初恋はいつ実る?

三矢由巳

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17 進路相談

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 生徒の名は芙二子ふじこさんという。
 父親はうち同様微禄の御家人で、三人姉妹の次女。内職に金魚を飼育しているせいか、理科の成績がいい。読書量も多いので国語の成績も群を抜いている。
 彼女の相談というのは進路についてだった。
 一学期の進路調査では女学校進学を希望していた。成績からいって順当な進路だった。奨学金がもらえる成績なので、経済的な問題はなかった。
 二学期に入ってからは女学校志望者を対象にした土曜日午後の補習授業に参加している。これは代用ではない正教諭資格を持つ教員の授業だった。その中でも優秀だと評判だった。
 その芙二子さんが一体どうしたのか。
 使用されていない会議室の細長いテーブルを挟んで私は彼女の表情を観察していた。ひどく心細そうに見えた。

「先生、私、女学校に行きたいんです。でも」

 家庭で何かあったのだろうか。これは家庭訪問の必要があるかもしれない。

「この前、母の従姉の家からお使いが来て、大奥で働かないかって……」
「大奥」

 驚きのあまり思わず声に出してしまった。

「はい。母の従姉が御台所様付の御中臈に仕えていて、御台所様が部屋子を募っているからお仕えしないかと」

 大奥。この小学校から大奥に部屋子として入った生徒は昔はいたらしいが、ここ二十年はいないと聞いている。大奥に入れる伝手を持つ生徒はそう多くないのだ。

「大奥には部屋子だけを集めた私塾があるから、女学校に行かなくても学問はできるって。でも私塾には理科はないんです。私生物の実験をもっとしたいんです。金魚の遺伝子について調べたいのに」

 芙二子さんの声は私の心に切実に響いた。できることなら芙二子さんを女学校に進学させたかった。
 けれど学校の方針で基本的に生徒の進路は保護者の考えを重視している。親の職業を継ぐ子どもが多いためである。この場合も親の考えをきくべきであろう。

「御両親は賛成なの?」
「反対しています。でも祖父が名誉な話だと言って賛成していて、父が困っているのです。父は入り婿なので祖父に逆らえないから」

 家庭の事情が絡んでいた。

「それに……」

 芙二子さんは俯いた。話しにくいことがあるのだろう。私は言葉が出てくるまで待つことにした。が、待つ時間はさほど長くはなかった。

「祖父は私が若君様のお手付きになれば家は安泰だと言うのです」
「へ?」

 夏休みの宿題を放っておいて昆虫採集をしていた若君の? 冗談ではない。芙二子さんのようないい子をあの若君のお手付きにとかどうかしている。

「そんなの嫌です。私は私が本当に好きになった人と幸せになりたいんです。いくら身分が高くても好きになれない人とは無理です」

 私は自分が教員であることを忘れて頷いた。

「そうね。好きな人と幸せになりたいのよね」
「祖父は若君様だから好きになるに決まってるなんて言うけれど、それって変ですよね。私も御家人の娘ですから、上様やその御家族には忠義を尽くしたいと思っています。でも若君様を好きになるかというのはそれとは別の話だと思います」

 恋愛と忠義は似ているように見えて違う。芙二子さんはわかっている。

「それに若君様のお手付きになれる確率なんてほとんどないと思います。今の上様に側室はおいでにならないと伺っています。若君様が御台所様を迎える前に誰かにお手をつけるなど、上様はお許しにならないのではないでしょうか。何より、選ぶのは若君様。大奥には大勢の美しい方々がおいでになります。選ばれる確率は千分の一もないかと思います。それなのにまるで寝言のようなことを言う祖父が私は情けなくて。あ、寝言のようなって言い過ぎですね」

 選ばれる確率以外は芙二子さんの言う通りだと思う。ただ、彼女の祖父の気持ちもわからないではない。貧しい御家人にとって娘や孫が大奥で出世するというのは、富籤で大当たりを引くようなもの。つらい現実をしばし忘れてみる夢なのだ。老人にとってそれは最後の夢なのかもしれない。
 だが両親は夢を見ているわけにはいかない。娘の幸せが大奥にないことはわかっている。
 芙二子さんは自分を思う両親と夢を見る祖父の板挟みで苦しんでいたのだろう。

「芙二子さん、よく打ち明けてくれたわね。一人で悩んで苦しかったでしょう」

 俯いた芙二子さんは震える声ではいと言った。
 さて、これはどうしたものか。
 
「母の従姉から大奥に一度遊びに来るようにと言われて。でも行ったら断れなくなりそうで」

 まずい。着々と事実を積み上げて大奥に行かざるを得ないようにしているとしか思えない。

「行きたくないのなら、行かなくていいのよ」

 担任として言うべきではないのかもしれないが、私は言ってしまった。たぶん母上も同じことを言うだろう。

「行きたくないと幾度も祖父に言いました。でも、そんなことを言うのは躾がなっていないからだと父を叱るのです……」

 舅と婿の関係が孫であり娘でもある芙二子さんをそんな形で苦しめるとは。これはどうしたものだろう。家庭の問題にまで踏み込むわけにはいかない。けれど、このままだと女学校への進学の道が断たれてしまう。私の場合は母の病と貧しさが進学の道を諦めさせた。だが、母の死後に定時制女学校があることを知り、働きながら勉強ができた。芙二子さんは大奥に入ったら、そう簡単に外へ出ることはできなくなってしまう。女学校など論外だろう。

「私が理科の勉強をするのを諦めて大奥に行きさえすれば、祖父は満足し、父を叱ることもなくなると思うのです。でも、それでいいのか、わからなくなります」
「一生の問題だもの。わからなくなるのは当然のことね」
「先生ならどうされますか?」

 難しい問いだった。

「難しいけれど、やりたいことがあるなら実現するために努力すべきだと思う。芙二子さんの人生は芙二子さんのものだもの。私も母の病で女学校へ行けなかったけれど、定時制の女学校に働きながら行くことができた。誰かから指図されたわけではなく自分で決めたことだからできたのだと思う」
「私の人生は私のもの」

 芙二子さんは呟いた。先ほどまでの心細げな表情が少し明るくなったように見えた。

「御両親とよく相談して、なんとかおじい様に気持ちをわかってもらえるようにね」

 会議室を出た芙二子さんはありがとうございましたと丁寧に頭を下げて鞄を置いてある図書室へ戻って行った。
 職員室に戻った私は芙二子さんの母親に電話をし、芙二子さんが進路で悩んでいることを伝えた。
 やはり母親も父と夫の板挟みになっているようだった。その上、従姉との関係もある。それでも娘が私に相談しなければならないほど悩んでいると知ると、今夜よく家族で話し合ってみますと告げた。その後、母親は思いもかけないことを言った。

『私もなんとかして娘を女学校にと思っております。大奥に行った小学校の時の同級生の話を人伝ひとづてに聞きますが、とてもではありませんが娘にさせたいような苦労ではありません。先生のように働きながら勉学された苦労のほうがよほど真っ当です』

 娘にさせたいような苦労ではない。一体どれほどの苦労なのか、私には想像も及ばなかった。





 翌日、芙二子さんの母親から体調が良くないので休ませると電話があった。家族の話し合いについて母親は言わなかったけれど、恐らく望ましい結果にならなかったのだろう。私のアドバイスなど、御家人の隠居にはまったく無意味なものだったのだろう。俯いた芙二子さんの姿を思い出した。私は無力だ。それどころか芙二子さんをなおさら苦しめてしまったのではないか。
 それでも学校は動いている。三時間目と四時間目は運動会の練習だった。運動用の軽衫かるさんに着替えようと職員室の隣の更衣室に行こうとすると教頭にすぐ校長室に来るようにと呼び止められた。
 芙二子さんの祖父が来ていると聞かされた。きっと昨夜の話し合いの件だと思った。組のことを副担任に頼み、私は校長室のドアを叩いた。



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