絵師の恋

一ノ瀬亮太郎

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【一】

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「順吉さん、あんた美人画は向いてないね。絵は上手いよ。でも色気ってもんが全く無いんだからねえ」
 版元である辰巳屋たつみやの言葉が耳に痛い。順吉にもそれは判っているのだ。実際のところ、どんなに着飾った花魁おいらんを見ても魅力を感じない自分が、人を魅了するような遊女の絵を描けるはずないのだ。自分が感じていないものは描けないのが道理だ。
「これは買い取ってあげるけど、これで儲けようと思ってのことじゃないよ。いつかあんたも芽が出るんじゃないかと思うからだよ。そこんとこ勘違いしちゃ困るよ。まあね、絵は上手いんだから。女の何たるかを知れば化けるんじゃないかと、少しは期待してるわけさ。はい、お代」
 期待してると言いながら、順吉が受け取った絵の対価はごく僅かだ。それはいつものことだし、この絵の出来なら仕方ないとも思うので、順吉が文句を言うことはない。
「ありがとうございます。これで失礼します」
 順吉は店先の縁側から立ち上がり深々とお辞儀をして、辰巳屋の店を出た。

 もう夏の日差しだ。柳の緑、川の照り返し、揺らめく陽炎。目に見える全ての物が鮮やかに色付いている。暑いのは得意でないが、夏の景色は好きだ。この色、この光、この空気。それらなら紙の上に再現する自信がある。だが、そんな絵を買う者などいない。順吉が好きでも得意でもない遊女の絵を描くのは売れるからだ。売れるとは言っても、順吉の絵を美人画として買うような客はいない。遊女の宣伝のためにばら撒くための絵だ。それも、高名な絵師に頼むに値しない売れない遊女専門だ。辰巳屋は順吉の下絵を版画にして刷るわけだが、それを買うのは描かれた遊女のいる遊郭の主だ。だから高く売れることは期待できない。しかし安定した収入源とも言えるわけで、順吉の暮らしを支えているのもまた事実なのだ。

「辰巳屋はああ言ったけど、俺に女の何たるかが分かるなんてこと、あるんだろうか……」
 順吉は川の流れをぼんやり見ながら溜め息をつく。
「ふう。考えても仕方ないな。しかし暑い。こいつはかなわん。茶屋で一服するか」
 切り替えの早いのは順吉の数少ない長所の一つだ。
「せっかくだから、少し気分を変えて川向うに行ってみるか」
 活発な方とは言えない順吉なので、絵を描きに行くくるわと辰巳屋の他に出歩くことは滅多にない。すぐそこの川向うなのに、前に行ったのがいつだったか思い出せないほどだ。小さな木橋を渡り、住処すみかの長屋とは反対向きに川沿いを歩いていく。

 期待に相違してこちらの川沿いは店らしい店がほとんどなかった。四半刻しはんとき(約三十分)ほども歩いてやっと、「茶」と書かれたのぼりを掲げた水茶屋に辿り着いた。日除けのすだれを潜って中に入るとすかさず店の奥から若い声がした。
「いらっしゃいませ!」
 ぱたぱたと小走りに出てきたのは歳のころ十五、六の華奢な娘だった。
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