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一、蕾

一、蕾 ⑰

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 Side:竜仁


 ***

 洗面台の蛇口を捻ると、一か月ほど使っていなかった水道から鉄の匂いが染みた水が流れてきた。その水が透明になるまで眺めていたら、辰紀くんの醜悪な匂いを思い出して吐き気が込み上げてきた。

 我慢できずに水の音で掻き消しながら、せり上がってきた液体を嘔吐した。

「……本当に噂以上にあの匂いは醜悪だ」
 女性のつけすぎた香水よりも濃く、そして不快。ヒート中の甘く誘ってくるオメガの香りより下品で、あの匂いを纏うと自分の体を脱ぎ捨てたくなるほど悪寒が走る。
 確かにアルファにはあの香りは毒に等しい。
 彼の身体を気遣って、抱いてあげられたか不安になってくる。
 もう少し優しく、時間をかけて、快楽を伝えたかった。
 運命のアルファだと、愛情を注いで安心させたかった。
 きっと酷い思い上がりの行為になっていたに違いない。
 はやくあの毒から彼を守らないと。消さなくては、と。
 吐き気と気絶しそうな眩暈の中、必死で中に注いだ。

 体中のキズを見れば明らかだ。私は、彼に酷いセックスを強要したんだ。
 あの劇薬は、オメガをレイプから守るには本当に最高な品物で、改良によってはきっと良い防御になったのかもしれないが、直接体内に取り入れるのは、オメガの負担が多いだろう。

 元は、オメガが自分の身を守るための護身用に開発される予定だった花の加工。
 まさかそのまま花を喰らい、身体に染み込ませていくとは思わなかった。直接、花を食べて、身体にいいはずがない。
 初めて間近で見た辰紀くんは、肌も荒れ骨と皮のように細く、花に侵食されているように思えた。
 花の苗床のように、栄養全て奪われている。

 数年前、菫さんに『孫にヒートが始まった』と連絡があり、鍵を受け取りに行った日に見た辰紀くんよりも、生気も感じられない。今すぐにでも散ってしまいそうな儚げな様子に胸が痛んだ。
 けれど、彼のおばあさんを責めることはできない。
 そうしなければ、か弱い彼を守る術がなかったのだろう。

『私は、孫さえ守れるのであれば憎い運命の孫でさえ、利用させてもらう』
 菫さんは婚約者で運命だった祖父の孫である私さえ、憎んでいた。彼女の傷ついた過去は、何十年経っても消えないのだろう。
『あの子は、アルファに振り回されないように。私と同じ道を歩んでもらおうと思うの』
『それで、私は何をすればいいでしょうか』
 尋ねた私の目を、凍てつく冷たい目が一瞥する。
『私が産んだ欠陥品から、あの子を守りなさい。それぐらいしか貴方たちにはできないのだから』
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