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第一章 影が薄い騎士団長

暗然とする姫君と恋する姫君

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 ヘリオスは黙って二人の様子を見守るしかなかった。出入り口にはヘルベラ、窓にはセリニが仕掛けた魔方陣がある。

「おや、ヘリオスくんが黙ってるからうすーくなってる」
 蔦に巻かれたままのヘルベラが目を細めた。

「私が触れている時だけは、皆様に見えるらしくて」
「へぇ~やっぱりそうなんだ。あ、セリニちゃんには普通に見えてるの?」

 肯定してセリニが振り返ると、困った様子でこちらを見ている大男と目が合った。

「あっ、すみません」

 慌てて窓に駆け寄って種を拾い、魔法を解いた。しかし、ヘリオスは部屋から出ようとしない。

「ヘリオスさん?」
「他国の姫君を護衛なしで放っておくわけには参りませんので」
 眉間に皺を寄せながら彼は言った。

「わっ、突然喋られるとビックリするなぁ。それに、相変わらずの堅物さんめ。ガールズトーク邪魔するの?」
 ゆらゆらと揺られながらヘルベラが頬を膨らませる。

「外で待機していますので、お邪魔はいたしません」
「うげぇ。セリニちゃんがせっかく逃がしてくれたのに。あ、そうだ。ヘリオスくん」
「いかがなさいましたか、ヘルベラ様」
「この部屋いい匂いするよね。嗅いだことのない感じの、甘いんだけど落ち着く香り」

 セリニから香る甘い匂いが鼻腔をくすぐる。その香りが部屋を満たしていることに気づき、ヘリオスは目を泳がせた。

「あれ、今気づいた? あははっ♪ その顔初めて見た。ヘリオスくんっていつも仏頂面だからさ」
「そうなのですか?」

 セリニが窓の方を見返ると、咳ばらいをして目を逸らす騎士団長がいた。

「まず、見えないからね。タルくんほどじゃないけど、イケメンなのに勿体無い。となると、セリニちゃんだけが色んな表情を見れるわけだ。キャー♡ やっぱり二人の出会いは運命なのね」

 巻かれたままの彼女がじたばたと揺れて、姫と騎士団長が見合って首を傾げる。

――タルくんが言ってたのはコレだったのね! 姫と騎士の物語は刺激的な話も多いけど、悲恋も多かったな……。

 趣味で何百冊も読み漁った恋物語を思いだして、ヘルベラは項垂れた。
 突然気落ちした彼女にセリニが心配そうに声をかける。

「ヘルベラさん? あっ、痛かったのですね。今おろしますので」

 セリニが魔法を解き、彼女に巻きついていた蔦が消える。しかし、ヘルベラの顔は浮かないままだった。

「ヘルベラ様?」

 ヘリオスも心配そうに彼女に近寄る。
 二人の心配を余所に、涙ながらに彼女が勢いよく顔をあげた。

「うぅ、絶対幸せになってね! あたしもタルくんと幸せになるからっ!!」
「えっと……はい?」
――タルクンさんとはどちら様なのでしょう?

 両手を握られ、ブンブンと上下に振られながら、セリニは考えていた。

 彼女がいつも通りだと確認したヘリオスは、一礼して部屋の戸の方へと移動する。

「では、私は戸の側で待機していますので。何かあればお呼びくださ――ヘルベラ様?」

 ヘルベラが彼の腕を掴んだ。ニタリと笑い、ヘリオス無理矢理屈ませ耳打ちする。

「どーせセリニちゃん見張るならここにいればいいのに」

 タルクから任について聞いたのかとヘリオスは目を見開いた。

「それとも~……ここセリニちゃんの部屋でしょ? 落ち着かないの?」

 囁き声に首を振り、真正面からヘルベラを見る。

「……いえ。婦女子の部屋に立ち入るのは騎士としてあるまじき行為です。ましてや相手は他国の――」

 生真面目な返答が気に食わなかったのか、ヘルベラの眉が吊り上がる。

「これは命令よ! 一緒にお話ししなさい!」
「あの、ヘルベラさん? 先ほどお邪魔だと仰っていましたし、ヘリオスさんにも事情が」
 セリニが彼女を宥めるべく声を掛けた。

「気が変わったからいいのっ! 心配しなくても嫌なことはしつこく聞かない。セリニちゃん抱えて逃げるくらいだもの、反省したの……」

「…………ヘルベラ様の、ご命令とあらば」
 渋々ヘリオスが引き返す。

「よーし! お茶とお菓子を持ってきてもらいましょ♪」

 偶然掃除のために部屋を訪れた侍女により、テーブルに並べられた焼き菓子と三つのカップに注がれた紅茶。

 三つだと言われ首を傾げていた侍女が、ヘリオスを認識した瞬間の顔はまさしく「あぁ、頑張ってください……」と言わんばかりのものだった。

 そうして始まったお茶会は、何とも言えない雰囲気に満ちている。
 一方的にヘルベラが喋り、セリニが頷き、ヘリオスは黙って立っていた。

「ヘリオスくんの初恋の人って誰?」
 立ったままでいいと頑なだったヘリオスを無理矢理座らせ、ヘルベラが彼にキラキラとした目を向ける。

「食べ物の話の後に唐突ですね。生憎、そういった類の感情は持ち合わせておりませんので」
 唐突な質問にヘリオスは淡々と答えた。

「えぇー何それ。大英雄の息子が呆れちゃうなぁ」

 ヘリオスの口が彼女の言葉にピクリと引きつった。

「大英雄?」
「セリニちゃん知らないの? セリニちゃんのお母様も有名人だけど、ヘリオスくんのお母様はね、魔物の大軍勢相手に一人で戦った凄い人なんだよ」

 出会った時に彼の名に聞き覚えがあったことにセリニは合点がいった。

――シュタールの英雄といえば、確か亡くなって……。
 セリニの目が悲しげに揺れる。

「セリニ姫。もう終わった事ですので、そのような顔をなさらないでください。母は、立派でした」

――立派? まるで、目の前で見ていたかのような……。

 セリニが考えているとヘルベラが空気を断ち切るように大きく両手を振った。

「あーヘリオスくんごめん! 今のはあたしが悪かった。じゃあセリニちゃんは?」
「え、私ですか?」
「うん♪ あたしね、誰かとこんな話をするのが夢だったんだぁ。いいよね恋バナ」

 ヘリオスの目がちらりとセリニを映す。

「恋?」

 彼女の夢を叶えるべく必死に過去を遡る。他国を仕方なしに訪問して、掛けられた言葉の数々を思い出す。溢れた嫌な言葉たちが、涙に変わって、ボロボロとセリニの頬をつたって流れ落ちた。

 彼女に魔法目的でなく、接してくれたのはたった二人。一人はタルク。乱暴ではあったが構ってほしさにあんなことをしたと謝罪をしてくれた人。もう一人は、皇子だと判明した真紅の髪の少年。全てを聞いて優しく抱きしめてくれた人。
 残りは全て、両親の言葉に従って仲良しごっこしていただけの人。

「姫っ……」
 ヘリオスが焦った様子で手を伸ばそうとする。その前にヘルベラが彼女をぎゅっと抱きしめた。

「ごめん、本当にごめん。空回ってばっかりだ。考えなしだった。あたしが一番わかってあげなきゃいけないのに」
「申し訳ないです。わからなくて」
「いいの、あたしと一緒。あたしもタルくんに会うまでそうだった。あたしの目に集ってくる馬鹿ばっかり。アイツらほんとキモすぎ」
「その、タルクンさん? というのは」
「もーセリニちゃんったら可愛いなぁ。よく知ってる人だよ。タルク・シュタール」

「え?」

 瞬きを繰り返し、セリニは慌てて身に着けていた指輪を引っ張り出す。キラリと青い宝石が光った。

「っ! これ、私が」
「……本人から聞いたよ。護ってあげるために渡したって」
 ヘルベラは顔を僅かに苦しそうに歪ませ、セリニに回していた腕をほどく。

「ごめんなさい」
「なぁーに? セリニちゃんもタルくん好きなの⁉ だったらその謝罪は恋敵こいがたきとして受け取るけど?」
「えと、その」
 感情がまとまらずにセリニの言葉が詰まる。

「だから、謝らなくていいの。今思えばタルくんがあたしに優しかったのは、セリニちゃんのおかげかもね」

 ヘルベラはタルクと出会った日のことを語った。彼が目のことなど一言も口にせずに一緒に遊んでくれたこと。タルクに髪を綺麗だと褒められたこと。

「ふふっ、タルくん素敵でしょ?」
「私の髪は、引っ張ったのに」
「うそぉ! 男の子ってほんと幼稚! 髪は乙女の命なのに。ねぇ、ヘリオスくん」
 引っ張った理由をわかっていながら、彼女はわざとらしく大声で言った。

「……左様でございますね」
 居心地が悪そうにヘリオスが答えた。

「そう考えると、アビドさん? は、ずっと私に優しかったです」
 その名にヘルベラの目が見開かれる。

「え、アビドって……あの腹黒に会ったことあるの! しかも優しい? あんな裏のある笑い方する男が?」

 セリニが治療した経緯を説明しても、ヘルベラの顔は訝しげなままだった。

「いやぁ去年会ったけどね。あたしのお姉ちゃんが何を血迷ったか『結婚したいです』って言ったからさ、老けて見える気だるげなアレと」

――次期皇帝候補をアレ呼ばわりはどうなんだ。
 ヘリオスは思ったが口にしない。

「嫌な噂ばっかりの国の人間の割に、直接断りに来たんだよ。そこはまともだなーとは思ったんだけど、断り方がね……」
「ヘルベラさんのお姉様に冷たい言い方を?」
「いや、『我が国のように黒い噂が絶えない国に嫁ぐのは止めておいた方がいい。それに私は父のように妻を大勢娶るつもりはない』って――あれ?」

 ハッとして彼女がヘリオスを見る。
 ヘリオスはトリポテの言葉を思い出し、苦虫を噛み潰していた。

「セリニちゃん、いい?」
 ヘリオスが同じことを考えていると察して、セリニの両肩に手を置く。

「なんでしょう」
「アレだけは絶対ダメ! アレを選ぶくらいならヘリオスくんにしときなさい」

 落ち着くため紅茶を飲もうとしていたヘリオスの手が不自然に止まる。
 セリニのつぶらな瞳が彼に向けられた時だった。せわしいノックの音が鳴り、三人のよく知る声が聞こえてきた。

「おいヘルベラ。いるんだろ? お前、また城の床をだな――」
「あら、タルク様。今セリニ姫とお喋りをしているの。邪魔をしないでくださる?」
「……そうかよ。後で直しとけよ」
 あっさりと遠ざかる足音。何が起こったのか理解できていないセリニと、ため息を吐くヘリオス。

「あーもう! まただあぁぁぁ」
 ヘルベラは頭を掻き毟って叫んだ。
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