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【六】
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それからのことは、よく憶えていない。思い出したくもない。「お前なんか河岸見世がお似合いだ」とか言われて我慢がならなくなった。さすがに刀は抜かなかったが、背中の男衆を投げ飛ばし、加勢に出てきた他の男衆も次々に叩きのめした。しかし最後は用心棒らしき逞しい男衆数人に取り押さえられ、番所に突き出されてしまった。侍である仙之進を番所で取り調べることはできない。表向きは保護されたことになっていたが、実態は藩邸の者が引き取りに来るまで監禁されているも同然だった。
藩邸に戻った仙之進は、即座に放逐を言い渡された。あんな騒ぎを起こしたのだから当然だろう。黙って藩邸を去るしかなかった。それからは名を仙吉に変え、いろいろな職を転々とした末に、今の船頭に落ち着いたのだった。
「仙さん、仙さん」
留蔵の呼ぶ声に仙吉は我に返った。
「どうした?」
仙吉の問いに、留蔵は河岸のほうを指差した。仙吉がそちらを見ると、船宿の主である科田屋が手招きしている。
「なんだろうな」
仙吉は留蔵を残して桟橋に降り、科田屋のところまで歩いた。
「仙さん、舟は出さないのかい?」
声を潜めて科田屋が訊いてきた。
「人を待ってるんですが……」
「来ないんだね?」
「ええ。たぶん来ることはないと思います」
「どういうことだい?」
仙吉は侍から聞いた話を科田屋に伝えた。
「ああ。間違いない。腕試しに使われたんだろうね」
柳橋の船頭になって吉原の事情にも詳しくなった今なら判る。遊び慣れた粋人にはまだ歯が立たない半人前の遊女たちは、腕試しと称して浅葱裏の田舎侍をからかったりするのだ。若月も、吉原までのこのこやって来た仙之進を見て、内心ほくそ笑んでいたことだろう。
「本当のところを教えてやるべきなんだろうとは思うんですが、舟代はもらってますし」
「なに言ってんだい。あんな端金で大きな顔されたら、たまったもんじゃないよ」
「別に、大きな顔はされちゃいませんが」
「それがだよ、山谷堀まで舟を出してくれって客がいるんだよ。十三夜のこんな時刻だからみんな出払っててね。そしたら仙さんの舟が残ってるじゃないか。舟を譲ってくれれば一両出すっていうんだよ」
「一両! そいつは豪気だ」
「そういうわけだから、あの侍には本当のことを教えて諦めさせておくれ。あたしゃ一両の客を連れてくるからさ」
科田屋は任せたよとばかりに仙吉の肩をぽんぽんと叩き、店に戻っていった。仙吉はその後ろ姿を見送ると深い溜め息をついた。それから桟橋の先の舟に戻った。
藩邸に戻った仙之進は、即座に放逐を言い渡された。あんな騒ぎを起こしたのだから当然だろう。黙って藩邸を去るしかなかった。それからは名を仙吉に変え、いろいろな職を転々とした末に、今の船頭に落ち着いたのだった。
「仙さん、仙さん」
留蔵の呼ぶ声に仙吉は我に返った。
「どうした?」
仙吉の問いに、留蔵は河岸のほうを指差した。仙吉がそちらを見ると、船宿の主である科田屋が手招きしている。
「なんだろうな」
仙吉は留蔵を残して桟橋に降り、科田屋のところまで歩いた。
「仙さん、舟は出さないのかい?」
声を潜めて科田屋が訊いてきた。
「人を待ってるんですが……」
「来ないんだね?」
「ええ。たぶん来ることはないと思います」
「どういうことだい?」
仙吉は侍から聞いた話を科田屋に伝えた。
「ああ。間違いない。腕試しに使われたんだろうね」
柳橋の船頭になって吉原の事情にも詳しくなった今なら判る。遊び慣れた粋人にはまだ歯が立たない半人前の遊女たちは、腕試しと称して浅葱裏の田舎侍をからかったりするのだ。若月も、吉原までのこのこやって来た仙之進を見て、内心ほくそ笑んでいたことだろう。
「本当のところを教えてやるべきなんだろうとは思うんですが、舟代はもらってますし」
「なに言ってんだい。あんな端金で大きな顔されたら、たまったもんじゃないよ」
「別に、大きな顔はされちゃいませんが」
「それがだよ、山谷堀まで舟を出してくれって客がいるんだよ。十三夜のこんな時刻だからみんな出払っててね。そしたら仙さんの舟が残ってるじゃないか。舟を譲ってくれれば一両出すっていうんだよ」
「一両! そいつは豪気だ」
「そういうわけだから、あの侍には本当のことを教えて諦めさせておくれ。あたしゃ一両の客を連れてくるからさ」
科田屋は任せたよとばかりに仙吉の肩をぽんぽんと叩き、店に戻っていった。仙吉はその後ろ姿を見送ると深い溜め息をついた。それから桟橋の先の舟に戻った。
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