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第一章
自由と未来への一歩①
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次の日、私は案外すっきりと目が覚めた。婚約解消の余波はまだ心の奥でくすぶり、身体の力も抜けたままだったし、父も母もエリナも、何も声をかけてはくれなかったが、手放せたことの方が何倍も価値があるように感じた。
窓を見ると太陽はとうにのぼっていた。どうやら私のことを慮ってくれたのか、起こさずにいてくれたのだろう。サイドテーブルには簡単な軽食が置かれていた。
「あら嫌だ。すっかり学園を休んでしまったようね」
と、口にして気づく。もう行かなくていいのだと。きっと登校したとしても、少なくとも高位貴族には広がっているだろう。針の筵のような環境に行かなくて良いだけ、準備を命じてくれた国王陛下には感謝すべきかしら。
そんなことを考えていると、起きた気配に気付いたのか、扉を叩く音が聞こえた。
「お嬢様、奥様とエリナ様がお会いしたいと……」
侍女の声に、私は一瞬だけ眉をひそめた。もう身支度はできない。大きくため息をつくが、すぐに表情を整え、静かに答える。
「……通してちょうだい」
ほどなくして義母とエリナが入ってきた。義母は取り澄ました笑みを浮かべ、エリナは頬を紅潮させ、浮き立つように私の前に座った。
「リシェルさん、体調はいかが?」
「ええ、特に問題はございません。少し寝過ぎたようですわ。」
私が淡々と答えると、義母は安心したように微笑んだが、その目には別の光が宿っていた。
「そう、それなら良かったわ。実は、陛下からのお言葉もあって、これからはエリナが殿下のお傍に伺うことになるでしょう。あなたが積み上げてきたものを無駄にしないように、しっかりと引き継がせたいの」
横で、エリナがぱっと目を輝かせる。
「姉様がしてきたご公務のお話、聞きたいです!舞踏会でのお作法とか、殿下とのお出かけのこととか……」
その無邪気な笑顔を見て、胸の奥にかすかな痛みが走った。婚約解消された次の日の会話ではない。
この親子はなぜこうも無神経なのか。血の繋がりがないことに安堵する。代わりに、冷たい静けさが私を包み込む。
「……留学の準備の合間に、できるようであれば文書にまとめておきます。それを読めば十分でしょう」
できるだけ穏やかに答えると、エリナの笑顔に一瞬戸惑いが混じったが、すぐに「ありがとうございます!私、レオナルト様の婚約者としてふさわしくあるよう頑張りますわ!」と無邪気に返してきた。
義母は満足げに頷き、席を立つ前に一言。
「あなたがこうして潔くしてくれるから、家も王家も立つのよ。誇りに思いなさい」
その言葉を最後に、二人は軽やかに去っていった。
扉が閉じ、部屋に静寂が戻る。私は深く息を吐いた。胸の奥に残ったのは、痛みではなく、妙な空洞だった。
私にはここに居場所はないのだ。でも、それでいい。もう手放したのだから。
義母とエリナが部屋を辞していくと、空気が一気に軽くなった。
息を詰めていたことに気づき、私はひとつ深く息を吐いた。
――その時だった。
「アレク殿下がお越しです!」
使用人の声に、胸がかすかに跳ねる。
まさか、こんなにも早く。
慌ただしく身支度を整え、客間に向かうと、アレク様がいらっしゃっていた。
お父様はすでに説明を聞いたようで、ちょうど部屋を出るところだった。「失礼のないように。」と一言いって去っていく。同席するつもりは、はなからないようだった。
王家の騎士が形式ばった口上を述べる。「王家の命により、留学に関する諸事の調整を…」と。
その横で、アレク様は仰々しい場を持て余すように腕を組み、退屈そうにしていた。
だが、ふとこちらに視線が向いた瞬間、その瞳の奥に、穏やかな光が宿ったのを私は見逃さなかった。
「リシェル嬢。王家の勅命に従い、近くライゼルト王国へ渡ることになる。準備については、我が国が責任を持って支援する」
言葉こそ格式ばっていたが、声音は柔らかい。私を安心させるように、一音一音が落とされていく。
公爵家の者たちが応じるのを横で聞きながら、私はただ小さく頷いた。
王家からの騎士が「それではアレク殿下、あとはよろしくお願い申し上げます」と述べて退出していくと、応接間に残ったのはアレク様と私、そして控えていた数名の使用人だけになった。
アレク様は扉が閉まった途端、肩をぐるりと回し、盛大にため息をついた。
「……はーっ、疲れた!ああいう堅苦しいの、ほんっと無理!」
その場にいた使用人たちが目を丸くする。私は思わず口元を押さえた。
彼の声や仕草は、学園で見せていた飾らない彼そのものだったから。
「おい、笑うなよ。俺だって一応、頑張ってんだぞ?“ライゼルト王国の第二王子”の仮面、な?」
わざと胸を張ってみせる仕草に、ふっと笑いがこぼれる。
こんな時でも私を笑わせようとしてくれる。その気遣いが、心の奥まで染みていった。
「さて、留学に伴い、我が国の機密に近い情報も共有せねばならぬため、リシェル嬢をしばらくお借りしてもよいだろうか。公爵からは了承を得ている。」
アレク様は途端に王子の顔に戻り、使用人に告げる。異性と2人きりになることに懸念を抱く様子が見られたが、
「私も同席させていただきます。心配であれば、扉を少し開けていただいてかまいません。アレク殿下は信用していただける方です。」
「みんな、平気よ。アレク殿下の指示に従ってくれるかしら」
カイル様の後押しと私の言葉で使用人たちは安心したようで全員部屋から出ていった。
それを確認したアレク様は私を見て微笑んだ。
「……大変だったな」
その言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。誰も言ってくれなかった一言だったから。
でも次にアレク様が口にした言葉は、予想の斜め上を行った。
「でもさ……婚約解消おめでとう、って言うべきか?」
「……え?」
あまりに突飛で、思わず間の抜けた声が出る。彼は真顔のまま、さらに畳みかけた。
「むしろ、逃げ出し成功!だろ?王太子妃なんて、窮屈な役目から解放されたんだ。ラッキーだと思わなきゃ損だぜ。」
軽口めいた響きなのに、胸の奥に沁みる。
私が必死に守ろうとしていた立場を「牢獄」だと言われたようで、目の奥が熱くなった。
「……そんなふうに思えるのですか?」
「思えるさ。だって、お前の未来はまだ決まってないんだから」
アレク様はそう言って、わざと大げさに肩をすくめた。
「王太子妃なんて窮屈な役がなくなって、自由だろ?あんな無神経な男、俺なら喜んで逃げるけどな。……お前はどうだ?」
――自由。
その言葉に、胸の奥で何かが小さく揺れた。
その時、アレク様の背後からひょっこりカイル様が顔を出す。
「殿下、元気づけたいのかからかいたいのか、どっちなんです?」
カイル様が呆れたように笑っていた。
「どっちもだ!」
即答する彼に、私は思わず吹き出してしまった。張り詰めていた心が、少しだけ緩む。
「……ありがとうございます」
小さく呟くと、アレク様はにっと笑った。
「よし、その顔だ。な?悪いことばっかりじゃないだろ」
アレク様は、まるで悪戯に成功した子どものように笑った。
けれど、その笑みの奥には、確かに私を気遣う温かさが宿っている。
「……でも、私は、これからどうすればいいのか……」
思わずこぼれた声は、情けないほど弱々しかった。
「どうするか、だって?」
アレク様は腕を組み、わざとらしく考えるふりをする。
「決まってんだろ。俺の国に来るんだ。文化交流だかなんだかの名目はどうでもいい。俺が案内してやるから、好きなことに首突っ込んで、楽しんでみろ」
「……楽しむ?」
「そう。お前が笑う顔、もっと見たいからな」
殿下は、こともなげにそう言った。
私の頬が熱を帯びる。
「リシェル様」
背後からカイル様の声が差し込む。
「殿下は口が軽くて誤解を招きますが……それでも本心で言っておられます。留学は、きっと新しい道になりますよ」
「おい、カイル!余計なフォローすんな!」
振り返って軽く小突くと、カイル様は苦笑して肩をすくめた。
二人の軽妙なやりとりを見ていると、胸の奥を覆っていた暗い靄が、少しずつ溶けていくのを感じた。
――未来は、まだ終わっていない。
王太子妃としての未来は失われた。
けれど、自由を手にした今、私には別の未来を選ぶことができる。
「……はい。アレク様」
私はそっと笑みを返した。
「私、少し楽しみにしてみます。隣国での生活を」
「そうこなくちゃ!」
アレク様は大きく頷き、ぱん、と手を打った。
「よし決まり!俺が責任もって一生面倒見てやるから安心しろ。」
「殿下、それ、いちばん安心できない言葉です」
カイル様の突っ込みに、私の笑い声が自然とこぼれた。
その瞬間、胸の奥に、確かに小さな希望が芽吹いた気がした。
窓を見ると太陽はとうにのぼっていた。どうやら私のことを慮ってくれたのか、起こさずにいてくれたのだろう。サイドテーブルには簡単な軽食が置かれていた。
「あら嫌だ。すっかり学園を休んでしまったようね」
と、口にして気づく。もう行かなくていいのだと。きっと登校したとしても、少なくとも高位貴族には広がっているだろう。針の筵のような環境に行かなくて良いだけ、準備を命じてくれた国王陛下には感謝すべきかしら。
そんなことを考えていると、起きた気配に気付いたのか、扉を叩く音が聞こえた。
「お嬢様、奥様とエリナ様がお会いしたいと……」
侍女の声に、私は一瞬だけ眉をひそめた。もう身支度はできない。大きくため息をつくが、すぐに表情を整え、静かに答える。
「……通してちょうだい」
ほどなくして義母とエリナが入ってきた。義母は取り澄ました笑みを浮かべ、エリナは頬を紅潮させ、浮き立つように私の前に座った。
「リシェルさん、体調はいかが?」
「ええ、特に問題はございません。少し寝過ぎたようですわ。」
私が淡々と答えると、義母は安心したように微笑んだが、その目には別の光が宿っていた。
「そう、それなら良かったわ。実は、陛下からのお言葉もあって、これからはエリナが殿下のお傍に伺うことになるでしょう。あなたが積み上げてきたものを無駄にしないように、しっかりと引き継がせたいの」
横で、エリナがぱっと目を輝かせる。
「姉様がしてきたご公務のお話、聞きたいです!舞踏会でのお作法とか、殿下とのお出かけのこととか……」
その無邪気な笑顔を見て、胸の奥にかすかな痛みが走った。婚約解消された次の日の会話ではない。
この親子はなぜこうも無神経なのか。血の繋がりがないことに安堵する。代わりに、冷たい静けさが私を包み込む。
「……留学の準備の合間に、できるようであれば文書にまとめておきます。それを読めば十分でしょう」
できるだけ穏やかに答えると、エリナの笑顔に一瞬戸惑いが混じったが、すぐに「ありがとうございます!私、レオナルト様の婚約者としてふさわしくあるよう頑張りますわ!」と無邪気に返してきた。
義母は満足げに頷き、席を立つ前に一言。
「あなたがこうして潔くしてくれるから、家も王家も立つのよ。誇りに思いなさい」
その言葉を最後に、二人は軽やかに去っていった。
扉が閉じ、部屋に静寂が戻る。私は深く息を吐いた。胸の奥に残ったのは、痛みではなく、妙な空洞だった。
私にはここに居場所はないのだ。でも、それでいい。もう手放したのだから。
義母とエリナが部屋を辞していくと、空気が一気に軽くなった。
息を詰めていたことに気づき、私はひとつ深く息を吐いた。
――その時だった。
「アレク殿下がお越しです!」
使用人の声に、胸がかすかに跳ねる。
まさか、こんなにも早く。
慌ただしく身支度を整え、客間に向かうと、アレク様がいらっしゃっていた。
お父様はすでに説明を聞いたようで、ちょうど部屋を出るところだった。「失礼のないように。」と一言いって去っていく。同席するつもりは、はなからないようだった。
王家の騎士が形式ばった口上を述べる。「王家の命により、留学に関する諸事の調整を…」と。
その横で、アレク様は仰々しい場を持て余すように腕を組み、退屈そうにしていた。
だが、ふとこちらに視線が向いた瞬間、その瞳の奥に、穏やかな光が宿ったのを私は見逃さなかった。
「リシェル嬢。王家の勅命に従い、近くライゼルト王国へ渡ることになる。準備については、我が国が責任を持って支援する」
言葉こそ格式ばっていたが、声音は柔らかい。私を安心させるように、一音一音が落とされていく。
公爵家の者たちが応じるのを横で聞きながら、私はただ小さく頷いた。
王家からの騎士が「それではアレク殿下、あとはよろしくお願い申し上げます」と述べて退出していくと、応接間に残ったのはアレク様と私、そして控えていた数名の使用人だけになった。
アレク様は扉が閉まった途端、肩をぐるりと回し、盛大にため息をついた。
「……はーっ、疲れた!ああいう堅苦しいの、ほんっと無理!」
その場にいた使用人たちが目を丸くする。私は思わず口元を押さえた。
彼の声や仕草は、学園で見せていた飾らない彼そのものだったから。
「おい、笑うなよ。俺だって一応、頑張ってんだぞ?“ライゼルト王国の第二王子”の仮面、な?」
わざと胸を張ってみせる仕草に、ふっと笑いがこぼれる。
こんな時でも私を笑わせようとしてくれる。その気遣いが、心の奥まで染みていった。
「さて、留学に伴い、我が国の機密に近い情報も共有せねばならぬため、リシェル嬢をしばらくお借りしてもよいだろうか。公爵からは了承を得ている。」
アレク様は途端に王子の顔に戻り、使用人に告げる。異性と2人きりになることに懸念を抱く様子が見られたが、
「私も同席させていただきます。心配であれば、扉を少し開けていただいてかまいません。アレク殿下は信用していただける方です。」
「みんな、平気よ。アレク殿下の指示に従ってくれるかしら」
カイル様の後押しと私の言葉で使用人たちは安心したようで全員部屋から出ていった。
それを確認したアレク様は私を見て微笑んだ。
「……大変だったな」
その言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。誰も言ってくれなかった一言だったから。
でも次にアレク様が口にした言葉は、予想の斜め上を行った。
「でもさ……婚約解消おめでとう、って言うべきか?」
「……え?」
あまりに突飛で、思わず間の抜けた声が出る。彼は真顔のまま、さらに畳みかけた。
「むしろ、逃げ出し成功!だろ?王太子妃なんて、窮屈な役目から解放されたんだ。ラッキーだと思わなきゃ損だぜ。」
軽口めいた響きなのに、胸の奥に沁みる。
私が必死に守ろうとしていた立場を「牢獄」だと言われたようで、目の奥が熱くなった。
「……そんなふうに思えるのですか?」
「思えるさ。だって、お前の未来はまだ決まってないんだから」
アレク様はそう言って、わざと大げさに肩をすくめた。
「王太子妃なんて窮屈な役がなくなって、自由だろ?あんな無神経な男、俺なら喜んで逃げるけどな。……お前はどうだ?」
――自由。
その言葉に、胸の奥で何かが小さく揺れた。
その時、アレク様の背後からひょっこりカイル様が顔を出す。
「殿下、元気づけたいのかからかいたいのか、どっちなんです?」
カイル様が呆れたように笑っていた。
「どっちもだ!」
即答する彼に、私は思わず吹き出してしまった。張り詰めていた心が、少しだけ緩む。
「……ありがとうございます」
小さく呟くと、アレク様はにっと笑った。
「よし、その顔だ。な?悪いことばっかりじゃないだろ」
アレク様は、まるで悪戯に成功した子どものように笑った。
けれど、その笑みの奥には、確かに私を気遣う温かさが宿っている。
「……でも、私は、これからどうすればいいのか……」
思わずこぼれた声は、情けないほど弱々しかった。
「どうするか、だって?」
アレク様は腕を組み、わざとらしく考えるふりをする。
「決まってんだろ。俺の国に来るんだ。文化交流だかなんだかの名目はどうでもいい。俺が案内してやるから、好きなことに首突っ込んで、楽しんでみろ」
「……楽しむ?」
「そう。お前が笑う顔、もっと見たいからな」
殿下は、こともなげにそう言った。
私の頬が熱を帯びる。
「リシェル様」
背後からカイル様の声が差し込む。
「殿下は口が軽くて誤解を招きますが……それでも本心で言っておられます。留学は、きっと新しい道になりますよ」
「おい、カイル!余計なフォローすんな!」
振り返って軽く小突くと、カイル様は苦笑して肩をすくめた。
二人の軽妙なやりとりを見ていると、胸の奥を覆っていた暗い靄が、少しずつ溶けていくのを感じた。
――未来は、まだ終わっていない。
王太子妃としての未来は失われた。
けれど、自由を手にした今、私には別の未来を選ぶことができる。
「……はい。アレク様」
私はそっと笑みを返した。
「私、少し楽しみにしてみます。隣国での生活を」
「そうこなくちゃ!」
アレク様は大きく頷き、ぱん、と手を打った。
「よし決まり!俺が責任もって一生面倒見てやるから安心しろ。」
「殿下、それ、いちばん安心できない言葉です」
カイル様の突っ込みに、私の笑い声が自然とこぼれた。
その瞬間、胸の奥に、確かに小さな希望が芽吹いた気がした。
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