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第二章
5-4
しおりを挟む倒れ伏すクローヴィス。
黒衣の闇魔法使いが刃を掲げ、止めを刺さんと踏み込む。
――その刹那。
シャアアアン!
澄みきった鈴の一打が、夕闇をひと筋に割った。
白い花弁が舞い降り、薄い帳が視界を洗う。
帳がほどけた先――クローヴィスの眼前に、シオンが立っていた。
「……は!?」
クローヴィスの瞳が見開かれる。黒衣の影も、思わず一歩退いた。
シオンの唇が、人の理から外れた音を紡ぐ。
『******』
りぃん……。
針の先ほどの静かな響きが落ちた瞬間、
シオンを中心に波紋が、目に見えぬ薄い膜となって、すうっと広がっていく。
波紋の過ぎた場所から、ひやりと涼やかな空気が立ちのぼり、肌を撫で、世界の輪郭が冴え渡った。
敷石の継ぎ目や踏み固められた土の裂け目から、ハナシノブがいっせいに芽吹く。
薄青から淡紫にかすむ小花が鈴なりにひらき、細やかな葉が光を掬う。
蔓はやわらかく伸び、敵の四肢と胴に赤子を包む襁褓のように絡みついた。
敵の指先から、武器がからん、と落ちる。
戦うという意図そのものが抜け落ちたかのように、膝が静かに地へ触れ、視線が伏せられた。
その頭上を、青や白にほのかに輝く蝶が、ひら、ひら、と舞う。
羽に宿る微かな光は燐のようで、夕靄に細い軌跡を残した。
王国の騎士たちは胸に手を当て、ふっと息を吐く。
肺が開き、呼吸が通る。頭の霞が晴れていく。
蔓と花、そして蝶の光が、ひかりの糸を編むように揺れて――
誰もが、その幻想に呆然と、ただ見惚れていた。
やがて静けさだけが残る。
絶句するクローヴィス。
シオンがクローヴィスを振り返る。
一度だけ、
シオンがこの世に生まれて来た、あの時に見た、金色の瞳と目が合う。クローヴィスは息を呑んだ。
(やはり、この子は――)
しかし、その思考は次の瞬間、散っていった。
シオンの目から、ぽろ、ぽろと涙が零れた。音も立てず、頬を伝って落ちる。
いつも凪いだ湖のように静かな顔に、はじめて走る乱れ。クローヴィスは思わず目を見張った。
「うぅ……っ、……うう……うっ……!」
喉の底で引き裂かれたような唸りが漏れる。
濡れた睫の奥で、金色の瞳がきっぱりと光を結び、クローヴィスをまっすぐに睨み据えた。恐れと怒りが同じ熱で滾り、そのまなざしは刃のごとく父の胸を射抜く。
シオンはよろめいて膝をつくと、震える指で御札を幾枚も呼び出し――ためらいなく、クローヴィスの身体へ、ぺた、ぺた、ぺた。
貼られた札は、淡い光をいっときだけ宿し、墨の文様を溶かして、すうっと肌の内へ沈む。熱が引き、疼きが遠のく。
(……っ!?この感覚――癒しの御札!)
「シオンっ!!」
「なにゆえ、わらわを伴はせず……! なにゆえ、わらわを戦わせもせなんだ……!」
掠れた声が形を持ちはじめ、次第に昂ぶっていく。
クローヴィスが上体を起こし、制そうと口を開いた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!! こら、シオン、やめ――」
御札を貼る手は、もはやほとんど打ちつけるに等しい勢いになっていた。
「ぐふっ! ま、待て、顔はいい、むぐっ!」
その手に容赦はない。こめかみ、頬骨、鼻梁へも。札の余光が次々と沈み、裂け目は綴じ、血は引き、枯渇しかけていた力が逆流するように満ち、ついには戦闘前をも上回っていく。やり過ぎである。
(――いかん。皆の目がある。この場で、これほどあからさまにこの札を……!)
慌てた声でシオンの名を呼ぶクローヴィス。
だが、シオンの手は止まらない。周囲の視線など目に入らぬというように。
別の恐れが胸を刺す。だが、その恐れすら、次の瞬間、打ち消される。
「かくも命を損なふほどなら、初めより隣に立たせてくれればよかったものを……!」
涙はぼろぼろと大粒に変わり、息がひくっ、ひくっと詰まる。
「わらわを置き去りにするなど、愚かの極み!」
弱い拳で胸元をとん、とんと叩き、なおも札を探る手が泳ぐ。
「いかで置き去りにした!子とての故のみで!!それだけでっ…!なにゆえ!!」
「もういい、シオン。やめなさい……ここは――」
クローヴィスは動けるようになった身を起こし、その小さな体を抱きとめようと腕を回す。
シオンは反射的に肩をすくめ、胸を押し返した。細い腕に、しかし烈しい抵抗の気がこもる。
「退けい、妨ぐるな!!まだっ……、貼り尽くしてはおらぬ………っ!」
荒い息のまま、言葉が千切れ、絡まり、なおも札を貼ろうとする。
クローヴィスはその肩を包み、背を支え、動きをやわらかく、しかし確かに止める。
「シオン。……わかった、もう大丈夫だ。私はここにいる。お前から離れたりしない。」
その一言が落ちた刹那――堰が切れた。
「……っ……っ……あ゛——っ、あ゛——っ……あ゛あ゛あ゛!!」
大泣き。嗚咽がとぎれず、声は砕け、石壁に反響する。
「痴れ者めえええ!! 痴れ者! 痴れ者! 痴れ者め! 父上の愚か者め!!」
指先は震え、札を探る癖がなお抜けない。クローヴィスはその手をそっと包み、胸元へ引き寄せた。
「ああ…ああ……。そうだな。すまなかった……。来てくれてありがとう。――もう、大丈夫だ」
大きな掌が、髪を梳く。指の腹が、震える肩を何度も往復する。
「なにゆえ独りで逝かれんとした! なにゆえ、わらわを、ひっ……遠ざけてっっ………!」
「すまなかった……怖い思いをさせた。」
戦の喧噪から切り離された中で、父の体温だけが揺るがずに在った。
やがてシオンは、しゃくり上げながらも、ふいにクローヴィスの背へ腕を回した。
離すまいとばかりに衣の背をきゅっと掴む。指の関節が白くなるほど、強く。
胸に押しつけられた額が熱く、涙の湿りが衣へ滲む。
「置いてゆくでない……。もう、置いてゆくでないぞ……」
掠れきった声で、同じ言葉を何度も、何度も。
クローヴィスはただ頷き、頭を傾け、その小さな背をさすった。
周囲では、騎士たちが互いに目配せし、そっと視線を外す。近づこうとする者は、クローヴィスの一瞥で立ち止まり、距離を保った。
青と白の蝶は、まだ薄く光を宿して舞っている。ハナシノブの花は風もないのに微かに揺れ、涼やかな空気だけが、二人の周りに満ちていた。
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もうここまで来ると、涙なしには………。色んな意味で。
色んな意味でwwww
これからもクローヴィスの受難は続き、王様も巻き込まれていくー。ワタクシは楽しみが続きますね。
コメントありがとうございます!
そう言って頂けて大変嬉しいです!
シオンの日常が可愛い❤クマちゃんも、可愛い❤ 周囲の人達も、良きです。更新のお知らせが待ち遠しいです✨
ありがとうございます😊
そう言って頂けて大変嬉しいです。
続きを書く力になります!
頑張ってシオンの可愛さを最大限に描写していきます!
どうぞこれからもこの作品をよろしくお願いします!