絵師の恋

一ノ瀬亮太郎

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【四】

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「人にぶつかっておいて挨拶も無しか?」
 一人が凄んでみせるが、今の順吉には全てがどうでもよいことだった。
「どうも」
 上の空でそれだけ言って通り過ぎようとした順吉の肩を、別の一人が掴んだ。
「こら! それで済むと思ってるのか?」
 順吉はその男の顔をぼんやり見つめるだけで、逃げる気も抵抗する気も起きない。
「人を舐めやがって!」
 頬に衝撃と痛みを感じたと思ったら、順吉の身体は地面に叩きつけられた。この期に及んでまずいと思ったが手遅れだ。地面に転がった順吉は三人から足蹴を食らい続けた。
 死ぬ……
 さっきまで死のうと思っていたはずなのに恐怖が湧いてくる。丸まったままなす術もなく耐える。意識が遠のき始めたとき、不意に攻撃が止んだ。恐る恐る顔を上げてみると、走り去る渡世人の後ろ姿が目に入った。一人はびっこを引き、一人は脇腹を抱えている。
「大丈夫か?」
 背後から女の声がした。振り返ると、月代さかやきを剃らない総髪の若武者が木刀を持って立っていた。順吉は痛みも忘れ、その凛とした美しさに目を見張った。艷やかで豊かな黒髪を高くまとめ、後ろに垂らしている。透き通るような白い肌。すっと細い顔に筋の通った高い鼻。太めの眉に切れ長の目。口は小さくないが、強い意志を表すように引き締められている。身につけているのは剣士の着る道着に袴だ。遊女や茶屋娘にはない、切れ味鋭い美だと順吉は思った。
「あなたを……描かせてください……」
 礼よりも問いかけよりも先に、その言葉が口をついて出た。
「な、なんだ? 藪から棒に」
 困惑する若武者の様子に順吉も自分がおかしなことを言っていると気付く。
「し、失礼いたしました。助けていただき、ありがとうございます」
 順吉は立ち上がろうとしたが、少し力を入れただけで身体がばらばらになりそうなくらい痛む。
「一人で立つのは無理だろう」
 若武者が屈み込んで順吉の脇の下に自分の腕を入れ、引っ張り上げるように順吉を立たせた。
「とりあえずうちの道場まで行くぞ。打ち身の薬ならたくさんあるからな」
「恐れ入ります」
 若武者が歩き出した。順吉も身体中の痛みを我慢して脚を踏み出す。若武者の支えがなければとても歩けない。
「ところで、さっきのは何だっのだ?」
「さっきの?」
「私を描きたいと」
「私、絵師なのでございます。あなたのあまりの美しさに思わず口走ってしまったのでございます。失礼をお許しください」
「そなたはこの私を美しいと言うのか? 男の格好をしたこの私を」
「却って厳しく張り詰めた美しさを感じます」
「ううむ……私は女扱いされるのを嫌だと思ってきたのだが……そのように言われると……悪い気はしないものだな。道場で手当が済んだら一枚描いてもらおう」
「ありがとうございます! うわ、痛たた」
「こら、おとなしくしておれ」
 喜びを抑えられない順吉ははやる気持ちのままに駆け出しそうになる。その度に若武者にたしなめられ、それすら嬉しい。激しい身体の痛みさえ、そのお蔭でこの若武者と知り合えたのだと思えば有り難いとすら思ってしまう。順吉の頭の中からお清のことはきれいさっぱり消えていた。
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