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憧れる挨拶
しおりを挟む「おはようございます!」
大きな声。そして弾けんばかりの満面の笑み。朝出社してオフィスに入って来た挨拶としては百点満点だろう。
現在、始業時間の15分前。早く来ても給与なんて支払われないのだから時間ギリギリにでも来ればいいものを。そこはやはり新卒の社会人ゆえの初々しい意識高い系の行動といったところだろうか?
そういう先輩社員の彼は何だかんだその新卒の彼女よりも早くに出社しているわけだが、これは別に意識高い行動とかそういうわけではない。単純に電車の時間の都合である。始業時間に対してちょうどいい時間がなく、これより遅い電車にすると遅刻になる可能性がある。カフェで時間潰すとお金取られるので、オフィスに来て時間を潰しているわけである。
まだ社会人というものに対して希望を持っているのであろうキラキラとした目。寂しきかな。社会人というものに慣れ、希望というものを失った彼にとって、彼女のその希望に満ちた笑顔は眩し過ぎてとてもじゃないが直視できない。室内でサングラスの着用が認められるのであればすぐにでも着用したいくらいだ。
上司が着ているわけでもないのによくやるわ~、とか思って彼はスマホを弄っていると、
「おはようございます!」
「っっっっっっっっ!?」
びっくりした。心臓に悪い。何だコイツ。挨拶で人の心臓止める気か。
突如人の目の前で大声を出したかと思ったらそのまま笑顔で停止している。え? マジで何コイツ? 怖いんだけど。どっか行ってくんない?
しかし、どこか行くこともなく、彼女はじーっと笑顔でこちらを見つめてくる。マジで何なのコイツ、とか彼は思っていたのだが、彼女が何を待っているのかようやく察した彼は相手の声に対しては大分小声のテンション低い声で、
「……おはようございます」
と返すと、相手は満足したのか、何故かもう一度、『おはようございます!』と彼の心臓を止めようと笑顔で大声を出して去って行った。
怖い……、最近の若い子怖い……、とか彼は思ったりもするが、今のはどう考えても挨拶を返さない彼が悪い。まぁ、挨拶が返されるまで頑なにそこから動こうとしなかった彼女も彼女だが。新卒のマナー研修かなんかでそう習ったのだろうか? にしても律儀に守ることもあるまいに。
あー心臓に悪い。未だにドキドキいっている心臓を押さえながら彼がスマホを弄り始めると、
「おはようございます!」
「っっっっっっっっ!?」
再度大声が聞こえてきて危うくスマホを落としそうになる。今度は何だ? ちゃんと挨拶返したろ。と思い、彼が顔を上げて様子を見ると、どうやら社員全員に挨拶して回っているようである。こわ。
何も悪いことはしていないし、何ならとってもいいことをしているとは思うが、とても真似はできんな、と思った先輩社員である彼は後輩の彼女にそっと尊敬の念を抱いておくことにした。
三日坊主、という言葉がある。彼にはとても馴染み深い言葉だ。三日でもやらないよりはマシ、と彼は思っている。
彼の経験上、最初はモチベーション高く意識高いことをやったりもするが、慣れてくるとおざなりになったりもするものである。新卒社員である彼女も例に漏れず、
「おはようございます!」
「っ!?」
初志貫徹、という言葉もある。継続は力なり、ということわざもあるくらいだし、やはり一般的には続ける方が評価されるのだろう。
一か月も続けばそれなりに慣れてきたが、依然この大声には慣れない。未だに一回びっくりさせられる。
「………………」
そして毎度、返事が来るまで笑顔でそこから離れない新卒社員。
「……おはようございます」
そして毎度ローテンションで返す彼。これも一種の継続は力なりだろうか? ……違うね、うん。
というかこれ、他の新卒社員はやっていないことが判明したので完全に彼女のオリジナルっぽい。重ね重ね、よくやるよな~、と思う。いや、嫌味ではなく。
周りがやっているから同調圧力で仕方なくやっている、というわけでもない。何なら周りがやっていない中自分だけやるわけだから、周りから変に見られる可能性もある。
体育会系の部活とかに所属していた時の名残なのか、社会人としてやるべきと判断してやり始めたのかは知らないが、周りが誰もやっていなかった中、一人でも自主的に続けたのは大したものである。
そして偉いもので、
「おはようございますー」
新入社員に触発されたのか、ポツポツ出社時に挨拶する人が増え始めた。いや、出社したら挨拶するなんて当たり前でしょ、って思われるかもしれないが、この課からすると結構レアケースである。
内向的なメンバーというべきか、言葉選ばないなら元気の無いメンバーというべきか。声を出したくないメンバーが集まっているため、出社時の挨拶なんてすれ違う人に軽く会釈するか、せいぜい声を出すとしても隣の席に居る人に聞こえるくらいのボリュームで挨拶するくらいである。
『おはようございます』なんてちゃんと声に出して挨拶するの、朝会の出席確認くらいじゃないだろうか。それだって小さく輪になってやるから声を張る必要性はない。
出社して事務所の入り口付近で周りに聞こえるように挨拶なんて、とてもじゃないが考えられないことである。実際、不慣れなのが伝わってくるが、挨拶の声が微妙に震えている。
まぁでも、不慣れで声が震えているにも拘わらずやっているのは偉いと思う。彼は未だに頑なにやる気は無い。大体課の中で一番早く出社しているから挨拶する必要が無い、というのもあるが。
大きな声で挨拶。した方がいいのは百も承知だがどうにも苦手である。他部署なんかだと朝の声出しという名目で5分か10分くらい『おはようございます』を朝から連呼していたりするがあんなの考えられない。もし配属されようものなら即座に転職する。
そんな理由で転職? って思うだろうか。まぁ確かに転職理由としてあまり聞かないだろうが一種の社風が合わない、ってやつである。社風の合う・合わないって大事なのである。
挨拶のボリュームで詰められたこともないし、何なら挨拶しなくても詰められることもない課。しなくていいならしなくなるのは自然の理というか、朝の挨拶なんて自然消滅していた課だったのだが、一人の挨拶をきっかけに自然復活しそうな流れである。
まぁ、正直、朝の挨拶って気持ちいいよね、清々しいよね、とまでは思わないが、
「………………」
なんとなく活気がついてきた課の様子を見ていると、やっぱり挨拶って大事なんだろうな、とは思った。
翌日。朝出社しての挨拶が嫌、というわけではないが、いつも通り一番早く出社した彼は時間もあるのでトイレに寄ってオフィスに帰ってくると、
「………………」
入れ替わりで出社したのか、新入社員の彼女が席に座っていた。いつもであれば社員一通りにせわしなく挨拶回りをしている彼女だが、現時点誰も出社していないため、大人しく席に座っているようである。
無視してそっと離れた席に座ってもよかったのだが、挨拶は大事である、と学んだところでもあるので、彼はそっと彼女に背後から近づくと、
「おはようございますー」
「ひぃっ!?」
酷い。幽霊を見た、みたいなリアクションである。まぁ誰も居ないと思ってリラックスしていたところに背後から急に声をかけられたわけだから驚くのは分からんでもないが。まぁでもこっちも初めて挨拶された時同じくらい驚かされたのだからお互い様だろう。
そんな彼の思考を感じ取って不満げな顔をしているわけでもないだろうが、彼女はそっと彼の方を振り返り、
「………………」
固まっている。気まずい。何だ? ちゃんと『おはようございます』って発音できていなかったか? 確かに緊張してちゃんと発音できた記憶はないが。
今一歩状況の理解が追い付いていなかったような彼女だが、徐々に状況を理解したのか、彼女はそっと立ち上がると、
「おはようございます!」
相変わらず大きな声。相変わらずキラキラの笑顔。
言ってしまえば笑顔で挨拶しているだけではあるのだが、どうにも真似できる気がしない。語弊を恐れず言うのであれば、真似したい、とも思わないが。いやだってこれ、使い手に依存するだろう。彼が笑顔で挨拶しようものならそれこそオフィス中から『ひぃえ~っ!?』と悲鳴が上がり鳴り止まないことだろう。
挨拶するだけ。言ってしまえばたったそれだけのこと。だが、たったそれだけのことで場の雰囲気を明るくできる彼女。
そんな彼女の挨拶に彼はそっと憧れる。
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