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第3話 婚約者ができました?
ep.19
しおりを挟むセルグスへの旅程は片道三日間の予定だ。
エリクは窓の外をぼんやりと眺めていて、わたしと楽しく話をしようという気は一切ないようだった。
実にエリクらしい。さっきまで泣いていたくせに。
……ん? 泣いていたのかな?
エリクの顔をじっと見たけれど、泣いていた形跡はない。
あれ……? わたしの勘違いだった?
まあ、エリクが泣いていようがいまいが、わたしにはどうでもいいのだけど。
もんもんと考え込んでいるうちに、今日泊まる宿に着いた。
王子さまらしく、エリクがエスコートしてくれる。普段なら絶対に見せてくれないキラキラの笑顔を振りまいて、まるで本物のお姫さまみたいにわたしのことを扱う。なんか気味が悪い。
この人、本当にエリクなんだろうか。
なんだろう……かつてないほど、すごく大切にされている感じがする……やだ、こんなのエリクじゃない。
「じゃあ、またあとで」
わたしの泊まる部屋の前まで案内してくれたエリクは、まるで宝物を触るかのようにわたしの手を取り、その指先に触れるか触れないかのところで寸止めの口付けをする。
「……どうしちゃったの、エリク」
こんなのわたしの知っているエリクじゃない。
不審そうにエリクを見ると、眉間に一瞬だけ皺を寄せたけれど、すぐにキラキラの笑顔に戻った。
いつもならムッとした顔をしてわたしを睨むのに。今日のエリクはやっぱり変だ。
「どうもしないよ。またあとでね、リディ」
そう言って颯爽とエリクは去っていく。
なんなの、あれ。ユーグなら事情を知っているかな。今やわたしよりもユーグの方がエリクの事情に通じているみたいだし。
よし、あとでユーグに聞こう。
わたしはそう決めて部屋に入って驚いた。
だって、すごく広いのだもの!
ベッドはふかふかだし、ソファも、敷いてある絨毯も高級品。続き部屋もあるみたい。ここ、すごく高いお部屋なんじゃないだろうか。たまに家族で旅行することもあるけれど、こんな豪華な部屋になんて泊まったことがない。
これもエリクのお陰なのだろうか。仮にも王子さまだし……そもそも、この宿泊代って誰が出しているのだろう……ああ、だめだ。一度考え出すとドツボにはまりそう……考えるのはやめだ、やめ。
気持ちを切り替えて、座りっぱなしで硬くなった体を伸ばす。ずっと座っているのも疲れるものだ。
……さて、なにをしようかな。
宿に着いたところで、わたしはやることがなにもない。荷解きなんかは、エリクに付いてきた人たちがやってくれるみたいだし。
お茶でも飲みたいところだけど、ユーグの姿が見当たらないんだよね。どこ行っちゃったんだろう。
そう思いながらソファに座ると、ノックがされた。それに返事をすると、知らない女性の声が聞こえて、入ってもいいかと言われる。
誰だろう。エリクに付いてきた人かな?
この宿に不審人物なんて入ることはないだろうし、すぐそこにはエリクの護衛らしき騎士の人もいる。だから大丈夫だろう。
どうぞ、と答えるとドアが開いて、メイドの格好をした女性が入ってきて、にっこりと笑った。
平凡な茶色の髪を一つにまとめた、薄い桃色の瞳が特徴的な可愛いらしい人。すっごく可愛い。いや、可愛いんだけど……なんか、引っかかるんだよね……。
前にもこんなことあったな。いつのことだっけ。
わたしが考え込んでいると、くすくすと彼女が笑い出す。ぽかんとしてわたしが彼女を見ると、堪えきれなくなったのが、女性とは思えないほどゲラゲラと笑い出した。
「あははっ! もう、だめだ……! リディ全然気づいてない……!」
お腹を抱えて笑いながら言った彼女の声に、わたしはハッとする。
「……え。もしかして、ユーグ、なの?」
「正解。全然気づいてくれないんだもんなぁ……これでもわかりやすい変装なのに」
え? これでわかりやすいの? 全然別人だよ?
ユーグは変装が得意だと知っていたし、それを実際に何回か見たけれど、全員まったくの別人だった。というか、男の人なのにわたしより可愛くなるのってなんかずるい。
「顔は元のボクのままだし。ちょっと化粧しただけなのに、あっさり騙されちゃうんだもんね、リディは。ほんと、面白い」
「……騙されやすくて悪うございましたね」
ふんっと、顔を反らしたわたしに、ユーグは涙を拭いながら「まあ、怒らないでよ」と言う。
目がまだ笑っているから! 謝るなら心から謝ってほしい。
「……なんで女装しているの?」
「あー……これね。王子サマの指示だよ。女の格好していた方がリディの傍に居やすいからね。万が一の保険みたいなものだよ」
「え……な、なにか怖い目に遭う予定があるの……?」
聞いていないんですけど。それならこの旅行ついていかなかったのに。
「保険だってば。怖いことなんて起こらないよ。……たぶん」
たぶんってなに!? そこは言い切ってよ、ユーグ!
「まあまあ、そんなに心配しないでよ。リディの傍にはボクも王子サマもいるからさ。リディが危ない目に遭うことは絶対ないから」
ね? とにこりと笑うユーグが可愛い。
ずるいなあ……なんでこんなに可愛いんだろう。男なのに。
「……わかった。ところで、わたしはこれからユーグのことをなんて呼べばいいの?」
女性に変装しているのに、ユーグと男性名で呼ぶのはおかしいだろう。
「ユゲット」
短くユーグは答える。
ユゲット……ユゲットね。
わたしはその名前を聞いて、くすりと笑った。
「……なに。文句ある?」
ぶすっとした顔で言うユーグに、わたしは首を横に振る。
「文句なんてないわ。ただちょっと嬉しかっただけ」
にこりと笑ったわたしに、ユーグは気まずそうな顔をして、すっと顔を背けた。
ユゲットはユーグの名前からつけた偽名だろう。それだけ、ユーグという名前を彼が気に入ってくれている証みたいで、すごく嬉しかった。
その話題を引きずるとユーグが拗ねそうだったので、わたしは話題を変えることにした。
「ねえ、ユーグ。わたし、お茶が飲みたい」
「わかった。用意する」
ほっとした顔をしてユーグは部屋から出て行った。
数分で戻ってきたユーグの手には湯気のたったティーポットが握られていて、わたしの前で注いでくれた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう、ユーグ」
お礼を言って、やけどをしないように気をつけながらお茶を飲む。
うわぁ、美味しい。なにこれ、うちのお茶と全然違う。渋みと甘みが絶妙なバランスというか。語彙力がなくて上手く説明できないのが悔しいくらいに、美味しいお茶だった。
「すごく美味しい……!」
「そりゃあ、王室御用達の茶葉使ってるからね。それにボクの淹れ方も完璧だし」
ユーグ、自画自賛の前にすごいこと言わなかった?
王室御用達の茶葉とかなんとか……え? これ、わたし飲んでいいの?
「エリク王子が、これ使ってって言うからさ。リディは気にしなくていいんじゃない」
「エリクが……」
なんか今日だけで、驚きの連続だ。
エリクが王子さまなのはもちろん知っているし、王子さまをやっているエリクの姿を見たこともあるけれど、それでもわたしにとってエリクはすごく身近な存在だった。
でも、今日一日で、改めてエリクは王子さまなんだなって思い知った。
本来なら、わたしなんかとは知り合うはずもなかった存在。わたしとは、違う世界に住む人。
近くにいるのに、遠い人。
エリクが傍にいるのがわたしにとっての当たり前だった。でも、きっとそれは間違いだった。
こうしてエリクと一緒にいることが、きっと奇跡みたいなもので、本来ならわたしはエリクの隣に並び立つことすら許されないのだろう。
そう思うと、ずきんと胸が痛んだ。
きっといつか、エリクはわたしの傍から離れてしまう。だって、エリクは王子さまだもの。いつまでも、こんなふうに一緒にいることなんてできない。
「……リディ? どうしたの?」
訝しそうにユーグに問いかけられて、わたしはハッとする。そして、慌てて笑顔を作った。
「なんでもない。……ねえ、ユーグ。今日、エリクの様子がなんだか変なのだけど、その理由を知っている?」
ずきんとした胸の痛みから逃れるように、わたしはユーグに話題を振る。
するとユーグは不思議そうに首を傾げた。
「王子サマの様子が変? ボクにはいつも通りに見えたけど……具体的にどう変なの?」
「うーんと……いつもよりキラキラしているというな か」
「……はあ?」
わたしの抽象的な答えにユーグは、なに言ってるのと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。
違う、違う。確かにキラキラしてはいるのだけど、そうじゃなくて、もっと具体的に変なところを言わなくちゃ。
「いつもより、紳士的っていうか……わたしのことお姫さまみたいに扱ってくれるというか……そうだわ! 意地悪なことを言わないの! 顔も顰めないし、ずっとニコニコしていて……すごく不気味」
ユーグはぽかんとした顔でその話を聞いて、わたしの背後辺りを見たあと、爆笑し出した。
え、なんで笑うの? とわたしがきょとんとしていると、背後からすごい冷気を感じ、ぶるぶるっと体が震えた。
も、もしかして……。
「……へえ? リディはぼくのこと、そんなふうに思ってたんだ?」
油の切れた機械みたいに首を後ろに回すと、そこにはすごく冷たい目をしているエリクが立っていた。
「エ、エリク……あ、あのね、これはその……」
どうしよう……すごく怒っている……!
というか、淑女の部屋に勝手に入ってくるのってどうなの? ノックくらいしましょうよ。
「ちゃんとノックしたし、声もかけた。返事がなくておかしいなと思ってよく耳を澄ますと、部屋から話し声がしたから入ってみた」
「え……!? な、なんで……!?」
「なんで? きみが思い切り口に出していたからだよ」
淡々としたエリクの口調が怖い。
心の声が口から出ていたこともまずいけれど、それ以上にエリクを怒らせるないようにしないと。
と、とにかくエリクの怒りを鎮めて……!
「あ、あのね、エリク」
「なに?」
わたしを見るエリクの目が冷たい。まるで北風のようだ。
「わ、わたし……」
どうしよう。なにを言えばエリクのご機嫌が直る?
助けを求めるようにユーグを見たけれど、ユーグは未だに爆笑している。使えない!!
「お……」
「『お』?」
いつの間にか、エリクの顔がすぐ傍にあって、わたしは逃げられないようにソファの隅に追い詰められていた。
なにこれ。まるでエリクに襲われそうになっているみたい……ある意味、間違いじゃないのだけど!
「お……お、おなか、すいた……」
小さく呟いた途端、ぐうぅ、とわたしのお腹の虫が鳴いた。
な、なんて素晴らしタイミング……! いつもなら死にたくなるところだけれど、今はわたしの発言の信憑性を増す要素となってくれてありがたい。
……うん、だけど、やっぱり恥ずかしい。
恐る恐るエリクの顔を見ると、エリクは呆れたような顔して、盛大なため息をついた。
そしてわたしから離れる。
「……本当、リディは手強いな」
「はい?」
手強いってなんの話?
きょとんとするわたしに、エリクはいつも通りの冷めた目でわたしを見て言った。
「いつまでその格好しているの? 早く着替えて、夕飯を食べに行くよ」
ユーグ、リディの支度ができたら呼んで、と言って部屋を出ていく。
いったいなんなの……?
でも、まあ、助かった、ってことだよね。良かった……。
とりあえず去った危機に、わたしはほっと胸を撫でおろした。
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