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第二章
学園での邂逅
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レティシアとの予定が珍しく入っていない日だった。
辺境伯と公式の行事に同行しているのだと聞いて、俺は久しぶりに学園に登校することができた。
その知らせを受けたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。彼女が嫌いというわけではない。お互いの秘密を共有しあった仲だ。けれど、あまりにも「常に一緒にいる」という構図が出来上がってしまったせいで、息苦しさを覚えていたのだ。
「……リシェルは?」
気づけば小声でつぶやいていた。
いつもなら、同じ馬車で登校している姿があったはずなのに、今日は違う。
カイルが小さく肩をすくめて答える。
「……殿下に誤解を与えぬよう、早めに登校されたと聞きました」
その言葉に、胸が締めつけられた。
つまりは、もう俺と共にいることを望んでいないということなのだろうか。
教室に足を踏み入れると、妙な空気が漂った。
クラスメイトたちはいつも通りに迎えてくれる。けれど、その視線の端々には落ち着かない色が混じっていた。
そして、彼女はいつもの席にいた。
顔を上げ、俺を見つめた瞬間に浮かべられたのは、かすかな笑み。
だがそれは、俺が一番見たくなかった――義務のように貼り付けられた笑みだった。
胸が軋んだ。
声をかけようとしても、喉の奥に言葉が貼りついて出てこない。
昼休みになると、彼女は机に広げた本をさっと片付けると足早に出ていった。
声をかけることもなく、目を合わせることもなく。もう耐えられなくなり、俺も人目を避けて教室を出た。
そして、裏庭で出会ってしまった。
風に花壇の花々が揺れる。
互いに気づいた瞬間、視線が絡んだ。
けれど俺たちは、自然と距離を置いた場所に立っていた。
「……リシェル」
名を呼ぶと、彼女は静かにカーテシーをした。
その声音が遠い。
しばしの沈黙。
耐えられず、言葉がこぼれる。
「……俺では君を笑顔にできないのだろうか」
言いたかったのはこんなことじゃない。
ただ、本心を隠して平然と笑う彼女を前にすると、どうしても弱い言葉しか出てこなかった。
リシェルは小さく首を振る。
「殿下のお立場は、理解しておりますから。」
唇を噛む。
本当は、そうだ。本当は俺も同じように考えねばならぬのに。
俺の胸の奥で、押し殺した想いが暴れ出す。
その細い肩を抱き寄せたい。
痩せてしまった頬に触れて、確かめたい。
「……しばらく見ないうちに、少し痩せただろう」
そう言いながら、伸ばした指先が無意識に彼女の頬へと近づく。
指先が触れるか触れないかのところで、彼女はほんのわずかに身を引いた。
「はい。……ご心配なく」
無理に笑みを作る声。
それでも、そのかすかな拒絶が胸を切り裂いた。
俺は拳を握りしめる。
それ以上、彼女を困らせてはいけない。
短い言葉の応酬が、俺たちの距離をさらに遠ざけていく。
カイルが後ろで息を飲み、声を上げかけた。
「殿下、もう一度事情を――」
俺は手を上げて制した。
「カイル、これ以上は言うな」
静かに言ったつもりだった。けれど、胸の奥では感情が荒れ狂っていた。
大切だからこそ、近づけない。
それでも。
「……俺は、君と会えて嬉しい」
その言葉だけは、嘘ではなかった。
リシェルがほんの一瞬、目を伏せた。
(どうして、俺たちはこんなにも……遠いのだろう)
風が吹き抜け、二人の間にさらなる距離を置くように感じられる。
けれど、どちらも一歩を踏み出すことはできなかった。
◇
私たちの間には、決して越えられない壁ができてしまった。
それをわかっているからこそ、互いに本音を隠し合うしかない。
「……あらぬ誤解を生みます故、御前失礼します。どうかご自愛くださいませ」
そう告げて、深く一礼する。
顔を上げられない。上げてしまえば、きっと涙がこぼれてしまう。
ほんの少しの沈黙の後、彼の気配が遠ざかるのを感じた。
背を向ける足音がこんなにも切なく響くなんて、知らなかった。
先ほどの、アレク様の指先が、そっと私の頬へと伸びてきた瞬間、私は反射的に身を引いていた。その仕草は、きっと彼を傷つけただろう。わかっているのに、どうしても抗えなかった。
心配させないように、精一杯の笑みを作ったが本当は違う。本当は、頬に触れてほしかった。あの夜、囁かれた「好きだ」という言葉を、もう一度信じたかった。
けれど、私がそれを許してしまえば…アレク様を、もっと縛ってしまう。
(私は……これ以上、アレク様の重荷にはなれない)
そう言い聞かせても、胸の奥の痛みはどうしようもなかった。
彼の瞳の奥に浮かぶ葛藤が、ひどく優しく、そして苦しかったから。
「……俺は、君と会えて嬉しい」とその言葉が胸に突き刺さる。
嬉しいはずなのに、涙が込み上げてきた。
(私も……私も、嬉しいのに)
言えない。言葉にしてしまえば、きっと取り返しのつかないものになる。
(アレク様……本当は、あなたのことが……)
言えなかった言葉が喉の奥に積もり、吐き出せないまま消えていく。
ただ、胸の奥で何度も叫ぶ。
――好きです。
誰にも届かない声で。
私は誰もいない裏庭の片隅で、とうとう堪えきれずに涙をこぼしていた。
声を押し殺しても、溢れる雫は止まらない。
胸の奥に溜め込んできた想いが、静かに決壊していく。
――そのとき。
「……リシェル」
背後から低い声がして、振り返る間もなく強い腕に抱きしめられた。
「アレク様……!」
驚きと戸惑いで声が震える。
けれど、背中に感じる温もりはあまりにも懐かしくて、心が一瞬で揺さぶられた。
「ごめん……。やっぱりもう、見ていられなかった」
耳元に落ちる掠れた声。
「……無理をさせてごめん。笑顔を守れなくてごめん。自分勝手でごめん。君の笑顔が作り物に見えた時……胸が締めつけられて……それでも、離れられなくて……!」
彼の腕の力が強くなる。
その抱擁に応えたいのに、未来のことを思うと、どうしても怖くて。
「……アレク様、私は……」
本当は「好きです」と言いたい。
でも、その言葉を口にしてしまえば、すべてを壊してしまう気がして――。
嗚咽まじりの息しか出てこなかった。
「言わなくていい」
私の髪に額を押し当てながら、彼はかすかに震える声で囁いた。
「ただ……このまま少しでいい、君を抱きしめさせてくれ」
「……アレク様」
声が震えてしまう。
振り解こうとしても、その腕はさらに強くなった。
「もう……離れたくない」
低い声が耳元で揺れる。
その必死さに、堪えようとしていた涙がまた一気に溢れた。私は彼の腕に顔を押しつける。
鼓動が速くて、熱くて――それは私の鼓動と重なっていた。
「無理ばかりさせているのは分かっている。君を苦しめたくないのに……」
「……違います。私こそ……本当は、アレク様の隣にいたいのに」
気づけば、心の奥に隠していた本音が声になっていた。
言ってしまった、と胸が震える。けれど、後悔はなかった。
アレク様は小さく息を呑むと、私の前に回り込み、正面から抱き寄せた。
背中に回された腕は、もう二度と離すまいとするように強くて、温かい。
「リシェル…好きだ…」
呼ばれただけで、涙と一緒に笑みが零れる。
彼の胸にすべてを委ねて、私はそっと瞳を閉じて頷いた。
風が木々を揺らし、花壇の花が淡く香る。
でもこの瞬間、私たちを包む世界は二人だけのものだった。
誰にも見られていない。誰にも邪魔されない。
秘密のまま、ただ彼と私だけが知る抱擁の温もりを共有して――。
「……邪魔だな」
――その光景を、遠くの回廊から見つめる視線があったことに二人は気づかなかった。
辺境伯と公式の行事に同行しているのだと聞いて、俺は久しぶりに学園に登校することができた。
その知らせを受けたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。彼女が嫌いというわけではない。お互いの秘密を共有しあった仲だ。けれど、あまりにも「常に一緒にいる」という構図が出来上がってしまったせいで、息苦しさを覚えていたのだ。
「……リシェルは?」
気づけば小声でつぶやいていた。
いつもなら、同じ馬車で登校している姿があったはずなのに、今日は違う。
カイルが小さく肩をすくめて答える。
「……殿下に誤解を与えぬよう、早めに登校されたと聞きました」
その言葉に、胸が締めつけられた。
つまりは、もう俺と共にいることを望んでいないということなのだろうか。
教室に足を踏み入れると、妙な空気が漂った。
クラスメイトたちはいつも通りに迎えてくれる。けれど、その視線の端々には落ち着かない色が混じっていた。
そして、彼女はいつもの席にいた。
顔を上げ、俺を見つめた瞬間に浮かべられたのは、かすかな笑み。
だがそれは、俺が一番見たくなかった――義務のように貼り付けられた笑みだった。
胸が軋んだ。
声をかけようとしても、喉の奥に言葉が貼りついて出てこない。
昼休みになると、彼女は机に広げた本をさっと片付けると足早に出ていった。
声をかけることもなく、目を合わせることもなく。もう耐えられなくなり、俺も人目を避けて教室を出た。
そして、裏庭で出会ってしまった。
風に花壇の花々が揺れる。
互いに気づいた瞬間、視線が絡んだ。
けれど俺たちは、自然と距離を置いた場所に立っていた。
「……リシェル」
名を呼ぶと、彼女は静かにカーテシーをした。
その声音が遠い。
しばしの沈黙。
耐えられず、言葉がこぼれる。
「……俺では君を笑顔にできないのだろうか」
言いたかったのはこんなことじゃない。
ただ、本心を隠して平然と笑う彼女を前にすると、どうしても弱い言葉しか出てこなかった。
リシェルは小さく首を振る。
「殿下のお立場は、理解しておりますから。」
唇を噛む。
本当は、そうだ。本当は俺も同じように考えねばならぬのに。
俺の胸の奥で、押し殺した想いが暴れ出す。
その細い肩を抱き寄せたい。
痩せてしまった頬に触れて、確かめたい。
「……しばらく見ないうちに、少し痩せただろう」
そう言いながら、伸ばした指先が無意識に彼女の頬へと近づく。
指先が触れるか触れないかのところで、彼女はほんのわずかに身を引いた。
「はい。……ご心配なく」
無理に笑みを作る声。
それでも、そのかすかな拒絶が胸を切り裂いた。
俺は拳を握りしめる。
それ以上、彼女を困らせてはいけない。
短い言葉の応酬が、俺たちの距離をさらに遠ざけていく。
カイルが後ろで息を飲み、声を上げかけた。
「殿下、もう一度事情を――」
俺は手を上げて制した。
「カイル、これ以上は言うな」
静かに言ったつもりだった。けれど、胸の奥では感情が荒れ狂っていた。
大切だからこそ、近づけない。
それでも。
「……俺は、君と会えて嬉しい」
その言葉だけは、嘘ではなかった。
リシェルがほんの一瞬、目を伏せた。
(どうして、俺たちはこんなにも……遠いのだろう)
風が吹き抜け、二人の間にさらなる距離を置くように感じられる。
けれど、どちらも一歩を踏み出すことはできなかった。
◇
私たちの間には、決して越えられない壁ができてしまった。
それをわかっているからこそ、互いに本音を隠し合うしかない。
「……あらぬ誤解を生みます故、御前失礼します。どうかご自愛くださいませ」
そう告げて、深く一礼する。
顔を上げられない。上げてしまえば、きっと涙がこぼれてしまう。
ほんの少しの沈黙の後、彼の気配が遠ざかるのを感じた。
背を向ける足音がこんなにも切なく響くなんて、知らなかった。
先ほどの、アレク様の指先が、そっと私の頬へと伸びてきた瞬間、私は反射的に身を引いていた。その仕草は、きっと彼を傷つけただろう。わかっているのに、どうしても抗えなかった。
心配させないように、精一杯の笑みを作ったが本当は違う。本当は、頬に触れてほしかった。あの夜、囁かれた「好きだ」という言葉を、もう一度信じたかった。
けれど、私がそれを許してしまえば…アレク様を、もっと縛ってしまう。
(私は……これ以上、アレク様の重荷にはなれない)
そう言い聞かせても、胸の奥の痛みはどうしようもなかった。
彼の瞳の奥に浮かぶ葛藤が、ひどく優しく、そして苦しかったから。
「……俺は、君と会えて嬉しい」とその言葉が胸に突き刺さる。
嬉しいはずなのに、涙が込み上げてきた。
(私も……私も、嬉しいのに)
言えない。言葉にしてしまえば、きっと取り返しのつかないものになる。
(アレク様……本当は、あなたのことが……)
言えなかった言葉が喉の奥に積もり、吐き出せないまま消えていく。
ただ、胸の奥で何度も叫ぶ。
――好きです。
誰にも届かない声で。
私は誰もいない裏庭の片隅で、とうとう堪えきれずに涙をこぼしていた。
声を押し殺しても、溢れる雫は止まらない。
胸の奥に溜め込んできた想いが、静かに決壊していく。
――そのとき。
「……リシェル」
背後から低い声がして、振り返る間もなく強い腕に抱きしめられた。
「アレク様……!」
驚きと戸惑いで声が震える。
けれど、背中に感じる温もりはあまりにも懐かしくて、心が一瞬で揺さぶられた。
「ごめん……。やっぱりもう、見ていられなかった」
耳元に落ちる掠れた声。
「……無理をさせてごめん。笑顔を守れなくてごめん。自分勝手でごめん。君の笑顔が作り物に見えた時……胸が締めつけられて……それでも、離れられなくて……!」
彼の腕の力が強くなる。
その抱擁に応えたいのに、未来のことを思うと、どうしても怖くて。
「……アレク様、私は……」
本当は「好きです」と言いたい。
でも、その言葉を口にしてしまえば、すべてを壊してしまう気がして――。
嗚咽まじりの息しか出てこなかった。
「言わなくていい」
私の髪に額を押し当てながら、彼はかすかに震える声で囁いた。
「ただ……このまま少しでいい、君を抱きしめさせてくれ」
「……アレク様」
声が震えてしまう。
振り解こうとしても、その腕はさらに強くなった。
「もう……離れたくない」
低い声が耳元で揺れる。
その必死さに、堪えようとしていた涙がまた一気に溢れた。私は彼の腕に顔を押しつける。
鼓動が速くて、熱くて――それは私の鼓動と重なっていた。
「無理ばかりさせているのは分かっている。君を苦しめたくないのに……」
「……違います。私こそ……本当は、アレク様の隣にいたいのに」
気づけば、心の奥に隠していた本音が声になっていた。
言ってしまった、と胸が震える。けれど、後悔はなかった。
アレク様は小さく息を呑むと、私の前に回り込み、正面から抱き寄せた。
背中に回された腕は、もう二度と離すまいとするように強くて、温かい。
「リシェル…好きだ…」
呼ばれただけで、涙と一緒に笑みが零れる。
彼の胸にすべてを委ねて、私はそっと瞳を閉じて頷いた。
風が木々を揺らし、花壇の花が淡く香る。
でもこの瞬間、私たちを包む世界は二人だけのものだった。
誰にも見られていない。誰にも邪魔されない。
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