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第二章
急転直下
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アレク様に抱きしめられたまま、しばらく私は言葉を出せずにいた。誰にも見られていない、この静かな世界で、やっと私は少し安心できた。
「リシェル……少し話がしたい」
低く柔らかい声に、そっと頷くしかなかった。
アレク様は私の手を取り、学園内にある王家専用の部屋へと導く。
普段は立ち入れないその場所は、昼間でも薄暗く、重厚な木の香りが漂っていた。外の賑やかさから切り離された空間は、私たちだけの秘密の世界のようだった。
カイル様は少し離れた場所で待機している。目が合うこともなく、扉の向こうから二人の会話は守られている。胸の奥がじんわりと温かくなる。アレク様が私に向き合い、静かに話し始めた。
「今の状況を、改めて伝えたい」
私の心臓が跳ねる。何を言うのだろう。息を飲み、静かに耳を傾ける。
国王からの命、辺境伯当主の考え、レティシアの気持ち――
アレク様は一つひとつ丁寧に説明してくれた。
「だけど、勘違いしてほしくない。俺も父上も、レティシア嬢も、婚約するつもりはない」
「……え?」
思わず声が漏れた。
てっきり、すべては婚約の既定路線だとばかり――。
アレク様は真剣な眼差しで言葉を続ける。
「ただし、そう簡単にはいかないだろうが、辺境伯当主には匂わせておかないといけない。でなきゃ、国境警備の均衡が崩れる」
ようやく、私は点と点がつながっていくのを感じた。
胸の奥に張り付いていたもやが、少しずつ晴れていった。
「……アレク様」
言葉を探して、ようやく見つける。
「つまり……アレク様の想いは……」
「――君だけだ」
その瞬間、呼吸が止まった。
まっすぐに告げられた言葉が、心に深く刻まれる。
「リシェル、俺は……君に待っていてほしい。今はまだ、堂々と隣に立てる時じゃない。だけど必ず、その日を迎える」
――待つ。
それが、彼にできる唯一の願いなのだ。
私は胸に手を当て、小さく微笑んだ。
「はい。……私は待ちます。いつまでも」
アレク様の肩が、ふっと安堵に揺れるのが見えた。
「……待ちます」
自然と口から出た言葉に、アレク様の眉がわずかに上がる。
頷くと、彼は少し微笑み、次の話題へ移った。
「リシェル、ヴェルンハルト外交官とのことも聞きたい。正直に答えてほしい」
心臓が跳ねる。あの冷たい瞳のことを思い出すが、私は迷わず答えた。
「……ユリウス様に、私は気持ちはありません。好きなのは、アレク様です」
アレク様の瞳が、一瞬だけ驚きに揺れた。けれどすぐに、安堵の色に変わる。
「そうか……ありがとう、リシェル」
その声に、胸の奥の不安が消えていくのを感じた。
私はそっと手を伸ばし、彼の手に触れる。温かく、大きく、包み込まれるような手。
言葉が途切れる。けれど、目と目で、すべてが通じた気がした。
王家専用の部屋は、静かで柔らかい光に満ちていた。外の世界でのすれ違いや誤解は、ここでは何の意味も持たない。
私たちはただ、お互いの存在を確かめ合い、自然と抱きしめ合った。誰にも邪魔されずに、心の奥を重ね合わせることができた。
そして、私は小さく息を吐きながら、胸の奥に誓う。
――待とう。どんなに時間がかかっても、アレク様のそばで、共に歩く日を信じて。
◇
――冷たい。
目を覚ました瞬間、最初に感じたのは床の冷たさだった。
動かそうとした手首には、硬い縄の感触。足首も同じように縛られている。
瞼を上げれば、石造りの小部屋。窓はなく、灯りといえば壁にかけられた一本のランプだけ。湿った空気が肌にまとわりつき、息を吸うたびに胸の奥がざらついた。
(……何があったんだっけ……)
記憶がじわじわと蘇る。
学園を出て、状況的に別々に帰った方が良いと判断してアレク様と別れたあと。
迎えの馬車へ向かう途中で、不意に暗い影が差して――。
叫ぶ暇もなく口を塞がれ、視界が闇に落ちたのだった。
扉の向こうで人の声がする。二人か三人、低く押し殺した声で何かを話している。内容までははっきりしない。ただ、その調子には一種の緊張と畏れが混じっていた。
「……いいか、しくじるな。依頼主の命だ」
「へい。だが、ほんとにこんな娘ひとりでいいんですかい?もっと手ごわい護衛でも来るかと思ったが」
「余計な詮索はするな。相手は“辺境”の筋だ。俺たちが口を滑らせれば、命がいくつあっても足りん」
耳に届いたそのやり取りに、全身が強張った。
(辺境……?)
心臓が一気に早鐘を打つ。
さらに別の男の声がした。
「だがよ、噂じゃ王子殿下とご学友以上の仲だって話だ。もし本当なら、とんだお荷物を抱えたもんだな」
「しっ……口を閉じろ。俺たちの仕事は運ぶだけだ。後のことは“上”の考えることだ」
再び静寂が落ちる。
(辺境の……筋?王子と……私……?)
確証はない。それでも、脳裏に浮かぶのは、交流会で目が合ったときに感じたあの底知れぬ視線だった。
けれど、そんなはずが――。
唇を噛みしめ、恐怖で震える身体を必死に抑える。
泣いてはいけない。弱さを見せれば、すぐに飲み込まれてしまう。
(アレク様……どうか、ご無事で……)
誰にも届かない祈りを胸に抱きしめ、私は暗闇に身を固めた。
「リシェル……少し話がしたい」
低く柔らかい声に、そっと頷くしかなかった。
アレク様は私の手を取り、学園内にある王家専用の部屋へと導く。
普段は立ち入れないその場所は、昼間でも薄暗く、重厚な木の香りが漂っていた。外の賑やかさから切り離された空間は、私たちだけの秘密の世界のようだった。
カイル様は少し離れた場所で待機している。目が合うこともなく、扉の向こうから二人の会話は守られている。胸の奥がじんわりと温かくなる。アレク様が私に向き合い、静かに話し始めた。
「今の状況を、改めて伝えたい」
私の心臓が跳ねる。何を言うのだろう。息を飲み、静かに耳を傾ける。
国王からの命、辺境伯当主の考え、レティシアの気持ち――
アレク様は一つひとつ丁寧に説明してくれた。
「だけど、勘違いしてほしくない。俺も父上も、レティシア嬢も、婚約するつもりはない」
「……え?」
思わず声が漏れた。
てっきり、すべては婚約の既定路線だとばかり――。
アレク様は真剣な眼差しで言葉を続ける。
「ただし、そう簡単にはいかないだろうが、辺境伯当主には匂わせておかないといけない。でなきゃ、国境警備の均衡が崩れる」
ようやく、私は点と点がつながっていくのを感じた。
胸の奥に張り付いていたもやが、少しずつ晴れていった。
「……アレク様」
言葉を探して、ようやく見つける。
「つまり……アレク様の想いは……」
「――君だけだ」
その瞬間、呼吸が止まった。
まっすぐに告げられた言葉が、心に深く刻まれる。
「リシェル、俺は……君に待っていてほしい。今はまだ、堂々と隣に立てる時じゃない。だけど必ず、その日を迎える」
――待つ。
それが、彼にできる唯一の願いなのだ。
私は胸に手を当て、小さく微笑んだ。
「はい。……私は待ちます。いつまでも」
アレク様の肩が、ふっと安堵に揺れるのが見えた。
「……待ちます」
自然と口から出た言葉に、アレク様の眉がわずかに上がる。
頷くと、彼は少し微笑み、次の話題へ移った。
「リシェル、ヴェルンハルト外交官とのことも聞きたい。正直に答えてほしい」
心臓が跳ねる。あの冷たい瞳のことを思い出すが、私は迷わず答えた。
「……ユリウス様に、私は気持ちはありません。好きなのは、アレク様です」
アレク様の瞳が、一瞬だけ驚きに揺れた。けれどすぐに、安堵の色に変わる。
「そうか……ありがとう、リシェル」
その声に、胸の奥の不安が消えていくのを感じた。
私はそっと手を伸ばし、彼の手に触れる。温かく、大きく、包み込まれるような手。
言葉が途切れる。けれど、目と目で、すべてが通じた気がした。
王家専用の部屋は、静かで柔らかい光に満ちていた。外の世界でのすれ違いや誤解は、ここでは何の意味も持たない。
私たちはただ、お互いの存在を確かめ合い、自然と抱きしめ合った。誰にも邪魔されずに、心の奥を重ね合わせることができた。
そして、私は小さく息を吐きながら、胸の奥に誓う。
――待とう。どんなに時間がかかっても、アレク様のそばで、共に歩く日を信じて。
◇
――冷たい。
目を覚ました瞬間、最初に感じたのは床の冷たさだった。
動かそうとした手首には、硬い縄の感触。足首も同じように縛られている。
瞼を上げれば、石造りの小部屋。窓はなく、灯りといえば壁にかけられた一本のランプだけ。湿った空気が肌にまとわりつき、息を吸うたびに胸の奥がざらついた。
(……何があったんだっけ……)
記憶がじわじわと蘇る。
学園を出て、状況的に別々に帰った方が良いと判断してアレク様と別れたあと。
迎えの馬車へ向かう途中で、不意に暗い影が差して――。
叫ぶ暇もなく口を塞がれ、視界が闇に落ちたのだった。
扉の向こうで人の声がする。二人か三人、低く押し殺した声で何かを話している。内容までははっきりしない。ただ、その調子には一種の緊張と畏れが混じっていた。
「……いいか、しくじるな。依頼主の命だ」
「へい。だが、ほんとにこんな娘ひとりでいいんですかい?もっと手ごわい護衛でも来るかと思ったが」
「余計な詮索はするな。相手は“辺境”の筋だ。俺たちが口を滑らせれば、命がいくつあっても足りん」
耳に届いたそのやり取りに、全身が強張った。
(辺境……?)
心臓が一気に早鐘を打つ。
さらに別の男の声がした。
「だがよ、噂じゃ王子殿下とご学友以上の仲だって話だ。もし本当なら、とんだお荷物を抱えたもんだな」
「しっ……口を閉じろ。俺たちの仕事は運ぶだけだ。後のことは“上”の考えることだ」
再び静寂が落ちる。
(辺境の……筋?王子と……私……?)
確証はない。それでも、脳裏に浮かぶのは、交流会で目が合ったときに感じたあの底知れぬ視線だった。
けれど、そんなはずが――。
唇を噛みしめ、恐怖で震える身体を必死に抑える。
泣いてはいけない。弱さを見せれば、すぐに飲み込まれてしまう。
(アレク様……どうか、ご無事で……)
誰にも届かない祈りを胸に抱きしめ、私は暗闇に身を固めた。
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