【第2部】メラヴェル女男爵の事件簿〜死のお茶会〜【エドワード朝英国ミステリー×ヒストリカルロマンス】

早瀬晶

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外伝

ヘンリー卿の初恋

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本編開始前のヘンリー卿とシルヴァリー伯爵未亡人の話。
タイトルに反して暗い話です。
※明確にR15です。直接的ではありませんが、成人女性から少年への性的グルーミング(手なづけ)を示唆する描写を含むためご注意ください。

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 1910年2月、シルヴァリー伯爵未亡人ラヴィニアは、その夏にロンドンで出産したばかりの息子シルヴァリー伯爵オーガスタスを連れて、サリーにある領地のカントリーハウスに移って来た。
 本当はもう少し早く領地に移りたかったが、産後の体の回復に思った以上に時間がかかった。
 ロンドンを社交の拠点としている彼女は、社交シーズンが開始する翌月には、ロンドンに戻らなければならない。
 それでも、彼女はどうしてもこの美しいカントリーハウス――<エルムフィールド・パーク>で一息つきたかった。

 ラヴィニアは7年前に結婚して以来、オフシーズンには今は亡き夫シルヴァリー伯爵オーガスタスと共にこの<エルムフィールド・パーク>に滞在していた。
 社交と言えば、ロンドンの小さくて穏やかな社交サークルに所属しているだけの伯爵夫妻は、領地にいる間は静かに過ごしていた。
 屋敷内で思い思いのことをして過ごすこともあれば、庭をただ一緒に散歩することもあった。
 
 6年と少しの短い結婚生活の間には色々なことが起きた。
 一昨年――酷い年だった――は、やっとできた初めての子をこの地で死産し、二人でただ悲しみを分かち合った。
 一方、昨年には、新たな子の妊娠がわかり、幸せがこの屋敷を満たしていた。
 しかし、幸せは長くは続かなかった。
 その直後に彼女の夫オーガスタスが糖尿病に倒れた。
 そして、彼は昨シーズンをロンドンで親しい友人に別れを告げながら過ごし、ついぞ領地に戻ることなく亡くなった。
 彼の死と同じ日に生まれたのが、父親の名をもらった息子オーガスタス――ラヴィニアは彼をオーギーと呼ぶ――で、現在はもっぱらその小さなオーギーだけが彼女の日々の慰めだった。

 ――オーガスタス……。

 二階の自室の窓から外を見たラヴィニアの頭に浮かんだのはその名だった。
 夫と息子、どちらのことなのかはわからない。
 いずれにしても、そのどちらも今はラヴィニアの側にはいなかった。
 亡くなった夫はこの領地内の伯爵家の墓所の土の下に眠っている。
 そして、息子は貴族の子息として、通例通り乳母に世話されているので、ラヴィニアと会うのは午前と午後の短い時間だけだった――それだってラヴィニアがかなり強引に"わがまま"を通して増やしてもらったのだ。
 
 彼女はふと書き物机の上に視線を移した。
 そこには、書きかけの手紙が広げたままになっているが、"Dear"と書き出してみたところでその後に誰かの名を続けることができなかった。

 ――姉……には先週も書いたわ。
 ――弟には手紙など出せない。
 ――義弟?義姉からの手紙など気を遣わせてしまうわ。

 そのとき、自室のドアがノックされた。
 侍女のミス・ホープだった。

「奥様、お客様がお見えです」 
「特に約束はないはずだけど」

 ラヴィニアは眉を寄せた。
 彼女にはロンドンにいる間に訪問し合う関係の少数の友人がいるが、その中に約束もなしにこの<エルムフィールド・パーク>に来るような者がいるとは思えなかった。
 
「ウェクスフォード侯爵家のご子息様です」

 侍女の言葉を聞いて、ラヴィニアは内心頷いた。
 彼女はロンドンの屋敷にいる間に度々彼の訪問を受けていた。
 まさかこの<エルムフィールド・パーク>にまで訪ねて来るとは思っていなかったが、なるほどこうなってみれば、いかにも彼らしいと思った。
 そして、できるだけ何でもないことのように言った。
 
「あらまあ。応接間に通して差し上げて」
「かしこまりました、奥様」
 
 ミス・ホープは礼儀正しく言うと、廊下にいるらしい執事に合図した。
 そして、そのままラヴィニアの身支度を整える作業に取り掛かった。
 
 ラヴィニアはドレッサーの前に座り、鏡の中の自分を見て一つため息をついた。
 半年前に夫を亡くしたばかりの彼女は世間の決まりごとに従って黒一色の喪服を着ている。
 それでも彼女は十分に美しかった。
 そして、彼女自身、自分の美しさを意識していて、できるだけそれを保つように努力はしていた。 
 もう20代後半ではあるが、ブラウンの髪には艶があり、肌も滑らか、ウエストだって産後にもかかわらず20インチまで戻している。
 そして、一番の魅力である青い瞳も変わらず輝いてはいる。
 しかし、全体としてはどこか疲れた印象だ。
 
 ――この一年ほどで変わってしまったわ。何もかも。

 彼女はそっと自分の頬を撫でた。
 去年までオーガスタスがそうしてくれたように。

 ***
 
「お待たせしてすみません、ヘンリー卿」

 ラヴィニアが応接間に下りていくと、一人の紳士が待っていた。
 燃えている暖炉の上の写真を眺めていた彼は、すぐに彼女を振り返った。

 仕立ての良い濃紺のラウンジスーツに軽やかなクリーム色のウエストコート、手には黒いホンブルク帽。
 相変わらず洗練された格好をしている。 
 そして、アッシュブロンドの巻き毛と青みがかった灰色の瞳。
 いつか誰かが彼をギリシャ神話の美男子アドーニスに喩えていたが、全くその通りだ。

「突然の訪問をお許しください。レディ・シルヴァリー」
 
 彼はラヴィニアの手をとって挨拶した。
 彼の豪華な巻き毛が揺れる。

「いえ、あなたはいつも突然ですから」

 ラヴィニアは微笑まなかった。
 十代の頃から将来社交界の華になると言われてきたラヴィニアは自分の微笑みが周囲の人に与える影響を熟知していた。
 彼女が少し微笑みかければ、愚かな紳士を冬の池に飛び込ませることだってできるかもしれない。

「それで、今日は何の御用でしょう?」

 ラヴィニアはヘンリー卿に着席を勧めながら問いかけた。
 
「特に用はありませんよ。ロンドンに行く途中なのです。あなたが退屈していないかご機嫌を伺いに立ち寄っただけです」

 ヘンリー卿はそう言って微笑んだ。
 彼の微笑みはいつも甘やかで、つい心を許して秘密を打ち明けたくなる。
 ラヴィニアは彼が意図的に“退屈”という言葉を選んだことに気がついていた。
 
 ――本当はもっと適切な言葉があるのに。

「あなたは私を訪ねるべきではないのでは?夫を亡くしてまだ半年の私の体面を慮ってくださっても良いのに」

 ラヴィニアが冷たく言うと、ヘンリー卿はただ首を傾げた。

「そうであれば、あなたが私を迎え入れたりなさらなければ良いのですよ。執事に『奥様は今日は在宅ではありません』と言わせる。それだけのことでしょう?」

 ラヴィニアは答えなかった。
 ただ、在宅用の黒い喪服のレース飾りを一度だけ撫でた。
 そして、応接間の花柄のカーテンに視線を移した。

 ――昨日オーギーがあの赤い花を見つめていた気がしたわ……。

 ヘンリー卿を前にしてわざと彼以外のことを考えようとしている。
 ラヴィニアはそんな自分に少し苛立った。

「ヴィー、もしかして、あなたは私の想いを軽薄なものだとお考えに?」
「親しすぎる呼び方はおやめになってくださいな、ヘンリー卿」

 ラヴィニアはヘンリー卿を真っ直ぐに見つめた。
 ヘンリー卿の灰色の瞳は平静そのもので、一瞬の動揺すら浮かばなかった。

「おや、亡きシルヴァリー卿がお使いになっていた愛称でしょうか?そうであれば、もちろん差し控えますよ」
「違います。シルヴァリー卿は――」

 そこまで言ってラヴィニアは口をつぐんだ。
 こうして他人の感情を揺さぶって曝け出させようとするのがヘンリー卿のやり方なのだ。
 ラヴィニアは一つため息をついて本題に戻った。
 
「とにかく、あなたが真剣であるはずがありませんわ。違いますか?」
 
 ウェクスフォード侯爵家のヘンリー卿といえば、社交界で一、二を争うアマチュア詩人だ。
 文芸サロンの主催者なら誰でも彼を自分のサロンに呼びたがった。
 それから、彼は実力のあるアマチュア風景画家でもある。
 彼の小品はアカデミーに入選したことがあるし、恋人への贈り物にする風景画を作成してもらおうと必死に彼を説得しようとしていたある紳士の噂も聞いたことがある。
 しかし、社交界の人々が彼の名を聞いてまず思い浮かべるのは――。

「あなたは誰だって良いのですから」

 彼は何より恋多き奔放な貴族の青年として有名だった。
 誰も表立って口にすることはないが、彼がほぼシーズンごとに恋人を変えて恋愛を楽しんでいることは明らかだった。
 ラヴィニアの姉の子爵夫人は彼の詩作仲間だが、自分の詩作サークルの中では妙な噂が立たないようにいつも気を配っている。

「おや、随分人聞きの悪いことをおっしゃいますね」

 ヘンリー卿は少しも微笑みを崩さないままゆっくりと脚を組み替えた。

「では、訂正します。あなたは貴族の既婚女性なら誰だって良いのでしょう?」

 ラヴィニアは彼に視線を向けた。

 当代の社交界において、彼のようにその奔放さで有名な男性は何人かいる――国王陛下もその一人だ――が、他の紳士は女優、踊り子、高級娼婦などと噂になることもあるのに対して、ヘンリー卿の相手は常に貴族の夫人に限られていた。
 中でも爵位のある夫を持つ貴族の夫人または未亡人に。

「高貴なあなたは高貴なレディにしか触れないのね。そして、高貴であれば誰でも良いんだわ」
 
 ヘンリー卿は何も言わなかった。
 沈黙の内に何か思案しているようにも見えた。

 ラヴィニアは内心ため息をついた。

 ――本気でなかったとしても、好意を示してくださっているのだから、何もこんな風に言うことはなかったのだわ。

 ふと社交界にデビューしたての頃のことが頭を過った。
 社交界の紳士たちは彼女の美しさをもてはやし、彼女の周りに群がった。
 田舎の大地主、軍功で名を馳せた大尉、新進気鋭の政治家、投資で成功している男爵――さる公爵家の息子だっていた。
 ただ、彼女に結婚を申し込む者は誰もいなかった。
 紳士たちは皆、彼女の実家の准男爵家が破産寸前なのを知っていたからだ。
 十分な持参金を用意できる見込みのないレディはいくら美人でも、彼らにとって真剣な相手ではなかった。
 しかし、ラヴィニアはそれでも平気だった。
 いざとなれば、自分一人の身の振り方などどうとでもなる。そう思っていた。
 
 しかし、彼女はオーガスタスと出会った。
 彼だけは唯一、決して彼女のことを「美しい」とは言わなかった。
 それなのに、彼は彼女に手を差し出し、彼女はその手をとった……。

 ラヴィニアが思い出に浸っていると、ヘンリー卿が出し抜けに言った。

「なるほど。確かに私は爵位のある夫を持つ夫人か未亡人に惹かれる質ではあります」

 ラヴィニアは少し眉を寄せた。
 彼がここまで正直に自分の"嗜好"を認めるとは思わなかったのだ。

「ただ、それは……あなたが思っているような意味で選別しているのではなく、私の中での“基準”なのです」

 ヘンリー卿の言葉にラヴィニアは首を傾げた。
 彼は何か言い訳をしたがっているのだろうか?

「それを説明するにはまず、私の"初恋"についてお話しなければなりませんが……どうです?お聞きになります?」

 ヘンリー卿は甘い声で言った。
 ラヴィニアは頷かなかった。
 しかし、耳を傾ける準備はできていた。

 そして、彼は静かに語り始めた――。

 ***

「私の母――亡きウェクスフォード侯爵夫人――は、決して怒らない人でした。
 
 ……おや、『初恋の話じゃなかったのか?』と言いたげな顔をなさっていますね。
 心配なさらないでください。
 まさか『純真な男の子が美しく優しい母と結婚することを夢見ていた』というような初恋の話ではありませんから。
  
 ともかく、母は子供に対しても使用人に対してもよく冗談を言う陽気なレディでした。
 きっと他人を笑わせるのが好きだったのだと思います。
 ただ、彼女には、侯爵夫人にしては子供たちに過剰に感情を寄せているという欠点がありました。まあ、これは侯爵である父も同じです。
 しかし、これについては、私は両親を擁護せざるを得ません。
 
 18歳で父と結婚した母は28歳で私の兄のジョンを出産するまでの10年間で5回妊娠しましたが、3歳を超えても生き残ったのはジョンだけでした。
 他の兄弟姉妹は生まれる前か、もしくは、3歳の誕生日前に亡くなりました。
 亡くなった四人の子供たちと生き残った四人の子供たち――侯爵夫妻が子供たちに立場に見合わぬ愛情を注いだとしても誰が彼らを責められましょうか?

 ……ええと、話が逸れ過ぎました。
 とにかくそんな母が激怒したのを私は一度だけ見たことがあります。
 何がいつも陽気なはずの彼女を怒らせたのか?
 当然、子供のことです。
 しかも、他ならぬ私のことでした。 

 元をたどれば私がまだプレップスクールに上がる前のほんの子供の頃からすべては始まっていたのだと思います。 
 その頃から母には彼女より少し年上のドリントン伯爵夫人という友人がいました。
 ……ええ、もちろん"ドリントン"というのは仮名です。
 今も彼女は存命中なので、実名は伏せることにします。
 そのレディ・ドリントンは美人で教養豊かな社交界の華でした。
 彼女はよく当家を訪れていて、貴族の夫人にしては珍しく子供にも関心を寄せていました。
 一方の私は幼い頃から兄弟の中で一番美しい子供でした――いや、妹のグレイスとだけは性別は違えどいい勝負ではあります。
 しかし、最初期には彼女はまだ生まれていなかったので、当時は私が一番だったと言っても差し支えないでしょう。
 
 彼女はそんな美しい子供だった私に特に目をかけて、ことあるごとに特別扱いしてくれました。
 最初は両親にも他の兄弟にも内緒で外国土産のチョコレートをくれる――なんて些細なことでした。
 その内に、特別扱いは進み、私のために入手困難な詩集を贈ってくれたり、私だけをヨーロッパの別宅に招いて美術館に連れて行ってくれたりしました。
 彼女は芸術への造詣が深かったので、彼女の薫陶を受けたからこそ今の私があると言っても過言ではありません。

 しかし、そんな甥っ子と叔母のような関係は突然終わりました。
 私が大学を卒業してすぐ、彼女が私を巧みに誘惑したからです。
 その当時の私は僅かな恋愛経験しかなく、しかも、大学に行ったくらいで世間を知ったつもりになっている驕った若者でした。
 そんな私を篭絡するのはいとも簡単だったでしょう――それこそ“赤子からキャンディをとりあげるように”ね。
 
 とにかく、私は彼女に夢中になりました。
 彼女こそが初恋の女性だと思いました。
 しかし、母はそうは思わなかったようです。
 
 私たちの関係を知った母は激怒しました。
 そして、あろうことか私と彼女が密会している最中にドリントン伯爵家の屋敷にやってきました。
 さすがに寝室に踏み込んだりはしませんでしたが、『息子と一緒でないと帰らない』と言って応接間に居座りました。
 そこで、私は情けなくも母に従って応接間に行ったわけです。
 母は陽気な侯爵夫人ではありましたが、夫婦関係には真面目でした。
 おそらく、度重なる子供の死を夫婦で乗り越えたので、父との間に確かな絆が育っていたのでしょう。
 子供たちにもそういう真面目な結婚を望んでいました。
 だから、私はてっきり私自身が母に叱られるものと思っていました。

 しかし、違いました。
 母は私に先に馬車で待つように言うと、レディ・ドリントンと一対一の対話を所望しました。
 そこでどんな会話が交わされたのか具体的にはわかりません。
 確かなのは、馬車に戻った母の手には私がレディ・ドリントンに送った恋文の束があったこと。
 そして、ドリントン伯爵家がそれから2週間も経たずにロンドンの屋敷を封鎖して、夫婦ともどもスコットランドの領地に数年引きこもっていたことです。

 侯爵家の屋敷に帰ると、母は私に一言だけ言いました。
 『ヘンリー、恋愛するなとは言いません。ただ、奪われるだけの恋愛はやめなさい』と。
 未熟だった私は母の言葉に反発して、そのまま家を出ました。
 とはいえ、一応成人したときにブルームスベリーに自邸を与えられていましたから、数か月その自邸に籠っていただけですけどね。
 
 時間の経過とは不思議なものです。
 自邸に籠っている内に私の頭も冷えました。
 
 実は、私は最初からレディ・ドリントンの相手は私だけでないと気づいてはいたのです。
 とある伯爵家の令息、裕福な銀行家の息子、フランスの外交官――いずれも若くて美しい男でした。
 私は彼女の“コレクション”の一つに過ぎなかったわけです。
 
 冷静になった私は自邸に隠していた彼女を詠った詩を焼き、彼女を描いた絵も引き裂きました。
 今の私が特定の女性をモデルにした詩を作らないことや人物画は決して描かないことはご存じでしょう?

 そして、それ以来、私は健気にも母の教えを忠実に守り、奪われる恋愛を避けてきました。
 ただ、ある程度年を重ねると、今度は自分が奪う側になることを恐れ始めました。
 その点、経験豊富な貴族の既婚女性なら私から一方的に奪われるのではなく、彼女が望むものをきちんと取り立てることができます。
 そして、特に爵位のある家の夫人なら、万一の場合でも体面が優先され、夫に離婚されることはまずあり得ませんし、婚姻時の契約により彼女の財産も守られます。
 未亡人なら尚更心配はありません。
 
 そういうわけで、私はほとんど無意識に定めてしまったこの"基準"に縛られているわけなのですよ」

 ***

 ヘンリー卿が話し終えると、<エルムフィールド・パーク>の応接間は静寂に包まれた。
 暖炉が燃える音だけが響く中、ラヴィニアはただ彼の灰色の瞳を見つめていた。

 暫くしてヘンリー卿は静かに言った。

「ところで、結局、レディ・ドリントンと私の関係は"初恋"――そもそも"恋愛"だったのでしょうか?あなたはどう思われます?レディ・シルヴァリー」

 問いかけておきながら彼は彼女の答えを待たなかった。

「……正直、私は今でもよくわからないのです。彼女は美しくて話し上手な魅力に溢れたレディでしたから、"恋愛"だったとしてもおかしくはないでしょう」

 ヘンリー卿は一つため息ついてその長い脚を組み替えた。
 そして、ラヴィニアの青い瞳を見つめ返した。

「ただ……レディ・ドリントンが私を彼女の"コレクション"に加えたのは私の成人後ですが、彼女はそのずっと前から私に対して"示唆"や"暗示"を投げかけていました。私たち男の価値観ではそれは“羨ましい”ことではあります。まだ少年の内から年上の美女に目をかけられていたということですから。しかし、母が指摘したように、それが私から何も奪わなかったとはどうも言い切れないのです」

 彼らはお互いに視線を外さなかった。

「いずれにせよ、これが私の“初恋”です――何とも滑稽でしょう?」
 
 ラヴィニアは彼の青みがかった灰色の瞳の奥に映る何を見定めようとしたが、それが何なのかわからなかった。

「さて、話しすぎましたね。そろそろお暇します」

 そう言ってヘンリー卿は優雅に腰を上げた。
 そして、来たときと同じようにラヴィニアの手を取って挨拶し、驚くほどあっさりと彼女に背中を向けた。

「ヘンリー卿、あなたは……いえ、私は……」

 ラヴィニアはほとんど反射的に彼の背中に呼びかけたが、あとが続かなかった。
 彼女自身、一体自分が何を言おうとしているのかわからなかった。
 ヘンリー卿はドアの前で立ち止まると、ゆっくりと彼女を振り返った。

「レディ・シルヴァリー、いけませんよ。先ほどの話は全て、私があなたの気を引くために作り上げた虚構なのかもしれないのですから」

 その美しい顔には相変わらず甘い笑みが浮かんでいる。

「それに――いずれにしてもあなたは……あなたにそれを気づかせた私を愛しつつも恨むでしょう。私が母に対してそうだったように」

 そう言って彼は去っていった。
 残されたラヴィニアはただ長椅子の肘掛けにもたれた。
 
 今、彼女は一人だった。
 ずっと前からそうだった。
 もう取り繕うことはできなかった。
 
 彼女は立ち上がり、重い足取りで窓辺に向かった。
 窓の外には、ヘンリー卿を乗せた自動車が遠ざかっていくのが見えた。

 ――次に彼が訪ねて来たら……。

 ラヴィニアは首を振った。
 次があるかなんてわからなかった。

 ――でも、次があるとしたら……。
 
 次に会うとき、彼らはもう何も語らず、ただ身を寄せ合ってしまうだろう。
 かわいそうな彼らは愛し合わずにはいられないのだから。
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