【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました

ふじの

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第二章

信じられない

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 学園の朝、窓から差し込む光はいつもより柔らかく、空気は穏やかだった。
 だが、私の胸の内はざわついていた。

 ――最近、アレク様が学園にいらっしゃらない。

 王城での公務が増えたらしい。
 学園に足を運ぶ機会はほとんどなくなり、朝の教室や廊下で彼の笑顔を見ることもなくなった。

「……何かあったのかしら」

 授業前、ノートを広げる手がつい止まる。休んでいるアレク様のためにカイル様が淡々と資料をまとめている。

「リシェル様」

 小声で呼ばれ、視線を上げるとカイル様が静かにこちらを見ていた。

「殿下は……学園に顔を出されていません。ですが、国王の命で外交や公務に従事されているだけです」

 わかってはいる。けれど、胸のざわつきは押さえきれない。

「……食事も一緒に召し上がらないし、私、何かしてしまったかしら……」

 小さくつぶやく声に、カイル様は優しく答えた。

「リシェル様。殿下はあなたを特別と思っておられます。ですが、国の事情が絡む以上、表面には出せないことがあるのです」

 その言葉を聞いても、心は落ち着かない。
 授業中、ユリウス様の視線がちらりと自分に向くたびに、胸がざわつく。あの人は、丁寧に、そして少しずつ口説くような仕草で接してくる。

 アレク様は、隣にいてほしいとおっしゃってくださったけど…本格的な話は一切動進んでいない。本当は、私のことをどう思ってくださっているの?

 思わず頬に手を当て、目を伏せる。胸の奥が痛くなり、どうしようもなくなる。

 アレク様に会いたい。

 小さく息を吐き、肩を落とす。胸の奥がぽっかりと空いたような気分だった。
 そんな私の隣で、カイル様はそっと声をかける。

「リシェル様。殿下は、リシェル様のことも学園のことも心に留めています。ですが、公務を優先される以上、今は控えざるを得ません」

「承知しております…」

 言葉を途切らせ、廊下の窓から差し込む光を見つめる。

 ――アレク様……私のこと、考えていてくださるのかしら。私の気持ちも、わかってくださるのかしら。

 胸が痛く、切ない気持ちでいっぱいになる。だが、答えはまだ、誰からも出ない。学園の空は明るいのに、私の心だけは霧がかかったように揺れ続けていた。




 アレク様を学園で見なくなってから一月経った。こんなに長く会わないのは初めてかもしれない。
 小耳に挟むのはアレク様ととある令嬢の話。
 ――アレク様は誠実な方。きっと何か事情があるに違いない。けれど…
 胸の奥が、冷たい空洞のように広がっていく。

 そんな私に声をかけてきたのは、ユリウス様だった。

「今日は講義も早く終わりましたし、少しお茶でもいかがですか?文化交流の一環ということで」

 柔らかな微笑みに抗えず、私は頷いてしまった。



 街の石畳を抜け、辿り着いたのは落ち着いた雰囲気のカフェだった。
 窓辺の席に案内され、ハーブティーの香りが漂う。

「留学生として異国に暮らすのは、大変でしょう」

「……ええ。皆さんに親切にしていただいていますが……やはり、不安はあります」

 思わず本音が漏れる。ユリウス様は真剣に頷いた。

「当然です。誰もが母国を離れれば心細い。……でも、あなたは強い。だからこそ、私はあなたを尊敬します」

 不意に告げられた言葉に、頬が熱を帯びる。
 彼は視線を逸らさず、落ち着いた声音で続けた。

「もし支えが必要なら、私はいつでも力になります。立場上、学園の外でもお役に立てるはずですから」

「……ありがとうございます」

 その真摯さに、少しだけ胸の重さが和らいだ気がした。

 けれど。
 ふと、窓の外に視線を向けたユリウス。その視線を追った私は後悔した。

 街路を歩くアレク様の姿。
 その隣には、見覚えのない令嬢がいた。
 彼女は鮮やかな青のドレスを揺らし、楽しげに笑っている。
 アレク様もまた、穏やかな微笑みを浮かべ、彼女に歩調を合わせていた。

「……っ」

 胸が凍りつく。
 聞こえてくるはずのない声が耳に甦った。――辺境伯の令嬢。国王陛下の意向。
 まさか、本当に……。

「リシェル嬢?」

 ユリウス様が心配そうに呼びかける。私は慌てて微笑んだ。

「いえ……なんでもありません」

 視線を落とし、手元のカップを強く握る。熱さも感じない。

 (アレク様は……本当に、私を特別だと思ってくださっているの……?)

 思考が渦を巻き、呼吸が浅くなる。そんな私に、ユリウス様は静かに囁いた。 

「……苦しい顔をしている」

 カップを置かせ、彼の手がそっと私の指先に触れた。

「無理に笑うことはありません。あなたの心を守るために、私はここにいるのです」

 温かな声色に、涙がにじみそうになる。
 けれど、窓の外の光景がどうしても頭から離れなかった。
 アレク様と、ご令嬢の並ぶ姿。
 その残像が、鋭い棘のように胸を刺し続けていた。

「少し、気分転換に街を歩きませんか。」

 ユリウス様が提案したのはそんな時だった。



 ユリウス様は人混みを器用に避けながら、自然な仕草で私をエスコートしてくださる。歩幅を合わせてくれるだけでなく、時折さりげなく車道側に立つ。その紳士的な振る舞いに、通りすがりの令嬢たちの視線が釘付けになっていた。


「リシェル嬢。……あなたの婚約者が羨ましいですね」

 軽やかな口調でそう告げられ、私は思わず足を止めそうになった。

「えっ……!」

 ユリウス様はおかしそうに微笑む。

「誤解なさらず。あなたのような聡明で誠実なお相手を得られる方は、幸運だと言いたいだけです」

 少し声を落とし、冗談めかして続ける。

「もし婚約者がいないのなら……いっそ私が候補に名乗りを上げましょうか?外交官の肩書き付き、お買い得ですよ」

「……っ」

 いつもの私ならすぐに「そんなことはあり得ません」と笑って否定できただろう。
 けれど頭をよぎったのは、あの噂――。
 アレク様が、辺境伯令嬢との縁談を進められているという話。

 (もしかしたら……本当に、そうなるのかもしれない)

 胸が痛む。否定の言葉が喉まで出かかって、けれどどうしても声にならなかった。

 私の沈黙を、ユリウス様は逃さなかった。
 真剣な眼差しをこちらに向け、歩みを少し緩める。

「……なるほど。否定されないのですね」

「そ、それは……!」

「いいえ、無理に言葉を繕う必要はありません」

 柔らかな声に、けれど揺るぎない力がこもっていた。

「あなたが不安を抱えているのなら、私はその心を支えたい。未来を選ぶ自由を――あなたに差し出したいのです」

 真摯な瞳に見つめられ、息が詰まった。

 (アレク様は……国のために動かれる方。私が身を引けば、この国が安定するなら……)

 そう理屈で自分に言い聞かせようとする。
 けれど心の奥底では――。

 (でも……私は、彼の隣にいたい……!)

 その叫びが消えず、胸の奥で軋むように痛み続けていた。

 曖昧な笑みを浮かべてしまった、その瞬間――。



「……リシェル」

 聞き慣れた低い声が背後から落ちてきた。
 振り返ると、人混みの中にアレク様とご令嬢の姿があった。
 アレク様の手元を見ると、柔らかそうな白魚の手を優しく包み込んでいる。
 その様子に、愕然とした。
 私の目線を辿り、自分の手元を見た瞬間、アレク様の表情が抜け落ちた。

 石畳の道で、思いがけない四人の対面となった。
 最初に口を開いたのは、ユリウス様だった。

「これはこれは――アレク殿下。ご機嫌麗しゅう」

 穏やかな笑みを浮かべつつ、その声にはどこか鋭さが混じる。

「……そして、お隣のご令嬢は?」

 一瞬の沈黙。アレク様の瞳が僅かに揺れた。
 だが否応なく、紹介せざるを得ない。

「……ドミナード辺境伯のご息女、レティシア嬢だ」

 その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がきゅっと冷えた。――やはり、噂は真実だったの?

「まあ」

 ユリウス様の笑みが深まる。

「なるほど。お噂はかねがね伺っておりますよ。辺境伯が、殿下とのご縁を強く望んでおられると」

 空気が、一気に張り詰める。
 レティシア嬢は頬を赤らめ、はにかむように微笑んだ。
 私は思わず視線を落とす。呼吸が苦しい。

 ちらりと見れば、アレク様は口を真一文字に結んでいた。――否定の言葉は、一向に口から出ない。

「外交官として、このような縁談が貴国に益をもたらすのは、喜ばしいことかと」

 ユリウス様は飄々とした声音で付け加え、視線を私に向ける。

「リシェル嬢も、そう思いませんか?」

「……っ」

 声が出ない。胸の奥が凍りついて、ただ小さく首を振るしかなかった。
 ユリウス様は小さく笑い、アレク様へ深く一礼する。

「それでは、これ以上お邪魔はいたしません。殿下、また学園で」

 そう言って、私の背を軽く押す。
 歩き出す足取りはふわりと優しいのに、耳元に届いた声は低く囁くようだった。

「――やはり、この国にいては貴女は傷つくだけだ」

 ユリウス様が真剣な顔をして呟く。

「もう一度言います。あなたが不安を抱えているのなら、私はその心を支えたい。あなたの居場所を私が作って差し上げます。」
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