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第二章
動き始める①
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早朝から一人の客人がアレクの元に訪れた。
重厚な木の扉が静かに閉まる。
室内に緊迫した空気が張り詰めていた。
「ヴェルンハルト殿」
声をかけると、彼は軽く頭を下げ、冷静ながらも挑発的な視線を俺に向ける。
「お呼びでしょうか、王子殿下。しがない他国の外交官の私に、何か無理難題をお持ちですか?」
皮肉めいた口調に、俺は眉をひそめた。
「協力を仰ぎたい。リシェルが……誘拐された。とある筋から得た情報だ」
一瞬、彼の表情が鋭く変わる。
これだけでも、今回の件は彼が関わっていないことが分かった。ユリウスはすぐに冷静を装って続ける。
「それはいつ頃の話ですか」
「……昨晩だ」
「なるほど。だから私にどうしろと?」
受け入れるかどうかの瀬戸際だ。リシェルのためには、カイルだけではもう限界なのだ。
「東区の裏通りに拠点を持つ傭兵崩れの一団。背後には“辺境”の指示があるらしい」
ユリウスは一拍置き、鋭い目で俺を見据える。
「……つまり、リシェル嬢を巡る事態は、王家の都合で揉み消されるか外交上の重要案件になるということか。」
口調は敬語だが、皮肉と挑発が混ざっている。彼の奥底には、リシェルへの独占的な気持ちと焦燥が透けて見える。
「その通りだ。ただし、俺は表立って動けない。父上や国の体裁上、軍や宮廷の手を使うことは許されない。だから、あなたの力が必要だ」
彼は目を細め、肩をすくめる。
「……王子殿下の手は縛られていると」
「そうだ。俺が直接手を下せば、彼女の安全よりも国の疑念が先に立つ」
ユリウスの唇がわずかに歪む。冷静を装いながらも、手元の書類に指先が強張る。
「王子殿下、私が協力する意義は何でしょう?ご存知でしょうが、恋敵ともいえる私が、なぜ王子殿下のために身を割くのです?」
その瞳の奥には、リシェルを守りたいという切迫した気持ちが見え隠れする。
俺は静かに、しかし強く答える。
「リシェルがあなたを信頼している。彼女が信頼するあなただから、俺も信じる。表向きには見えないところで、確実に状況を動かしてくれると。」
ユリウスは口元をわずかに上げ、挑発的に問いかける。
「なるほど……ですが、私が情報を独占することも可能です。王子殿下の手が縛られているなら、私自身がリシェル嬢を助けに行くことだって――」
その言葉に、胸の奥で何かが熱くなる。俺を揺さぶりながらも、リシェルを救えるのは自分だと暗に示す彼。
「……できれば俺が助けにいきたい。ただ、それは俺の欲だ。最終的には、彼女が無事ならそれでいい」
言葉が自然と出た。ユリウスの挑発を受け止めつつも、譲れない。
「ふふ……王子殿下、焦っているのですね。青いな――」
「焦ってなんかいない。リシェルのためだ。表立って動けない俺にできるのは、あなたに頼ることだ」
互いの視線が鋭く交わる。沈黙の中で火花が散るような緊張感。だが、暗黙の信頼もそこにはある。
「…確かに、私一人よりもここは協定を結んだほうがよろしいでしょう。リシェル嬢のためです。ご協力いたします。ただし、この件の行方次第では、あらゆる外交上の価値を最大限利用させていただきます」
ユリウスは立ち上がり、視線を逸らす。
「王子殿下、彼女の安全確保は頼みましたよ。私が情報を集めるまでは、死なせるな……」
俺は短く頷いた。
「ありがとう、ヴェルンハルト殿。頼りにしている」
互いの間の火花はまだ消えない。だが今は、言葉ではなく行動で示すときだ。
空気が張りつめたまま、ユリウスは机に手を置き、俺をじっと見据える。
「しかし、単に私の力を借りると言われても、行動の範囲は限定されます。非公式ですからね。私自身がどこまで動けるか、制約は大きい」
俺は軽く息を吐く。焦燥と苛立ちが交錯する。
「分かっている。だからこそ、リシェルに関わる情報は、絶対に外部に漏らさないこと。命に関わる状況だから、確実に頼む」
彼は片眉を上げ、挑発的な笑みを浮かべる。
「なるほど……信頼されていると感じるのは悪くないですが、王子殿下、私はあなたの命令だけで動くわけではありません。私自身がリシェル嬢を守るために行動することも、許されると考えてください」
胸の奥が熱くなる。俺を揺さぶるその言葉の裏に、リシェルを守りたいという強い意思がある。
「分かっている。だが、俺が知るべき情報は全て教えてくれ。場所、人数、背後の勢力、手掛かり。全てだ」
ユリウスは一瞬考え込み、軽くため息をつく。
「まずは、現状把握ですね。カイルさんから得た情報を整理する必要があります。東区の裏通りに潜む傭兵、背後に“辺境”の指示……」
「それだけじゃ足りない」
俺は手を握り、強く言う。
「奴らの拠点、行動パターン、護衛の数。リシェルに接触する可能性のある人物の情報も必要だ」
ユリウスは机に手を置き、視線を俺から逸らして考える。
「……王子殿下、これは単なる任務ではありません。背後には政治的な駆け引きが絡む。私は情報を集めつつ、あくまで外交官としての立場を保持する」
俺はじっと彼を見つめる。
「それでいい。ただ、リシェルの安全を最優先に。俺は全面的に君を信頼する」
彼は肩をすくめ、少し微笑む。
「王子殿下、私も条件付きですよ。リシェル嬢に不利益が及ばない範囲で、最大限利用する」
「もちろんだ。君が勝手に動く必要はない。情報を整理し、俺と共有しながら動いてくれ」
ユリウスはうなずき、視線を少し下に落として静かに言う。
「……了解です。王子殿下、リシェル嬢を救うために、全力を尽くします」
俺は短く頷いた。
「ありがとう、ヴェルンハルト殿。あなたを信じている」
書斎の中に、まだ冷たい緊張感が漂う。だが確かに、二人の間には行動を共にする暗黙の約束が生まれていた。リシェルを救うため、これから動き出す――その確信が胸に強く刻まれる。
◇
――時間の感覚が消えていく。
石造りの小部屋に閉じ込められ、どれほど経っただろう。湿った空気が肌にまとわりつき、灯りは頼りなく揺れている。
縄で縛られた手首は痺れ、じんじんと痛む。それでも胸を締めつけるのは痛み以上に、「分からないこと」だった。
(…もう何日過ぎたんだっけ…?)
ときおり扉の外から声が漏れる。
「へっ、王子のお気に入りだってよ。笑えるぜ」
「夜な夜な甘え声で殿下に縋ってんだろうな。高貴なお嬢様も裸になれば同じさ」
「まあいい、俺たちは“依頼主”の命を果たすだけだ。王子が女ひとりで動揺すりゃ、こっちは笑いが止まらねえ」
耳を塞ぎたくなる下卑た笑い声。辺境、依頼主、王子――嫌な言葉が頭の中で絡まり、心臓が冷える。
今ここで心を折られれば、二度とアレク様に会えなくなる。
だから必死に自分を叱咤する。
私は壁際に体を寄せ、足首の縄を石に擦りつける。痛みが走るだけで縄はびくともしない。手首も同じ。だが諦めるわけにはいかない。
(……無理……でも、諦めちゃだめ……)
指先で縄を擦り、亀裂や床の隙間、ランプの位置を探る。小さな可能性にすがるように、少しでも手が届くものはないかと必死に伸ばす。
軋む音がして扉が開いた。三人の男が、にやにや笑いながら入ってきた。
「目ェ覚ましたか、お姫様」
「泣くなよ? 泣くと余計にそそるんだからな」
咄嗟に顔をそむけると、荒っぽい指先が顎を掴み、無理やり向きを戻される。ざらりとした掌が肌をなぞり、背筋がぞくりと震えた。
「もっと愛想よくしねぇと。ほら、笑ってみろ」
「無理だろ……でも怯えた顔も悪くねえ」
肩や背中に手を置かれ、唇の端まで触れられる。縄で抵抗できず、ただ身を固めるしかない。唇を噛んで耐える。
(……泣いちゃだめ……弱みを見せたら……利用される……)
涙をこらえ、視線を落とす。男たちは嘲るように笑い、また出ていく。
同じ日々の繰り返し。食事は冷たいパンと水のみ。扉が開けば必ず笑い声とともに男たちが入ってくる。
「おとなしく笑えよ。王子様はそんな顔、嫌いだろ」
「無視か? 強情だな。だがそれもまた――そそる」
肩を叩かれ、背を押され、腰にまで手が伸びそうになる。全身が総毛立ち、体は硬直する。
(アレク様に……会いたい…)
心の中で祈る。熱い涙が滲むが、決して見せてはならない。涙は彼らを喜ばせるだけだ。
――絶対に屈しない。
――必ず生きて戻る。
――そして、アレク様に伝える。
どんなに蔑まれても心まで汚されはしない。暗闇の中で、私は牙を研ぎ続けた。
重厚な木の扉が静かに閉まる。
室内に緊迫した空気が張り詰めていた。
「ヴェルンハルト殿」
声をかけると、彼は軽く頭を下げ、冷静ながらも挑発的な視線を俺に向ける。
「お呼びでしょうか、王子殿下。しがない他国の外交官の私に、何か無理難題をお持ちですか?」
皮肉めいた口調に、俺は眉をひそめた。
「協力を仰ぎたい。リシェルが……誘拐された。とある筋から得た情報だ」
一瞬、彼の表情が鋭く変わる。
これだけでも、今回の件は彼が関わっていないことが分かった。ユリウスはすぐに冷静を装って続ける。
「それはいつ頃の話ですか」
「……昨晩だ」
「なるほど。だから私にどうしろと?」
受け入れるかどうかの瀬戸際だ。リシェルのためには、カイルだけではもう限界なのだ。
「東区の裏通りに拠点を持つ傭兵崩れの一団。背後には“辺境”の指示があるらしい」
ユリウスは一拍置き、鋭い目で俺を見据える。
「……つまり、リシェル嬢を巡る事態は、王家の都合で揉み消されるか外交上の重要案件になるということか。」
口調は敬語だが、皮肉と挑発が混ざっている。彼の奥底には、リシェルへの独占的な気持ちと焦燥が透けて見える。
「その通りだ。ただし、俺は表立って動けない。父上や国の体裁上、軍や宮廷の手を使うことは許されない。だから、あなたの力が必要だ」
彼は目を細め、肩をすくめる。
「……王子殿下の手は縛られていると」
「そうだ。俺が直接手を下せば、彼女の安全よりも国の疑念が先に立つ」
ユリウスの唇がわずかに歪む。冷静を装いながらも、手元の書類に指先が強張る。
「王子殿下、私が協力する意義は何でしょう?ご存知でしょうが、恋敵ともいえる私が、なぜ王子殿下のために身を割くのです?」
その瞳の奥には、リシェルを守りたいという切迫した気持ちが見え隠れする。
俺は静かに、しかし強く答える。
「リシェルがあなたを信頼している。彼女が信頼するあなただから、俺も信じる。表向きには見えないところで、確実に状況を動かしてくれると。」
ユリウスは口元をわずかに上げ、挑発的に問いかける。
「なるほど……ですが、私が情報を独占することも可能です。王子殿下の手が縛られているなら、私自身がリシェル嬢を助けに行くことだって――」
その言葉に、胸の奥で何かが熱くなる。俺を揺さぶりながらも、リシェルを救えるのは自分だと暗に示す彼。
「……できれば俺が助けにいきたい。ただ、それは俺の欲だ。最終的には、彼女が無事ならそれでいい」
言葉が自然と出た。ユリウスの挑発を受け止めつつも、譲れない。
「ふふ……王子殿下、焦っているのですね。青いな――」
「焦ってなんかいない。リシェルのためだ。表立って動けない俺にできるのは、あなたに頼ることだ」
互いの視線が鋭く交わる。沈黙の中で火花が散るような緊張感。だが、暗黙の信頼もそこにはある。
「…確かに、私一人よりもここは協定を結んだほうがよろしいでしょう。リシェル嬢のためです。ご協力いたします。ただし、この件の行方次第では、あらゆる外交上の価値を最大限利用させていただきます」
ユリウスは立ち上がり、視線を逸らす。
「王子殿下、彼女の安全確保は頼みましたよ。私が情報を集めるまでは、死なせるな……」
俺は短く頷いた。
「ありがとう、ヴェルンハルト殿。頼りにしている」
互いの間の火花はまだ消えない。だが今は、言葉ではなく行動で示すときだ。
空気が張りつめたまま、ユリウスは机に手を置き、俺をじっと見据える。
「しかし、単に私の力を借りると言われても、行動の範囲は限定されます。非公式ですからね。私自身がどこまで動けるか、制約は大きい」
俺は軽く息を吐く。焦燥と苛立ちが交錯する。
「分かっている。だからこそ、リシェルに関わる情報は、絶対に外部に漏らさないこと。命に関わる状況だから、確実に頼む」
彼は片眉を上げ、挑発的な笑みを浮かべる。
「なるほど……信頼されていると感じるのは悪くないですが、王子殿下、私はあなたの命令だけで動くわけではありません。私自身がリシェル嬢を守るために行動することも、許されると考えてください」
胸の奥が熱くなる。俺を揺さぶるその言葉の裏に、リシェルを守りたいという強い意思がある。
「分かっている。だが、俺が知るべき情報は全て教えてくれ。場所、人数、背後の勢力、手掛かり。全てだ」
ユリウスは一瞬考え込み、軽くため息をつく。
「まずは、現状把握ですね。カイルさんから得た情報を整理する必要があります。東区の裏通りに潜む傭兵、背後に“辺境”の指示……」
「それだけじゃ足りない」
俺は手を握り、強く言う。
「奴らの拠点、行動パターン、護衛の数。リシェルに接触する可能性のある人物の情報も必要だ」
ユリウスは机に手を置き、視線を俺から逸らして考える。
「……王子殿下、これは単なる任務ではありません。背後には政治的な駆け引きが絡む。私は情報を集めつつ、あくまで外交官としての立場を保持する」
俺はじっと彼を見つめる。
「それでいい。ただ、リシェルの安全を最優先に。俺は全面的に君を信頼する」
彼は肩をすくめ、少し微笑む。
「王子殿下、私も条件付きですよ。リシェル嬢に不利益が及ばない範囲で、最大限利用する」
「もちろんだ。君が勝手に動く必要はない。情報を整理し、俺と共有しながら動いてくれ」
ユリウスはうなずき、視線を少し下に落として静かに言う。
「……了解です。王子殿下、リシェル嬢を救うために、全力を尽くします」
俺は短く頷いた。
「ありがとう、ヴェルンハルト殿。あなたを信じている」
書斎の中に、まだ冷たい緊張感が漂う。だが確かに、二人の間には行動を共にする暗黙の約束が生まれていた。リシェルを救うため、これから動き出す――その確信が胸に強く刻まれる。
◇
――時間の感覚が消えていく。
石造りの小部屋に閉じ込められ、どれほど経っただろう。湿った空気が肌にまとわりつき、灯りは頼りなく揺れている。
縄で縛られた手首は痺れ、じんじんと痛む。それでも胸を締めつけるのは痛み以上に、「分からないこと」だった。
(…もう何日過ぎたんだっけ…?)
ときおり扉の外から声が漏れる。
「へっ、王子のお気に入りだってよ。笑えるぜ」
「夜な夜な甘え声で殿下に縋ってんだろうな。高貴なお嬢様も裸になれば同じさ」
「まあいい、俺たちは“依頼主”の命を果たすだけだ。王子が女ひとりで動揺すりゃ、こっちは笑いが止まらねえ」
耳を塞ぎたくなる下卑た笑い声。辺境、依頼主、王子――嫌な言葉が頭の中で絡まり、心臓が冷える。
今ここで心を折られれば、二度とアレク様に会えなくなる。
だから必死に自分を叱咤する。
私は壁際に体を寄せ、足首の縄を石に擦りつける。痛みが走るだけで縄はびくともしない。手首も同じ。だが諦めるわけにはいかない。
(……無理……でも、諦めちゃだめ……)
指先で縄を擦り、亀裂や床の隙間、ランプの位置を探る。小さな可能性にすがるように、少しでも手が届くものはないかと必死に伸ばす。
軋む音がして扉が開いた。三人の男が、にやにや笑いながら入ってきた。
「目ェ覚ましたか、お姫様」
「泣くなよ? 泣くと余計にそそるんだからな」
咄嗟に顔をそむけると、荒っぽい指先が顎を掴み、無理やり向きを戻される。ざらりとした掌が肌をなぞり、背筋がぞくりと震えた。
「もっと愛想よくしねぇと。ほら、笑ってみろ」
「無理だろ……でも怯えた顔も悪くねえ」
肩や背中に手を置かれ、唇の端まで触れられる。縄で抵抗できず、ただ身を固めるしかない。唇を噛んで耐える。
(……泣いちゃだめ……弱みを見せたら……利用される……)
涙をこらえ、視線を落とす。男たちは嘲るように笑い、また出ていく。
同じ日々の繰り返し。食事は冷たいパンと水のみ。扉が開けば必ず笑い声とともに男たちが入ってくる。
「おとなしく笑えよ。王子様はそんな顔、嫌いだろ」
「無視か? 強情だな。だがそれもまた――そそる」
肩を叩かれ、背を押され、腰にまで手が伸びそうになる。全身が総毛立ち、体は硬直する。
(アレク様に……会いたい…)
心の中で祈る。熱い涙が滲むが、決して見せてはならない。涙は彼らを喜ばせるだけだ。
――絶対に屈しない。
――必ず生きて戻る。
――そして、アレク様に伝える。
どんなに蔑まれても心まで汚されはしない。暗闇の中で、私は牙を研ぎ続けた。
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