ゆうべには白骨となる

戸村井 美夜

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陽だまりを抱いて眠る

【四】さよならの、金額

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 葬儀会館の地下一階、霊安室。そこで母の亡骸に線香を手向けたのちに、私はエレベーターで三階の応接室まで案内された。いまから、そこで葬儀の打ち合わせを始めるそうだ。
 打ち合わせといっても、こっちは葬式に関してはズブの素人。対等な立場で意見を交わす場ではない。あれやこれやと要望を伝えたところで、結局は教えを乞いながら葬儀社の意向に沿う形で見積もりにサインをすることになるのだろう。
 それならそれで、私はべつに構わない。

 ただ――私には、今回の葬儀において絶対に譲れない条件というものがいくつかある。たとえ何を差し置いてでも、それだけは押し通させてもらおう。

 自分を取り巻く環境が、否応なく非日常へと染まっていく不思議な感覚。母への複雑な想いや、密やかな思惑が胸中に渦巻く。そのせいか、地下から三階へと上がるエレベーターは、なぜだか異様に遅く感じた。

 応接室は白を基調とした事務作業用のスペースといった感じで、いたってシンプルな造りであった。商談の場としてはいささか素気ない装いだが、その飾らない気安さがむしろ私を安心させた。部屋の中央には四人掛けのテーブルが設けられており、その片隅には背丈ほどの観葉植物と、あとは会社案内と思しきリーフレットを収めたラックがぽつんと置かれているくらいだ。
 上座に通された私の向かいに音喜多さんが座る。あらためて挨拶を交わしたのちに、彼女は一枚の書類を取り出して、目の前に広げて見せた。

 死体検案書だ。さきほど警察署から出発するときに、運転手に預けておいた。大きさはA3用紙くらい。それが真ん中で二つ折りにされていて、右半分が監察医による「死体検案書」。ここに母の死亡時刻や死因が記載されている。
 そして二つ折りの左側には「死亡届」とあり、死亡者の現住所や本籍などを記入する欄がある。死亡を証明する書類と、その事実を役所へ届け出すための書類が一枚にまとめられているそうだ。死亡届の記入欄は全て空白になっており、いまこの場で私が書かなければいけないらしい。
 この死亡届を役所に提出することで「火葬許可証」が発行される。それを火葬場に届け出ることで火葬業務が執り行われ、遺体がお骨になったのちに、そこへ「火葬済」の判が押されて「埋葬許可証」となる。この埋葬許可証が無い限り、日本ではお骨を好き勝手に埋めることは出来ないそうだ。

 音喜多さんに助言を逐一もらいながら、死亡届の空欄を上から埋めていく。お役所の書類ゆえ、書かなければいけないことが多くて意外と時間がかかった。
 私が書類と格闘しているあいだ。応接室のドアを控えめにノックする音が聞こえた。湯呑を乗せたお盆を手に、男性の従業員が顔を覗かせる。

「――失礼いたします。お茶をお持ちしました」

 私はペンを走らせる手をとめずに、軽く目礼でそれに応える。お茶を汲んでくれた男性は、音喜多さんとは対照的に、つい昨日まで学生だったかのような初々しさが動作の端々に表れていた。まだ見習いの子かな。年は私とさほど変わらないように見えるけど、社会人になりたての頃の自分を重ねて、ちょっとだけ懐かしい気持ちになった。
 彼の淹れてくれたお茶は風味豊かで、とても繊細な味がした。

 やっとのことで死亡届を書き終えると、音喜多さんはそれを彼に手渡してコピーをとってくるように伝えた。

「コピーしたものを5枚ほど差し上げます。役所に提出した死亡届の原本は手元に戻ってこないので、今後の保険関係などのお手続きにはそちらをお使いください」

 生命保険や名義変更などの個人的なものを除いて、火葬までに必要となる関係各所への手続きはすべて音喜多さんが代理でやってくれるそうだ。
 葬儀場の飾りつけも、遺体の納棺も役所への手続きも、必要なことはすべて葬儀屋さんにおまかせ。人生で喪主を務める機会なんて、そうそうあるものではないけれど、考えてみると大役のわりにはたいしてやることが、ない。
 念のため、

 ――私は喪主として、なにかやるべきことはありますか。

 そう伺ったところ、返ってきた答えは

「お式の当日、お約束のお時間に、お気をつけてお越しください」

 なんとも拍子抜けするものだった。
 まぁ参列者が私ひとりだけの小規模な葬儀なら、案外そんなものなのかもしれない。

 手続きの説明が一通り済まされ、次に火葬の日取りを決める段になる。
 葬儀の日程を決めるうえで最優先されるべきは菩提寺ぼだいじ、つまりお寺様の都合だそうだ。その次に火葬場と葬儀会館の予約状況、最後に私個人の予定とで擦り合わせが行われる。これが上手く嚙み合わないと火葬まで一週間以上待たされることもザラにあるという。
 その点、高槻家のお墓は霊園にあり、お寺の檀家には入っていない。なので今回の葬儀では、こちらの都合に合わせる形で音喜多さんから適当なお寺様を手配してもらえることになり、すんなりと日程も決まった。

 母の火葬は三日後の午前十一時になった。つまり、明後日の夕方に通夜、その翌日に葬儀式ということになる。通夜は午後の六時から七時まで、葬儀式は午前九時半から十時半までの一時間で執り行われ、閉式後は火葬場までの道のりを三十分ほどかけて霊柩車に同乗させてもらう。十一時の火葬炉に棺を納めて、収骨まではおよそ一時間。葬儀の全工程は十二時過ぎには終了するとのことだった。

 音喜多さんの説明はとても丁寧でわかり易く、なにより簡潔で無駄がなかった。てきぱきしているけれど、一方的に話を押し進めるわけでもなく、口下手な私から上手く話を引き出しながら知りたいことを的確に汲み取ってくれるので、進行の早さのわりに急かされているような印象はいっさい感じなかった。

 しかし――

 それまで順調に進んでいたかに思われた打合せが、急に暗雲立ち込めてしまったのは、葬儀代金の具体的な金額が提示されたときだ。

「え……。私ひとりだけの式でも、こんなに掛かるもの、なんですか?」
「そうですね。――こちらでも極力、費用を抑える形でお見積りをさせて頂いたのですが……」

 私は、一、十、百……と数字を追い、思わず絶句して目を見開いてしまった。

 五十万円。それが見積もりで提示された金額だ。――たった二日間だけの葬式で、私ひとりしか立ち会わない葬式で、五十万。
 何かの間違いじゃないかと内訳に目を通す。祭壇、棺、ドライアイス、霊柩車、人件費……諸々。たしかに、音喜多さんの言うように余計なオプションなどはいっさい計上されていない。に、してもこれは――

 私は縋るように視線を上げ、お茶を一口、啜る。
 彼女も当然、私の言わんとしていることはわかるようだ。

 音喜多さんの説明によると、葬儀代金が膨れ上がる主な要因は参列者にふるまう料理や香典返しなどの接待費であり、一般的な葬儀なら百万~二百万くらいになるのが相場なのだそうだ。この五十万に含まれている祭壇や棺などは、人数の多寡を問わずどうしても必要になる部分なので、今回のようなごく小規模の葬儀であっても、最低限そのくらいは掛かってしまうらしい。

 しかも、しかもだ。驚くべきはこればかりではない。この五十万という金額は、あくまでの話であって、葬儀費用自体はこの他にも掛かるのだという。
 まず、火葬場に支払う火葬料金。これが約十万円。
 それから、お寺様にお渡しするお布施。二日分の読経と戒名を授けてもらう分で、なんと三十万円。

 五十万、足すことの、十万、さらに、三十万――めて、九十万円。
 この合計金額が、いわゆる『葬儀費用』の概算だそうだ。もし許されるなら、この場で天を仰いで後ろに倒れこみたい気分だった。
 預金残高を脳裏に呼び起こす。幸いというべきか、心許ないながらも蓄えなら、いくらかはある。無理をすれば支払えないこともない――のだけれど、そうすれば私のなけなしの貯金は、そのほとんどが綺麗さっぱり吹き飛んでしまうだろう。さすがにそれはまずい。ある程度は手元に遺しておかなければ。

「……もし、ご予算が合わないのであれば――」

 音喜多さんが何かを察して、いそいそとパンフレットを広げてみせる。

「――プラン自体を見直してみるのも、ひとつの選択ですが。いかがでしょう」
「……プラン、といいますと?」

「はい。高槻様には当初、ご要望に沿って『お通夜』と『葬儀』とで二日間の式を想定したお見積りをご用意させて頂きましたが、昨今ではお通夜を執り行わずに葬儀式だけでお済ませになる『一日葬』という形態も増えてきております。こちらのプランであれば、今の見積もりから十五万円ほど費用を抑えることができます」

「お通夜をやらずに一日葬なら十五万、安くなる……じゃあ、お式をいっさいやらずに、ただ火葬するだけってこともできますか?」

「ええ。それでしたら『直葬ちょくそう』というプランがそれにあたります。その場合、お寺様を呼ぶ必要もないので、火葬料まで全て含んで葬儀費用は三十万円ほどになりますね」

 通夜も葬儀もやらずに火葬するだけで三十万……か。
 だったら――

「――その、直葬の場合だと、火葬の前日にこちらで宿泊することは可能ですか?」

「いえ……。申し訳ございませんが、こちらでお泊りできるのは、あくまで通夜を執り行われた日の晩のみ、なんです」

 それじゃあ、だめだ。私はどうしても最期の夜を、母といっしょに過ごしたかった。それこそが私の、葬儀をあげるうえでの絶対条件だ。そのためには、どうやら一日葬と直葬は度外視する他ないらしい。
 通夜をあげたうえで、ある程度まとまったお金を、手元に――

 私はしばらく見積と料金表を見比べた末に、苦肉の策で、思いきった提案を彼女に投げかけた。

「あの。……もし、可能であれば、なんですが――」

 その提案には、それまで涼やかな態度を崩さなかった彼女も、少々面食らったようであった。

「――お寺様を呼ばずに、お通夜をやることって、できませんか?」
「え? それは……通夜式のあいだ、読経を上げてもらわないということですか?」
「はい……。だって、そうじゃないと宿泊できないんですよね?」

「それは、そうなんですが……」

 音喜多さんは眉尻を下げて、伏し目がちに微笑む。

「……だめ、ですか? お坊さんにお経を読んでもらわないと成仏できないとか、そういうことなんでしょうか?」
「……いえ。特定の宗教を持たない方々は、自由葬という形で導師を招かずにお式をされることもありますので」

 だったら――と、前のめりになる私を、彼女がすかさず制して言う。

「高槻様。たしかに、自由葬という形態の葬儀を望まれる方は、一般にも多くいらっしゃいます。自由葬とは言葉のとおり、お式の時間内であれば何をするのも自由、という独創性の高いお式です。
 ――しかし、それは裏を返せば『明確にやりたいことがなければ、そもそも式として成立しない』ということでもあります。
 両日、お式にあてられる一時間。短いようで意外と長いですよ? 目的もなく、ただ費用を抑えたいがために自由葬を希望されたのでは、高槻様は葬儀の二日間、ただ無為に時間を過ごされるだけになってしまいかねません。その点について、高槻様にはなにかお考えがありますか?」

 今度は私が答えに窮してしまった。
 聞けば自由葬の主な内容とは、故人が生前に好んだ音楽を生演奏にしてもらったりだとか、親族一同で持ち寄ったお別れの手紙を順に読み聞かせたりだとか……。千差万別ではあるものの、いずれにせよ今回の葬儀の規模を考えると到底、現実的とは言えないものばかり。
 音喜多さんの言い分はもっともだ。彼女だって、ただの御用聞きに徹すれば労せず仕事を終えられたところを、わざわざ時間と手間を割いて、この世間知らずな小娘を、やんわりと諫めてくれたのだ。その心遣い自体は、ありがたいものだった。

「……考えとかは、特にありません。
 でも私は、ただ……少しでも長い時間、母といっしょにいたいだけなんです。お式のあいだ、母のそばで、お線香を絶やさないようにただ見守りつづけるだけでは、いけませんか?」

 それでも私は一語ずつ、吐露するように言葉を並べる。
 だって、仕方ないじゃない。そうでもしないと、私の目的は果たされないのだから。

 このまましばらくは押し問答がつづくことも覚悟していたが、さすがに彼女も引き際を弁えているようだ。私が何度か食い下がると「そういうことなら」と、いともあっさり見積を作り直してくれた。
 それにより、葬儀代金の総額は最終的に60万円くらいに落ち着いた。

 見積にサインをするついで、私は葬儀代金を一括で前払いにさせてもらえないかと願い出る。これに関しては快く承諾してもらえた。食事や香典返しなどの変動費用が発生しないため、事前の見積と同じ内容で請求書を起こせるから問題無いとのことだった。
 多少の紆余曲折はあったものの、なんだかんだで打合せは一時間ちょっとで無事に終了した。

「長時間、お疲れ様でございました。――高槻様、最後にご不明点やご質問などはございませんか?」

 音喜多さんが、書類の束をトントンと均しながら言う。
 すっかり気が緩んでいた私も、ほっと一息ついたところで「いえ、特には――」と、手荷物をまとめながら素っ気なく答えた。

 すると――その瞬間、彼女はピタリと動きをとめる。

「……本当ですか?」

 いきなり、なに? ……私、なにか変なこと言った?
 わけがわからず、彼女と見つめあうだけの時間が過ぎる。

 そして――

 彼女の私を見るその眼は一転して、どういうわけか急に鋭いものとなり――


「――、何もご不明点は、ないのですね?」


 寒気がした。

 その瞬間、私は自分が客であることすら忘れ、証言台に立たされているかのような重苦しい緊張感に包まれた。

 ――どうして……なぜ、そんな目で私を見るの?

 自分の言動から、何かを察知されたのだろうか。慌てて脳内で反芻してみるも、思い当たる節は見つからない。怪しまれるような点は、なにも出さなかったはずだ。
 なのに、何故――彼女の質問の意図がまるでつかめず、微かに口角を上げただけの口もとは、そこにただ笑みを張り付けただけのように見えて、不気味だった。

 そして彼女の、あの吸い込まれそうなほどの美しい瞳――その妖しい輝きを見つめていると、心の奥底に溜め込んだ醜いおりまで吸い取られそうになる。
 これは、魔女の呪いかなにかだろうか。自由を奪われた身体が、骨の髄まで凍り付いて固まる。
 だめ。このままでは、まずい。

 張り詰めた空気のなか私は、魅入られたように視線を逸らすこともできないまま、必死の思いで弱々しく首肯を繰り返すことしか出来なかった。
 手のひらは冷たく痺れ、しっとりと濡れはじめていた。

 すると、ほどなくして――

「そうですか。――では、お打ち合わせは以上となりますので、下までお見送りさせて頂きますね」

 彼女の顔は、ぱっと瞬時に明るいものとなる。
 そして頬の緩みとともに、その呪縛は解かれた。

 私はぎこちない動作でそそくさと荷物を手繰り、先を行く彼女と距離を置いて歩き出す。
 なぜかはわからないが、彼女に対しては些細な油断も許されないことを直感していた。
 人知れず早鐘を打つ胸の鼓動にすらも聞き耳を立てられているような気がして、私は入り口で見送りをうけるまで、エレベーターに乗っているあいだもずっと、彼女の横で静かに息を殺していた。

(つづく)
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