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第一章
自由と未来への一歩②
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婚約解消してから気づけば2週間経つ。
留学の際の荷造りは、なんだか人生の断捨離にも似ていた。
レオナルト様から贈られた学園や王宮に通うために仕立てられた豪華なドレスたち。宝石をちりばめた髪飾り。舞踏会のためだけに作られた靴。
そしてその中に一つだけ、色の濃くなった革張りの髪留め。
「これを君に」と婚約が決まって初めての出会いで渡された思い出。レオナルト様が手ずから作られたものだ。
その時には嬉しくて、「王城に上がるには相応しくない」と止められようとも、常に身につけて行った。レオナルト様はそれに目を止めると、表情は変わらないものの口角が少し上がるのだ。
髪留めの縁を指でなぞる。
婚約者として、心の交流は十分でなかったかもしれない。けれど、レオナルト様が選んでくださった物たちを一つ一つ確かめながら片付けることで、婚約者として心を砕いてくださっていたことがわかり、ふと心が温まった。
「でももう、これは持っていけないわね」
煌びやかなドレスと装飾品の数々は脇へ。
必要な筆記具や書物は丁寧に包む。
「これは要らない」「これは持って行こう」――選び直す作業は、まるで自分の心の中を整理にふさわしい作業だった。
王太子妃教育で必死になって大切なことを書き留めた綴り本も複数出てきた。
「これは、持って行こうかな…」
王太子の婚約者として学んだ礼儀作法や知識は、これからは、私自身のために。
胸の奥に静かな決意が芽生えた。
「……もう、大丈夫。」
扉を叩く音がした。
「お嬢様、奥様とエリナ様がお越しになっております。」
「……通してちょうだい」
部屋の中は、衣装箱や本の山が散らばっていて、人を招く部屋ではないのは百も承知だろう。
ほどなくして義母とエリナが現れる。
「お姉様、ドレスは持っていかないのですか?どれも素敵です!わたしだったら、絶対に全部持っていくのに!」
エリナは無邪気に目を輝かせている。
「そうね。公爵家として相応わしいものをお持ちになるといいわよ、リシェルさん」
けれど私は、静かに首を振った。
「もう飾り立てる必要はございません。必要最低限のもので結構です」
その言葉に義母は不満げに眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
「そういえばお姉様、婚約者としての引き継ぎの件はどうなりましたの?私、レオナルト様の隣に立てるか不安で不安で…」
エリナは義母の腕に手を添えながら切り出した。その様子を見て、義母は守るように前に出る。
「あなたが“文書にまとめる”とおっしゃったのに、机の上は空のままではありませんか。このままでは公爵家の恥になりますよ」
呆れた声の義母に続き、エリナは小声で呟く。
「私、挑戦してみようと思ったのですけれど……分からないことが多くて中々進まないのです。お姉様がまとめてくださるとおっしゃったから、メモも後からでいいだろうと思っていたら、叱責されてしまいまして。それ以来、家庭教師の方に萎縮してしまうのです。」
その言葉に、胸の奥がかすかに震える。また、私のせいにするのね。
「リシェルさん。家のため、殿下のために、あなたが最後まで責任を果たさなければ」
義母は一歩踏み込むように言い放った。
けれど今は、不思議と悲しくもならなかった。胸の奥に、別の熱が広がる。
「……でしたら、エリナ。ご自身で文書を作成なされるとより理解が深まりますよ」
「え……?」
義母の顔が強張り、エリナの目が瞬く。私は静かに、はっきりと言葉を継いだ。
「確かに、私文書にまとめようと思いましたのよ。ただ、王太子妃教育の際の綴り本を整理した際、思いましたの。記憶を辿ると、与えられたものよりも自主的に学んだ方がより身につくと。私は、もう王太子の婚約者ではございません。必要な知識や経験は、次にその立場に立つ方が、自ら学び取るべきことです。……次期王太子妃様に申し上げます。“甘える”のは、そろそろおやめになり、王太子の婚約者として相応わしい態度で学ばれては?」
ほんの少し、口元に笑みを浮かべる。
義母が息を呑み、エリナが唇を震わせる。
胸の奥で、初めて小さな意趣返しができた気がした。
――その時だった。
「邪魔するぞー」
突然、扉が勢いよく開かれた。
明るい声と共に現れたのは、アレク様。後ろから慌てて執事や侍女長が駆けてくる。
「おっと、ちょうどいいところだったみたいだな」
彼はわざとらしく腕を組み、部屋を見渡した。
「リシェルの時間は、もう留学に向けての準備にかけるように国王から命じられている。荷造りも書類も、うちの国に関することが優先だ。公爵夫人もエリナ嬢も、自分で頑張れるな。では、解散!」
「失礼ながら、第二王子殿下!我が家のことですので……!」
義母が声を荒げるが、アレク様は意に介さない。
「王命で留学するのはリシェルだ。俺が責任者。どちらも王家の判断が伴うが、何か不都合があるか?」
その一言に、義母は顔を引きつらせ、エリナも泣き出しそうに唇を噛んだ。
二人は不満を残しつつも、執事に促され、結局は部屋を後にするしかなかった。
静まり返った部屋に、ようやく深呼吸ができる。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
そう告げると、アレク様は大げさに肩をすくめた。
「いやいや、助ける前にもう言い返してたじゃねぇか。“もう王太子の婚約者じゃない”ってな。いいねぇ!そういうの!」
その背後から、ひょっこりとカイル様が顔を出した。
「殿下、あまり焚きつけないでください」
「焚きつけて何が悪い!リシェルが一歩踏み出したんだ、俺は全力で応援するぞ!」
その軽やかな言葉に、胸の奥の冷たい塊が少しずつ溶けていくのを感じた。
アレク様とカイン様が来てからは、衣装箱や書物の山に囲まれながら、私は気づけば小さく笑っていた。
婚約解消までの日々は、冷えた空気に満ちていたはずなのに――今、部屋には笑い声と荷造りの音が響いている。
「で、これ全部持ってくのか?」
アレク殿下が勝手に箱をひょいと持ち上げて覗き込む。
「いえ、必要最低限ですわ」
淡々と返すと、彼は肩をすくめて大げさに嘆いた。
「最低限?にしちゃ荷物少なくね?…ま、リシェルがいいならいいか。向こうじゃ、舞踏会より“食事”がメインイベントだ!ドレスより胃袋の準備しとけ!」
「……殿下、励まし方が独特ですね」
苦笑しながら、カイル様は几帳面に書物を紐でまとめる。
「現地の言葉や礼儀については、最低限の冊子を持って行かれると安心です。筆記具も、質の良いものを」
「そうそう!踊りのステップは忘れても平気だが、言葉は忘れんなよ!」
アレク様がちゃっかり相槌を打つ。
「……ふふ。そうですわね。踊りより言葉、ですわね」
思わず笑ってしまう。手が自然に軽くなる。荷物を整理するたび、胸の奥の澱まで少しずつ整っていくようだった。
「よし、もう入んねえぞ!」
アレク様が勝手にトランクを閉じようとして、慌てて止める。
「まだ入れてません!」
「おい、殿下、余計なものを入れて台無しにしないでください」
カイル様が渋い顔で詰め直す。
几帳面に包まれた本の隙間に、アレク様が菓子袋を突っ込もうとしてまた睨まれていた。
「……なんだよ、長旅のお供だろ?俺のおすすめのやつだし」
口を尖らせる姿に、思わずくすっと笑ってしまう。
――楽しい。
そんな風に準備をしている自分に、少しだけ驚いていた。
これは逃げるための荷造りじゃない。
新しい自分を始めるための準備。
「なぁリシェル。向こう着いたらさ、…ドレスでも贈ってやるよ。ほら、舞踏会より飯メインつっても、いざって時は着飾るだろ?あー…えーっと、“友達のよしみ”ってやつだ」
アレク殿下が何気なく言った。
「友達の……?」
首をかしげる私に、彼はそっぽを向いて「まぁ、そんなとき用に、な」とだけ付け足した。
背後でカイル様が小声で突っ込む。
「……リシェル様にはもう婚約者はおられませんよ」
「おい!余計なこと言うな!」
顔を赤くして手を振る殿下と、さらりと流すカイル様。
二人のやりとりを見ながら、私の胸の奥で小さな温かさが広がっていく。
荷造りの音と笑い声が、確かに「未来」へと続いていた。
留学の際の荷造りは、なんだか人生の断捨離にも似ていた。
レオナルト様から贈られた学園や王宮に通うために仕立てられた豪華なドレスたち。宝石をちりばめた髪飾り。舞踏会のためだけに作られた靴。
そしてその中に一つだけ、色の濃くなった革張りの髪留め。
「これを君に」と婚約が決まって初めての出会いで渡された思い出。レオナルト様が手ずから作られたものだ。
その時には嬉しくて、「王城に上がるには相応しくない」と止められようとも、常に身につけて行った。レオナルト様はそれに目を止めると、表情は変わらないものの口角が少し上がるのだ。
髪留めの縁を指でなぞる。
婚約者として、心の交流は十分でなかったかもしれない。けれど、レオナルト様が選んでくださった物たちを一つ一つ確かめながら片付けることで、婚約者として心を砕いてくださっていたことがわかり、ふと心が温まった。
「でももう、これは持っていけないわね」
煌びやかなドレスと装飾品の数々は脇へ。
必要な筆記具や書物は丁寧に包む。
「これは要らない」「これは持って行こう」――選び直す作業は、まるで自分の心の中を整理にふさわしい作業だった。
王太子妃教育で必死になって大切なことを書き留めた綴り本も複数出てきた。
「これは、持って行こうかな…」
王太子の婚約者として学んだ礼儀作法や知識は、これからは、私自身のために。
胸の奥に静かな決意が芽生えた。
「……もう、大丈夫。」
扉を叩く音がした。
「お嬢様、奥様とエリナ様がお越しになっております。」
「……通してちょうだい」
部屋の中は、衣装箱や本の山が散らばっていて、人を招く部屋ではないのは百も承知だろう。
ほどなくして義母とエリナが現れる。
「お姉様、ドレスは持っていかないのですか?どれも素敵です!わたしだったら、絶対に全部持っていくのに!」
エリナは無邪気に目を輝かせている。
「そうね。公爵家として相応わしいものをお持ちになるといいわよ、リシェルさん」
けれど私は、静かに首を振った。
「もう飾り立てる必要はございません。必要最低限のもので結構です」
その言葉に義母は不満げに眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
「そういえばお姉様、婚約者としての引き継ぎの件はどうなりましたの?私、レオナルト様の隣に立てるか不安で不安で…」
エリナは義母の腕に手を添えながら切り出した。その様子を見て、義母は守るように前に出る。
「あなたが“文書にまとめる”とおっしゃったのに、机の上は空のままではありませんか。このままでは公爵家の恥になりますよ」
呆れた声の義母に続き、エリナは小声で呟く。
「私、挑戦してみようと思ったのですけれど……分からないことが多くて中々進まないのです。お姉様がまとめてくださるとおっしゃったから、メモも後からでいいだろうと思っていたら、叱責されてしまいまして。それ以来、家庭教師の方に萎縮してしまうのです。」
その言葉に、胸の奥がかすかに震える。また、私のせいにするのね。
「リシェルさん。家のため、殿下のために、あなたが最後まで責任を果たさなければ」
義母は一歩踏み込むように言い放った。
けれど今は、不思議と悲しくもならなかった。胸の奥に、別の熱が広がる。
「……でしたら、エリナ。ご自身で文書を作成なされるとより理解が深まりますよ」
「え……?」
義母の顔が強張り、エリナの目が瞬く。私は静かに、はっきりと言葉を継いだ。
「確かに、私文書にまとめようと思いましたのよ。ただ、王太子妃教育の際の綴り本を整理した際、思いましたの。記憶を辿ると、与えられたものよりも自主的に学んだ方がより身につくと。私は、もう王太子の婚約者ではございません。必要な知識や経験は、次にその立場に立つ方が、自ら学び取るべきことです。……次期王太子妃様に申し上げます。“甘える”のは、そろそろおやめになり、王太子の婚約者として相応わしい態度で学ばれては?」
ほんの少し、口元に笑みを浮かべる。
義母が息を呑み、エリナが唇を震わせる。
胸の奥で、初めて小さな意趣返しができた気がした。
――その時だった。
「邪魔するぞー」
突然、扉が勢いよく開かれた。
明るい声と共に現れたのは、アレク様。後ろから慌てて執事や侍女長が駆けてくる。
「おっと、ちょうどいいところだったみたいだな」
彼はわざとらしく腕を組み、部屋を見渡した。
「リシェルの時間は、もう留学に向けての準備にかけるように国王から命じられている。荷造りも書類も、うちの国に関することが優先だ。公爵夫人もエリナ嬢も、自分で頑張れるな。では、解散!」
「失礼ながら、第二王子殿下!我が家のことですので……!」
義母が声を荒げるが、アレク様は意に介さない。
「王命で留学するのはリシェルだ。俺が責任者。どちらも王家の判断が伴うが、何か不都合があるか?」
その一言に、義母は顔を引きつらせ、エリナも泣き出しそうに唇を噛んだ。
二人は不満を残しつつも、執事に促され、結局は部屋を後にするしかなかった。
静まり返った部屋に、ようやく深呼吸ができる。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
そう告げると、アレク様は大げさに肩をすくめた。
「いやいや、助ける前にもう言い返してたじゃねぇか。“もう王太子の婚約者じゃない”ってな。いいねぇ!そういうの!」
その背後から、ひょっこりとカイル様が顔を出した。
「殿下、あまり焚きつけないでください」
「焚きつけて何が悪い!リシェルが一歩踏み出したんだ、俺は全力で応援するぞ!」
その軽やかな言葉に、胸の奥の冷たい塊が少しずつ溶けていくのを感じた。
アレク様とカイン様が来てからは、衣装箱や書物の山に囲まれながら、私は気づけば小さく笑っていた。
婚約解消までの日々は、冷えた空気に満ちていたはずなのに――今、部屋には笑い声と荷造りの音が響いている。
「で、これ全部持ってくのか?」
アレク殿下が勝手に箱をひょいと持ち上げて覗き込む。
「いえ、必要最低限ですわ」
淡々と返すと、彼は肩をすくめて大げさに嘆いた。
「最低限?にしちゃ荷物少なくね?…ま、リシェルがいいならいいか。向こうじゃ、舞踏会より“食事”がメインイベントだ!ドレスより胃袋の準備しとけ!」
「……殿下、励まし方が独特ですね」
苦笑しながら、カイル様は几帳面に書物を紐でまとめる。
「現地の言葉や礼儀については、最低限の冊子を持って行かれると安心です。筆記具も、質の良いものを」
「そうそう!踊りのステップは忘れても平気だが、言葉は忘れんなよ!」
アレク様がちゃっかり相槌を打つ。
「……ふふ。そうですわね。踊りより言葉、ですわね」
思わず笑ってしまう。手が自然に軽くなる。荷物を整理するたび、胸の奥の澱まで少しずつ整っていくようだった。
「よし、もう入んねえぞ!」
アレク様が勝手にトランクを閉じようとして、慌てて止める。
「まだ入れてません!」
「おい、殿下、余計なものを入れて台無しにしないでください」
カイル様が渋い顔で詰め直す。
几帳面に包まれた本の隙間に、アレク様が菓子袋を突っ込もうとしてまた睨まれていた。
「……なんだよ、長旅のお供だろ?俺のおすすめのやつだし」
口を尖らせる姿に、思わずくすっと笑ってしまう。
――楽しい。
そんな風に準備をしている自分に、少しだけ驚いていた。
これは逃げるための荷造りじゃない。
新しい自分を始めるための準備。
「なぁリシェル。向こう着いたらさ、…ドレスでも贈ってやるよ。ほら、舞踏会より飯メインつっても、いざって時は着飾るだろ?あー…えーっと、“友達のよしみ”ってやつだ」
アレク殿下が何気なく言った。
「友達の……?」
首をかしげる私に、彼はそっぽを向いて「まぁ、そんなとき用に、な」とだけ付け足した。
背後でカイル様が小声で突っ込む。
「……リシェル様にはもう婚約者はおられませんよ」
「おい!余計なこと言うな!」
顔を赤くして手を振る殿下と、さらりと流すカイル様。
二人のやりとりを見ながら、私の胸の奥で小さな温かさが広がっていく。
荷造りの音と笑い声が、確かに「未来」へと続いていた。
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