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第二章
立場の狭間
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そしてあっという間に交流会の日になった。
王都の中心、大広間は眩い光に包まれていた。
今夜は、ライゼルト王国内の外交官や親善大使を招き、国内の調和や交流を重んじる親和の宴が催されている。
天井から吊るされた大きなシャンデリアがきらめき、磨き上げられた大理石の床に光を反射させる。各国から集まった使節や貴族たちが談笑し、色とりどりの衣装が華やかな花のように場を彩っていた。
その一角、学園代表として招かれた私とアレク様は、並んで紹介を受けていた。
「こちらが第二王子殿下、アレク=ライゼルト殿下。そして隣にいるのは、隣国グランツフェルト国からの留学生、リシェル嬢である」
――紹介はあくまで「留学生」としてだ。
少しずつ、アレク様と距離は近くなってきているが、お付き合いしているわけではない。付き合うということは、婚約者として、ゆくゆくは王子妃として立つということだからだ。お互いの国を通してのやりとりとなるため、まだその段階には至っていない。
それでも周囲の視線が一斉に私へ集まるのを感じる。制服ではなく、今夜はアレク様色の深紅のドレスを纏っていた。
母国の衣装よりも軽やかで、肩や首筋を柔らかく引き立てる仕立て。纏った瞬間から鼓動が速くなり、視線を浴びる今は息苦しいほどだ。
「……随分と可憐だな」
「あれがグランツフェルトの公女か。まるで薔薇の蕾のようだ」
「衣装をそろえているのには理由があるのか」
「婚約したという話は聞いてないぞ」
「エスコートの兼ね合いかもしれん」
囁き声があちこちから聞こえる。頬に熱が広がり、足元がふわりと浮いたような気がした。
各国の親善大使や外交官が次々に名乗りを上げ、挨拶が続く中。
ふと、視線を感じて振り向いた。人の波の奥に、どこかで見知った壮年の男が立っていた。
他の貴族たちは覚えていないのに、彼の鋭い視線と静かな存在感だけは、なぜか私の胸に残っている。前回の歓迎の宴で言葉を交わしたわずかな時間だけで、強く印象に残った人物だ。今回は名乗りもせず、ただ目礼だけを送ってきた。隣には淡い青衣を纏った令嬢の姿もある。
私も小さく会釈を返す。それだけで、彼はすぐに人ごみに紛れてしまった。
横に立つアレク様は、堂々とした笑みを浮かべていた。けれど、その瞳は私の横顔から離れない。
(……アレク様、そんなに見つめないでくださいませ)
恥ずかしさで視線を逸らすと、彼の唇がわずかに吊り上がった。
後方に控えるカイル様は、淡々と周囲を見渡している。今日は護衛として参加しているが、目の奥は鋭く、しかし一見すると穏やかに腕を組んでいた。その姿が心強くて、私は小さく息を吐いた。
優雅な音楽が鳴り始める。国王陛下と王妃陛下が中央に立ち、優雅に踊り始める。煌びやかなドレスが待って、だれもが見惚れるようにため息をついた。ダンスが終わり、大きな拍手と共にそれぞれが次の曲に向けてダンスの準備をし始めた。
私たちもアレク様のエスコートで、ダンスフロアに向かおうとした、そのとき――。
「お許し願えますかな」
低く、よく通る声が響いた。視線を向ければ、群衆を分けて一人の青年が進み出てくる。
二十代前半、黒に近い深い青の髪を持ち、細身ながら引き締まった体躯。金糸の刺繍が施された礼服は控えめながらも気品に満ちていた。
「アルトリウム王国より参りました、ヴェルンハルト公爵家三男にして外交官を務めております、ユリウス・ヴェルンハルトと申します。」
名乗る姿は洗練され、声には不思議な余韻があった。年齢は二十代前半くらいか。場慣れした所作に、大人の余裕がにじみ出ている。
彼は私に向かい、深々と一礼すると、手を差し伸べてきた。
「可憐なる公女殿。一曲ご一緒いただけますか?」
息を呑む。差し出された手はしなやかで、仕草に隙がない。断る隙を与えないような自然さに、私は言葉を失った。
隣のアレク様を見る。けれど彼は――堂々とした笑顔のままだった。
「……彼女の意志にお任せします」
その声音は柔らかい。だが、私には聞き取れてしまった。僅かに震える奥底の感情を。
(……私の意思…か。私はまだ婚約者でもなんでもない。確か相手は大国のアルトリウム王国だったかしら。第二王子としての立場で何も言えないことはわかってるけど…)
胸の奥に冷たいものが落ちた。これまで「隣にいてほしい」と言ってくれたけれど、今は婚約者ではなく、まだ「留学生」として扱われている立場である。それが故に、アレク様と一番に踊る理由が難しい。
「……はい。よろしくお願いいたします」
かすれた声で答えると、ユリウス様が優雅に手を取り、舞踏の輪へと導いた。
音楽が始まる。足を一歩踏み出した瞬間、彼のリードは滑らかで迷いがない。軽やかに、しかし確実に導かれるまま、私は舞っていた。
「お美しい……この場に咲いた花の中でも、あなたほど眩い方はいない」
「ヴェルンハルト様」
「いえ、ユリウスと」
囁きに、頬が赤く染まる。けれど、返事はできない。視線の先には、こちらを見守るアレク様の姿がある。
彼は笑顔を崩していない。その堂々とした姿は誇らしくもあった。だが――。
(どうして……そんなに平然としていられるのですか……?)
胸が締め付けられる。アレク様の表情から何も伝わってこない。レオナルト様がよぎる。アレク様はそんな方ではない。
悶々と思考がぐるぐるし始めた時、ユリウス様が支える腕に力がこもった。ハッと、ユリウス様に視線を向ける。
「こちらを見て、可憐なレディ。宝石のような瞳に見つめられれば、誰もが虜になります」
「……」
私はただ曖昧に微笑むしかなかった。
舞踏が終わると、ユリウス様は私の手をそっと取り、優雅に唇を触れさせる。
「また会いましょう、リシェル嬢」
低い囁きが耳をかすめた。胸の奥がざわつき、言葉を返せないまま彼の背を見送る。
「リシェル、俺らも踊るぞ」
些か強い力で手を引かれ、ダンスフロアに舞い戻る。
アレク様の手は大きく温かく、しっかりと私の手首を包み込む。その瞬間、胸の奥に安心が広がる。
「アレク様…っ」
けれど、人ごみの向こう、誰かにじっと見られているような気配がする。はっきり視界に入るわけではないが、背筋にかすかな冷たさが走る。思わず肩をすくめてしまった。
「……どうした、リシェル?」
アレク様が目を細め、首を少し傾げる。私はぎこちなく笑いながら肩をすくめるしかなかった。
「……いえ、なんでもありません」
しかしその微笑みの裏で、アレク様は小さく唇を噛む。彼の瞳が私をじっと見据えているのを感じる。
先ほどのユリウス様と踊っていた時の様子を思い出し、強引さが自然に増している。私を自分のリズムに引き戻そうとしているのだ。
(……ユリウス様と踊っている時の私を、気にしていたのだろうか)
「……殿下、怒ってますか?」
思わず尋ねると、彼は柔らかく微笑む。
「……外交の場だから、表情は必死に取り繕った。だが、お前の隣は誰にも渡さないぞ」
耳元で囁かれたその言葉に、胸が熱くなる。視線の違和感はまだ残るけれど、アレク様がそばにいてくれることが、何よりも確かな安心をもたらす。私はそのまま、感じた違和感を振り切るように、アレク様と踊り続けた。
ただ、煌びやかな大広間の光の中で、胸にはまだ少しだけ、払拭できない不安が渦巻いていた。
王都の中心、大広間は眩い光に包まれていた。
今夜は、ライゼルト王国内の外交官や親善大使を招き、国内の調和や交流を重んじる親和の宴が催されている。
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「こちらが第二王子殿下、アレク=ライゼルト殿下。そして隣にいるのは、隣国グランツフェルト国からの留学生、リシェル嬢である」
――紹介はあくまで「留学生」としてだ。
少しずつ、アレク様と距離は近くなってきているが、お付き合いしているわけではない。付き合うということは、婚約者として、ゆくゆくは王子妃として立つということだからだ。お互いの国を通してのやりとりとなるため、まだその段階には至っていない。
それでも周囲の視線が一斉に私へ集まるのを感じる。制服ではなく、今夜はアレク様色の深紅のドレスを纏っていた。
母国の衣装よりも軽やかで、肩や首筋を柔らかく引き立てる仕立て。纏った瞬間から鼓動が速くなり、視線を浴びる今は息苦しいほどだ。
「……随分と可憐だな」
「あれがグランツフェルトの公女か。まるで薔薇の蕾のようだ」
「衣装をそろえているのには理由があるのか」
「婚約したという話は聞いてないぞ」
「エスコートの兼ね合いかもしれん」
囁き声があちこちから聞こえる。頬に熱が広がり、足元がふわりと浮いたような気がした。
各国の親善大使や外交官が次々に名乗りを上げ、挨拶が続く中。
ふと、視線を感じて振り向いた。人の波の奥に、どこかで見知った壮年の男が立っていた。
他の貴族たちは覚えていないのに、彼の鋭い視線と静かな存在感だけは、なぜか私の胸に残っている。前回の歓迎の宴で言葉を交わしたわずかな時間だけで、強く印象に残った人物だ。今回は名乗りもせず、ただ目礼だけを送ってきた。隣には淡い青衣を纏った令嬢の姿もある。
私も小さく会釈を返す。それだけで、彼はすぐに人ごみに紛れてしまった。
横に立つアレク様は、堂々とした笑みを浮かべていた。けれど、その瞳は私の横顔から離れない。
(……アレク様、そんなに見つめないでくださいませ)
恥ずかしさで視線を逸らすと、彼の唇がわずかに吊り上がった。
後方に控えるカイル様は、淡々と周囲を見渡している。今日は護衛として参加しているが、目の奥は鋭く、しかし一見すると穏やかに腕を組んでいた。その姿が心強くて、私は小さく息を吐いた。
優雅な音楽が鳴り始める。国王陛下と王妃陛下が中央に立ち、優雅に踊り始める。煌びやかなドレスが待って、だれもが見惚れるようにため息をついた。ダンスが終わり、大きな拍手と共にそれぞれが次の曲に向けてダンスの準備をし始めた。
私たちもアレク様のエスコートで、ダンスフロアに向かおうとした、そのとき――。
「お許し願えますかな」
低く、よく通る声が響いた。視線を向ければ、群衆を分けて一人の青年が進み出てくる。
二十代前半、黒に近い深い青の髪を持ち、細身ながら引き締まった体躯。金糸の刺繍が施された礼服は控えめながらも気品に満ちていた。
「アルトリウム王国より参りました、ヴェルンハルト公爵家三男にして外交官を務めております、ユリウス・ヴェルンハルトと申します。」
名乗る姿は洗練され、声には不思議な余韻があった。年齢は二十代前半くらいか。場慣れした所作に、大人の余裕がにじみ出ている。
彼は私に向かい、深々と一礼すると、手を差し伸べてきた。
「可憐なる公女殿。一曲ご一緒いただけますか?」
息を呑む。差し出された手はしなやかで、仕草に隙がない。断る隙を与えないような自然さに、私は言葉を失った。
隣のアレク様を見る。けれど彼は――堂々とした笑顔のままだった。
「……彼女の意志にお任せします」
その声音は柔らかい。だが、私には聞き取れてしまった。僅かに震える奥底の感情を。
(……私の意思…か。私はまだ婚約者でもなんでもない。確か相手は大国のアルトリウム王国だったかしら。第二王子としての立場で何も言えないことはわかってるけど…)
胸の奥に冷たいものが落ちた。これまで「隣にいてほしい」と言ってくれたけれど、今は婚約者ではなく、まだ「留学生」として扱われている立場である。それが故に、アレク様と一番に踊る理由が難しい。
「……はい。よろしくお願いいたします」
かすれた声で答えると、ユリウス様が優雅に手を取り、舞踏の輪へと導いた。
音楽が始まる。足を一歩踏み出した瞬間、彼のリードは滑らかで迷いがない。軽やかに、しかし確実に導かれるまま、私は舞っていた。
「お美しい……この場に咲いた花の中でも、あなたほど眩い方はいない」
「ヴェルンハルト様」
「いえ、ユリウスと」
囁きに、頬が赤く染まる。けれど、返事はできない。視線の先には、こちらを見守るアレク様の姿がある。
彼は笑顔を崩していない。その堂々とした姿は誇らしくもあった。だが――。
(どうして……そんなに平然としていられるのですか……?)
胸が締め付けられる。アレク様の表情から何も伝わってこない。レオナルト様がよぎる。アレク様はそんな方ではない。
悶々と思考がぐるぐるし始めた時、ユリウス様が支える腕に力がこもった。ハッと、ユリウス様に視線を向ける。
「こちらを見て、可憐なレディ。宝石のような瞳に見つめられれば、誰もが虜になります」
「……」
私はただ曖昧に微笑むしかなかった。
舞踏が終わると、ユリウス様は私の手をそっと取り、優雅に唇を触れさせる。
「また会いましょう、リシェル嬢」
低い囁きが耳をかすめた。胸の奥がざわつき、言葉を返せないまま彼の背を見送る。
「リシェル、俺らも踊るぞ」
些か強い力で手を引かれ、ダンスフロアに舞い戻る。
アレク様の手は大きく温かく、しっかりと私の手首を包み込む。その瞬間、胸の奥に安心が広がる。
「アレク様…っ」
けれど、人ごみの向こう、誰かにじっと見られているような気配がする。はっきり視界に入るわけではないが、背筋にかすかな冷たさが走る。思わず肩をすくめてしまった。
「……どうした、リシェル?」
アレク様が目を細め、首を少し傾げる。私はぎこちなく笑いながら肩をすくめるしかなかった。
「……いえ、なんでもありません」
しかしその微笑みの裏で、アレク様は小さく唇を噛む。彼の瞳が私をじっと見据えているのを感じる。
先ほどのユリウス様と踊っていた時の様子を思い出し、強引さが自然に増している。私を自分のリズムに引き戻そうとしているのだ。
(……ユリウス様と踊っている時の私を、気にしていたのだろうか)
「……殿下、怒ってますか?」
思わず尋ねると、彼は柔らかく微笑む。
「……外交の場だから、表情は必死に取り繕った。だが、お前の隣は誰にも渡さないぞ」
耳元で囁かれたその言葉に、胸が熱くなる。視線の違和感はまだ残るけれど、アレク様がそばにいてくれることが、何よりも確かな安心をもたらす。私はそのまま、感じた違和感を振り切るように、アレク様と踊り続けた。
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