【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました

ふじの

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第二章

不穏な影

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 王都の朝、王宮はいつもより張り詰めた空気に包まれていた。
 アレクは書斎で王の使者を待ち、微かに手を握りしめた拳を緩めることもできずにいた。

「アレク殿下、国王からの伝言です」

 使者が差し出した巻物を受け取ると、内容を理解する前に胸の奥が冷たくなるのが分かった。
 ――辺境伯の令嬢、レティシア殿との面会および外交上の付き添いを命ず。王子として、両家の関係を円滑に進めよ。

「……こんなときに…」

 アレクは思わず息を吐いた。レティシアは政略的には重要だが、婚約者候補ではない。だがこれは王命は絶対で、従わざるを得ない。
 その上、せっかくリシェルとの気持ちが近づいた中だったのに、怪しい外交官や父親のせいで関係を進めることができなくなりそうで、見えない未来に不安がよぎる。

「……くそっ」

 小さく呟き、手の中の指示書に皺がよる。目の奥には熱が燃えていた。
 その時、廊下からノックの音が響き、カイルが静かに入ってきた。

「殿下、リシェル様が学園に行かれますが、本日はご出席なさいますか?」

 カイルの目は冷静だったが、瞳の奥には心配が滲んでいる。
 アレクは深く息をつき、机に背を預けた。

「……今日は学園は控える。リシェルにはすまないと伝えてくれ。」

「……殿下」

「少し面倒な案件が父上から下りてきた。や、少しじゃないな。父上…いや、国王陛下の意図を知りたい。カイル、謁見の用意を」




 
 王座の間に足を踏み入れた瞬間、冷たい空気が肌を撫でた。
 高い天井から差す光は荘厳でありながら、今のアレクにはまるで圧力のように感じられた。

 父――陛下は、玉座に腰掛け、静かな眼差しをこちらに向けている。

「アレク。来たか」

 低く響く声に、アレクは胸の奥で小さく息を吸った。

「国王陛下。……辺境伯令嬢、レティシア殿との件について、伺いたく参りました」

 率直に切り出す。遠回しにしては誤魔化される。それは、幼い頃から嫌というほど知っていた。

 国王は片眉をわずかに動かし、やがて静かに言葉を紡ぐ。

「勘違いをしてはならぬ。私はお前を彼女に娶らせる気はない」

 アレクは一瞬、呼吸を止めた。だが、続く言葉が胸に鋭く突き刺さる。

「ただ、今辺境のあたりがきな臭い。我が国が保っていられるのは彼らの力も大きい。あの頑固親父は、王家との縁を強固にしたいと考えている。何度も釣書が来ていたからな。だが、あそこは軍事力と領地を背景に強硬だ。彼を正面から退ければ、王国の均衡は崩れる。……お前の気持ちはわかる。だからこそ、表向きには“可能性”を残しておかねばならぬのだ」

「可能性……」

 思わず声が震える。
 拳を握りしめ、アレクは玉座を見上げた。

「陛下は…父上はご存じですか。そんな曖昧な態度が、誰を傷つけるのかを」

 王の瞳が、氷のように冷たく光る。

「感情で国を治めることはできぬ。お前は私の子である以上、己の情を優先することは許されない。リシェル嬢は今はまだ文化交流生だ。お前が好いていることも、婚約者に据えようとしていることも分かっておる。だが、情勢は常に変わっていくのだ。巻き込みたいのか、彼女を。あやつは動くぞ。」

 その言葉に、アレクの胸の奥で熱が噴き上がった。
 リシェルの笑顔――彼女が信じてくれた真っ直ぐな眼差しが脳裏に蘇る。

「……それでも」

 低く、かすれた声で絞り出す。

「俺は――必ず、自分の答えを示します。リシェルを……俺の選んだ人の笑顔を守る答えを」

 国王は表情を崩さぬまま、ただ短く言い放った。

「……それができるのならな。」

 アレクの胸を鋭く抉るような、冷ややかな声。王座の間に響いたその言葉が、彼の決意をさらに強固なものへと変えていった。

「御前、失礼します」

 口を結んで出ていくアレクの背を見て、国王は表情を曇らせた。彼女に心を砕く息子を見てきたのだ。最近はようやく関係に変化があり、嬉しそうにしていることも知っている。何も思わないわけがない。重い扉が閉まり、辺りは静寂に包まれる。

「……すまぬな、アレク…」

 そこには国王ではなく父としての届かぬ声が響いて消えた。







 城下の迎賓館。
 ユリウスは書類に視線を落としながらも、耳は周囲の小声を逃さなかった。
 外交官として王城に出入りするうちに、自然と集まってくるのは貴族や官僚たちの噂話。
 今日もまた、興味深い囁きが耳に入る。

「第二王子殿下と、辺境伯令嬢レティシア様がお忍びで……」
「いや、お忍びではなく、国王陛下からの命だそうだ」
「辺境伯が強く推していると聞いたぞ」

 ユリウスは何気ない風を装い、グラスの水を口に運ぶ。
 けれど胸の奥では熱い火花が散った。

(……なるほど。辺境伯の娘を“王子妃候補”に見せかけるのが、国王の狙いか)

 机の上に置いた指先が、ゆっくりとリズムを刻む。
 冷静に見せているが、内心は昂ぶりを抑えきれない。

(つまり、第二王子殿下は王の命に縛られる……。リシェル嬢は、それをどう受け止める?)

 鮮やかな笑顔が脳裏に浮かぶ。
 ベルトラム公爵家から蔑ろにされた令嬢であるが、今回の婚約解消では絶縁されていない。対外的に体裁を整えたのかと思いきや、父のほうはどうやら未練があるようだ。
 隣国王家は円満な解消としてリシェル嬢には借りができていたようだから、我が国との交易と公爵家の財産目当てで打算的に近づのだが…。

 学園で、交流会で、ひととき見せてくれた無垢な微笑み。
 凛とした真面目さの中に潜む弱さ。
 一目惚れ…とでも言おうか。

 その笑顔が曇る未来を思うと、胸が締め付けられる。

(――好機だ)

 唇がわずかに吊り上がる。

(第二王子殿下が国王の命に従い、辺境伯令嬢の影を背負うなら……リシェル嬢は必ず揺れる。彼女の心が孤独に沈むその時、手を差し伸べるのは、この私だ)

 表向きは「彼女の未来を守るため」と語ることもできる。外交官としての体裁は整えやすい。
 だが本心はもっと個人的な、抑えようのない衝動だった。

(彼女を奪いたい。彼女を自国へ連れ帰り、誰にも触れさせぬ場所に閉じ込めたい)

 危うい欲望が、青い瞳の奥に隠されて燃え上がる。

「……さて」

 ユリウスは椅子から立ち上がった。
 これから訪れるのは、学園帰りの令嬢たちが足を運ぶ洒落たカフェ。
 あくまで偶然を装い、リシェルを誘い出すつもりだった。

(落ち込む彼女の手を取るのは、アレク殿下ではない。この私だ)

 その確信を胸に、ユリウスは軽やかに歩みを進めた。


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