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30 戴冠
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アレクサンドラと宮殿で初めて会ったのはディアナ妃に正式の対面をした後だった。ディアナに国王ハインツの死に対する悔やみを述べたグスタフは長居は無用とばかり後宮を後にしようとした。
その時、忘れ物がありますと声を掛けた女官がアレクサンドラだった。
シュターデン公爵ハインリヒの言葉は嘘ではなかった。一目でそれとわかるほど兄によく似た妹は美人だった。だが、それだけだった。グスタフの心は少しも動かされなかった。
「私、アレクサンドラと申します。兄に伝えてもらえますか。私は結婚する気はないと」
どうやら忘れ物とは伝言のことらしい。
「わかりました。私も結婚する気はありませんので」
グスタフは女性との結婚など考えられなかった。いくら結婚後は好き勝手にすればいいからといって、エルンストを愛妾のように囲うなどしたくなかった。エルンストとは対等の立場でいたかった。
アレクサンドラはグスタフの返事に不思議そうな顔をした。
「陛下、結婚は大切な公務なのではありませんか」
「財政が安定しない状態で結婚などできません」
「そういうお考えもありますね」
たったそれだけの会話だった。グスタフはアレキサンドラはノーラのような女だと思った。有能でさっぱりした気性でグスタフが王だからといって媚びるようには見えなかった。
だが、宮廷の人々はそんな二人の姿を見逃さなかった。
女官長はすぐにアレクサンドラを国王付きの女官に任命した。元々アレクサンドラは将来の女官長候補として宮殿に入ったのである。それだけの逸材なら田舎者の国王をきちんと教育してくれようと考えたのである。万が一国王が男嫌いのアレクサンドラを気に入り王妃にしたいと言ってくれれば儲けものである。
一方グスタフはアレクサンドラの気性なら恋愛にはならないと思い、彼女を重用した。彼女はその期待に十分応えた。
秘書官補佐としてグスタフのそばに仕えることになったエルンストの教育も彼女が担当した。エルンストは姉のようなアレクサンドラの指導を受け、慣れない仕事を覚えていった。
ディアナ妃の件についても、アレクサンドラは彼女が自由のない後宮内の生活に不満を抱いていることを伝え、外の屋敷に移ってもらってはと提案した。
グスタフはそれは妙案と提案を受け入れた。
かくして、アレクサンドラはグスタフ国王の命を受けて後宮内の根回しをすることになった。後宮内のことは男のエルンストには任せられなかったので、グスタフはアレクサンドラの有能さに助けられた。
かくして父の喪の開けた約一年後の2月、国王グスタフ2世の戴冠式が行われた。
グスタフは宮殿大広間の上に敷かれた赤い絨毯を見つめた。まるで血のようだった。流れた血の色を忘れてはならぬと父に語り掛けられたような気がした。無論、父に言われたことはないし、この先も言われることはない。
臣下の席の末席には秘書官エルンスト・フィンケが控えていた。彼もまた玉座へと続く赤い道を見つめていた。
あの冬至の祭りの夜からこの日までも幾多の苦難があった。けれどとうとうこの日が来た。これからもグスタフに我が身を捧げ続けたいと願うエルンストであった。
が、彼よりも上座の臣下の席にいる金色の髪の女性のことが心から離れない。グスタフは彼女は家臣に過ぎない、心惹かれることはないと言う。それをエルンストは信じている。いや、信じたかった。
戴冠式はつつがなく終わった。
一連の行事を終え、宮殿のバルコニーに立ったグスタフを一目見るために都の人口10万人を超える25万人が宮殿前の広場に集まったという。
びっしりと広場を埋め尽くした国民の期待の重さを感じ、グスタフは恐ろしくなった。けれど、エルンストがいる。他の幸せはいらない。彼がいればいい。残りはすべて国民に捧げよう。
シュターデン公爵には妹のアレクサンドラも自分も互いに結婚する気はないと言っている。公爵は思いがけないほどのあっけなさで、そうですかとうなずいた。グスタフは拍子抜けしてしまった。
これでアレクサンドラとの結婚はないとグスタフは安堵していた。
近隣の国の王族の年齢を見ると、グスタフと近い年齢の王女はいなかった。いてもすでに結婚や婚約をしていた。王族のならいとして王女たちは遅くとも10代前半には婚約していた。グスタフと結婚できそうな年齢の王女たちの相手が決まっているのは当然のことだった。前王ハインツとの婚約の話が出ていた某国の王女は3歳だった。ハインツが死んだからといって17も年齢差のある次の王と可愛い娘を婚約させたいと思う親はいないだろう。
他国の王女やアレクサンドラとの結婚の心配はないと言っていい。エルンストを不安にさせる要素はないとグスタフは思っていた。
「陛下、本日はまことにおめでとうございます」
執務室に下がったグスタフの元に大臣たちが集まっていた。
「うむ。今後もよろしく頼む」
懐中時計を手に侍従長が現れた。
「陛下はこの後の大舞踏会の御仕度がございますので皆様控室で休息を願います」
大臣たちはそれでは後ほどと執務室から下がった。
大舞踏会など国費の無駄使いだとグスタフは言ったのだが、意外にも外務大臣が無駄ではないと言ったので開催が決まった。他国の大使や招待された王族といちいち面会の場を設けるよりも舞踏会の場でまとめて面会したほうが無駄がないという理由だった。なるほどと思いグスタフは頷いたのだった。
ただ、問題はダンスだった。グスタフは村祭り以外で踊る機会がなかったので貴族の間で踊られているダンスのステップを知らなかった。そこでダンスの教師が招かれた。アレクサンドラの師でもある子爵夫人はこの三カ月グスタフをしごきにしごき、何とか踊れるようにした。
その時、忘れ物がありますと声を掛けた女官がアレクサンドラだった。
シュターデン公爵ハインリヒの言葉は嘘ではなかった。一目でそれとわかるほど兄によく似た妹は美人だった。だが、それだけだった。グスタフの心は少しも動かされなかった。
「私、アレクサンドラと申します。兄に伝えてもらえますか。私は結婚する気はないと」
どうやら忘れ物とは伝言のことらしい。
「わかりました。私も結婚する気はありませんので」
グスタフは女性との結婚など考えられなかった。いくら結婚後は好き勝手にすればいいからといって、エルンストを愛妾のように囲うなどしたくなかった。エルンストとは対等の立場でいたかった。
アレクサンドラはグスタフの返事に不思議そうな顔をした。
「陛下、結婚は大切な公務なのではありませんか」
「財政が安定しない状態で結婚などできません」
「そういうお考えもありますね」
たったそれだけの会話だった。グスタフはアレキサンドラはノーラのような女だと思った。有能でさっぱりした気性でグスタフが王だからといって媚びるようには見えなかった。
だが、宮廷の人々はそんな二人の姿を見逃さなかった。
女官長はすぐにアレクサンドラを国王付きの女官に任命した。元々アレクサンドラは将来の女官長候補として宮殿に入ったのである。それだけの逸材なら田舎者の国王をきちんと教育してくれようと考えたのである。万が一国王が男嫌いのアレクサンドラを気に入り王妃にしたいと言ってくれれば儲けものである。
一方グスタフはアレクサンドラの気性なら恋愛にはならないと思い、彼女を重用した。彼女はその期待に十分応えた。
秘書官補佐としてグスタフのそばに仕えることになったエルンストの教育も彼女が担当した。エルンストは姉のようなアレクサンドラの指導を受け、慣れない仕事を覚えていった。
ディアナ妃の件についても、アレクサンドラは彼女が自由のない後宮内の生活に不満を抱いていることを伝え、外の屋敷に移ってもらってはと提案した。
グスタフはそれは妙案と提案を受け入れた。
かくして、アレクサンドラはグスタフ国王の命を受けて後宮内の根回しをすることになった。後宮内のことは男のエルンストには任せられなかったので、グスタフはアレクサンドラの有能さに助けられた。
かくして父の喪の開けた約一年後の2月、国王グスタフ2世の戴冠式が行われた。
グスタフは宮殿大広間の上に敷かれた赤い絨毯を見つめた。まるで血のようだった。流れた血の色を忘れてはならぬと父に語り掛けられたような気がした。無論、父に言われたことはないし、この先も言われることはない。
臣下の席の末席には秘書官エルンスト・フィンケが控えていた。彼もまた玉座へと続く赤い道を見つめていた。
あの冬至の祭りの夜からこの日までも幾多の苦難があった。けれどとうとうこの日が来た。これからもグスタフに我が身を捧げ続けたいと願うエルンストであった。
が、彼よりも上座の臣下の席にいる金色の髪の女性のことが心から離れない。グスタフは彼女は家臣に過ぎない、心惹かれることはないと言う。それをエルンストは信じている。いや、信じたかった。
戴冠式はつつがなく終わった。
一連の行事を終え、宮殿のバルコニーに立ったグスタフを一目見るために都の人口10万人を超える25万人が宮殿前の広場に集まったという。
びっしりと広場を埋め尽くした国民の期待の重さを感じ、グスタフは恐ろしくなった。けれど、エルンストがいる。他の幸せはいらない。彼がいればいい。残りはすべて国民に捧げよう。
シュターデン公爵には妹のアレクサンドラも自分も互いに結婚する気はないと言っている。公爵は思いがけないほどのあっけなさで、そうですかとうなずいた。グスタフは拍子抜けしてしまった。
これでアレクサンドラとの結婚はないとグスタフは安堵していた。
近隣の国の王族の年齢を見ると、グスタフと近い年齢の王女はいなかった。いてもすでに結婚や婚約をしていた。王族のならいとして王女たちは遅くとも10代前半には婚約していた。グスタフと結婚できそうな年齢の王女たちの相手が決まっているのは当然のことだった。前王ハインツとの婚約の話が出ていた某国の王女は3歳だった。ハインツが死んだからといって17も年齢差のある次の王と可愛い娘を婚約させたいと思う親はいないだろう。
他国の王女やアレクサンドラとの結婚の心配はないと言っていい。エルンストを不安にさせる要素はないとグスタフは思っていた。
「陛下、本日はまことにおめでとうございます」
執務室に下がったグスタフの元に大臣たちが集まっていた。
「うむ。今後もよろしく頼む」
懐中時計を手に侍従長が現れた。
「陛下はこの後の大舞踏会の御仕度がございますので皆様控室で休息を願います」
大臣たちはそれでは後ほどと執務室から下がった。
大舞踏会など国費の無駄使いだとグスタフは言ったのだが、意外にも外務大臣が無駄ではないと言ったので開催が決まった。他国の大使や招待された王族といちいち面会の場を設けるよりも舞踏会の場でまとめて面会したほうが無駄がないという理由だった。なるほどと思いグスタフは頷いたのだった。
ただ、問題はダンスだった。グスタフは村祭り以外で踊る機会がなかったので貴族の間で踊られているダンスのステップを知らなかった。そこでダンスの教師が招かれた。アレクサンドラの師でもある子爵夫人はこの三カ月グスタフをしごきにしごき、何とか踊れるようにした。
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