アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳

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お清の中臈

肆 奥女中の世界

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 佳穂は奥方様の実家である分家の領有する支藩月影藩の出である。
 月影藩は元々は望月藩の領内であった影山かげやま郷と月輪つきのわ郷を合わせた石高一万石の地である。百二十年ほど前に当時の望月藩藩主、月野宗能むねよし(死後の呼び名は寛善院)が二人の息子のうち次男にその地を分与し、支藩としたのである。
 中興の祖と言われる月野宗能は享保二年(一七一七年)二十五歳で父の跡を継いで望月藩の主となった。その治世は約三十年の長きにわたり、その間領内の治水や用水路掘削を行ない、影山郷、月輪郷等の新田開発により実質の石高を一万石余り増やした。また海岸部で行われていた塩田の塩の質を高め、専売制にして多大な収入を藩にもたらした。山間部では質のよい漆や樟脳を増産した。これにより、それまでの家中の赤字は一掃された。
 支藩月影藩は享保九年(一七二四年)に当時十二歳の次男亀丸を主として創設された。長男であった松丸十四歳が元服を前におたふくかぜにかかり、世継ぎを残せぬかもしれぬと医師から言われ、その備えとして支藩を作ったのである。幸いにも松丸の病は快癒し無事に元服、正室と側室に合わせて五人の子どもを儲け、支藩の出番はなかった。しかし、子どもの死亡率が高いのは大名家も例外ではなく、五人の子のうち二人は成人前に亡くなった。万が一を案じ支藩は存続した。
 以来、本家の血筋は絶えることなく続いており、備えの役目を果たすことのないまま分家も続いている。
 大名であるが支藩の月影藩の主は参勤交代をせず、江戸に常住している。国許で藩主の代わりに影山の陣屋で政務を執るのは家老の川村三右衛門、すなわち佳穂の父である。
 佳穂は六年前、十五の年に国を出て本家の淑姫様のお話相手ということで江戸上屋敷に勤めるようになった。同い年の淑姫は活発で、佳穂はずいぶんと驚いたものだが、話してみればさっぱりとした気性で仕えやすい方だった。
 姫の輿入れの際は佳穂も嫁ぎ先についていく予定だったが、奥方様が佳穂を手元に置いておきたいと言いだし、奥方様付きの小姓となった。佳穂もまた、亡き母が江戸勤めをしていた頃に仕えていたのが奥方様ということで母親のように接してくれては断るわけにもいかず、この屋敷に残ったのだった。
 一年もたたぬうちに佳穂は小姓から中臈になった。





 ここで、佳穂の属する奥女中の世界について、簡単に説明しよう。
 奥女中の世界も男性の社会同様序列がある。将軍家の大奥も大名家の奥も多少の名称の差はあるが、序列だけははっきりしている。月野家本家も将軍家の大奥に近い形をとっている。
 トップは鳴滝なるたきの務める年寄である。奥女中たちを取り締まり、表御殿にいる家老と奥向きにかかる経費のことなどをじかに交渉することもある。年齢とは関係なく二十代、三十代でも年寄になる。鳴滝も四十になったばかりである。
 将軍家の大奥ではその上に上臈御年寄がいるのだが、これは京の公家出身で、月野家にはない。
 家によって違いはあるが、月野家では、年寄の次が御客応答あしらいと言う他家の奥からの使者を接待する役目である。これは元年寄や元中臈、元表使いが就く仕事で年寄よりも年長であることが多い。吉野という五十代の女性が勤めている。
 その次は中年寄。年寄の代理を務め、献立を決めたり味見役もする。松村という三十がらみの女性が勤めている。
 ここまでは、大奥と同じで「瀧山」や「瀬川」のような、親族ゆかりの名や地名、縁起のいい名等を名乗ることができる。
 これより下は「お喜与」や「お玉」のような一般的な女性の名を名乗る。
 その中で一番上は中臈ちゅうろうである。奥方様の世話係で、これには二種類ある。
 一つは俗に言うお清の中臈と言われるもので結婚せず一生奉公をする。佳穂はこれである。また淑姫様付きのお園も中臈である。
 もう一つは、殿様の側室である中臈。身分にあまり関係なく、殿様の寵愛を受けて御末おすえから一足飛びにこちらになる者もいる。陰では「汚れた方」などと言われるが、女子を生めばお腹様、男子を産めばお部屋様と言われ、世継ぎを産めば御生母様と崇められる。現在五十の殿様には数年前まで中臈がいたが、病で亡くなっている。国許には一人いて次男を産んでいる。この次男は七つの年に他家に養子に行って今は立派に養子先で藩主を勤めている。
 その下が小姓こしょうで奥方様の小間使いである。七歳から十六歳くらいまでの少女が多い。佳穂も最初は小姓だった。
 現在奥方様付きは八人いて、二人ずつ交代で詰めている。
 以下は次の通りである。

  中奥と奥の間にある戸を管理する御錠口ごじょうぐち
  奥の買い物を取り仕切り、表御殿の男性の役人である留守居役や広敷役人と応対する表使い
  書類を扱ったり、奥に献上されるものを管理したりする右筆ゆうひつ
  道具の持ち運び、対面所などの掃除をするおつぎ
  奥女中の親・親類や使用人の出入りを管理する切手書きってがき
  殿様の雑用を行ない、中奥に出入りする剃髪の伽坊主とぎぼうず
  殿様や奥方様の衣裳を縫製する呉服之間
  表使いや詰所の下働きをする広座敷

 ここまでは殿様や奥方様に目通りが許される。
 目通りが許されないのが以下の職である。

  台所に詰めて煮炊きをする仲居
  火の元を注意する火の番
  奥方様の食事中の湯茶を用意する茶之間
  広敷の役人との取次役をする使番
  掃除・風呂・台所の水汲みなど一切の雑用をする御末

 また、仲居や御末の多くは口入屋という人材派遣の仕事をする商人から斡旋された江戸の者が勤めていて、多忙な時期だけ期限付きで雇われる者もいる。
 いずれも本人の能力よりは、親兄弟の家柄で地位が決まることが多い。
 佳穂が二十という年で中臈になったのも、父が支藩の家老だからであろう。お園の兄もまた若殿様の側用人で出世頭と目されている梶田仁右衛門である。
 また、私的な使用人として部屋子がいる。年寄や中臈などの上位の奥女中が身の回りの世話をするために自分の給金で雇っている。佳穂にもお喜多とお三奈の二人がいる。





 こうしてみると、佳穂は中臈という殿様・奥方様に目通りができ、直接言葉も交わせる役目にあり、個室も持ち、かなりの高位にある。
 といっても中臈の仕事は、奥方様の側に控え、あれこれと小姓らに指示を出し、仕事を確認しと、毎日気を遣うことも多い。加えて年寄りの指示を受け、同輩や淑姫にも目配りもせねばならないから、上と下、同輩など、配慮すべき相手は少なくない。
 国許から出てきている小姓には特に目を配り、あれこれ話を聞いてやることもあった。比較的のんびりとした国許と違い、江戸屋敷は時間に追われることが多く、慣れない暮らしは心身の変調をきたすこともある。佳穂は彼女達の不安を解消するために時間を費やすことも多かった。
 要は中間管理職のようなもので、綺麗な着物を着てにこにこと笑っているだけでは務まらないことも多い。
 それでも、佳穂にとっては国許にいるよりは気楽だった。
 奥方様は慎ましやかな気配りをする方で、佳穂のことも何かと気にかけてくれる。亡くなった母が嫁入り前の奥方様に仕えていたこともあり、娘のように案じてくれていることも有難かった。殿様も支藩の家老の娘ということであれこれ気を遣ってくれる。世間の殿様の中には五十、六十過ぎても、奥方に仕える若い部屋子や小姓に手を付ける行儀の悪い殿様もいるらしいが、月野家の殿様はそういうことはなさらない方だった。
 年寄の鳴滝はそんな主夫妻のために日夜懸命に尽くしており、鳴滝の化粧をしていない素顔を見た者はいないと言われるほどだった。
 同輩のお園も淑姫様のことでたまに愚痴をこぼすくらいで、何かと佳穂には親切だった。
 上司や同輩に恵まれているという点で、理想の職場だった。殿様の跡継ぎの若殿様も真面目な方で間もなくまとまるであろう縁組のお相手の姫様もしっかりした方という話なので、この先も勤めやすい職場が続くと佳穂は思っていた。勤め続けて、いずれは鳴滝のような年寄になる。それが佳穂の人生設計だった。





 風呂をもらって部屋に戻ると身の回りの世話をする部屋子のお喜多が茶を持って来た。 

「ありがとう」

 礼など言う必要はないのだが、佳穂はいつもそう言ってからぬるい茶を飲む。風呂上がりのぬるい茶は国許にいる頃からの習慣で、お喜多はそれを国許と同じようにしてくれる。それがどれだけありがたいことかと、佳穂は思っている。

「またお佳穂様はさような他人行儀な」
「江戸でお喜多のいれる茶が飲めるのは、幸せなことゆえ」

 江戸では茶だけでなく食事の味付けから何から国許とは違う。茶が飲めるというだけでも贅沢なことだと佳穂は知っていた。
 佳穂はお園からもらった菓子をお喜多にも分けた。

「まあ、これは金平糖ではありませんか」

 表面にたくさんの角のある砂糖菓子にお喜多は目を輝かせた。

「お園様が中屋敷の兄上からいただいたそうな」
「ああ、それで」

 佳穂は一つを口に入れた。舌の上で溶けるたびに感じる甘味はなんともいえぬ味わいがあった。
 お喜多も口に入れた。途端に顔がほころんだ。

「甘い」
「ほんに」

 佳穂は殿様と奥方様の会話を思い出していた。

「お喜多、分家のお屋敷のことだが」
「はい」

 お喜多の母は佳穂の乳母お勝、父は国許で評定所に勤めている。弟が分家の殿様の小姓として今年から分家の上屋敷にあがって勤めている。幼い弟に月に一度は会えるようにと、佳穂は十日前にお喜多に休みをやっていた。

「又四郎殿の噂を何か聞かなかったか」
「又四郎殿、ですか」

 お喜多の表情に怪訝なものが浮かんだ。

「下野守様の次男の又四郎殿のこと」
「ああ、部屋住みの方のことですね」

 お喜多は合点がいったという顔になった。どうやら名まえではなく部屋住みの方と呼ばれているらしい。

「噂というのは特に。静かにお暮しという話ですから。でも」

 お喜多は声をひそめた。

「ここだけの話でございますが、時々外に出て、長崎屋のカピタンのところに行っているとか。蘭学者と交遊されているとか。少々変わった方だそうです。弟もめったに顔を見たことがないのですが、一か月前に会った時は本をずっと読んでいたとかで月代さかやきがなくなりかけていたそうです」
「まあ」

 長崎屋とは長崎出島のオランダ商館長が江戸に参府した際の宿泊場所で日本橋にある。本業は薬種商で、輸入された薬用人参の販売を独占していた。
 それはともかく、月代を剃らぬとは、ずいぶんだらしのない男だと佳穂は思った。成人した男性なら町人でも髷を結い、額から頭頂部にかけてきれいに剃るのは当然である。きちんと毎朝生えて来る短い毛を毛抜きで抜くのは身だしなみである。そういえば、一か月ほど前の迷い犬の騒ぎの時に会った髭もじゃの男も月代がなかった。分家は少々綱紀が緩んでいるのではなかろうか。

「少々ではないのではないか」

 奥方様は一体どういうつもりで文武に優れているとおっしゃったのか、佳穂は疑問に思った。それとも本当は優れているのに、それを隠しているのか。
 大体、部屋住みの者は優れていれば、他家から養子にと望まれる。養子になって他家を継げば、殿様と呼ばれ妻帯もできる。わざわざ隠すなどありえない。
 もし隠しているならば、よほどひねくれているのではあるまいか。淑姫様の相手としてはどうなのだろうか。
 それとも奥方様の贔屓目で、実際にただの変人ということもありうる。だとすると、ますます淑姫様にはふさわしくあるまい。

「お喜多、もし何か噂を聞くことがあったら教えておくれ」
「はい。何かあったのでございますか」

 佳穂が、他家のこと、それも男性のことを尋ねるなどめったにないので、お喜多は尋ねたのである。

「奥方様が甥子のことをどうしているか気にされているようでな」

 淑姫の再婚相手の候補などと言うわけにはいかない。お喜多は口が堅いから心配はないのだが、うっかりお園あたりに又四郎の名など出したら大変である。お園は性格はいいのだが、それゆえ淑姫には逆らえない。そのため、淑姫の行動であれこれ悩み、持病の癪に悩むことにもなってしまう。淑姫の前でお園が又四郎と一言でも口にすれば、勘のいい淑姫は再婚相手と察して、まとまる話もまとまらないだろう。なにしろ、今の淑姫は離縁されて、のびのびとしている。もう結婚などまっぴらとも公言している。再婚話など受け付けるわけがない。そんな淑姫にお園が振り回され持病の癪で苦しむ姿は見たくなかった。

「何分、他家のことゆえ、他言はせぬように」

 一応、釘を刺しておいた佳穂だった。



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