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第二章 最果ての星

10 レオとビクトル

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「ただいま」

 返事はなかった。当然だろう。もう時計は1時をまわっている。父は明日の仕入れのために、姉は仕事のためにすでに床に就いているはずだから。
 父の取り付く島もない返事にかっとして家を飛び出し、親方の家に行って愚痴をひとしきり語った後、おかみさんから早く帰ってよく話し合ってごらんと言われた。親方の家を出たものの、家に戻るのがなんとなく億劫で公園で時間をつぶした。冷え込んできたのでやっと家に足が向いたが、さすがに遅すぎた。もう一時間早ければ姉は起きていたかもしれないのだが。
 レオはテーブルの上の照明だけつけて、とりあえず流しの水道の水をコップに注ぎ飲んだ。ドイルの水は軟水なので水道水も飲みやすい。
 
「あれ?」

 テーブルの上に置かれた家計簿の下からキラキラ光る物がのぞいた。引き出すと名刺だった。
 見慣れない金箔が使われていた。

「侯爵?」

 ドイルもヨハネスのような帝國直轄都市以外は大小の貴族領に分かれているが、侯爵領はなかった。レオにも侯爵が上位の貴族だという認識はある。そして、昔はうちも貴族だったらしいということも。子どもの頃にずいぶん広い家に住んでいた記憶もある。ただ物心つく前だったので、あれは夢だったのかもしれないと近頃は思う。大体、どう考えてもカフェテリアの頑固おやじが貴族というのは無理がある。
 それなのに、テーブルの上に侯爵継嗣の名刺がある。家計簿は姉がつけているので、姉がもらったのだろうか。侯爵継嗣、侯爵の跡継ぎということらしい。本当にそうなのだろうか。
 もしかすると、最近流行している女性相手の飲食店の宣伝ではなかろうか。女性客に皇帝陛下のように大勢の男性店員がかしずいてサービスするとかいう店だ。店の名は「女帝」では不敬になるから、「ゲバラ侯爵」なのだろう。ビクトルというのは店員の名に違いない。
 きっと会社帰りにでも渡されたのだろう。姉は会社や店ではしっかり者に見えるが、案外ぼんやりしたところがある。レオの働く工場だったら、一時間しないうちに怪我をしかねない。隙だらけの姉に店員が渡したに違いない。
 そんなことより、整備兵候補生の件だ。締め切りは今月末。二週間もない。
 未熟児だったから身体が弱いと父は言うが、レオは学校を病気で休んだことがない。身体が小さくて一年遅れの入学だったおかげか、体育の成績も良かった。親方だって体力に太鼓判を押してくれた。家族には内緒だが、喧嘩だって負けたことはない。
 父はよほど軍人に嫌な目に遭わされたのか。あるいは危険なことをさせたくないのか。
 だが、レオは機械整備をやりたいのだ。パイロットや砲兵になりたいわけではない。最前線で戦うわけではないのだ。
 軍隊には理不尽なこともあるとサウロ・ラモンは言っていた。だが、父のほうが理不尽だとレオは思う。
 そういえばサウロ・ラモンは妙な奴だ、姉の会社の同僚だが、妙に父になれなれしい態度をとるようにレオには見えた。父もなんとなくサウロに遠慮があるように見えた。父はいくら親しくても客とは距離をおくようにしている。だが、サウロとの距離の取り方が客ともまた違う感じがするのだ。どう違うか、レオには言葉にできないが。
 やはり客達が噂しているように、サウロが姉を狙っているからだろうか。姉はサウロのことをなんとも思っていないように見えるのだが。
 あれこれ考えているうちにレオは眠くなったので、名刺を家計簿の下に押し込め照明を消して自室に入った。
 明日も仕事なのだ。



 翌朝起きるとすでに父も姉もいなかった。慌てて朝食のパンと鍋に残されている豆のスープを飲んだ。
 テーブルの上のメモ帳に父の字で伝言があった。

  レオンへ 今夜仕事が終わったら話すことがある。

 理不尽な軍隊の話でもするのだろうか。ロクな話ではないような気がするが、応募書類に父のサインは必須だからおとなしく聞くしかない。
 もしサインがもらえなかったら十八歳になる半年後まで待つしかない。その半年がレオには耐えきれそうもなかった。今夜、父と決裂したら家を出ようと思った。



 明るいうちに仕事をいつもより早く終えて家へと向かっていると、妙に通りが騒がしかった。
 いつぞや、父が相談に乗った女性の夫に襲われたことがあった。あの日初等学校から帰って来た時となんとなく感じが似ていた。警察の車が店の前に停まっているのが見えたので、さすがにレオは焦った。また同じようなことが起きたのではないかと走ると、店の前の人混みから知った声が聞こえてきた。
 ヒメネス夫人だった。

「……協力しますよ。人が足りなければ他の店からよこすし、席が足りなければ隣のベラさんが店を一時的に貸すって言ってくれてるの。どうせ、長くても一か月か二カ月のことだもの。人通りが増えれば賑やかになるから、皆協力してくれるわ」
「ホルヘさん、あなたの福祉相談についても、当福祉事務所からも所員を派遣しますから、負担が減ります」

 この声は時々店に来る福祉事務所の所長のものだった。

「あなたがうちに繋ぎを付けてくれたおかげで大勢の人が助かってるんです。これまでうちの事務所が星系内で二度最優秀事務所の表彰を受けているのもホルヘさん、あなたのおかげです。あなたの好意にいつまでも甘えているわけにはいきません」

 やっと福祉事務所が重い腰を上げたらしい。福祉の支援が必要な人への情報提供があまりに少ないために、父の相談が繁盛していたのである。だが、それは誰が考えても本末転倒だった。街のカフェテリアのおやじではなく、本来は事務所が積極的に広報し、必要な人への支援に結び付けなければならないのだ。レオにも理解できる話だった。

「警察も周辺の警備を重点的にやります。安心してください。誰も迷惑だなんて思いませんよ」

 なんと警察署長だった。でっぷりと肥えた商店会長がうなずく。

「そうだよ。迷惑どころか、有難い話じゃないか。この際、商店街でも無料駐車場を作ろうという話も出てるんだ」

 一体何が起きたのか。レオはすっかり困惑している父を取り囲むお偉方や近所の店主たちを見た。お馴染みの顔ぶれの中に一人見慣れない若い男がいた。亜麻色の巻き毛に縁どられた顔にはどこか軽薄そうな雰囲気があった。
 軽薄そうな男の口が開いた。
 
「ホルヘ・サパテロさん、どうか、取材に御協力願えませんか。周辺の店の方々や福祉事務所、警察署も協力してくれるなんて、なかなかないことですよ」

 取材。そういえば、一昨日姉が雑誌の記者が取材に来ているが協力しなくていいと言っていた。このことかと気付いた。だが、それにしてもこの男が記者だとしたら、警察署にまで手を回すとは只者ではない。

「『惑星通信コムニカシオン・プラネタリア』は全星系で読まれています。特に星間を移動する運輸関係や軍の関係者の多くに愛読者がいます。彼らは各惑星の良質な飲食店の情報を求めています。読者はそれぞれ独自の物差しで店を選んでいますから、御心配なさるような混雑はありません。これまでもせいぜい一か月程度でした。でも、周辺の店も刺激を受けてサービスがよくなるので結果的に客の回遊が増えるのです」

 口の巧い男らしい。店主たちがうなずいている。

「つまりエストレージャが掲載されることでヨハネスの街全体が潤うのです」

 なんだかレオもそんな気になってきた。が、父の顔を見ていたらそれどころではない気がしてきた。あんなに困った顔をした父など見たことがなかった。

「おい、あんた何してんの? おやじ困ってんだけど」

 レオは巻き毛に向かってつかつかと近づいた。
 警察署長と福祉事務所長の顔色が青くなった。が、レオに怖いものはない。二人の車の整備はフリオ親方の工場でやっているのだ。二人は工場のお得意さんでしかない。

「おやじが取材は嫌だと言ってるんだ。なんでこういうやり方してくるわけ? 警察署長や福祉事務所の所長まで巻き込むなんて。虎の威を借る狐っていうんじゃなかったっけ、こういうの」

 巻き毛は驚いたようにレオを見た。

「君はホルヘさんの息子かい」
「ああ。俺はレオン・サパテロ。車の整備工さ」
「レオン、やめろ」

 警察署長が叫んだ。何故か、警察車両から警官が二人出て来た。

「署長さん、別にこんな奴殴ろうなんて思っちゃいないから。殴ったら手が汚れる。人の迷惑も考えねえ奴なんぞ手で殴るのもバカバカしい」

 言い終わらぬうちにレオの左回し蹴りが記者ビクトル・パルマの顎に直撃した。蛙のような声を上げビクトルは後ろに倒れたが、幸い後ろに立っていた商店会長の腹が彼の身体を受け止めたおかげで後頭部を打たずに済んだ。

「傷害罪の現行犯で逮捕する」

 二人の警官がレオを左右から拘束した。たったこれだけで傷害罪? レオはこれまで、喧嘩で幾度も殴る蹴るを繰り返してきたが、逮捕は初めてだった。
 警察署長が叫んだ。

「この方をどなたと心得る。ゲバラ侯爵家のお世継ぎビクトル様だぞ」
 
 あの名刺は本物だったらしい。



 二時間後、レオは保釈された。
 ビクトルが記事を書かせてくれるなら示談で済ませるからとホルヘに要求したのだ。
 傷害罪は初犯で情状酌量の余地があれば普通は執行猶予がつくのだが、相手が貴族となると話が違ってくる。実刑も稀ではない。しかもゲバラ侯爵家の現当主アビガイルは皇帝の長女であり、ビクトルはその継嗣である。皇帝の義理の孫となれば、不敬罪の適用もされかねない。不敬罪は最低でも無期懲役である。
 ホルヘは受け入れた。ビクトルは示談にしたからと警察署長に傷害罪の適用を取りやめさせた。貴族の特権である。
 警察署からの帰り道、レオは何も言えず、父の後を歩いた。自分のせいで父が受けたくもない取材を受けなければならないなんて。本当に俺は駄目な奴だとレオは思う。
 だが、帰宅した後に、本当の地獄が待っていた。
 姉がものすごい顔で待っていたのだ。

「あなたのせいで、何もかも滅茶苦茶だわ。もうここで私達暮らせなくなる」

 レオは何も知らなかった。
 何故、この星に来ることになったのか、父が何者だったのか。



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