【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました

ふじの

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第二章

ただいまの場所

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 陽射しが、窓辺のレース越しに柔らかく差し込んでいた。
 王城の部屋で、鏡の前に座って制服を整えていると、控えめなノックの音がした。

「入っていいか?」

 聞き慣れた低い声に、思わず頬がゆるむ。

「どうぞ、アレク様」

 扉が開くと、そこには朝の光を背にしたアレク様の姿。その腕には見慣れた白いクロークが掛けられていた。

「まだ体が本調子じゃないだろ。外は少し冷える」

「……ありがとうございます。でも、もう平気ですわ」

「それでも着ていけ。おまえが風邪を引いたら、俺の方が倒れそうだ」

「また、そうやって大げさに」

 呆れたように笑いながらも、胸がじんと温かくなる。
 アレク様の後ろから、カイル様が現れ、すかさず言葉を挟んだ。

「殿下、朝から過干渉が過ぎます。もう少し距離をお取りください」

「おまえな!こいつは病み上がりなんだぞ!」

「まぁ、花攻撃よりはマシですけどね」

「忘れろ!」

 朝から騒がしい二人のやり取りに、思わず吹き出してしまう。

「ふふ……なんだか、今日がいい一日になりそうです」

 そう言うと、アレク様が照れくさそうに髪をかいた。




 王城の中庭を抜け、待機していた馬車に乗り込む。
 揺れる車体の中で、アレク様は私の隣にぴたりと腰を下ろした。

「……久しぶりの登校、緊張してるか?」

「少しだけ。でも、皆に会えるのが楽しみです」

「皆、おまえのことを心配してた。事情が事情だから、見舞いもあの一回きりだったからな。ずいぶん気を揉んでたぞ」

「ご迷惑をかけてしまいましたわね……」

「迷惑なんて思ってる奴はいないさ。おまえがいない間、教室の空気が少し寂しかった」

 その言葉に胸があたたかくなる。
 ほんの数週間――けれど、私にとっては永い時間だった。
 あの闇を抜けて、またこうして陽の光を浴びられることが、何よりの幸せだと思えた。

 馬車が学園の前で止まると、アレク様がさっと降りて手を差し出してくれる。

「足元、気をつけろ」

「……ありがとうございます」

 その仕草があまりにも自然で、少し頬が熱くなる。私を見たアレク様がへにょりと眉を下げた。
 カイルさんが咳払いを一つ。

「殿下、顔がだらしないです。」

「うるせー!格好つけてわりーかよ!」

「……はいはい、どうぞご自由に」

 彼の冷静な声を背に、私は笑いをこらえながら校舎の階段を上った。



 教室に入ると、そこには懐かしい顔が並んでいた。一瞬、息をのむ静寂――そして。

「リシェル!」

「ほんとに来た!」

「もう元気なの?ずっと心配してたのよ!」

 次の瞬間、周囲がぱっと華やいだ。
 みんなが駆け寄り、口々に声をかけてくれる。
 その真ん中で、私は自然に微笑んだ。

「皆さま……ただいま戻りました」

 そう言った瞬間、教室に小さな拍手が起こった。
 笑い声、涙、そして「おかえり!」の声。
 胸の奥が熱くなって、言葉が出なかった。
 ――ここが、私の居場所だ。

 窓際で控えめに見守っていたアレク様も、ふっと笑みを浮かべる。
 それに気づいたカイルさんが小声で呟いた。

「殿下、そろそろ席にお戻りを」

「……あと五分だけ」

「五分経っても動かないと見ました」

「カイル、うるさい」

 その小さな言い合いに、また笑みがこぼれる。
 日常が戻ってくる。そんな確かな実感が、心の奥から満ちていった。



 放課後。
 校舎の裏手、夕陽の光が射す静かな中庭。
 風が花壇の花を揺らす中、私は一人ベンチに座っていた。
 ある方と約束をしていたからだ。
 アレク様には事前に確認を取り、不機嫌な顔を隠そうとはせず、それでもこの時間を認めてくれた。

「ここにいたんですね」

 声に振り向くと、ユリウス様が立っていた。
 いつも通り穏やかな微笑、けれど、その目の奥にあるものはどこか静かな決意だった。

「学園に戻ったと聞いて、どうしても顔を見ておきたくて」

「おかげさまで、元気に過ごせています」

「ええ、見れば分かりますよ。……やはり、あなたはこの国の光だ」

 その言葉に胸がざわめく。
 けれど彼はすぐに小さく笑い、私の隣に腰を下ろした。
 夕陽の中、彼の金髪が淡く輝いていた。

「リシェル嬢。あの日、あなたを助けたのは職務ではありません。あれは、私の人生で唯一、心が動いた瞬間でした」

「……」

 ユリウス様の瞳は夕焼け色に染まり、どこか遠くを見ているようだった。彼が膝の上で組んだ指先にぐっと力を入れたあと、ぽつりと呟いた。

「私は外交官として数多くの国を見てきました。けれど……人の心は交渉のように“奪う”ことでは動かせない。人を想う力が人を動かす。あなたと共に過ごす中で、改めてそれを悟りました」

「ユリウス様……」

 いつもの柔らかな微笑。その瞳の奥には、どこか翳りのようなものがあった。
 その表情に、いつかの私を重ねる。鈍い私でも、ユリウス様が気持ちを寄せてくださっていたことも、私のために奮闘してくださったのもわかっている。
 今の私の正直な気持ちもきちんと伝えたい。
機会を作ってくださったアレク様のためにも。

「もしあのとき、ユリウス様が手を伸ばしてくださらなければ、私は私ではいられなかったかもしれません」

「……」

「だからこそ、あなたには感謝しています。私の心を支え、守ってくださりありがとうございました。」

 ユリウス様は少しだけ目を伏せ、やがて穏やかに笑った。

「やはり、あなたは魅力的だ。……リシェル嬢。あなたを見ていると、どうしても“もしも”を考えてしまうんです」

「もしも?」

「もし、あのとき私があなたをこの国ではなく、自分の国へ連れて帰っていたら、と。怖い思いもせず、私の腕の中で笑顔で過ごしてくれていたのではないかと。」

 淡い声だった。
 私は少し黙って、それから静かに答えた。

「……けれど、私はこの国に残ります」

「ええ、わかっています」

 風が吹き、花の香りが漂う。

「あなたを口説く言葉を、聞いてもらえますか」

 そう言って、まっすぐに私を見つめる。
 その瞳には、未練ではなく、真摯な想いだけがあった。

「あなたの幸せを願うことが、今の私の恋です。できるなら、私があなたを幸せにしたかった。」

 言葉が喉に詰まる。
 涙が出そうになるのを必死にこらえ、私は微笑んだ。

「……ありがとう、ユリウス様」

「あなたが笑ってくれれば、それで十分です」

 彼はゆっくり立ち上がり、軽く一礼した。

「もうすぐ王家からの公式発表があるそうですね。……あの王子の隣に立つ姿を見るのは癪に触りますが、少し離れた場所から見守らせてください」

「はい」

「悔いはない…とは言い切れませんが、潔く振られるとしましょう。お父上とも外交上の取引を取り付けたことですし、またお会いしましょうね。」

 彼は、いつもの外交官らしい落ち着きを取り戻し、軽く一礼した。

「……では、これで口説きはおしまいです。」

「はい」

「お幸せに、リシェル嬢。私の国にも、いつか遊びにいらしてくださいね。おいしい葡萄酒をご馳走します」

「……ええ、ぜひ」

 微笑みを交わし、ユリウス様は背を向けて歩き出した。その後ろ姿が見えなくなるまで、私はただ黙って見送っていた。
 どこか切なく、でも不思議と穏やかだった。

 廊下の窓から射し込む夕陽が、金色に揺れる。
 風が頬をなで、遠くで鐘の音が鳴った。
 その音を聞きながら、私は小さく呟いた。

「――ありがとう、ユリウス様」

 今日という日が終われば、私はアレク様と共に新しい一歩を踏み出す。けれど、その前にもう一度、こうして彼と向き合えてよかった。
 別れではなく、感謝として。

 空は茜に染まり、学園の屋根の上に一番星が光る。新しい季節が、確かに始まろうとしていた。
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