこべになっていたら、流石にその場ですぐに気付いただろう。
念押しして「他のご遺体に変わったところは無かったか」と聞いてみるも、彼女が言うには「異常なし。他のどのご遺体も写真の人物には該当しない」とのこと。
これを受けて、誠人は脳内でこの仮説に打消し線を引いた。
だめか。いいとこ突いてたと思ったんだけどなぁ――当てが外れて思わず表情が曇る。
しかし、その一方で彼は同時に得体のしれない「引っかかり」のようなものを感じてもいた。
あれ?――
――いま、なにか大事なことを見落としてなかったか?
その瞬間、脳内が俄かに騒めき立つ。
この違和感の正体は何だ?――ここまでの佐和子の言動か。あるいは目を通した資料の中にあった記述か。突如として思考に紛れ込んだ微小なノイズがちらちらと気になりだして、さきほどから振り払うことができないでいた。取るに足らないことのような気もしたが「軽視してはならない」と本能が警告音を発してもいる。
口元を手で覆い隠して一点を見つめる。
なんとかしてその正体を探ろうと集中してみるも、あまりに漠然とした疑念を前にその糸口すら掴めそうになかった。
どうやら、いまは記憶の中へと釣り糸を垂らして気長に待つ他はなさそうだ。
「どした? 具合でもわるい?」
ふと気が付くと、佐和子が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「あ、いえ……ちょっと気になることが――」
誠人が目の前で手を振る。些事に囚われて推理が本筋から逸れてしまっていたことを見咎められるかと思ったが、存外なことに佐和子には誠人がずっと物欲しそうな目をしているように見えていたらしく、
「あ! ひょっとして……羊羹、欲しかった?」
と、すまなそうに包装フィルムを手で隠した。
「……え? あ……ああ!――そうですね。少々頭を使ったので、ちょうど甘いものが欲しいところでした」
なにも疚しいことをしているわけではないものの、条件反射で取り繕うように調子を合わせる羽目になってしまった。
当然そんなつもりはなかったのだが、せっかくだから彼女の厚意に預かろうかと気を利かせて自分から申し出ようとするも、
よかったら、ひとつ頂けますか――などと言う間もなく、
「ごめん。さっき食べちゃったのが最後だわ」
にべもなく断られた。
「じゃあ、いいです」
羊羹はさておき、違和感の正体はおおいに気掛かりとなってしまった。しかし、ここで躓いていても埒が明かない。こっちのほうは後回しだ。
誠人は両肘をついて手を組み合わせた。
そうだ。いまは音喜多さんの気が変わらないうちに、一歩でも――
「――話を先へ進めましょう。音喜多さん、昨夜から今日にかけて閉館中に人が出入りした形跡がないか調べたいんですが、なにかわかりませんか?」
そう言うと、佐和子は眉根を寄せて「まったく、人使いが荒いわね」とでも言いたげに渋々とパソコンを操作しはじめた。
やがて、目当てのデータを探し当てたらしく手招きでこちらを呼び寄せる。
誠人は彼女の背後にまわりこみ、肩越しにその画面を注視した。映し出されたのはタイムカードのような表で、日付ごとに何らかの時刻が詳細に記録されていた。
「なんですか、コレ」
「半人前のあんたはまだ知らないと思うけど、ウチは交代制で夜勤があるの」
「知ってますよそれくらい。夜間に亡くなられた人の搬送と打ち合わせは、その日の当番の人が対応してるんですよね」
「そう。――で、コレはその夜間業務の際の入館記録なの。ここの会館は五時過ぎに閉館したあとは無人になるでしょ? その後に出入りする社員は、正面玄関の鍵のほかにセキュリティを解除するためのカードキーも持たされてるのよ。入館時と退館時にカードを切る必要があるから、それに紐づけされてその時間もここに記録されてるってわけ」
そういう仕組みがあったのか。監視カメラには録画機能ひとつないくせに、また変なところに金をかけたもんだ――誠人が食い入るように画面に顔を近づける。
「すみません。見方がいまいちわからないんですが、このデータだと昨日の夜から今朝まではどうなってるんです?」
「昨日は……。ほら、ここ。夜の十一時と、日付をまたいで七日の午前一時に記録が残ってる。十一時にご遺体が搬送されてきて、納棺やら葬儀の打ち合わせやらを済ませて、二時間後の午前一時に退館してるってことになるわね」
六日の夜間――夕方の閉館時刻から七日の朝まで――には、人の出入りが可能な時間帯があった。午後十一時から午前一時。葬儀の打ち合わせに費やされたその二時間のあいだは、誰であろうと隙をみて忍び込むことは可能だ。
口元に拳をあてて考えに耽る。
ふと横に目をやると、吐息がかかりそうな距離に佐和子の横顔があった。
「ちかすぎ」――ドン、と脇腹に肘鉄を受けた。
「あ! す、すみません!」そそくさと向かいのデスクへ戻る。
「ち、ちなみに……昨日搬送されてきたのはどのご遺体ですか?」
言って、誠人は仄かに赤らんだ顔色を隠そうと、資料を読むふりをしながらバインダーを衝立のように広げた。
「それだったら、あんたがいま持ってる受注書に書いてあるわよ。五十嵐家のやつ。昨日の夜十一時に、五十嵐公康さんという方が病院で亡くなって搬送されてきたみたいね。打ち合わせの担当は坂城さん」
坂城さんは業界歴二十年を超えるベテラン社員だ。物腰柔らかく冷静で判断力に長けている。過去に担当したお客様からの信頼も厚く「この人になら――」ということで、リピーターとなって坂城さんを指名してくる人も少なくない。
「坂城さん……坂城さん、か。あの人にかぎって……いや、でも――」
「ぶつぶつうるさいわね。坂城さんが遺体をすり替えたとでも言いたいの?」
「い、いえいえ! そんな滅相もない!」
言って、バタバタとおおげさに手を振る。
しかし表面上こそ及び腰を装って見せるも、このとき誠人は
――なるほど「すり替え」か。それもアリだな。
などと、内心では強かに思索に耽っていた。
とくに深い考えもなく先輩社員への邪推を口走ってしまったが、冷ややかに反抗心を仄めかす佐和子とは対照的に、これが不思議と誠人にはしっくりきた。
――何者かが、遺体を故意にすり替えた。
どう考えても創作物の中でしか起こり得ないような突飛な思いつきだ。しかし、これまでとは違った角度から事件を捉えたこの発想は、充分に検討の余地があると誠人には思えた。
人為的なミスに起因するものではない。これは、悪意ある人の手によって成された犯行なのだ――と。
「はいへはいへほ――」
佐和子がもぐもぐと口を動かして言った。
「……すみません。いま、なんと?」
見ると、彼女は何故か三枚目の包装フィルムを折り畳んでいた。
おい。羊羹、まだあるじゃないか――釈然としない思いがよぎったが、そんなことで話の腰を折るわけにもいかず大人しく言葉のつづきを待つ。
「――『ありえないでしょ』って言ったの。その推理は根本的に無理があるんじゃない? 坂城さんの人間性がどうのって以前に、状況的に考え難いと思うけど」
「それは……ちなみに、どうしてですか?」
「だって、ウチの寝台車にはご遺体を一人分しか乗せられないもの。もし、坂城さんがすり替えた張本人だって言うなら、昨夜の搬送時に五十嵐さんと一緒に熊男のご遺体もここへ持ち込まれたことになるでしょ」
「まぁ、そうなりますかね」
「『どこから熊男を調達したか』についてはこの際、目を瞑るとしましょう……でも、やっぱり二人分のご遺体を一度に運ぶのはちょっと無理があるわよ」
「そうですか? ご遺体の手足を器用に折り曲げて、助手席に座らせたっていうのはどうです?」
言ったものの、我ながら気味の悪い発想だなぁと思った。
「そりゃあ、物理的には可能といえば可能だけど、昨夜は五十嵐家の喪主と長女も寝台車に同乗して来館されたって申し送りに書いてあるでしょう? 熊男のご遺体を助手席に乗せたとしたら、遺族のどちらか一人はその膝上に座ってもらう必要があるわね」
そう言って佐和子が肩をすぼめた。
自分でも「坂城さん犯人説」は薄いとわかっているので、それについては元より反論の余地も無かったのだが……しかし、どうだろうか。瓢箪から駒ということもある。ここはもう少しだけ掘り下げ甲斐がありそうだ。
「絶対に無理とは限りませんよ。だって、なにも遺体を同時に搬送してくる必要は無いじゃないですか」
「なにそれ。二回に分けて往復したってこと?」
「ええ。そうは考えられませんか? たとえばですけど、打ち合わせの合間に会館を抜け出してもう一人のご遺体を運んでくるとか……」
「それは難しいわね。あたしも打ち合わせの経験があるから言えることだけど、搬送から打ち合わせを終えるまでの二時間は基本的に葬家と付きっきりなの。だから途中で抜けてご遺体を取りに行くだなんて、そんな暇あるわけない。直葬ならまだしも、二百万円を超える見積の打ち合わせをトリックに弄する余裕を残して時間内に収めることは不可能よ」
「じゃあ、熊男のご遺体を前もって隠しておくとかはどうです? 外との行き来が無理だったら、打ち合わせ中に館内のどこからか取り出した熊男を隙をみて入れ替えてしまえばいいんですよ。五十嵐家を見送ったあとに、田中さんを入れ替わりで寝台車に乗せて会館を後にした――それだったら、トリックに割ける時間も捻出できるんじゃないですか?」
「前もって……って、いつ? 坂城さんが日常的に抱えてる業務の量を考えたら、日中にわざわざ会館に足を運ぶ暇なんて無いと思うけど」
「夜間にこっそり来ていたかもしれないじゃないですか……」
「少なくとも、ここ数日は閉館後に不審な出入りをしたような痕跡は見当たらないわね。――だいたい遺体を前もって隠しておくにしても、そんな都合の良い場所が会館にあるかな? いかにも隠し場所になりそうな備品倉庫とかリネン室なんかは、あたしたち従業員や清掃業者やらが毎日巡回してるし」
「れ、霊安庫の中は……」
「霊安庫なんてもってのほかでしょ。ただでさえスタッフが頻繁に見て回ってるうえに、いつ新たなご遺体が搬送されてくるかもわからないじゃないの。人の不幸は先読みが効かないのよ? 未使用の霊安庫にこっそり忍ばせておくなんて、うっかり開けられて見つかるリスクが高いだけで危険極まりないと思うけど」
それに――と、佐和子がトドメの一言を放つ。
「――そもそもの話、そんなことして坂城さんに何の得があるわけ?」
それを言われては、ぐうの音も出ない。
――「何の得があるか」だって? ぼくが聞きたいよ。そんなこと!
葬儀屋の遺体をこっそり入れ替えて得をする人間なんて、どう頭を捻っても悪戯目的の愉快犯くらいしか思い当たる節がない。葬儀社に勤める人間が、わざわざ自社で預かっているご遺体にちょっかいを掛ける理由は正直、思い当たらない。身内の犯行とは考えにくい。
と、ここまで考えて「待てよ」と思い直す。逆に考えて、外部からの侵入者による犯行とすれば、動機の面でも筋の通った理屈はひねり出せるかもしれない。
――うん。だいじょうぶ。劣勢だがもう少し闘えそうだ。
誠人は潔く翻意して「外部の人間による犯行説」を提言した。
坂城さんが五十嵐家の打ち合わせをしていた二時間は、誰でも会館に出入りが可能だった。打ち合わせに充てられる時間の大半はスタッフと葬家が顔を突き合わせて話し合いに集中している。場所は大抵、二階のお清め場か三階の応接室。人目を忍んで地下に入り込もうとすれば、やってやれないことはなかったはずだ――と。
しかし、これも「ありえない」と、あっさり却下されてしまう。
なぜならば、六日の夜に会館が開放されていたのは不幸な巡り合わせによる偶然そのものであり、第三者が計画的にその時間を狙って侵入することは不可能だからだ――というのが、彼女の見解だった。
そうくると思った――これに誠人が反論する。
そもそもこれは計画的な犯行などではなかったのだ、と。
誠人の推理はこうだ。
まず、行きずりの犯行により何者かが人を殺めてしまったとする。この被害者とは、言うに及ばず熊男のことだ。そして犯人は、死体をどこかへ遺棄するために当てもなく徘徊を繰り返していた矢先に、偶然にも夜間に開放している葬儀会館へと行き着いた。しめた。木を隠すなら森の中だ。ここの霊安庫で眠る遺体のひとつにこっそり紛れ込ませてしまおう――
「――ツッコミどころ、だらけね」
佐和子が呆れて天を仰いだ。
「熊男みたいな大柄な死体を担いで、誰にも見られずに会館に忍びこんで、そんでもって棺の中に入れて隠した? 常識的に考えて、そんなことが可能だと思う?」
「この現状がすでに常識から外れてるんですから、多少は飛躍した発想も必要だと思いますけど……。犯人も同じくらい大柄な男性で、尚且つ複数犯だって可能性も考慮すれば絶対にありえないとは言い切れないはずです」
「あんた忘れたの? 地下のご遺体は『増えた』わけでも『減った』わけでもない。ちゃんと受注書の記録どおり四体揃ってるのよ? 百歩譲って、熊男のご遺体が外部から持ち込まれたものだとしましょう。だとしたら、犯人はなぜ田中さんのご遺体を入れ替わりに持ち出したっていうの? 遺棄する目的で侵入したっていうのに、お土産を持って帰ってどうすんのよ」
それは――と、しばらく目を閉じて推理に集中する。
うん。このセンならいけるかも。
「田中さんのご遺体は、納棺された熊男と入れ替わりで館内のどこかに隠されたんじゃないでしょうか。その理由はこうです。犯人は死亡推定時刻をごまかすために、自らが殺めた死体を低温の霊安庫に遺棄する必要があると考えた。しかし、不審なご遺体がひとつ増えていたら発覚が早まるかもしれない。そこで先客の誰かに立ち退いてもらうことに決めて、目をつけられたのが田中さんだった、というわけです。わざわざ棺に入れ替えてまで念入りに工作をした甲斐もあって、一昼夜あけるまで、現にぼくたちは気付かなかった」
「それにしたって、わざわざ『入れ替え』なんて手間のかかる手段をとらなくても、最初から熊男を館内のどこかに隠せば済む話じゃない。死体を冷やす必要があるなら、屋外にあるドライアイスの業務用冷蔵庫でもいいわけだし」
「音喜多さん忘れたんですか? 田中さんと熊男では体格にかなりの差があるんですよ。熊男の身体は業務用の冷蔵庫でも収まらないほど大柄です。それに比べて細身の田中さんだったら、冷やしておく必要もないうえに隠し場所も熊男ほど苦労はしません。犯人にとっては、田中さんをどこかに隠すほうが都合が良かったんですよ」
「館内の目ぼしい場所はすでにチェック済みって言わなかった?」
「犯人だってそれを承知の上で隠し場所を選ぶわけですから、日常業務で目の届かない場所を狙ってくるに決まってるでしょう。ご遺体が見つかっていない以上は、まだどこかに隠されているという可能性は否定しきれないはずです」
ふーん――と、佐和子が鼻から息を抜く。
「――で? その隠し場所ってのはどこなの?」
「うぅっ! そ、それはなんとも……」
それがわかれば苦労しないよ――威勢よくパンチの応酬をしていたつもりが、佐和子の放ったジャブがカウンターとなって思わず足がとまる。この場に限ってではあるが証明責任を請け負った以上、舌戦ではこちらの分が悪いか。
「なによ。威勢が良いのは最初だけ? まったく詰めが甘いわね。あれだけ大見得切ってみせたからには、せめて隠し場所の見当くらいつけてから物を言いなさいよ」
佐和子がずけずけと詰め寄る。なかなかに痛いところを突かれてしまった。
しかし「遺体の隠し場所」はこの推理の肝の部分でもある。ここをないがしろにしては、これ以上の話の進展が望めないのも事実だ。
――考えろ。考えろ。遺体があるとすれば、どこに隠されている?
肘をつき、目を覆うようにして額に手をやる。
一見して、館内に遺体を隠せるような場所などは存在しないように思える。
だが――もし本当にそんな隠し場所があるとするならば、その候補となる空間は以下の二つの条件を満たす必要があるだろう。
①関係者の目に触れることがない場所。
――なにも白骨化するほどの長期間である必要はない。昨夜から今日にかけて、一時凌ぎで人目から遠ざけられるような場所でいい。
②小柄な体躯でなければ入れない場所。
――入れ替わりで田中薫が隠されたと考えるならば、それは熊男では大きすぎて入れないような狭小な空間でなければならなかったはずだ。
どうだ。該当するような場所があるだろうか。
誠人は脳内に描いたイメージで、館内を外から順に隅々まで巡回していく。
駐車場――人を隠すとなれば生垣の中くらいか……いや、あの植え込みの低さではいくら小柄な男性でも人目につかないわけがない。
ドライアイス用の冷蔵庫――現状、最もあり得そうなのはここだが……生憎、彼女が今朝の交換業務でチェックしているはず。
一階(受付・ロビー・式場)――花見生花店をはじめ、従業員の出入りが最も多い場所だ。ここに隠すのは難しい。
二階(お清め場・パントリー)――清掃に取り掛かる前に自分の目でひと通り確認した。当然、不審なものは何ひとつ無かった。
倉庫とリネン室――物は多いが整理が行き届いているおかげで視界は広く取れる。人目を遮るほどの空間は無いだろう。
三階(応接室・事務所)――あればとっくに見つかっている。
そして地下(霊安室)――未使用の霊安庫がカラであることを彼女が確認済み。
「だめだ! 何も思いつかない!」
髪をくしゃくしゃと掻き乱して叫ぶ。
一方で、佐和子は包装フィルムをくるくると指に巻き付けながら
「まぁ、そうよね。この建物はそんなに広くはないし。人目に触れない場所なんてまず無いでしょ。――それこそ『開かずの間』のような隠し部屋でもない限り、ご遺体を隠しておくことなんて到底無理だと思うけど」
と、口角を上げて言う。
『開かずの間』――
その言葉を聞いた瞬間、誠人ははたと顔をあげた。
思考の奥底に沈んだ深い淀みに、その一言が一筋の光となって落ちていく。
すると、その光に照らされるようにして、いままで漠然としていたイメージが輪郭を伴って徐々に浮かび上がってきた。
人目に触れない――「暗く」て――
そして「狭い」場所――
「あ!」雷に打たれたように上体が跳ね上がった。
「わかりました!」
「わかったって、なにがよ」
「隠し場所ですよ! この館内には一カ所だけ――『開かずの間』が存在したんです! 田中さんのご遺体がまだあるとしたら、もうあそこしか考えられません!」
ほお――と、佐和子の目が見開かれる。
「この土壇場で、最後の悪あがきってわけね――それで? その『開かずの間』ってのはどこなの?」
誠人は力強く両手をつき、ガタッと立ち上がった。
「確証に乏しいので、詳しいことはまだ話せませんが……いまから、それを確かめに行きたいと思います。音喜多さんも一緒についてきてください」
佐和子が「げ。」と顔を歪める。
「あはひもひはなは、はえはほ?」
「当たり前です! あなたも探偵の端くれなら、少しは足で情報を稼ぎましょう!」
「……あたし、ただの会社員なんだけど」
佐和子の呟きは、もはや誠人の耳には届いていなかった。
彼女が腰を上げるのを待たずして、誠人は事務所の外へと飛び出していく。
――行こう。もう一度「あの場所」へ。
願わくば、そこで、すべてに決着せんことを――
(つづく)
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